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彼女の事情(sideケイト)

今日も私は、紺色のお仕着せに着替える。どこぞのエロ子爵の家では若い女性メイドに丈の短い破廉恥なメイド服を着せているらしいが、この侯爵家ではそんなことはない。落ち着いた上品な雰囲気のこの服が、結構気に入っている。


私の名前はケイト・フェリス。このバーンスタイン侯爵家の1人娘ディアナ様の専属メイドを務めている。あまり顔に表情が出ないのが、目下の悩みではあるが、それ以外はおおむね幸せな生活をしている。このバーンスタイン家に来たのは5年前のこと。それまでは王家の”影”として諜報任務についていた。


他国での護衛任務に失敗し、生死の境をさ迷うほどの大けがをした私の復帰後初めての仕事が、王太子殿下の婚約者の監視兼護衛であった。正直左遷された(とばされた)と思ったが、あの手痛い失敗が頭にこびりついて離れなかったので、これはこれで良かったのだろう。


鏡の前でキャップをかぶり、身だしなみを整える。どこからどうみても、地味なメイドだ。そんな自分に満足する日が来るとは。本職の諜報員やトップクラスの騎士でないとわからないくらいだが、私は左側の反応が鈍い。今の日常生活では問題がないし、国内での任務ならこなせるはずだ。だが諜報員として最前線に立つのは、メンタルの問題抜きにしても絶望的だろう。着任したては、そんな自分に投げやりになっていたし、それまでの緊張とアドレナリンが連続の生活に比べて、バーンスタイン家での任務は退屈だった。


領地の経営と宮廷での権力闘争に忙しい父親と、社交に熱心すぎる母親。20年ほど前だったら普通の貴族の姿だが、今となっては古風なやり方だ。そんな中頼れるはずの乳母を早々に亡くした孤独な少女は、周りを威嚇することでしか自分を表現できず、そして両親に見捨てられたくないがために王太子に媚びを売っていた。


可哀そうだとは思ったが、それだけだ。私の仕事は彼女を毛嫌いしている王太子の命通り、ディアナ様を監視し、お守りすることだから。


そんな日々が1年続いた後、突然彼女は高熱を出した。普段から彼女に攻撃されてきたメイド達がまるで役に立たないので、私はさっさと医師を呼び、指示通り対応したところ3日程で熱は下がった。大の男でも辛いような高い熱の中で、うわごとで親の名を呼ぶディアナ様は憐れだったが、熱が下がった途端これまでとはまったく違った人間のようになった。


「私、字の勉強がしたいの。」と熱が下がり切ったものの、前日に一人で叫び声をあげて錯乱していたようなので、大事をとってまだ寝かされていたディアナ様が言った。

「左様ですか……でしたら旦那様に家庭教師をお願いされては?」と私は水枕を替えながら答える。どういった気まぐれか知らないが、どうせ長続きはしないだろうと思っていた。


それからというもの、彼女が癇癪を起こしてモノを壊したり、使用人にキツく当たったりということは無くなった。むしろなんだかおっかなびっくりこちらに接しているようにも見える。同僚のメイドたちはトラウマもあり、あまり近づきたがらなかったが、字の勉強だけでなく謎の体操やトレーニング、庶民の生活の勉強と称した使用人へのインタビューなど、努力の方向性がよくわからないものの、頑張る彼女が私は好ましいと感じたし、見ていて飽きなかった。


また、殿下との関係も変わっていった。「朝、ティーカップの取っ手が取れたので不吉だから会えない。」「お尻の筋肉が痛くて馬車に乗れない。」「昨日、月が妙に赤かったから。」とあれこれ難癖付けては、王太子殿下との月2回のお茶会を休むようになったのだ。しかもずっと会わないと父侯爵に連絡がいくからだろう、5回に1回は会いに行っては、30分間当たり障りのない会話をし、ハヤブサもかくやというほど素早く帰ってくる。取り残された王太子殿下が目を白黒させているのを”影”の同僚から聞いて、柄にもなく大笑いしてしまった。


そんなある日、「あなた……ケイトと言ったわよね、私の専属メイドになってくれない?他の子たちは私のことを怖がっているけれど、あなたなら大丈夫そうだから。」と少し寂しそうに、はにかみながら告げた彼女に私は一も二もなくOKを伝えた。


それからというもの、「ケイト、私今日は料理をしてみようと思うの。」とキッチンに突撃して微妙な味のシチューもどきを作ってみたり(「肉じゃがっていうんだけど、オショーユがないとだめね。」と言っていた。)、「ケイトの上腕二頭筋はスゴイのね!どうやって鍛えているの?」と尋ねては、トレーニング方法を聞いてきたり(せっかくだから”影”の初心者トレーニングと護身術を教え始めた。)、彼女のチャレンジは続いた。もちろんできないことも多い。だが失敗しても反省して再度挑戦する姿、そしてほんの少しずつでも成長していく彼女を見るのが、楽しいと思ったのはいつからか。


「私ね、たぶん王太子殿下に婚約破棄されるだろうから、そうなったらこの家を出ようと思うの。」と告げられた時は、驚いてひっくり返りそうになったが、その日が来たら”影”を退職してでもついて行こうと密かに誓った。


同じ頃、王宮から「隣国のスパイ活動が活発化している。」という警告を受け取った。未然に防がれたが、王家や高位貴族の当主が狙われたらしい。ディアナ様への護衛は増えないのか聞いたが、”影”の方も数が足りておらず、あくまで婚約者という立場の彼女にまで回せる人員はいないそうだ。


彼女を守り切れるのか、敵に警戒しながらも思い悩む日々が続いた。そこに突然、野良犬のような男が侵入してきたのだ。彼の名はカイン。悪魔憑きと呼ばれる赤い瞳を持つ青年を、ディアナ様は拾ってきた。血まみれの彼をディアナ様が担いできたときには、婚約破棄の件を聞いたときと同じくらい驚いた。屋敷に入れるかどうか迷ったが、彼女が望むのなら仕方がない。モグリの医者を呼び手当をさせると、命に別状はないという。


「こいつは……たぶん暗殺集団テネブラエの生き残りだね。」と医者が彼の手首にブレスレットのように入っているアラベスク模様のタトゥーを見せながら言った。

「確か数年前、この国を含む4国の共同作戦で殲滅したはず……」

「あの頃じゃまだ子供だったし、誰かが見逃したんだろう。そういえば、風の噂で最近凄腕の暗殺者がいるっていうのを聞いたな。」エライものを拾ったなと言う医者に、口止めの意味も込めて多めに金を握らせると、彼は風のように帰っていった。


ただでさえ敵国のスパイの件があるのに、さらに厄介ごとを引き込んだもんだ。さっさと官憲につき出そうと思ったが、嬉々として野良犬を世話するディアナ様を見ているとそれもできなかった。

意識を取り戻し、どんどん回復していくヤツ。警戒を強める私にある日とんでもないことを言い出した。


「なあ、あんたディアナの護衛なんだろ?俺は随分と治ったし、そろそろこことオサラバしようかと思うんだが、あの子を連れて行こうかなと思うんだ。」とこともなげにヤツが言う。

「私が護衛とわかって口に出すなんて、マヌケですね。」

「いや、俺ってば結構強いからさ、あんたら皆殺しにしてディアナだけ連れていくなんざ朝飯前なわけよ。でもそうすると彼女は悲しむだろ?だからおとなしく、あの子だけちょーだい。」

「私は自分の命をかけて、それを阻止するだけです。第一線は引いた身ですが、そう易々とやられませんよ。それにケガをして、ディアナ様を連れていけるとでも?」彼女もそれなりに身を守るすべを知っていますよ、と言うと「そっかーーー。残念だなー。」とヤツは、起こしていた身体をゴロンと横たえた。いつからかコイツがディアナ様を見る目が変わって気に入らなかったが、思ったよりもその感情は深刻なようだ。


「あなたも最近、国内の情勢がきな臭いのは知っているでしょう。何かあったときにはディアナ様をお守りすると約束してくれるのであれば、これから1ヶ月であなたに使用人としての立ち居振る舞いを教え込みますから、ディアナ様付きの従者になりなさい。」そうすればあの方のそばにいられますよ、と私は提案した。自分の口から出たこの言葉に自分でも驚いたが、存外悪い案でもない。少し考えた後、「ずっとそばにいられるのなら、いいよ。」とヤツが答える。

「では、まずはその言葉遣いから叩き直しましょう。」


野良犬を飼い犬にするのは大変だろう。これから忙しくなる。

まったく、ディアナ様のそばにいると退屈しない。


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