魔猪あらわる
「そういえば、今日は警備兵の方が少ないですよね……?」とアリッサちゃん。言われてみれば確かにそうだ。
襲撃事件から、騎士団への派遣を要請しグッと校内の警備の数が増えていた。だけど、今日は何だか数が少ない。シャルル殿下やシュルトナム様は今日は大事な公務があると休んでいるから、何か関係があるのかもしれない。
D班はみんな魔術討伐には参加しない組で、この後ちょっと時間があるからせっかくだしお昼を一緒に食べようということになった。食堂は奨学生のアリッサちゃんにはキツイだろうから、購買でサンドイッチやお弁当を買ってきてピクニックっぽくするの。幸い今日は晴れていて気持ちがいいし、食料備蓄庫の裏の敷地が開けていてレジャーシートを広げられそうなスペースもあるし。
まずは購買部に行こう!と4人で連れ立って歩いていると備蓄庫の裏口に、里山に入ったときには無かった小麦袋達がうず高くつまれているのが見えた。たぶんこれから、晩ご飯の分のパンを焼くんだろうなあ。貴族の子女が通う学校だけあって、提供される食事のレベルが高い。その中でもパンは絶品!魔道具のおかげでいつでも焼き立てが食べられるのもポイントが高い。これってすっごい贅沢だよね。
「あーやっと終わった。今日はシャルル殿下もいないしつまんないからぁ、午後はサボって町に行っちゃおう!」と良からぬことをバカでかい声でマリーローズちゃんが言っている。歌をやってるから肺活量がスゴイのかな。「どっかの悪役令嬢のせいでカイン様にも会えないしぃ、憂さ晴らしにこの前の”サロン”。あそこに行きたいなぁ。」と彼女が言うと、何故か取り巻きの男の子たちが頬を赤らめている。一体どこに出入りしているんだこのヒロインは。
悪かったわね。今日はカインもケイトも用事でお休みなのよ……というかカイン本人が会いたくないって言ってんだから仕方ないじゃん……
反応するだけ負けだと思って(悪役令嬢が私の事ってみんなわかってんのかしら?)テクテク歩いていると、さっきまで私たちが分け入っていた山から大きい魔力反応がものすごいスピードで近づいてくるのを感じた。他の子たちはまだ気づいていない。
向かってくる方向を振り返る。遠くからドドドドドドという重く早い足音が聞こえた。それにやがて木々の枝が折れる音も重なるようになり、ガサガサと葉っぱが揺れたかと思うと、大きな黒い塊が飛び出してきた!
ソレは大きな口と鼻を持ち、その横には長くそそり立つ2本の牙がある。真っ黒な毛並みの体躯は前世で言うワンボックスカーほどの大きさ。禍々しい正気をまとった、正真正銘のイノシシの魔物だった。
ぶおおおんと荒い息を吐く獣。前片足で地面を掻いている。明らかに興奮状態でご機嫌斜めだ。
「ちょっと何でもう魔獣が出てくるの…?あの方は、魔術討伐の時に作動させるって言ってたのに……こんなんじゃ観客が少なすぎじゃない…意味ないじゃん……。」と、いつの間にか私の隣まで来ていたマリーローズちゃんが、聞き捨てならないことをつぶやく。
彼女がこの魔獣を呼び寄せたってこと?あの方って誰?
問い詰めたいが、それどころじゃない。距離的に魔猪に一番近い位置にいるのは私と彼女だ。マリーローズちゃんはイライラしながらも、「ちゃんと私の活躍を後で証言してよね。」と背後で動けなくなっている薬草摘み組の生徒たちに言って、自信たっぷりに歌い出した。治癒魔法だ。
確か、ゲームだとヒロインの治癒魔法は魔獣の瘴気すらも癒し、魔獣は天に召されて魔核だけが残るはず。
美しい調べがあたりに響き渡り、私たちに希望を与える。彼女の資質とか性格とかは置いといて、やっぱりスゴいわね、と思ったのも束の間……
バチバチっという音と共に、治癒魔法が弾き返されてしまった。不愉快だったのか、魔猪の興奮が高まり真っ赤な瞳が警告するように光る。ヤバい。声の主を認めると、魔猪は猛烈な勢いで一直線にマリーローズちゃんの方へと向かう。治癒魔法が効かなかったことに驚いたのか、彼女の目が大きく見開かれる。
「っつ!」動けないマリーローズちゃんを横抱きにし、私は真上に飛び上がった。危ない!目標を見失った魔猪がそのまま後ろにいた生徒たちに突っ込んでいってしまう。私は上空からありったけの魔力を込めて、ティモシー君たちと魔猪の間に大きくて分厚い石の壁を作った。
勢いよく壁にぶつかり、魔獣は反動で森の入り口に吹っ飛んだ。なぎ倒される木々たち。と、とりあえず助かった……。
着地してマリーローズちゃんを下ろすと「私の魔法が効かないなんて……」と放心したようにつぶやいてその場にへたり込んでしまう。マリーローズちゃんが一体全体何をやったのかわからないけれど、今の状況はもうコントロール下に無いということなのね。騎士さんたちも出払っていて、引率の先生は不在、戦える生徒はここから離れた演習場。最悪のシチュエーションだ。
私自身、さっきの石の壁でかなり魔力を使ってしまった。足元がふらついて、座り込んでしまいたい。誰か戦える子はいないかと振り向く。ダメだ、みんな恐怖で足がすくんでしまっている。これじゃあ逃げることさえ危うい。
何か策はないのかしら。考えろ、私。
そうこうしているうちにも、イノシシは起き上がりまたターゲットを狙いだす。せめて誰かを逃がして、先生方を呼んできてほしいけれど、動くと標的にされてしまいそう。倒してしまうのは無理でも、魔猪の戦意をそぐ位のダメージを追わせないと。
「まだ学者になる夢も叶ってないのに、死にたくない。」とアリッサちゃんが泣き出した。地方の領地の子なら野生の獣や魔獣と出会う機会もあるから、ある意味慣れている。が、彼女は王都出身だからこういった危険に直面するのは初めてなのだろう。
私は振り返って、何の根拠もないのに「大丈夫よ」とアリッサちゃんに微笑みかけた。最悪、私が魔力を出し切って火魔法でイノシシの魔物を燃やし尽くせば、逃げる時間くらいは稼げるはず……その後はどうなるかわからないけれど……。
クソ度胸を決めきれない私の目に、食料備蓄庫が入った。
もしかしたら、イケるかも。
この世界の物理法則とか、魔法の作用とか不確かなことだらけだ。でもとにかくやってみるしかない。
ここにいるのは大体が魔力が弱かったり、戦闘に不向きな子たち。だけど、どのみち襲われて死ぬなら、私たちでやれるところまでやってみようじゃないの。




