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とある事件

初めてのラブレターの代筆は、思いあっているカップルの、少女の方からの手紙だ。デートのお礼とまた会いたい旨を伝えるような内容にしてほしいとのことだった。会いたい、会えなくて寂しいという気持ちを彼に伝えたい、そういった依頼書を見て、私はがぜん燃えていた。


貴族ではない彼女は、まだお化粧を覚えたての初々しい少女で、お相手は少し年上で銀細工職人の見習をやっている男性なのだという。なので「枕を涙で濡らしている」とかベッド系の表現はやめておこうと思った。きっとその子には似合わない。


一日千秋という言葉に対応するこの世界の表現って何かな……?季節はちょうど冬に入ったところ、この前初雪が降った。何かそういった季節の風景とからめて書けないかな?と色々思案する。会いたいけど会えないというのは、なんでもお相手の男性が銀細工のコンテストに出品するため、仕事が忙しくなるからだそうだ。ふと、窓から雪降る景色を寂しそうに眺めている女の子の情景が目に浮かぶ。そんな彼女と、春を待つ花の姿が重なった。


これでいこう!


うんうん頭を抱えていたが、一転浮かぶ情景や美しい言葉が頭を駆け巡り始めて心が沸き立つのがわかった。そのまま私は目の前のノートサイズの黒板に、ラブレターの草案を書いていく。この世界、実は紙もそれなりに貴重なので、試し書きでおいそれと紙を使うのはもったいなかったりする。侯爵家だから別に良いんだけど、市井で暮らすようになってからのことを考えて、何回も使える黒板に内容をまとめるようにしているのだ。


思いが伝わりますように。


その日一日かけてああでもない、こうでもないと悩んだ文章を、原案として一旦提出し、依頼主と何回かやりとりしてからOKをもらったのは、その1週間後だった。「これでお願いします。」という彼女のメモを見た時は飛び上がるくらいうれしかった。

じゃあ、いよいよ今日は清書だ。特に便箋の指定はなかったけれど、実はそれについては私自身隠し玉があるのよねー。

「じゃんじゃじゃーん!!!」と誰もいない中で、効果音を自分で付けてとある便箋を取り出す。可憐なスノードロップ、春を告げる待雪草のデザインのものだ。便箋や封筒は代筆屋持ちなので、本当はできるだけ経費を抑えたほうがいいのはわかってる。でも、せっかくのラブレターだから、イメージにあったものを準備したかったの。


長い髪の毛をポニーテールにし、邪魔にならないようクルクルと巻いててっぺんでお団子ヘアにする。ケイトが聞いてきてくれた情報によると、依頼主の彼女は濃紺の落ち着いた髪と瞳の少女だったらしい。だから受け取った青年がそんな彼女の姿を思い浮かべてくれるように、ネイビーのインクを使うことにした。


落ち着いて、さらさらと原案通りに花の便箋に文章をしたためていく。やりとりしているうちに、会いたいとお相手の青年を困らせたいわけじゃなく、コンテストが終わるまであなたを待っていると伝えたいことに、彼女自身気付いたみたい。


少しずつ、丁寧に。呼吸を一定にして、万年筆を走らせる、る、る。


書ききった私は手紙を何回も何回も見直す。OKできた!後は宛名を書いて、少し乾かしたら完成だ。


うーんと伸びをする私。首をぐるぐる回す。これまで、どちらかというと紋切り型の手紙が多かったから、かなり緊張していたみたい。ふふっ初めてのラブレターだ。


椅子から立ち上がって浮かれたようにクルクル回る。愛の言葉は心が温かくなるね。


そんな私は、足音をたてずにすすーっと部屋に入ってきていたカインに気づかなかった。

「お嬢!」と呼びかけられて、振り返ったら彼がいたので思わず照れ笑いしてしまう。

「お嬢……あ、その丸いポンポンみたいな髪型も可愛いね。といけねぇ、この予定表の『城』って何?」

「城?この国にお城ってまあ1つしかないわね。……………あ、いけない今日王宮でお茶会の日だ!」

何かと断っているせいですっかり忘れていたけど、今日はシャルル殿下との気まずい気まずいお茶会の日じゃない!今日ケイトは数少ないお休みの日だ。たぶんカインが来てからは初めてだから、上手く引き継ぎできていなかったのかも。

「と、とにかく何人か手の空いてるメイドたちを集めてきて!適当にとりつくろってくるから!」

まだインクが乾ききっていない手紙を出しっぱなしに、私はバタバタと準備し始めた。それが良くなかったのだと、今となっては思う。





「あー疲れた……最近シャルル殿下の様子がおかしくて中々帰してくれないし、ますますお茶会が面倒なのよね。」パタパタと顔をあおぎ、首をぐるぐる回す。昼間の代筆直後の時の達成感と違って、お茶会の後には疲労感しか残らないなー。


窮屈なコルセットを含む、余所行きのドレスを脱がせてもらって、いつものシンプルな深緑のワンピースに着替えると、やれやれと居室に戻る。もうラブレターもとっくに乾いた頃だろう。まだ期日まで時間があるけど、明日早速ケイトに代筆ギルドに持って行ってもらおうっと。


「なんで……?」


私の机の上にあったのは、ずたずたになったあの手紙だった。一度ぐしゃぐしゃに握り潰して、その後憎しみのあまり引き裂いたようなそんな状態。誰が?どうして?


わけがわからない。あんなに一生懸命書いたのに、なんでこんなことするの?

「おかえり、お嬢。ってどうしたんだ!?」

ラブレターの残骸をにぎりしめて立ち尽くす私に、慌てたようにカインがかけよる。

「机の上……乾かしてたら…こんなになってた…明日持って行こうと思っていたのに……。」言葉がとぎれとぎれにしか出てこない。あからさまな悪意を向けられるのが怖いのもあったけど、それよりもとにかく悲しかった。もう我慢できない。

「カインごめん、ちょっと胸貸して?」それだけ言うと私は、執事服のカインの胸に顔をうずめ、小さな子供のように大声を上げて泣きに泣いた。


どれくらいたったのだろう。声も枯れて、身体中の水分が抜けたようなかんじ。そこまで泣いて、私はぐじゅぐじゅの汚い顔でそれでも彼に「ありがとう。もういいわ。」と言って離れた。差し出されたハンカチで思いっきり鼻をかむ。正直淑女がやることじゃない。しかも私のせいで、彼の執事服の胸元がぐしゃぐしゃになっちゃった。それなのに、私がはしたなく泣いている最中、ずっと彼は背中や頭をポンポンしてくれていた。本当に、ごめんね。


「大丈夫か?」

「うん……今日はまだダンスのレッスンがあるから、その後もう一回書く。夜遅くなるから、カインは寝ててね。」まだ便箋はある。私の気持ち次第。ちゃんと切り替えて、もう一度自分の最高といえるラブレターを書こう。

「まだ納品まで日があるんだろ?明日か明後日にしてもいいんじゃないか?」

「確かに期日までには時間があるわ。でも、修正が必要になるかもしれない。」せっかくの思いを込めたラブレター。時間が無いからこれでいいわ、なんて依頼主の彼女に妥協して欲しくはない。


「大丈夫、内容は頭に入っているから。」やっつけでなく、もう一度心を込めて彼女の愛の言葉をしたためよう。


ダンスの出張レッスンを受けた後、私は夜なべして自室でもう一度あのラブレターを書き、翌日なんとか無事ギルドに提出したのだった。



休み明け、経緯を聞いたケイトは静かに、それはもう静かに怒っていた。背景に揺らめく青い炎が見えるくらいに。すぐに犯人捜しをしようとした彼女を、私は止めた。

「これから大切なものはカギのかかる箱にしまうことにするわ。あまり続くようなら、侯爵家のセキュリティ問題になってしまうからお父様に報告するけど、今回はとりあえず様子をみましょ。」

「お嬢様……ですが」

「ほら、私だってずっといい子だったわけじゃないでしょ?だから今回だけはお願い。」

今回のことは私もショックだったし、とても傷ついたけど、でも、前の私が同じ思いをその人にさせてしまったのかもしれないと思ったからだ。ディアナとしての記憶が完璧にあるわけじゃないから、その可能性は大いにある。だから私は誰も責めないことにしたのだ。


幸い手紙には大きな修正はなく、そのまま依頼主の少女は愛する青年に送ったそうだ。後日、手紙を受け取った彼が、忙しい合間をぬって、顔だけ見せに来てくれたと彼女が嬉しそうに語っていたとケイトから聞いた。


こうして私の初めてのラブレター代筆は、ちょっぴりしょっぱくて苦い思いと共に終わったのだった。


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