気が付いたら異世界
「もし?大丈夫ですか?しっかりなさって?」
「おい、余り揺らさない方がいい。早く医者を呼ぼう…。」
──『もし? 』なんて言葉本当に使う人いるんだ?何、劇団か何かの人?
ぼんやりとした頭に知らない声が響いてきた。声だけで判断するとしたら中年の男女だろうか…。
「今動いたぞ?おい、聞こえるか?」
「医者を呼んでいますからね、もう少しですよ?」
──私、倒れたんだ。貧血?そんな訳ないか。心当たりがあるとしたら寝不足くらいだし。また昨日も夜遅くまでスマホで小説読んでたからな…。
しかし凛花の記憶はそこでぷっつりと途絶えている。つまりはベッドでスマホを眺めながら寝落ちしたはずだったのに。
──何か変だな…。
ゆっくりと目を開けると心配そうにこちらを覗き込む男女の姿が見えた。男性は金髪蒼眼、ハーフですと言われればまぁ無理矢理納得出来るレベルのおじ様だ。しかし女性は茶色い髪に綺麗な緑色の目をしている。流石にこの年で緑のカラコンはないだろう。おまけにいわゆる貴族が着ているようなふんわりとしたドレスを身にまとっていて到底日本人には見えない。
喉がカラカラなので唾を飲み込むと女の人に向かって尋ねる。思ったように声が出るだろうか?
「ここは…?」
「王都にある伯爵家の裏門近くよ?」
「王都…伯爵家…?」
「貴方の名前は?何処の家の者だ?」
男性のその言葉に頭の中がようやく回転を始めるのが分かった。
凛花は自分がいきなり放り込まれたこの場所が異世界だと妙に確信があった。しかしいくら考えてみてもトラックに轢かれた記憶も、階段から突き飛ばされた記憶もないのだから、きっかけが何だったのかは分からない…。
ふと自分の服を探って気が付いた。昨日の夜の部屋着、Tシャツにパンツのままだ。右ポケットに何故かハンカチがあるだけ…どうやらそれ以外は何も──もちろん寝落ちした時に手にしていたであろうスマホも持って無い。
きっと昨日読んだ小説の中に何か手がかりがあったはずだ。必死になっていくつかの話を思い出そうとするが肝心なところが今一つ思い出せない。
「…何も分かりません。私、どうしてこんな所に?」
縋るように男性の方を見上げるが男性は憐れむような顔でこちらを見るばかりだった。
「記憶を失っているのか…可哀想に。これは医者だけでは不味いかもしれんな。」
「騎士様も呼んで来させましょう。」
──あぁ、分からないことはすぐその場で調べるのがもう癖になってるから答えが出てきそうで出てこないこの状態は気持ち悪すぎる。
一体自分はどんな世界に飛び込んできてしまったのだろうか?せめて立ち位置だけでも知りたい。ヒロインなのか悪役令嬢なのか、モブでもまぁこの際しょうがない。あと、今後の展開も分かるとなお良い。
でも今の凛花にはそれを知る手段はなかった。
周りが段々と賑やかになっていくのが分かった。おかしな服を着た女が倒れていてしかも記憶がないというので野次馬が集まりだしたようだ。
凛花は倒れたまま呆然と空を見つめた。空は見慣れた色で太陽も一つ。
──空の色は普通だ、良かった。でもとりあえず、調べたい……。誰かスマホかしてよ。
横になったまま呆然と空を見上げていると、気付けば次々に涙が溢れ出していた。傍らの女性は何も言わず、それをハンカチでそっとおさえてくれた。