紙とインク
「色のついたインクってないの?」
「青ならありますが。それ以外は…。」
「絵の具とかは?それならある?油絵具じゃなくて水で溶かすようなさらさらした。」
「どうでしょう、私はあまり詳しくありませんので出入りの業者にでも聞いてみましょう。何色をお望みですか?」
凛花は目の前の青黒いインク瓶を見ながら少し考えた。
「とりあえず赤と黄色が欲しいかな…。あと、今言ってた青いインクもお願い。」
「青いインクならばありますからすぐにお持ちしますね。」
「お願いね。」
凛花は先程から侍女に紙とペンを用意してもらって本格的に勉強の準備をはじめたところだった。勉強には大学ノートとペン、少なくとも蛍光ペンくらいは欲しいところだがこちらの世界にはそんなものはもちろん存在しない。綺麗にノートをまとめるのは得意だったがカラーペンが存在しないとなると黒と青の二色を駆使してのノート作りとなる。せめて目立つ色が一色は欲しいところだった。
目の前には紙の束と青黒いインク瓶につけペンが用意されている。
「あとは…語学勉強するなら辞書か。まぁあったとしても読めないし。教科書…。あ、そう言えばこっちにも小学校ってあるのかな?」
「随分楽しそうだな?何をしてるんだ?」
「ダニエル、帰ってたの?お帰りなさい。」
「……ただいま。」
いつの間に帰ってきていたのか部屋の扉を開けて騎士服のダニエルが部屋の中を覗き込んでいた。
「読み書きを勉強しようと思って。丁度良かった、この国の子供ってどうやって文字を勉強するの?子供が通う学校でもあるの?」
「文字の勉強か。小さな子が通う学校はないよ。家庭教師をつけるか、それが無理な場合は教会で読み書きを教えてもらうんだ。」
「家庭教師と教会…。」
どちらも凛花一人の判断で決められる話ではなくがっかりしていると、ダニエルが小さく笑った。
「リンカには俺が教えようか?」
「…でもダニエルも仕事があるでしょ?」
「帰って来た後なら大丈夫だ。」
「帰って来た後…?」
仕事から帰って来たダニエルに教えてもらった内容を翌日復習する。これならばなんとか一人でもできそうだ。
「そっか、そうだね。分かった。じゃあダニエルにお願いするね?なんか楽しみになってきた!」
「……」
「何?」
「いや、昼食を食べに街まで行かないかと誘いに戻ったんだが…。ひょっとしてまた次にした方が良かったかと…。」
「街?いいの?行きたい!連れてって!」
揺れる淡いグリーンのワンピースに目を細めると、ダニエルは口元に手をやり小さく咳払いしながら凛花を手招いた。
「それなら……ほら、行くぞ。」
「はい!」
「リンカはニホンでは学生だったと言ったな?」
「そう。でも卒業して、次の学校へ入学する前だったのよ?」
「その歳でまだ上の学校に通うのか?何を学ぶんだ?」
「今までの学校は皆同じ内容の勉強を広く浅くしてたの。次の学校では専門分野に分かれていくのよ。医療とか経済、文学──いろいろ。」
「専門分野の学校か。それで、リンカの専門は?」
──来たか…。っていうか聞かれると思ってたけど。学部名言ってもダニエルには分からないよね。
「まだ…。やりたい事探してる最中だったし。」
「専門が決まっていないのに学校はもう決まっていたのか?」
「あ~、私の説明が下手だからよく分からないよね?なんて言えばいいんだろう。」
義務教育のないこの世界でもみんなが一律同じ学校に通うという事は想像できるだろう。しかしその後、波に流されるように大学に目的もなく進学する者がいるという事を説明するのはちょっと難しい。
「私は周りの人と違うと言われないように、ただ流されるままに周りと同じ様に学校に行って、勉強して。先のことなんて深く考えず過ごしてただけ……だからかな。」
「……この国の学園も似たようなものだ。ただこちらは18歳で卒業したらその上の学校はない。」
「そっか。…ダニエルは三年前に卒業したんだから今21歳?」
「あぁ、フィルもアオイも同じだ。」
「もしかして学園を卒業したらもう成人なの?」
「そうだな。だから卒業と同時に流されるように職に就くか結婚する者が多い。」
「……そういえば、王太子殿下って婚約者いないんだよね?大丈夫なの?」
ダニエルは一瞬嫌そうな顔をした後で窓の外に視線を移した。
「フィルは好みがハッキリしているからな。その気になったら直ぐに相手が見つかるさ。」
「そう……?」
「ニホンは18で成人ではないのか?まだ学校があるならば働かない者も多いんだろう?」
「うん。18歳で成人だけどほとんどの人は働いてないかもね。それに結婚する人なんてまだまだいないよ?30歳前後かな?平均的な結婚適齢期は。結婚しない人も多いのよ?」
「30歳前後?じゃあリンカはまだ10年以上先じゃないか?」
凛花は驚くダニエルが新鮮で思わず得意そうに微笑んだ。
「そうなの。だからダニエルと婚約している事に自分でも驚いてるのよ?」
「リンカ……俺はこのままの状態で10年も待つ気はないから。」
「10年後……28歳か。」
凛花は28歳になった自分がパソコンに囲まれたオフィスではなくこの異世界でダニエルの隣にいるところを想像しようとしてすぐに断念した。
「それはそうと、食事をした後少しだけ寄りたい場所があるんだ。付き合ってくれる?」
「あ……うん。それはいいけど。」




