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レポート 6:『一歩』

 ――翌日。



 目安箱の件について召集され、生徒会室に席に着いた三人。

 呼び出した当人が現れず、待つこと数分。

 勢いよく、その戸が開かれた。


「入ってたー!」


 目安箱を抱え、長重は満面の笑みを零す。


「入ってた?」


「うん!」


 そのことに氷室は小首を傾げ、元気のいい一声が返ってくる。


「あっそ」


 喜んでいることは何よりなのだが、人が悩んでいることに対して喜ぶのは如何なものかと反応に困る。

 故に松尾の淹れてくれたお茶を啜って、変わらず読書に励むのだが、


美味(うま)っ」


 目安箱の件よりも、松尾の淹れてくれたお茶の方に驚きを覚えていた。


「ふふ♪」


 だがそんな素っ気ない態度にも反応することなく、長重はご機嫌で。

 ドンと目安箱を置いて、ニコニコする。

 相当反響があったように思えるが、それが不吉で仕方がない。



 ――だから、



「何票入ってた?」


 そう聞いてみるのだが、


「ふっふっふっ……なんと~!」


 謎のドラムロールと流れる緊張感。

 ゆっくりと口を開く長重。

 安定の焦らしに氷室と松尾は唾を飲み込み、


「一票でしたー!」


 静まり返る空気にガクッとずっこけていた。



 ――だと思った……。



「「「はぁ……」」」


「ええ!?」


 こういう時の長重は大抵、期待を裏切ってくれる。

 そこに呆れてため息を零すのは当然の理だった。

 それがまさか、三人揃って嘆息するとは思いもしなかったが……。


「う~……入ってたんだよ?」


『いや、だから何だよ』と告げようとするも、長重の潤んだ瞳に口を噤む。


「う、うんそうだね!」


「お、おお!入ってて良かったな!」


「……いや、良くはないだろ」


 途端、ギロリとした二人の視線が飛んできて、


「うっせ……っ!鏡夜もフォローしろ……っ!」


「そうだよ……っ!」


 そう小声で訴えかけていた。


「う~……」


 机に突っ伏して、未だ涙目の長重。

 生徒会最初の活動。

 それが学校のためになるというのなら、長重が張り切るのも当然なのかもしれない。


 人のためとなると、無償の優しさを放つ善良性。

 今も昔も変わらない、長重の本質。



 ――だから、



「はぁ……」


 二度目のため息を零して、フードを取る。

 素顔をさらし、驚く二人を置いて、長重に近づく。


 伏せた頭にそっと手を添えて、軽く撫でる。

 顔を上げた長重にそっと微笑み掛ける。


「泣かないで?」


 すると長重は頬を染め、素直にコクリと頷いて。

 涙を拭って元気を取り戻す間に、俺はフードを被り直した。


「それで、内容は?」


「えっとね……」


 投票用紙に目を通す長重。

 ふと氷室の視線に気づき、首を傾げれば、


「お前、新手の詐欺師か……」


 そんな言葉が飛んできていた。



「―――」



「……ん?」


 松尾からも同様の反応。

 何かあったのか、胸を押さえて苦笑している。


「どうかしたか?」


「……ううん、何でもない」


「……そうか」


 素顔を見てからの違和感。

 悲しげに、寂しげに。

 けれどどこか嬉しそうに松尾は虚空見つめていた。


「……?」


 ふと読み終わったのか長重が動き、そっと投票用紙を手渡される。

 だから自然と目を落とせば、


「……」


 案の定の内容だった。


「いじめ、か」


「うん……」


 長重が暗い表情を見せ、場の空気が静まり返る。


 どこにでもある悪質ないやがらせ。

 当事者はからかっていただけといい、被害者は心に大きな傷を負う。


 傷が癒えることなどなく、ずっと心に残り続ける。

 痛みを軽減することはできても、それ相応の時間を有する。


 家から出られなくなり、最悪の場合、自ら命を絶つ。

 周りからは『たかがそれだけのこと』『当人の心が弱かった』などと片づけられる。


 身の回り全てが敵に見える恐怖。


 それが、『いじめ』という害悪。


「どうしたら……」


 本気で解決策を模索する姿。

 それが出てこず、長重は苦悩する。


「ん?この字……」


 投票用紙を目に氷室は呟く。


「うちの後輩じゃね?」


「後輩?」



「ああ、バスケ部の1年――『(とみ)(ざわ)(ゆき)(ひこ)』。いつも残って練習して、真面目なやつだよ。ただ……」


「ただ?」


「3年にいつも絡まれてる」


「元凶は先輩、か」


「俺も見掛けたら止めてはいるんだけど、やっぱ知らないとこでもやられてるっぽいな……」


 自分のことのように後輩を気遣う先輩。

 昔は元ヤン並に喧嘩っ早かったらしいが、情の熱さもそれ譲りなのだろう。


「これは富澤くん……で、いいのよね?」


「ああ、たぶんな」


「どうする?放送かける?」


「匿名を呼び出しちゃダメだろ」


 ダメ出しに気を落とす長重。

 大事にしてはいけないという忠告を忘れているが、方向性としては間違っていない。



 ――だから、



「まずは、探りを入れてみよう」


「探り?」


「それが本人かどうか、確かめる必要がある。そうだった場合のことも含め、情報収集だ」


 何も知らずして、何も理解できはしない。

 それを察してか、氷室は肩を竦めて口にする。


「(本人に)直接聞けと?」


「さり気なく、な」


「了解」


 呑み込みが早く、難なく承諾する氷室。

 ほんと、話が早くて助かる。


「なんか、息ぴったりだね。二人とも」


 その光景を目に松尾は頬を綻ばす。

 そして二人揃って、口元を緩ませる。

 こうして、生徒会初の活動が始動した。


「どうせ私なんて……」



 一人、拗ねた会長を置いて――。



      ※



 翌日の昼休憩。

 氷室が1ー3へと向かい、富澤を呼び出す。

 周りは軽く騒然とし、当人も驚きの表情を浮かべている。


「あれか……」


 廊下の曲がり角から様子を窺っているという状況。

 影が薄いゆえに誰にも見つからず、誰にも怪しまれていないのが奇跡。


 そんな中、視界に映しているのは一人の後輩。

 栗色の髪で目を隠し、ひ弱そうな姿からして、如何にもいじめられっ子体質なのだと見て取れる。

 氷室の言葉に俯く表情からして、図星のように思われる。



 ――が、



「違うってよ」


 戻ってきた氷室は、笑いながらにそう言い放った。


「違う?」


「ああ」


 あっけらかんとした返事。

 自分の山だから外れても気にはならない。

 そういうことなのだろうか。


「さ、俺たちも昼飯にしようぜ~」


 呑気に階段を上っていく氷室。

 昨日とは打って変わった態度に違和感を覚える。



 そのため富澤を一瞥すれば、浮かない表情が目に映った――。



      ※      



 ――放課後。



「違うってよ」


 氷室は生徒会室にて、無邪気な笑顔で同じ言葉を口にしていた。


「そう……」


 それに対し長重は腕を組み、考え込む。

 結局、送り主は誰なのかという振出しに戻り。

 どうしようもない空気が広がっていた。


 そんな中啜る松尾の淹れたて紅茶は最高で。

 ふと松尾からクッキーの盛り合わせを差し出され、手に取ろうとすれば、さっと松尾が遠のかせる。

 思わせぶりの態度に眉を顰めれば、


「フードを取ったら、食べてもいいよ」


 微笑みながら真剣な眼差しで訴えかけていた。

 もう一度クッキーを目に『さぞかしお茶と合うだろう』と唾を飲み込む。

 紅茶があれだけ美味しかったのだ。合わないはずがない。



 ――だから、



 仕方なくフードを取って、松尾の表情を伺う。

 すると『よろしい』と言ったかのようにクッキーの皿が寄ってくる。

 何だか餌待ちの(イッヌ)のような扱いだが、クッキーにより許してやる。



 ――何より、



「……っ!」


 口に広がるクッキーの甘さを暖かな紅茶が程よく緩和して、朗らかな笑みが零れる。


 猫を眺めている時とは別の、ほのぼのとした感覚。

 ホッと息が漏れる。


 イッヌのような扱いは些細なことに思えてきて。

 紅茶と共に流していた。


「ふふ」


 松尾の微笑と集まる視線。


 氷室も「俺も貰っていいか?」と声を上げ、釣られて長重も「私も私も!」と挙手をする。


 二人ともクッキーを一口し、三人揃って同様の反応を示していた。



 ――その後、



「とりあえず、今日のところは保留で」


 そうまとめて、今日は解散することにした。


「長重」


「何?」


 氷室と松尾は先に行き、帰宅寸前の時。

 長重を呼び止める。


「明日はちょっと用があるんで休むわ」


「用?」


「ああ、野暮用がな」



 ――あの時、



 富澤の表情と氷室の反応から覚えた違和感。

 投票用紙の件で引っかかる部分がある。


 まだ確証はない。

 だから話すことはできない。

 調べるための時間が必要だった。


「わかった。なら明日の生徒会は休みということで。特にやることもないし、みんなで集まれないと何もできないし。それに……」


「……?」


「鏡夜がいないと、つまんないもんね」


「……っ!」


 思わぬ不意打ち。

 無邪気な笑顔に心は強く抉られる。


 過去の彼女と重ねるように。

 悪戯めいた姿に思わず胸を押さえていた。


「帰ろ?」


 初めて名前で呼んでくれた。

 過去に一度も、長重から名前で呼ばれたことなんてなかった。


 自然と頬が緩みそうになる。

 涙が零れ落ちそうになる。


 それくらい嬉しいことなのに。

 胸は痛く、苦しんでいた。


「鏡夜?」


 さり気なく、何度も呼んでは覗き込んでくる。


 今は顔を見られたくない。

 その一心で顔を背けては、フードを深く被り直す。

 すると視界から長重が消え、どこにいるのかと思えば、


「えいっ」


 背後から、光が差していた。


「ぇ……」


 振り向いてみれば、絶え間ない笑みがあって。

 瞬時に驚きの眼差しへと変わっていた。



「―――」



 ただ茫然とこちらを見つめ、頬に触れてくる。

 気づけばハンカチを取り出していて、溢れる涙を拭ってくれていた。


「大丈夫?」


 心配そうに飛んでくる視線は儚げで。

 すかさずフードを被り直して、背を向けていた。


「名前……名前で呼んでもいい?」


 遅すぎる懇願。


 天然か小悪魔か。

 今も昔も変わらない性格が、人の心を惑わせる。


 故意にではなく、自然と。

 気にせずやってしまうあたり、質が悪い。

 何度も振り回されてばかりだ。


 ほんと、こちらの気持ちなど、気にもしないで。


「……うん」


 掠れるような低い声で、そっと頷く。


 けれど今日は、一緒に帰る気分にはなれなくて。

 互いに距離を取って歩いていて。


 外で待つ二人を見つけては、自然といつもの関係を取り戻していた。


「氷室」


「何だ?」


「明日って部活休みだよな?」


「ああ、顧問が出張でいないからな。までも、体育館が使えないわけじゃないから、もの好きは練習してるだろうな」


「そっか」


 探り探りの会話。

 もしかしたら、察しのいい氷室なら気づいているかもしれない。

 自分が何をしようとしているのか。


 でも、これでいい。


 俺は俺で行動し、氷室は氷室で行動する。

 それが誰かのためであると、互いに信じているから。


 互いに違う道を行き、交差したとき、世界は変わっている。


 初めて逢った時から、俺たちは、そういう間柄なのだから。



 ――踏みしめていく道の先、

  答えを求めて旅をする――

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