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After The SwanLake  作者: 庵葉まつ丸
4/6

亜麻色の髪の青年

 東の森の入口。


 エルザの家を出てから30分が経っただろう。

 果樹園の旦那さんと、小さな娘さんとの会話で少し時間が掛かってしまったけれど、火傷の具合を直接確認出来た上に、立派な果物を沢山頂いた。その有難い優しさのお陰か気分も良く、オディールは上機嫌で森の入口付近に自生している薬草を丁寧に摘み取った。

 だいぶ日も陰って来たので、被っていた外套のフードを外す。これで視界が良好だ。瓶いっぱい薬草を詰めて、蓋を閉じる。しゃがんで採取していたので少し汚れてしまったスカートの裾を両手でぱたぱた払うオディール。


 ぐぅぅぅ…


「?」

 突然、奇妙な唸り声の様な音がした。冬も過ぎて動物達が活発になる時期。ここは東の森の入口で時間帯も夕暮れ。夜行性の動物達が近くで動き始めていても、おかしくない。

 オディールは急いで薬草を詰め込んだ瓶を籠に仕舞うと、それを両腕で抱えてから辺りを見回した。

 動物らしい姿は、今のところ確認出来ない。


 ぐぅぅぅるるるるぅ…


「ひっ…」

 咄嗟に出しかけた悲鳴を押し殺す。下手に騒いだり、急に駆け出したりして動物達を刺激したくなかったからだ。オディールは両腕で籠を抱えたま、薬草を摘んでいた場所からゆっくりと、少しずつ離れる。

 摘んだ火傷用の薬に使う薬草の花は、木々が生い茂った森の入口の様に薄暗い所に咲く。そこから離れた日当たりの良い場所には、村の方へと向かってツツジの花の生垣が等間隔に道を挟んで植えられている。その生垣の向こうへ越えると綺麗な花畑が広がっていた。


 ぐきゅるるるぅ…


 生垣の向こう。村へ続くツツジの並木道を挟んで広がる花畑の手前の方から、その奇妙な唸り声は聞こえた。

 視線よりも大分低い位置、花畑の中に居るということは熊や狼等の大型動物では無いのだろう。小動物でも春先でお腹を空かせていたら気が立っている為、それに対して恐怖する気持ちはあったのだけれど、ほんの少しだけ、好奇心に駆られたオディールは奇妙な唸り声の正体を確かめるべく、生垣の裏を覗いてみた。


 ぐぅぅぅ…


「えぇ…!?」

 本来なら緑色の青々した葉と、薄桃に白、淡い紫、鮮やかな赤と黄色と広がる色とりどりの花達が、村の西から射し込む夕陽に照らされ、1面が暖かなオレンジに包まれた神秘的な夕方の花畑の中に、亜麻色の髪の見知らぬ男性が大の字になって寝転がっていた。

 もうすぐやって来る夜の気配が混ざった、少し冷たい春風が彼の綺麗な亜麻色の髪をふわりと撫ぜる。


 ぐぅぅぅ…

 ぐるる…

 ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ


 男性は固く目を瞑り、眉間に皺を寄せ、とても苦しそうな表情で、そのとても苦しそうな表情以上に悲痛な程大きなお腹の音を鳴らしていた。

「えぇ〜…」

 草花と同じ様に、キラキラと夕陽に照らされているはずなのに、何故だか男性の寝そべっているそこ一帯だけ妙にくすんで現実的な色をしている気がしたのだった。



「ご馳走様」

 あまり大きくは無いけれど芯のある耳触りの良い低い声で、目の前の地べたに胡座をかいて座る亜麻色の髪の男性はそう言った。

 齢幾つなのだろうか、外見年齢だけならオディールと同じ10代後半くらいの青年だ。1番初めに目に付いた、綺麗で柔らかな亜麻色の髪と、同じ色の瞳。優しげな顔立ちは少し幼く、長い睫毛を伏せ斜陽に構えるその姿は、不安定な少年の影を纏っている様にも見えた。

 服装は派手では無いが、この農村ではあまり見ない都会的な格好で、白のシャツに機能性が良さそうな黒のミリタリー風パンツ、その上から洒落たデザインのグレーのベルト付きロングコートを羽織る、如何にも王都やその近郊の若者といった格好をしていた。足元のショートブーツが使い込まれている事と、ロングコートの隙間からちらりと見えるサスペンダーに、銀色の小銃やナイフが携帯されて居ることから彼が、この村に立ち寄った、或いは道中通過しようとした旅の人なのだろうと想定される。

 オディールは初め、怪しいと思って声を掛けるか戸惑ったのだけれども、一向に鳴り止まない悲しいお腹の音と、もうすぐ訪れる夜の事を考えて、先程果樹園の旦那さんから頂いたりんごを彼に差し出したのだった。あの幻想的な夕暮れの花畑に鳴り響く、唸り声の様なお腹の音はあまりにも切なすぎた。

「ねぇ。ここの村の人?」

 終始無言で、丸ごと綺麗にりんごを食べ終えると、青年は立ち上がりながらオディールに訊ねた。顔立ちは優しそうな少年の様だが、こうして目の前で立たれると随分と迫力がある。ガタイの良さや身体付き、筋肉の感じは村の農家の旦那さん達の方がしっかりしている。勿論、目の前でオディールの事を見下ろす彼もそれなりに逞しく背丈もあるのだけれど、毎日太陽の下で重たい農機具を片手に肉体労働をする農家の方達と比べると、やはり何処か都会的な男性だった。にも関わらず、少年の様な彼から気迫を感じるのはその立ち居姿のせいなのだろう。軍人、或いは騎士の様な凛々しい佇まいがその身に染み付いている様で、物凄く飢えていて、花畑でお腹を空かせて行き倒れていたはずなのに、りんごを齧る姿ですら様になっていた。

「宿屋は?」

「宿屋…は、ここは農村なので、ないです」

「酒場は?」

「それも…」

「まじかよ」

 仮に軍人、或いは騎士の様な雰囲気のある青年だとしても、やはり夕暮れの花畑の中で空腹によって野垂れ死に掛けていた事実は変わりようがない。こうして話している間にも日は沈み、辺りは暗くなり始める。できる事なら、早めに家へ戻りたい。

「隣町までは…あー、山越えなきゃいけねぇのか」

 大きな手で無造作に亜麻色の髪を掻き上げる。ふわふわした髪の隙間から細身のシルバーリングのピアスが左耳にひとつ、きらりと光っていた。半野垂れ死に掛けていたにも関わらず、青年のその表情はあまり焦っておらず、旅慣れしているからなのか元々こういう性格なのか、置かれた状況に対して随分と冷静な様子だった。宿や酒場の有無を訊ねるという事は、夜通しして移動しなければならない程何かを急いで旅をしていると言う訳では無いのかもしれない。

「あ…あの、もし良ければ」

「ん?」

「うちで良ければ…泊まっていただいても構いませんよ」

 断りなしで決めるのもどうなのかなと、一瞬不安に思ったけれど。きっとエルザが同じ立場だったならば、損得無しで誰でも助けるだろう。あの時、オディールを助けてくれた時と同じ様に。

「え…、まじで?」

 青年は口元に手を当てて何かを考え込んだ後、髪色と同じ明るい色の瞳でじっとオディールの顔を見る。何か気に触る事でも言ってしまったのだろうか。それとも、何処か怪しい所でもあるのだろうか。青年は表情を変えないままオディールの足元から頭のてっぺんまでを、2、3回じっくりと観察する様に目線だけ動かして眺める。その不躾な視線に耐えきれなかったオディールは、彼から視線を外して話す。

「私と同居人の二人暮らしなのでお気になさらず。あまり派手なもてなしは出来ないですが…」

「それ男?」

「え?」

「同居人」

「いえ…、エルザは違…」

「あ、そう」

「…はい」

 微妙な沈黙。

 やっぱり何か気に触る事でも言ってしまったのだろうか。ポーカーフェイス過ぎて、表情からは彼の考えていることは読めない。沈黙の中じぃっと、明るい色の瞳でオディールを見たままの青年。彼の視線に、気不味さと恥じらいを感じて、オディールは自分の頬が熱っぽく赤くなっている事に気が付き、更に気不味さを覚える。そろそろ、止めて欲しい。


 ぐぅぅぅ…


 沈黙を破ったのは、青年のお腹の音だった。この身体であの派手な飢え方をしていたのだ。りんご1つで満ち足りる訳が無い。

 ひやりと、頬を撫ぜる風が冷たくなっていた。もう殆ど日は暮れていた。

 オディールを凝視していた青年の明るい瞳は、伏せた長い睫毛によって、いつの間にかその視線を遮るようにして逸らされていた。

「貸して」

 青年は表情を変えずにそう言いながら、オディールが抱えていた果物や薬草の瓶が入った籠を片手で取る。

「俺はリオ。歳は22」

 リオと名乗った青年はオディールから取った籠を左手に、反対の手の人差し指で自分を指した。その人差し指には左耳に付いたピアスと同じ様な、シルバーのリングがはめられていた。

「えっ…あ、オディールと言います」

「ふーん。歳は?」

「…17です」

 オディールは慌てて頭を下げる。5つも歳上だったとは露知らず。顔立ちから勝手に、同じくらいの歳だと思い込んでいたのだ。

「俺の顔見て、同じくらいだと思ってたんだろ」

「すみません…」

 図星を突かれ、オディールはもう少しだけ深く頭を下げる。

「家、どっち」

 ツツジの花が咲く生垣と、春風に吹かれて揺れる花畑を背に、村へと続く道の真ん中でリオは訊ねた。

「ここから20分歩いた、村の西に…」

「そう」

 籠を持ったまま歩き出すリオ。1歩の幅が大きい。

「待って…あの!」

「何?泊めてくれるんでしょ?」

 オディールは、なるほどだんだん彼の人柄が見えてきた、と心の中で小さく呟いた。ポーカーフェイスでマイペース。さっきからちょっとだけ言葉が足りないのは、やっぱり、そういう性格なんだ。納得すると、急いでリオの隣に駆け寄る。本当に今晩、家に泊めて大丈夫なのか。一抹の不安はあったものの、彼は隣を歩くオディールの歩幅に合わせて、家に着くまで黙って籠を持って行ってくれたのだった。

 日が沈んだ村は夜の静けさに包まれ、空には白銀色の星々がきらりきらりと輝き始めていた。

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