お医者様 騎士様
「話していることはしっかりしているが記憶が無い…と…。」
何が入っているのか、いわゆる往診鞄らしき物を探りながら医者は凛花の身体を動かす許可を出した。
──いや、多分歩けるんですけど?
気付かれないようにそっと手をグーパーしてみる。うん、両手とも平気。足をちょっとだけ持ち上げようかと医者から視線を逸らすと、こちらをじっと見ている騎士服のイケメンに気が付いた。
──やば!イケメンに動いてるとこ見られた?
イケメン騎士はまだ鞄をあーでもないこーでもないしている医者に視線を向けると、無言で近付いて行く。
「外傷はないのですね?」
「あぁ、騎士様でしたか。早かったですな。そうなんです、おかしな事に記憶だけがすっぽり無いと言う事で…。あぁ、これだコレ、えぇ~っと…。」
「では騎士団に連れて行きます、動かしてもいいと先程仰いましたよね?」
「それはまぁ、言いましたが…。直ぐにですか?しかし…。」
騎士は琥珀色の瞳で凛花を一瞥すると少しだけ眉を顰めた。
「こんな格好の女性を外に放置するのは問題があるでしょう。」
──何だかよく分からないけどこのイケメンに私助けられるんだ…。あぁ、小説に出て来るキャラの顔見ても名前と繋がらないし、分かんないもんは分かんないよね…。
イケメン騎士の名前はまだ会話からは分からない。黒髪に琥珀の瞳の爽やかな顔は某アイドルグループに入っていたとしてもおかしくないレベル。おまけに騎士だと言うのだから身体能力も高いはずだ。
──乙女ゲームの世界なの?それでこの人は騎士団団長の息子で攻略対象とか…?
まだ傍で凛花に付いていてくれる男女はたまたまそこの裏門から出かけようとしていた伯爵夫妻だった。
伯爵が騎士に近寄って何か話し始めた。伯爵夫人はまたもや鞄に向かい合いはじめた医者を黙って睨ん…見つめている。
凛花はゆっくりと手をつくと、その場で身体を起こした。
「どう?痛むところはない?」
背中に伯爵夫人の優しい手が添えられたのが分かる。夫人のその声に騎士と伯爵がこちらを向いた。
「ずっと横になってたから腰がちょっと…でも大丈夫そうです。どうもありがとうござい──」
言い終わるかどうかという時にいきなり凛花は騎士によって抱え上げられた。どこからかキャーと歓声が聞こえる。
──出た!お姫様抱っこ!これはキュンとして恋に落ちちゃう場面じゃない?
近すぎるイケメンの顔をハッとした様子で眺めるべきだろうか?それとも恥ずかしそうに真っ赤になって俯いちゃう?……いや、その前に凛花には一言言っておかなければならないことがあった。
「私、一人で歩けます…。」
「見ていたから分かっている。」
騎士は素っ気なくそう言うと凛花を抱えたまま伯爵家の裏門をくぐって中に入っていく。先程伯爵が騎士と話していたのはこの事だったのかもしれない。
裏門を入ると小さな庭があり、その先に御屋敷が見えた。ダークブラウンの外観に白い飾りの入った窓枠がよく映える可愛らしい家だ。
──伯爵家にももしかしたら攻略対象のイケメン息子が居たりして。それとも娘の方?騎士と恋に落ちる予定の…まだ能力開花させてない聖女が隠れてるとか?
期待に満ちた目で建物に屋根裏部屋でもないかと見ていると、騎士が凛花にだけ聞こえる位の声で囁いた。
「記憶がないというのは本当か?もしかして伯爵家に潜り込むのが目的なのではないだろうな?」
「…伯爵家には興味ありますけど、違います。」
「そうか。」
伯爵が待っている扉から建物に入ると、数人の使用人が慌ただしく動いているのが見えた。
──私の立ち位置…微妙だな。伯爵の養子とかなっちゃう系?それとも王宮に引き取られる?これじゃまだ分かんないな…。
そのままずんずんと家の中を通り、どうやら正面玄関の割と近くにあるらしい部屋まで運ばれて行く。客室ではなく応接間のようだ。
ふかふかのソファーにゆっくりと下ろされるとき、凛花の顔に騎士の髪がかかった。近い…。騎士は凛花の身体の下に回った手を抜くと、顔を寄せたままじっと見つめてきた。
「…」
「何ですか?」
「名は?」
「…凛花です。」
「リンカ…。家名は分からないのだな?」
少し騎士から距離を取ろうとソファーに手をついて身体をずらす。騎士は逃げる凛花を見てゆっくりと瞬きをするとそのままスっと立ち上がった。
「相馬凛花」
「ソウマ?名前の前に?」
「…説明するのが難しいからさっき名前だけ教えたのに…聞いたのはそっちでしょ?」
「医者の言っていた通り名前ははっきりと覚えているようだな。」
「貴方の名前は?」
長めの前髪から覗く琥珀色の瞳と目が合った。
──きっと、この人を攻略するのは私じゃない…。
無意識のうちに凛花はそう思った。
「ダニエル、第二騎士団の副団長だ。少しここで休ませて貰うことになった。迎えの馬車がもうすぐ到着するはずだ。」
──この若さと顔で副団長?やっぱり攻略対象だ!ヒロインどこ?どこなの?
騎士ダニエルに聞きたいことは山ほどある、この世界の事も何もかも…。
「あの、一つ……いいですか?」
ダニエルが気持ち身構えた様な気がするがこの際無視させていただく。
「何だ?」
「水…下さい。喉がカラカラなの。」
ダニエルは一瞬何を言われたのか分からないとでも言うように視線を泳がせた。
「もちろんだ。気が付かなくて済まなかった。……しかし、あの医者は一体何をしていたんだ?」
「……鞄の中見てただけでしょ?」