悩みは尽きない
1ヶ月がすぎ、無事……カインのマナー研修が終わって正式に私の従者になった、なってしまった。
彼はとっても器用で、お茶の入れ方や従者としての立ち振る舞いはわりとすっと入ったけれど(なぜマナー研修でこぶしやナイフが飛び交うのかは考えないことにした。)、言葉遣いだけは最後まで苦戦した。
ゲームではわりと取り澄ましたかんじだったけど、影でこんなに努力していたとは。最後には「ケイト、外では彼はあまりしゃべらないようにして、家では私の周りから離れないようにすればいいんじゃないかしら?」と私から提案した。
「ですが、侯爵家としての品位もありますし……」
「気を抜いた時にだらっとした喋り方をしちゃうだけだもの。1ヶ月でやったにしては上出来よ。あなたも、通常業務以外に研修をするのは大変だったでしょ?本当にありがとう。」と私はケイトに労いの言葉をかけた。いつもの無表情だけど、ほんのちょっと嬉しそうに口角が上がってたから喜んでくれたんだと思う。もう4年のお付き合いだから、彼女の表情もわかるようになったかな。
まだ完璧でないということで、正式に使用人たちを集めて紹介するのはやめて、接する機会がある人達にそれとなく「最近入りました」と話していくことにした。
そこからは朝、カインが私を起こし、ケイトに身支度をしてもらう、そんなゆるやかな日々が続いた。他のメイドや執事たちとバッティングしそうな時だけ、ケイトの黒コンタクトで瞳を隠しているが、それ以外はナチュラルな彼のままだ。黒の執事服は侯爵家のものだけど、ネクタイは私が選ばせてもらって、彼の瞳にあうような深い赤色にした。
私が選んだんだよーと言うと、「俺はお嬢のものってことか?」私の髪と見比べつつ、いたずらっぽく彼が笑いながら言った。ち、違うからね!
カインが専属となったことで、代筆ギルドへのお使いをケイトに頼めるようになったのも収穫だった。出来上がった手紙や書類を持って行っては、私のレベルでも引き受けられるような依頼書をチョイスしてくれる。代筆業を始めて3か月たった頃。もう少しステップアップしたいなと思っていたところ、手紙でもラブレターや飾り文字系の写本には割増料金がつくというのを受付のお姉さんからケイトが聞いてきた。
「依頼書通りというだけでなく、詩的な表現や特殊な文字が書けるという意味で、金額がアップするようですよ。」
「そうなんだ!うーん、飾り文字はいくつか書けるけど、まだ写本を書き通す体力も筆力もないのよね……。詩的な表現っていうのも未熟。もっと本を読まなきゃね。」
幸いココは侯爵家。本はかなり高価だけど、数もジャンルも揃っている。どうやらおばあ様が読書好きで、おじい様が買いそろえたみたい。
それからというもの、私の日課に読書が追加された。始めは簡単な冒険小説や、エッセイから始めて、徐々に難しい本へと進んでいく。わからない言葉は辞書を引いたり、ケイトが教えてくれたりするので、学校の勉強よりも楽しかった。
そんなふうに楽しく日々を過ごしている私だけど、実はそれなりに悩みがあった。
カインのことだ。といってもゲームのアレではなく、とにかく彼が私の心臓に悪いような言葉ばかり言ってくるところ。
「お嬢は今日も綺麗だね。」
「そのネイビーのワンピース、よく似合ってる。」
「可愛すぎて誰にも見せたくない。このまま2人でどっか行っちゃおうか?」
などなど。従者だからマナーとして褒めてくれているのはわかるんだけど、このセリフをあの甘いマスクで言われた日にはもう……。侯爵家で栄養状態が良くなったせいか、少しずつ身長が伸びて黒い髪もサラサラになった彼は、大人の色気のある男性に成長しつつあった。
慣れないと、と思っても前世今世あわせても恋愛経験0の私にはキツイ。普通にドキドキしてしまう。
それくらいかっこいい彼だから、メイドやハウスキーパーの間で人気が出るのも当然のことだった。私の部屋の掃除そっちのけで、彼女たちがカインに質問攻めしている場面によくでくわす。
「マイヤーさん(カインは家名がないから、不便なので付けた名前だ。)はいくつなんですか?」
「いくつくらいに見えますか?」
「え~とぉ、私と同じ18?」
「おしいですね。もう少し下です。」
「好きな色は?休みの日は何してるんですか?」
「お嬢様の髪と同じ、ボルドー。休みの日は身体を動かしていることが多いですね。」
きゃっきゃっと質問しながら、肩や腕に軽くタッチして、少しでも彼に触れようとする彼女たち。職場にうるおいがあるってのは張り合いがあって良いかもしれないけれど、なぜだか心がザワザワする。ほんの少し前までは、彼に触れていたのは私だけだったのに。
「わがままなお嬢様に振り回されて大変ですよね?良かったら今度美味しいケーキでも…」とそのうちの一人、綺麗な青い髪のグラマーな娘が思いっきりカインにしなだれかかった。やりすぎ!
思わず飛び出して行きそうになったけれど「いえ、それもお仕事ですし、お嬢様には私がいないといけないんですよ。」とするりと彼女たちの中から抜け出す彼を見て、なんでかわからないけれど私はホッとした。
整えられた居室に戻って、はぁぁぁと深いため息をつく。モヤモヤしても仕方ないし、それにそもそも私がこんな思いする必要ないよね!?おかしいよね!?そう謎の逆ギレをしながら気を取り直して、私は今日も机に向かう。実は初めてラブレターの依頼を受けたのだ。