残念なお知らせ
「言葉は通じるが読み書きは出来ないと言う事か……。近隣の国の者でもなさそうだな。」
「何故あの場所に自分が居たのか、目的も何も分からないのだな?」
「はい……全く。」
「一応捜索願いが出ていないか問い合わせてはみたのですが、今の所それらしきものもありませんな。」
「近隣国ではなくもっと遠方からの?流浪者か?」
──遠方ではある、確かに。
凛花は何も答える訳にはいかないので目の前の机をじっと見つめていた。騎士団のお偉い様が集まっているというのにお茶の一つも出ていない。僅かにあるのは書類だけ。その紙もコピー用紙のように綺麗なものでは無い。きっと表面はザラザラなんじゃないだろうか。いや、その割に先程ダニエルが書いた文字は滑らかだったような…?
ダニエルが座っている方をチラ見してみると、バッチリと目が合ってしまった。
「どうした?」
慌てて目を逸らしたが間に合わなかったようで小さな声で囁かれた。
「いえ……。何でもないです。」
「団長、そろそろ時間ですが、この者はどう致しますか?」
おじ様方の話を遮るようにダニエルがそう切り出すと、一同の間に沈黙が落ちた。
「そうだな、牢に送る理由も今のところはなさそうだ。騎士団で預かるにしても男ばかりの寮に連れて行くのは不味いだろう。」
おじ様方はそれぞれに視線を合わせないようにわざとらしく目を逸らしている。……結局の所皆が素性の知れない凛花の扱いに困っているのだろう。
──こういう時は?修道院送り?もしくは……。
「グランディ伯爵夫人が保護を申し出ておりますが、どうでしょう?もちろん警護に何人か人員がいるでしょうが。」
「グランディ伯爵?そう言えば今朝この者が倒れていたのはグランディ伯爵邸の裏だったか?」
「はい、丁度夫妻が外出する所で発見されたので、夫人は彼女が記憶が無いことも知っております。」
「私は警護がつくのならばそれでいいと思うが──」
「異議なし」
「賛成ですな」
「では、私が伯爵邸まで送って参りましょう。後で二人ほど警護に派遣して下さい。」
「ダニエルが直々に送るのか?…まぁ、いいだろう。」
ダニエルが早々に立ち上がると凛花を無表情で見下ろした。行くから立てと仰せのようだ。
凛花は慌てて立ち上がると、おじ様方に深々とお辞儀をして扉の脇で控えているダニエルに慌てて駆け寄った。ダニエルは相変わらず無表情のまま凛花の腰にそっと手を添えると軽く礼をして扉の外へ出た。
──何だろうこの距離感…。もしかして、逃亡しないように警戒されてるとか?
「私、逃げたりしませんから……」
腰に回された手から逃げようとすると逆にもっと引き寄せられる。
「抱え上げられたくなかったら大人しくしていろ。」
──あ!あの時のお姫様抱っこってあれももしかして逃亡を警戒されてたの?そういうことだったか。
お姫様抱っこは心臓に悪いので、凛花はこのまま大人しくしておくことにした。
取り敢えずは騎士団での一日目の取り調べは無事切り抜けたようだ。しかしこの先もまだまだ油断は出来ない。何よりもこの世界での情報が圧倒的に足りなさすぎて先が読めないのは辛い──。情報、何でもいいから情報が欲しい所だ。
「今朝の親切な方はグランディ伯爵と仰るのですね?今からあのお屋敷に?」
ダニエルは前を向いたまま無言で頷いたが表情は全く変わらない。一体何を考えているのだろうか?
取り敢えず気まずい沈黙を何とかしたくて凛花は他に何か聞くことがなかったかと無い頭を捻った。
「あ、そう言えば、さっきダニエル様が走り書きされたあの紙、良かったらもう一度見せて頂けませんか?」
ダニエルの足が一瞬止まりそうになったのが分かった。何か不味いことを口にしてしまったようだ。
「もう一度見てどうする?」
「何か思い出せるかもしれないと……。」
「あれを見て何かを思い出せる?」
今度こそダニエルの足が完全に止まった。いやいや、騎士団の本部の廊下で立ち止まってイケメンと至近距離で見つめ合ってるこの状況は一体何なんだ?絶対何かが間違っている。
凛花はダニエルから少しでも離れようと無意識のうちに仰け反っていた。
「あら、ダニエル副団長?少し来るのが遅れたかしら?」
場違いな女性の声が少し遠くから響き、それと同時に数人が早足でこちらへ向かってくる気配がする。
凛花の腰に手を回したまま、ダニエルは小さく舌打ちをした。突然の登場という事は、きっとこの声の主は……。
「カタリーナ殿下、丁度今終わった所です。」
カタリーナと呼ばれたその人はまだ日も高いと言うのに濃い紫色の妙に露出度の高いドレスを着ていた。
──タイミングと色的に悪役令嬢?いや、でも殿下ってことは王女?主要キャラにしては容姿が微妙だな……。
凛花はじっくりとカタリーナを観察した。ババーンとイケメン騎士の前に登場した割に目立つのは態度の大きさとドレスだけ。よくよく見ればその顔はこれと言った特徴もなくむしろ地味な方だ。
カタリーナはじろじろと見られることにイラついたのか凛花をキッと睨むと顔を指さしながら叫んだ。
「何をしている!私の婚約者から離れなさい!」
「婚約者…?」
ダニエルの顔を恐る恐る見上げると腰に回された手に再度力が込められ、凛花は混乱した。
「カタリーナ殿下、私は殿下の婚約者ではありませんし、この者は逃亡の危険がある為私が拘束して移動している所です。申し訳ありませんがまた明日の取り調べに、今度は間に合うようにおいでください。」
「ダニエル!待ちなさい!」
言い終わるなりダニエルは凛花をさっと抱え上げると、その場を立ち去ろうと背を向けた。焦ったようにカタリーナが呼び止めるが我関せずだ。
「……歩けます。」
「分かっている、それに逃げないのだろう?」
「じゃ──」
「降ろさない。」
凛花は本日二度目のお姫様抱っこに頭を抱えるしかなかった。




