《提示》
昔々。
あるところに1人のお姫様が居りました。
朝日を浴びて煌めく白銀色の髪は、天鵞絨の様に艶めかしく。夜露を弾くその白い肌は、大切にされた陶器の如く穢れなく。大きな碧の瞳は果てなく広がる空と海の色を、流れ落ちた星の雫と一緒に混ぜ合わせて出来た秘宝の様だった。
お姫様はその心も清らかで、日が昇れば小鳥たちと愛を唄い。風が木の葉を揺らせば歓びを踊り。月の満ち欠けを見上げれば平和を祈り日々感謝を捧げていた。それはそれはとても美しく、心優しい素敵なお姫様でした。
お姫様には妹達が居り、とても可愛がり大切にしていました。また、妹達もそんなお姫様を慕い、仲睦まじく日々を大切に過ごしていました。
ある晴れた春の日の事。
可愛らし小鳥の囀りを耳に、暖かな春の陽射しに包まれながら、お姫様が穏やかな湖畔の花畑で花摘をしていた時でした。
ぞわりと首筋を撫でた不気味な風に違和感を感じたお姫様は、その美しく澄んだ瞳で、同じ色をしているはずの真昼の空を見上げました。
すると、どうした事か西の方から、まるで水で薄めた黒の絵の具が滲む様にゆっくりと、でも確実にこちらへ向かって黒雲が裾を広げていました。
雨が降ったら大変!
急いで戻らなくちゃ!
詰んでいたお花を抱えて立ち上がろうとすると、背後から低い男性の声がしました。
「こんにちは、お姫様」
驚いたお姫様は抱えていた花束を思わず落としてしまいます。
恐る恐る振り返ると、そこには1人の紳士がいました。
春のお花畑には似合わない、随分と上等な背広姿の紳士は、暑そうな外套を肩から掛け、梟の頭を模した持ち手の古いステッキを小脇に抱えている、なんだか不思議な出で立ちをしたとても大柄な男性でした。
「良い天気ですね」
紳士はお姫様さまをじぃっと見つめたまま、殆ど口元を動かさずに言いました。
さっきまでの暖かな春の陽射しは何処へやら、西の空からやってきた気味の悪い黒雲に辺り一面は塗りつぶされ、陰り、湿り気を帯びた不快な生暖かい風が、ぬるり、ぬるり、と足元に咲く可愛らしい草花達を嫌らしく撫で回す様に吹き荒れていました。
この場から一刻も早く立ち去りたいと、お姫様が思った時には既に遅く。クックックッ…と乾いた声で、喉を鳴らす様にして紳士は笑うと、古くて不気味な梟の頭を模したステッキを真っ直ぐ空へ向けて掲げました。
「嗚呼、とても良い日です!ねぇ、オデット!!!」
何故お姫様の名前を知っているのか、一体何が良い日なのか、そもそも彼は…この不気味な紳士は…何者なのだろうか、そんな思惑を切り裂くかの如く、掲げたステッキへと一直線に、黒く渦巻く雲が広がる曇った空からどす黒い稲妻が走ったのです。魔王の怒号、悪魔達の金切り声、魔物の咆哮の様にも聴こえる痛烈な爆音が辺りに響き渡ります。
恐怖と不安に苛まれたお姫様は目を瞑り、耳を塞いで蹲ることしか出来ません。
嗚呼、どうか、神様…!!
「次の新月の夜までに、そうだな…《真実の愛》とやらでも見つけ出さねば、オデットよ、その呪いは一生解かれることは無い!!」
瞑っていた目を開くと美しい娘だったオデット姫は、悪魔ロットバルトの掛けた魔の呪縛によって白鳥の姿に変えられて居たのでした。