ヒロイン、襲来!
その日は急にやってきた。
といっても前フリが無かったわけではない。相も変わらず疲労感を漂わせた殿下が「これからしばらくは一緒にランチできそうもない」とよどんだ目で言っていたから、「そろそろ…」とは思っていたのだ。
梅雨のないこの国の気候にしては珍しく、激しめの雨が降る朝。
「それぞれ傘を持つよりも、どちらかが傘を持って一緒に入る方が、敵が来たときにもう片方がすぐに戦えて効率がいいだろう?」というカインに反論できず、相合傘での登校になった。大きめの傘ではあるけど濡れないように、ギュッと抱き寄せられて、嬉しくて恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
そんな幸せな時間はすぐに過ぎて教室に着き、席に座った途端「ディアナ様。今日転入生が来るらしいですよ!」と隣のミシェル様(再々登場ね)が興奮したように話す。国史のマックローン先生(なんでか一時休職している)からの嫌がらせや襲撃事件のあれやこれやで「ご令嬢のわりに腕っぷしは強いけど悪い人ではない」というイメージが浸透した結果、こうして教室で会話するような友達ができたのだ。
「まあ、季節外れですわね。」
「ええ……なんでも平民出身で、強い癒しの力を持っているというのがもっぱらの噂です。」ミシェル様は男装して男の子っぽく振舞っていた期間が長いから、あまり貴族令嬢っぽくないの。
「どんな方か楽しみですわね。クラスはもうわかっているのですか?」
「掲示板にはDクラスだって書いてありました。マリーローズ・ヒンデンベルク様って言って、ヒンデンベルク伯爵家の養女になられたみたいです。」
ゲームではキルシュ姓のままだったけど、現実では平民のままの入学が難しかったのかな?ヒンデンベルク伯爵家というと中立派でどこの派閥にも属さず、しかも歴史上何人か神殿の長を輩出してきている孤高の名門貴族だ。これ以上ないほど各派閥に気を配り、波風を立てないよう検討に検討を重ねた結果なのだろう。今度会ったらシャルル殿下を労おうと思う。
しかもヒロインちゃんと同じクラスにならずにすんだ(ゲームでは同じBクラスだったのよ)。なんとなくホッとする。
午前は滞りなく授業を受け、お昼ご飯は雨なのでカインと食堂で食べて教室に戻る。やっぱりさ、うわさってみんなが集まれる昼休みに爆速で広がるよね。食堂でちょっと聞き耳をたてていたら、ヒロインちゃんの話で持ちきりだったもの。
曰く
・ピンクブロンドの小柄で可愛らしい美少女(みんな言っている)
・ドジっ子で天然(とは男の子たちの意見。女の子は「わざと」「養殖だ」ってのが主流)
・慣れるまでは特別に殿下や側近くんたちが付いている。で、そんな彼らにやたらと親し気(上級生のお姉様方の談。やっぱり殿下たちは囲い込みに入ったか、正解だと思う)
・転入早々、午前の授業を1時間サボって雨がザーザー降りの中庭で木登りをしていた。(目撃証言アリ。何それコワい)
・とにかく可愛い(わかったから)
・歌がそこそこ上手い(そこそこ?)
・魔力がそこそこ強い(そこそこ?)
・マナーが壊滅的。特に異性との距離がおかしい。(一部男子は喜んでる)ヒンデンベルク家はさぞかし手を焼いているに違いない。
と容姿以外はあまりいいものじゃなかった。もちろん嫉妬とかもあるだろうけど、なんだか不安になる内容だ。正直関わりたくない。私の前世の話を知っているカインには「あの子が転入してくるの」と事情を話して、念のためできるだけ接触を減らすように協力してもらうことにした。
まあ少しすればみんな慣れて落ち着くでしょう、と楽観的に構えて私は2週間普段通りに過ごしていた。トレーニングに、激辛チャレンジに、代筆業に勉強に……と充実した日々だ。
間に彼女が嫉妬に狂った私を中心とした貴族令嬢にいじめられているという噂や、マリーローズ親衛隊が一部下位貴族男子によって結成されたとか、マリーローズ嬢が殿下とその側近たちの誰とくっつくか賭けが開かれたとか、「距離のオカシイご令嬢のせいで、ルシアに勘違いされたくない」とハーモン様が人目もはばからずルシアとイチャイチャし始めたとか色々な話を聞いた。
誓ってマリーローズちゃんには近づいていない。というかA、B、CクラスとD、Eクラスは教室棟が違うから、いじめたければわざわざそちらの棟まで行かないといけないし、私にはゲームみたいな取り巻きはいないから、誰かに代行を頼めない。何より、私は別にシャルル殿下や側近たちにヒロインが近づいても心配はすれどヤキモチを焼くことは無い。ウィルとは実は入学前の演奏会で出会うはずだったんだけど、諸事情でうちの子がバイオリンを習いたがらずそれもなかったしね。
彼女をいじめる理由がない、そして事実そんなことをしていないのだから、そんな噂が流れるのは……
彼女も前世の記憶があって、その通りにしようとしているのね。
別にね、前世の記憶があって楽しく恋愛したい、そのために頑張るなら応援するわよ(ルシアの婚約者のハーモン様以外なら)。だけど ゲームの記憶に乗っかるために人を誹謗中傷するのってどうなの!?仮婚約者の噂を事前に流していたし、私自身そもそもあんまり気にしないから「そんなわけないよね!」と面白おかしく噂されるくらいどうでもいいけど、これがもしルシアとか他のご令嬢だったらきっと傷ついていたと思う。
続くようなら政治的な立場を考えると放置はよくない。どう対応するのかケイトやカインと相談する日々が続いたある日。
その日は日直で、放課後紙ごみを集めてリサイクル室に持って行く作業をやっていた。貴族が多く通う学園とはいえ、紙は貴重なのだから、基本的に何回かリサイクルして再生紙にすることになっているのだ。すぐに終わるからとカインには廊下で待ってもらって、私は強化魔法をかけてうず高くつまれた紙達を持って行く。バランス感覚で支えているのはもちろん、風魔法を駆使して崩れ落ちないようにしている。これも魔力コントロールの訓練だ。
慎重に慎重に足を進めていく。ここは一階でリサイクル室は二階。階段という難関もある。でも、こういうのを最後まで上手くやり切れると気持ちいいのよね。
無事たどりついたリサイクル室に入って、誰も近くにいないのをいいことに「よっこらせっと。」という掛け声とともに、他の書類達の中にどさっとおろす。ふーっ、いい訓練になったわ。
今日は確かルシアはハーモン様とお忍びデートだから、カインとケイトと久しぶりにトランプでもしようかしらなんて考えながら、リサイクル室の引き戸を開ける。
すると腰に両手をあてて、燃えるような目で怒っている超美少女が目の前にいた。
「あんたがディアナ・バーンスタインね!?」
「え?あ、そうですけど……」会いたくなかったヒロインちゃんだ。その得体の知れなさは別として、大きなたれ目で黒目がちな瞳に控えめな鼻、小さくふっくらとした桜の花びらのような唇。私よりも10cmくらい小さいかな?でもボンキュッボンと身体のラインは大人っぽい。どこをどうとってもヒロインだけど、表情とポーズで台無しである。ある意味スゴイな。
そんな感想を私が持っていることも知らず、ちょっと来なさいよ、と私のことを引きずっていく彼女。
「(おい、あのバーンスタイン嬢が引きずられていってるぞ!)」
「(そりゃ彼女が本気出せば、いくら癒しの力があってもマリーローズ嬢の命が危うい。それがわかってるから、されるがままなのさ。)」怪物故の悲しい思いやりなんだよと訳知り顔で言う男子生徒。一体お前は私の何なのだ。あと、見てるなら止めてよ。
ポイっと空き教室に放り込まれた私に開口一番彼女が言ったのは……
「あんたのせいで何もかも上手くいかないのよ!」
「ふぇ?」深い意味のない私何かしちゃいましたか~が脳裏をよぎる。いやそりゃゲーム通りにいじめてはないけど、それって悪いこと?ここはこういう現実世界なのだから、学園内ではみんな楽しく平和に過ごすのが一番じゃない。ただでさえ国内外がややこしくなってきてるんだし。
「スタンは婚約者のあのよくわかんないフワフワした女にぞっこんで私に目もくれないし、ティモシーは慰めても反応が無いし、シャルルとゲイルは優しいけど全然親しくなれないし、ウィルには会えてもないし、いったい何なのよ!?」
「しかもあんたにいじめられたって言ってもみんな口をそろえて『ディアナ嬢がそんなことするはずがない』『ディアナ嬢は素敵な女性だ』『僕も会えていないのに君はディアナに会ったのか!?』ってちっとも信じてくれないし、絶対あんたが何かやったの決まってるわ!」と彼女が一気にまくしたてる。
「どうせあんたも前世の記憶があるんでしょ?でも悪役令嬢に生まれたんだから、ちゃんとゲーム通り進行してくれないと困るじゃない!私、逆ハー目指してるんだから!」
「ぎゃくはー……?」
「はいはいそういうわざとらしいのは、もういいから。迷惑なのよ、悪役令嬢ごときがヒロインの邪魔しないでくれる?」と、馬鹿にしたように彼女が言い放つ。
別に逆ハーの意味がわからないフリをしたわけじゃない。リアルで何をしようとしているの?という疑問が口をついただけだ。だってお相手達は国一番の高貴な身分のご令息達だし、そんな全員がマリーローズちゃんのことを好きになって、かつそれを誰もおかしいと思わないなんてことありえない。ウィルに至っては会ってもいない。ゲームの強制力が万一あったとしても、いくら何でも無理がありすぎる。時空が歪むレベルよ。
「いや、ゲームに似ているかもしれないけどこの世界は現実で……」しかも襲撃があったり使用人内にもスパイがいたりして今すごく大変で、という私の言葉をマリーローズちゃんが遮る。
「はあ何言ってんの?私が最強の癒し魔法を発現させたんだから、私のための世界に決まってんでしょ?おかしな悪あがきしないでよ。私好きな人がいてその人のルートを出すために逆ハー狙ってるんだから!」
「……参考までに、その隠しキャラって…?」
「私も隠しキャラのストーリーが開くまでに死んじゃったけど、多分あんたの従者のカイン様よ。」実は死んでなかったみたいなことを公式でニオわされてたし、と彼女。
もう色々と情報過多で頭がおかしくなりそう。
「…カインで確定ってわけじゃないよね?」
「勝手に私のカイン様の名前を呼び捨てしないで!確定じゃなくてもヒロインの私が彼のことを好きなんだから、その通りに進行していくに決まっているじゃない。私これから音ゲー部分やってくるから。これからはちゃんとしなさいよ!」と吐き捨てるように言って、彼女はどすどすと乱暴な足音を立てて教室を出ていった。
なんて言って良いかわからないけど……とにかく強烈。
でもね、これだけは言える。私はカインがそう望まない限り、あの子にはわたさないわ。




