代筆ギルドへ行こう!
というわけで、私はその日から字の練習に励んだ。「王太子の婚約者として、諸外国とのやりとりで恥ずかしい思いをしないよう勉強がしたいのです。」と言ったら、父親はさっさと家庭教師を雇ってくれた。さしてディアナに興味が無いにしても、金払いはいいのはありがたいわー。
同時に身体も鍛えだした。ご令嬢の体力じゃあ、街で過ごすようになってからは絶対に困るもの。幸い、前世でも筋トレはやっていたので、今の子供の体の負担にならない程度に運動を習慣づけていった。
そんなこんなで4年が経った頃。
字の家庭教師から、人に教えられるレベルというお墨付きをもらった私は、すぐさま行動を起こすことにした。
代筆屋になるには、代筆ギルドに登録する必要がある。年齢は不問。Eランクの1文字=0.5パインド(1パインド=1円くらいの感覚)から開始で、上のランクになるには受注件数とギルドでの試験を受けないといけないらしい。
その日、「初等学校の劇で使うの!」と庭師の息子に頼み込んで服を譲ってもらい(もちろん新品の丈夫な服を一そろい贈った)私は自室でいそいそとそれに着替えていた。
「お嬢様、本当に一人で行かれるのですか?」
綿のシャツにちょっと古めかしい上下のつなぎを着て、長い髪をくったりとしたキャスケットに押し込む私を手伝いながら、いつもの無表情を崩して、少し心配そうにケイトが言った。
それまでのわがままお嬢様8年の印象を払拭しようと始めは頑張ったけれど、やっぱり私のことが怖いメイドも多かった。まあ上から「許せ」と言って強要すること自体がパワハラだよね。そんな中でも唯一私を怖がらなかった(というよりも誰に対しても鉄仮面なだけなんだけど)ケイトを私の専属メイドにしたのだ。ダークなブルネットの髪に黒い瞳の彼女は、前世で慣れ親しんだ日本人の姿に近いせいか一緒にいて妙に落ち着く。ちなみに彼女には、前世の話はしないまでも王太子との仲が思わしくないため、婚約は無しになるだろうから迷惑をかけないよう、この家を出ていくというのだけ伝えていた。
「下働きの少年が、メイドや護衛なんて連れてたら変でしょ?王都は治安も良いし、貴族だってバレなければ誘拐や強盗の心配なんてないわよ。」と私。これまで社会勉強という名の元お忍びで、代筆ギルド付近には何回も行っているので迷子の心配もない。
前から大丈夫だと説得し続けたおかげで、行きは一人で侯爵邸から歩きで行くことになったけど、「では、せめて帰りはお迎えに上がります。」と食い下がったケイトに根負けして、結局帰りは近くの庭園前から馬車に乗ることになったのだった。
代筆ギルドは、商業ギルドや魔道具ギルド、冒険者ギルドなどが立ち並ぶギルド街の中にある。てくてく子供の足で歩いて40分くらいだから、まあまあ距離がある。ま、こんなときのために、鍛えておいたんですけどね。
これまで外からは見ていたけれど、入るのは初めての代筆ギルド。バーの入口のようなスイングドアを開けて恐る恐る中に入ると、中には仕切りの付いた受付台に並ぶ人・人・人。
「先方が明日までに契約して欲しいって言ってるから急ぎなんだよ!」
「タイロン伯爵が、どうしてもご令息の誕生日にこちらの冒険譚の写本を贈りたいとおっしゃっていて……」
「地獄に落ちろって絶縁状を書いてちょうだい!荷物と一緒に送りつけてやるわ!」
老若男女さまざまな人たちが、カウンターのお姉さんにむけて依頼内容を話している。「その内容でしたら、こちらの書くスピードの速い書き手がおすすめですね。」「こちらの飾り文字のかける書き手はいかがでしょうか?」「絶縁状ですね……詳しく内容をお伺いしても?」とテキパキと対応する姿が気持ちいい。
ただ、これは依頼の受付カウンターだよね…登録はどこかな?
私が所在なさげに人混みの中できょろきょろしていると、ひょいっと首根っこをつかまれた。
「坊主、おつかいか?あんまりフラフラしてると危ないぞ。」というその人は、丸太みたいな腕をした筋肉ゴリラな中年男性だった。日焼けした肌にさび色の髪、口ひげがとってもダンディで、私をおろすとニカっと笑う。
「あ……実は名前は出せないんですが、僕はとあるお屋敷のお嬢様の使いで来ました。貴族の家なのですが、後添えのご夫人の贅沢癖で家計が傾いており、少しでも足しにしたいから家のお嬢様がこちらの代筆ギルドに登録したいと言ってまして……」と悪そうな人ではなかったので、事情を説明する。
名付けて「訳アリお嬢様とそのおつかい作戦」である。実際貴族の中でも領地が不作で家計が火の車だったり、未亡人になってしまったりした時に、こっそりと代筆ギルドに登録してお金を稼ぐ例はあるらしい。そういったときのためにペンネームの使用も認められているので、それで家を出る前からお金を貯めておこうと考えたのだ。
「あー訳アリ案件か。一応字を見るための課題があるんだが……」となぜか説明してくれる男性。
「俺はここでギルド長をやっているフアレスだ。帰ってそのお嬢さんにこっちの用紙に記入してもらってだな。」
「あ、僕その書類預かってきてます!」と目の前の筋肉ダルマさんが代筆ギルドの長だという衝撃の事実に驚きながらも準備しておいた書類を差し出す私。どう考えても代筆というより、モンスターを狩ってデカい樽型ジョッキでエールを一気飲みしているタイプにしか見えない。
「お、準備がいいな。じゃあ書類を預かるから、ちょっと待っててくれ。」とフアレスさんがのっしのっしと依頼受付の奥の扉の向こうに消え、少しすると戻ってきた。
「これがギルドカードだ。無くすと再発行手数料がかかるから、気を付けな。」
わたされたカードを見ると、ちゃんと「アンディ・シュタインガー」という私のペンネームが記されていた。
「こいつには魔法が仕込んであって、ギルドから指名の依頼がかかったら音が鳴るから常に身に着けるように伝えてくれ。それ以外の依頼は、あっちの掲示板に依頼書が貼ってあるからお前が適当に見繕って、お嬢様に届けるんだな。」とフアレスさん。
わりとあっさりギルドカードゲット!なるほど、そういう制度ならギルド試験を受けるまでは私がディアナの姿でここに来る必要は無さそう。昇進試験を受けられないことで、お金稼ぎの効率は悪くなるけど仕方がないよね。
「ありがとうございます!お嬢様も喜ぶと思います。」と私はぺこりと頭を下げ、ギルドを出ると、るんるん気分で馬車との待ち合わせ場所に向かう。来週にでも依頼を取りにこようっと。
そんなふうに浮かれていたせいで、裏路地なんかに入ってしまったのがよくなかったんだよな……。