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疲れた頭に甘いもの

「ダニエル?あのちょっと今いい?」

「いいよ。例の商人に会いたいって話?」


 凛花は戸惑った様に曖昧に微笑んだ。


「その……リリーに少し話を聞いたの。学園の先輩なんでしょ?その人。」

「あぁ、そうだよ。口も上手いし顔も整ってるし。おまけに手も早い。」

「……なるほど。そういう事だったのね。」


 ダニエルは自室に凛花を招き入れるとソファーに隣合って座って話を続けた。


「だからどうしても会いたいと言うなら俺も一緒について行く。」

「その事なんだけど。」


 凛花は何度も部屋で練習したセリフを思い出すように目を宙に泳がせた。


「私が会いたいのは商人じゃないの。その…ペンを作ってる職人っていうの?そういう人ならどう?」

「……職人…?」

「そう。前も言ったように私新しいペンを作りたいの。でも自分で金属の加工とか出来ないから、職人を紹介して貰えたらその人に事情を説明して代わりに作ってもらえるんじゃないかと思って…。」


 ダニエルは少し考える様子を見せるとなるほどと呟いた。


「ペンを作っている職人を紹介してもらうだけならばわざわざ商人に会いに行くまでもないか…。」

「そう。心当たりある?」

「ペン…か。アクセサリーやペン先などの金属の細かい加工細工ならば鍛冶屋を引退した元店主なんかが細々とやっていることが多いな。」

「鍛冶屋の元店主……」


──現役引退した鍛冶屋ならおじいさんのはずだからダニエルが許可してくれるかも…。


 ダニエルは隣に座る凛花の肩を抱き寄せると、頭に口付けを落とした。


「凛花の頼みは分かった。だけど知り合いにはいなさそうだから、ひとまず探してみるよ。それでいい?」

「…うん。ありがとう、ダニエルもお仕事忙しいのに。」

「これも大事な仕事だからね。」

「……」

「でもね、凛花?」


 どこか言い聞かせるような口調でダニエルは凛花の頭の上から優しく語りかけた。


「新しいペンを作りたいという気持ちは分かるけど、どうしてそんなに急いでるの?」

「え?私、そんなに急いでるように見える?」


 ダニエルは凛花から少し離れて顔を見合わせると目で頷いてみせた。


「急いでいるというか焦っているというか…。何かをしていないといてもたってもいられないように。邸の中でも常に何かをしていると聞いている。」


 凛花は不思議な思いでダニエルの言葉を聞いていた。


「それは……おかしい事?だって、私学校にも行ってないし。そしたら勉強するか何か仕事をするくらいしか…。」


 ダニエルは目を細めて嬉しそうに微笑むと、凛花を再び抱き寄せた。


「凛花、学園を卒業したご令嬢は家でのんびりと刺繍したりお茶会をしたりして過ごすものだ。前にも言った通りこの世界の女性は仕事に勉強にと忙しくしたりしない。そういうの凛花は嫌い?」

「刺繍にお茶会?」


 凛花はダニエルの腕の中で眉をひそめながら自分の考えている事を正直に言うべきか一瞬迷った。


「そう、刺繍にお茶会、あとはお見合い?」

「正直に言うとその全部に興味が無い……。」

「だろうね、流石俺の凛花。」


 凛花が横目で見上げると美しい琥珀色の瞳がこちらを熱く見つめているのが分かった。


「……だろうねって?」

「俺だってそういう風潮には辟易してたって事。でもね、凛花にはもう少しこっちの生活に馴染むための時間が必要な気がする。ゆっくりしてもいいと思うよ?」

「ダニエルは毎日仕事してるじゃない?私だけがのんびりとしているのはなんだか怠けてるみたいで…。それに早く字の読み書きくらいは出来るようになりたいの。話せるだけじゃやっぱり入ってくる情報に限りがあるから。」

「それは…どういう情報?」

「そうだ、これもまだ聞いてなかった。この国では皆はどうやって情報交換してるの?口伝えや噂だけじゃ情報って広がらないでしょ?本とか新聞とか…?」

「情報交換?…新聞はあるけれど、専門機関がその分野の特定の人向けに発行するものだから、一般の人はなかなか読まないよ?」

「専門誌なんだ…。じゃあ例えば王太子殿下がご婚約されましたーとかいう情報は?」

「それは口伝えだろうな。新聞にはそういうのは書かない。」


──そっか。じゃあ新聞もきっと毎日発行するものじゃないんだ…。ニュースを毎日事細かに伝えるって概念がないのかもな。


「……そっか。」

「情報を得ることは凛花の中ではそんなに重要な事?」

「重要かと聞かれたらそうでもない様な気もするけど。でもなんだか自分だけが何時までもこの世界に馴染めないで置いてけぼり食らってるみたいな気はしてる。皆が当然のように知ってる事を私は知らないから…。」

「だけど皆が知らない事を凛花は知ってるんだろ?」

「……日本の事?」

「そう。それに、今俺の事を一番知ってるのは凛花だ。」


 凛花はダニエルの言葉にふっと小さく笑った。


「確かに、皆が知らないダニエルの一面は知ってるかもしれない。」

「だったら、凛花はもう少しゆっくりしてて。変に焦って急ぐ必要なんて何もない。周りに追い付くとか取り残されるとか、そんな事どうでもいいんだから。」


 凛花は小さく頷くと苦笑した。


「なんか、いろいろ難しく考えすぎて頭が破裂しちゃいそう!」

「そっか。そういう時はいつもの相馬凛花ならどうするの?」

「……甘いおやつ食べて寝る!」

「分かった。じゃあリリーに何か持って来るよう頼もうか。」

「あ、でも……こんな時間だし……」


 凛花が困った様に暗くなった外とダニエルの部屋を見回しているとそれに気が付いたダニエルがニッコリと笑った。


「大丈夫、もし凛花がソファーで寝たらベッドまで運んであげるから。」

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