確実に一番高価な物を盗っていく引ったくり
原付バイクが後ろから何食わぬ顔でやってきた。
左手は狙い澄ましたかのように、または手慣れたかなような鮮やかな動きで、婦人の財布を掴んだ。
「ザマス!?」
事に気が付いた婦人が追い掛けるも、原付バイクは曲がり角の向こうへと消えてしまった。
「何を盗られましたか?」
「財布ザマス!」
通報を受け、駆け付けた警官に怒りをぶつける婦人。
「いくら入ってましたか?」
「銀行から降ろしたばかりの十万円ザマス!」
警官は周囲のパトロールを強化した。
「キャーッ!」
若い女の悲鳴が聞こえた。
しゃがみ込む女。その場から走り去る原付バイク。その手にはネックレスが握られていた。
「何を盗られましたか?」
「誕生日に彼氏から貰ったダイヤのネックレスです」
とても悲しそうに話す女は、今にも泣き出しそうだった。
警官は辺りの警戒を強めた。
「──うぉあ!!」
お爺さんが腰を抜かした。その場から逃げ去る原付バイクの運転手の手には金色に輝く部分入れ歯が握られていた。
「何を盗られましたか?」
「ふへ! おひひいひのふふんひへは!」
口の中を指差すお爺さん。しかし何を言っているのか警官には分からなかった。
とりあえず警官は半径ニキロの巡回を始めた。
「この野郎ッッ!!」
いかにも金持ちそうな男の怒号が飛んだ。原付バイクは走り去り、男はすぐさま駆け付けた警官に保護された。
「何を盗られましたか?」
「おう!」
男が荷物を確認する。
有名ブランドの腕時計、金のネックレス、葉巻、指輪、財布、ベルトのバックルから靴に至るまで、隅々を確認するも、失われた物は見付からなかった。
「金目の物は無事だわい!」
それ偽物じゃ……。と、言おうとして警官は止めた。口は災いの元である。
「よく思い出して下さい」
「ううむ……あっ!」
男が咥えていた葉巻を落とした。
「妻との思い出が……思い出せない!」
独立資金を貯めるべく、二人で夜遅くまで働いた二十代。せめてクリスマスくらいはと、二人で買ったタコ焼き。
夕暮れの公園で分け合って食べたタコ焼きは、二人だけの幸せの味がした。
「弓恵……!!」
男は膝をついて泣き出した。何も思い出せないもどかしさ。そして独立後の大成功に浮かれ、金に溺れた自らを悔いたのだ。
妻はもう戻ってこない。独立前の過労がたたり、若くして病死したのだ。
「おまわりさん! 妻との思い出を取り返して下さい……!!」
「勿論です」
警官は1000人体制でパトロールを始めた。
引ったくりが自首してきた。
「私はとんでもない物を盗んでしまいました。罪の重さに耐えきれず、こうしてやってきたのです」
「盗んだ物は何処にやった!」
警官が机を叩く。
因みにカツ丼は、アクリル板の向こうで別な警官が凄い形相で黙食している。
「殆どは裏ルートで換金しましたが、あの思い出だけは……」
「売れなかったんだな?」
引ったくり犯が遠い目をした。
カツ丼を食べている警官がむせた。アクリル板にご飯粒がびっしりと付いた。
「海に……流しました」
引ったくり犯がうなだれると、警官がそっと肩に手を置いた。その顔は哀れみに満ちていた。
「もう、やるなよ?」
「……はい」
それからしばらくして、夕暮れの海でクジラの鳴き声が聞こえると、地元で話題になりました。
間違って思い出を飲み込んだクジラが、妻を思い夕焼けに向かって鳴いているのです。
いかにも金持ちそうな男が、ぽっかりと穴の開いたように寂しく、一人夕暮れの海でタコ焼きを食べていました。
何だか何処かで食べたような味でしたが、何も思い出せませんでした。