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レポート 2:『邂逅』

あけましておめでとうございます。

『蒼のAGAIN』を1年も休止しているため、ちゃっちゃと並行作を切りあげて、4月からまた取り掛かれるよう頑張っていきたいと思います。

まずは短編?である『FEATHER』とこの『仮面舞踏会』を完結させたいかな……。

ということで、今年もよろしくお願いします。

 ――放課後。



「……で、俺は何でここにいるんだ?」


 生徒会室前の自問自答。

 扉を開けようとして、今更抱いた後悔の念。


 何度だって逃れることはできたはずなのに、『よくもまぁ素直に来たもんだな』と、ため息を溢す。

 佇みながら思うのは、ここへ来る前に告げられた氷室の言葉。


『悪い、先行っててくれ』


 あれから30分、午後4時過ぎ。

 掃除はとっくに終わり、生徒は帰宅するか部活動に励んでいる時間帯。

 なのに、氷室が現れないということは、



 ――あいつ、逃げやがったな……。



 容易にわかる問題だった。



 そして――、



「……」


 ただ一人、人気のない廊下に立ち尽くし、現状に諦めを感じながらゆっくりと戸を開ける。


 そんな中、脳裏に過ぎる校長の忠告。

 複雑な心境とそれを破る罪悪感で胸がいっぱいになりながら、重たい足取りで聖域へと足を踏み入れる。


 自分には一生縁のない場所。

 ずっと、そう思っていた。


 もしも自分があそこにいたらと想像したことはあっても、現実になるとは思いもしない。

 まったく、人生何があるかわからない。


「ん?」


 視界に飛び込む一人の女生徒。

 準備室のような小部屋に開放された窓。

 涼し気な風が彼女の髪を靡かせ、遠くから運動部の声がする。


 とても、絵になる光景。


「……?」


 するとこちらに気づいてか、振り返る素振り、そこに含まれる微笑に魅入られる。

 そうやって、不覚にも生徒会長の長重に見惚れていた。



 昔の彼女と重ねるように――。



「ふっふっふ、待っていたぞ」


 途端に放つ子供染みたドヤ顔。



 ――ほんと、変わっていないな……。



「……それで?」


無視(スルー)っ!?」


「俺を呼び出した理由は?」


「む~」


「用が無いなら帰るぞ……」


「あー!待って待って!ちゃんと用あるから!」


「……」


「えっとね、生徒会メンバーも揃ったことだし、今日は顔合わせをしたかったの」


「他のメンバー、ねぇ……」


 尚更、氷室帰っちゃダメなやつじゃん……。

 よし、明日はあいつを校長の生け贄に捧げよう。


「もうすぐ来るはずなんだけどなぁ……遅いなぁ」


 待ち惚けする姿。

 なんとも儚げな愛らしさに胸を打たれる。


「そういえば、氷室くんは?」


「帰った」


「えっ、嘘!?」


「嘘」


「どっちなのよ!?」


「おそらく、帰った」 


「えー……」


 困り果て、落ち込み気味の長重。

 生徒会メンバーに振り回されてばかりの彼女に少し申し訳なく思う。


 そしてふと、生徒会メンバーという単語から気になった話題を掘り下げる。


「生徒会メンバーって何人いるんだ?」


「んー?私と真道と、氷室くんともう一人の四人だけだよ」


「そんだけ?」


「うん。生徒会って言ってもそんなに仕事ないし、あっても先生の指示とか微々たるものだよ」


「そうか」



 よし!ならサボれ――、



「今、サボれるとか思ったでしょ?」


 ないようですね、はい。


「んにゃ?思ってねぇよ?」


「そ。ならいいんだけど……と、やっと来た」


「ん……?」


 背後の扉に見える人影。

 ノックと共に長重が近づき、戸を開ける。


 誰が来たのかと一瞥してみれば、長重に被って姿が見えず。

 けれどさらにその後ろに佇むもう一人の人物には見覚えがあり、思わず(ガン)を飛ばしてしまった。


「よ、鏡夜。待たせたな」


「けっ」


「荒れてんなー」


「誰のせいだよ……本気で帰ったと思ったぞ」


「んなわけねぇだろ~?」


 二人を置いて、生徒会室を見渡す氷室。

 時刻は午後4時20分を示し、時計から視線を外せばドア越しに佇む一人に息を呑む。


 桃色の髪。サイドテールにさくらんぼの髪留め。華奢な微笑み。

 長重とは似て非なる存在感。



 この子が――、



「それじゃ、紹介するね。この子は書記の松尾あかねさん」


「2年1組、松尾あかねです。よろしくお願いします」


「あかね……?」


 不意に過ぎる幼少期の思い出。

 その名前一つ聞くだけで、胸の奥がざわつく。


「ん?どうかした?」


「いや……」


 他人の空似。

 似た特徴を持っているせいか、懐かしく思う。


 それと同時に罪悪感が心を蝕む。

 だから「何でもない」と嘘をつく。

 拳を強く握りしめる痛みで、抑え込む。



 『ごめんね』と、いくつもの謝罪を浮かべて――。



「俺は2年3組、氷室輝迅。会計、でいいんだよな?」


「うん」


 相槌を打つ長重。


「よろしくな」


「はい」


 対称的な笑みを浮かべ合う二人。


 陽気な氷室と清楚な松尾。

 そんな光景を目に考え深く思う。


 二人は一緒にこの場へとやって来た。

 それは元から面識があったのか、そうでなくともここへ来る前には何かしらの関係を築き上げていたことになる。


 ただ二人の仲はどこか親密で、何かを共有しているような、そんな関係が見て取れた。


 松尾の存在が遠い日の思い出を呼び起こした所為なのか、不思議と二人を繋いでいるモノはなんなのか、何気ない興味がこの瞬間にはあった。


「「「……」」」


「ん……?」


 ふと、集まっていた視線。

 『次はお前だ』と言わんばかりの空気に、



「俺は――、」



 自己紹介しようと口を開けば、


「2年3組、真道鏡夜」


「……」


 言わずもがなの名士だった。


「何で鏡夜のこと知ってんだ?」


 同じ疑問を抱いていた氷室。


 常人と比べれば影の薄い方で、なるべく目立つことは避けていたのだが、松尾はどうやら自分を知っているご様子。


 それ故に、先ほどの嫌な感覚が再発する。



 君は本当に――。



「噂で聞いたことあって」


「噂?」


「はい。影の有名人、みたいな……」


「あ~、なるほどなぁ……」


 納得し気味の頷き。

 確かにいつの時代も、わかった風に偏見と憶測で人を貶すやつがいる。

 他人の気持ちなんぞ知りもしないで、自分勝手な言葉ばかり吐き捨てるやつが。


「鏡夜?」


 思いやりなんて、この世には存在しない。

 本当に相手を思うのなら、自分の事のように言動する。

 けれど皆そんなことをせず、綺麗ごとばかり並べる、口だけの同類でしかない。


「真道?」


 ほんと、酷く汚れた連中だよな、人間って。

 妬み僻みで他人を見下し、嫌なことがあれば陰口を言う。

 同じ目線で腹を割って話せる関係なんて稀。


「……?」


 誰かに罪を擦り付け、自分は悪くないのだと責任転嫁し、他人の所為にしなければ自分を正当化できない。

 まさに同族嫌悪の極み。


「鏡夜~?」


「ん……?」


 覗き込む氷室の顔。


「どうかしたか?」


 何かを疑うような目つきをしたその表情に、


「ああ、何でもない」


 そう口にしたのだが、


「……」


「……?」


 何故だか眉を顰めていた。


「知ってるか鏡夜。『何でもない』って言うやつは、大抵何かしら抱えてるもんなんだぜ?」


「……」


 当たり前のことを呆れ口調で放つ彼。


「何を考えてた?」


 その言葉に眉を顰め返すも、


「ちょっと闇落ちしてた」


 隠す必要もないため平然と答えてやった。



「―――」



 固まった笑顔。


「……さ!顔合わせも済んだし、帰るか!」


 さも何事もなかったかのような切り替えの早さに不貞腐れるも、『やっと帰れる……』という思いが強かったため、無言の相槌を打った。


「あ、ちょっと待って」


「ん?」


「せっかくだし、LINE交換しよ?」


「お、いいね」


 スマホを取り出し、笑みを浮かべ合う氷室と長重。

 まったく、仲良くなるのがお早いことで。


 ほんと、微笑ましい光景。



「――キョウちゃん」



「……っ!」


 不意に呼ばれる懐かしの名。

 それ故に脳裏に『彼女』の影が過ぎって。

 その声主を尋ねてみれば、重なる松尾の姿があって。



 やっぱり、君は――。



「あだ名……」


「……?」


「キョウちゃんって、どうかな?」


「ああ……」


「もしかして嫌だった?」


「いや……」


「そ。なら良かった」


 落ち着きのある明るい子。

 『あかね』という存在が頭にちらつき、息を詰まらせる。

 そのせいか、うまく言葉が繋がらない。


 とりあえず、平然を装うことは慣れていたため、挙動不審ではないことだけが幸いだった。


「LINE、私たちも交換しよ?」


「ああ」


 向かい合い、スマホをタップする。


 そんな中、内心この口数の少なさで『人見知りではないのか』と相手に思わせていることが今の自分を煽っていた。


「ん」


 操作が完了し、友達覧に『あかね』という文字がはっきりと加えられ、複雑に思っていると、目の前で秘かに頬を朱色に染める彼女に、不覚にもときめいてしまった。


「ヒムロン、エミリー」


「ひむろん?えみりー?」


 彼女の視線の先。そこに振り返る二人の男女。

 隣にいる松尾がスマホを翳し、合図する。


 すると氷室と長重が近づいてきて、そのあだ名が二人のものだということに気づき、思わず吹き出してしまった。


「ヒムロン……エミリー……」


「ん?」


「な、何?」


 二人を見比べ、思わずお腹を押さえる。



 ――やばい……堪え切れない……。



「百歩譲ってヒムロンはわかる……けど、エミリーって……もはや別人じゃん……」


「あ、あだ名なんだから、別にいいじゃんっ」


「はいはい」


「バカにしてる!それ絶対バカにしてるでしょそれ!」


「いえいえそんなことは。エミリー?」


「~~っ!」


 嘲笑うようなこちらの態度に、顔を真っ赤にする長重。



 ――ほんと、面白すぎる……。



「松尾……」


「何?」


「いいネーミングセンスしてるな」


「でしょ?」


「ああ、さすがだ」


「ふふ」


 なんだかんだで、いろいろ複雑だった現状。


「お前ら仲良いな」


 お怒りの長重を宥めながら、氷室の言葉に擽ったくも頬が緩む。


「そうか?」


「そうだよ」


 呆れながらも嬉しそうな声。

 そこに俺は松尾と目を合わせて、


「えー、普通だよ」


「うん」


「……」


 打ち合わせをしていたわけでもないのに、ノリのいい反応を示していた。

 そして案外、松尾とは気が合いそうで、生徒会も悪くはないのかもしれないと思っている自分がいた。



 そう、この時までは――。



      ※



 生徒会の件を終えて、しばらく。

 時計の針は午後7時半を示し、リビングのソファで寝転がっていれば、食器を並べる音を耳にした。


「また君は……私の忠告、聞く気あるー?」


 一人暮らし(だと思ったはず)の家で聞こえるは、自分の保護者を担ってくれている女性の声。


 表の顔は八方美人の学校長。裏の顔はヤンデラー。

 その本性は、『春乃瑠璃』という血の繋がりのない家族も同然の恩人だった。


「……」


 閉じていた瞳を開き、晩御飯の匂いに釣られて体を起こす。

 テーブルに並べられた豪勢な料理を目に、嘆息する。


 学校での対応とプライベートの彼女が違いすぎて、今ではもう慣れている自分に呆れてしまう。


「じゃあ先生も、急に態度豹変しないでくださいよ……気色悪い」


「こ~ら、気色悪いとは何?それが彼女に言うセリフー?」


「センセ彼女ちゃう」


「む……」


 不満げな表情。

 その顔が前屈みによって目と鼻の先まで近づいてくる。



 ――近い……。



「二人きりの時は?」


「……瑠璃」


「よろしい」



 ――全くこの人は……素の時の方が、扱いが面倒だとはな。



「ふふ」


 無邪気な笑顔。



 ――いや、逆か。



 本当の姿はまるで子供で、隠す必要がないとさえ思える。

 そのおかげで、一周回ってわかりやすくて助かる。


 凄く、質が悪いが……。


「さぁ、晩御飯にしましょ?」


「はいよ」


 他人の前で自分を偽るところ。


 似た者同士故に惹かれ合う。

 同じ生き方をしているから、分かり合える。


 だからこんなにも、引き付けられるのかもしれない。


「美味しい?」


「うん」


 ただ彼女とは、似ているだけで同じじゃない。


 同じものなんて存在しない。


 だって彼女は、強い人だから。

 弱さを偽って、見せかけの強さを装った自分とは違う。


「ごちそうさま」


「はい、お粗末さまでした」


 素の自分を露わにしてしまいそうになるほど、彼女には魅力がある。


 ほんと、気が抜けない。



 ――これじゃあ、まるで……。



「どうかした?」


「え?」


 ご馳走に舌鼓を打って、流れるように時が過ぎ、食後の一杯を貰う。

 一息つこうとカップに手を触れれば、


「だってまた、あの時みたいな顔してるよ?」


「どんな顔……?」


 苦笑気味に問うて、紅茶を口に含み、


「何かを抱え込んで、誰かに助けてもらいたいけど、一人で強く生きようと無理をしている、あの頃の顔」


「……っ」


 危うく紅茶を吹き出しそうなほど、酷く鋭い言葉が飛んできていた。


 本当に怖い。

 同類故に、他人の事が誰よりもわかってしまう。


 それはもう、この人には隠し事はできないと言われているようなもので。


「言ってごらん。楽になれるよ」


 奥底に仕舞い込んだ弱さを救い上げられるような感覚。

 いとも容易く他人の心に踏み込んで、救いの手を差し伸べる。


 こんなの、抗えるわけがないだろう?


「……昔のことを思い出してました」


「そっか……まぁ、いろいろあったしね」


「はい……」


 過去との邂逅。

 必然とあの頃の記憶が呼び覚まされる。



 何度も、何度も――。



 忘れたくても、忘れられない。

 そんな思い出の断片が、頭の中をちらついている。


「あの頃の君は可愛かったなぁ……もちろん、今も可愛いけど♪」


「何を言っているのやら……」


「そうやって、本当は嬉しいくせに平然を装うところとか」


「……」


「君は自然と隠し慣れてるみたいだけど、同業者の私には通じないんだから、もはや必死に抵抗しているようにしか見えない。そういうところが可愛いって言ってるの」


 艶めかしい視線。

 何でもお見通しという口ぶりと小突かれる頬により、心を揺さぶられる。


「なら、一々言葉にしないでくださいよ……恥ずい」


「その照れ顔に癒されたかったのですよ」


 掌の上で転がされている気分。

 でもぐったりとした彼女の姿から、いつものように見逃してしまう。


 こうなった彼女には、何を言っても無駄で。


 だからため息を零して、彼女の肩と膝に手を回して抱き抱える。

 ずしりと彼女の重みと温もりが伝わってきて、その頬が地味に赤く染まる姿に微笑してしまう。


 所謂お姫様抱っこ状態。


 そこから彼女の部屋へと移り、優しくベッドに寝かせる。


 まるで介護だ。


「ありがとう、私の騎士(ナイト)様……」


 眠気に抗えないのか、弱弱しくもそんな言葉を掛けてくる。


 無理もない。

 彼女はこの歳で学校長を担い、そのうえ自分を取り繕って生きている。

 おまけに自分の面倒まで見てくれていて。


 彼女には感謝しかない。

 こんなにも自分を思ってくれている。


 それが何よりも幸福で、有り難くて。


 多少の願いは聞いてあげるのが筋というもの。

 そうすることでしか、彼女に恩を返せない。


「おやすみなさい、お嬢様」


 ただ、その願いだけは聞くことができない。

 傍にいて、支えて上げることはできても、その闇を掃うことはできない。


 執事の仮面を被れても、勇敢な騎士にはなれない。


 偽り続ける道化でしかあれない。



「―――」



 困ったような苦笑を浮かべて、そっと瞳を閉じた彼女。

 眠りについたことを確認し、ゆっくりとその場を離れようとすれば、


「待って」


 か細い声で袖を掴んでいた。


「寂しいよ……」


「……」


 突然と放たれる彼女の弱さ。

 涙曇った声に動揺しそうになる。


「私を……一人にしないで……」


「……っ」


 暗闇の中、初めて聞く彼女の本音。


 それは自分もよく知っている孤独感。

 苛まれる日々に身を置いた、道化故の迷い戸惑い。


 彼女も同じモノを持っていたということに親近感が湧く。

 歩み寄って、声を掛けたくなる。



 『大丈夫だよ』って――。



「……なんてね」


「ぇ……」


 近づいた途端、そんな呟きが聞こえて、気づいた頃にはもう遅くて。

 勢いよく引っ張られて、彼女のベッドへとダイブする。


「君は優しいね。そして、まだまだだね」


 耳元を掠める彼女の吐息。


 目の前で微笑む表情からして、あれは全て演技だったということに『本当にまだまだだな』と自分が情けなくなる。


 と同時に、今にも触れ合いそうな至近距離に『何をされるかわからない』と改めて気を引き締めた瞬間だった。


「……」


 伸びてくる手。撫でられる頭。

 愛でられるペットのような感覚。


「私は、君の欲しがっているモノを何だって知ってる。君が望むのなら、何だってしてあげる」


 そんな言葉を掛けられて、嬉しくない男児はいないだろう。

 普通なら、本能的に欲してしまうその愛情に抗えない。


 でも、強靭な理性を持ってしまった自分には、通用しない。

 頑丈な決意と覚悟が、あの日から備わっていたから。


 だからまだ、耐えることができた。


「……っ」


 強引にも額をくっ付けてくる彼女。

 漂うほのかな甘い香りが鼻孔を擽る。


「その代わり、私が受け取る対価はただ一つ……君自身」


 誘惑の魔女。感情の覇者。

 そんな彼女が求めるは悪魔の取引。


「俺は……」


 甘えるような態度。

 ただそれだけでいいという一言が、この胸を締め付ける。


 できることなら、今ここで彼女をギュッと抱きしめてあげたい。

 けれどそれを、自分は誰よりも許してはくれない。


 歯痒くも、申し訳なさに悶えることしかできない。


「出逢った時のこと、覚えてる?」


 確かめるような問い。

 あの時と同じセリフを並べていたのだから、気づかないはずがなかった。


「……忘れるわけがない」


 蹲り、思い出すように浸ってしまう。

 あの日、彼女に出逢わなければ、今の自分はいなかった。


 それどころか、確実に死を選んでいた。

 自らの手で、この命に終わりを告げようとしていた。


 彼女に出逢えたことは奇跡に等しい。幸運でしかない。



 本当に――。



「君は私を選んでくれたと思っていたのに……ほんと、妬けちゃうなぁ」


 だからこそ思う。


「俺は……」


 彼女を裏切りたくはないと。

 ただそれを口にすることが、何よりも難しかった。


「君は私のもの。あの日の誓いが、負い目となって今の君を縛り付けている」


「……」


 図星だった。

 否定し難い矛盾が、心の中を渦めいている。



 もうどうしたらいいのかと、悩んで、悩んで――。



「そんな君に、人生の先輩がアドバイスを上げよう」


「……?」


 急な申し出。

 何を言うかと思えば、


「頑張れ若者よ。今が正念場だ」


 意外な助言だった。


「諦めろ、とは言わないんですね」


 敵に塩を送る行為。

 この人は一体、何を考えているのだろう。


「なに?言って欲しいの?」


「いえ……」


「本当はしたくないよ……でも、君のためだからね。仕方ないよ」


 嫌々、それでも力を貸してくれる。


 ほんと、甘々だ。


「そ・れ・に」


「……っ」


 ふと、嬉しくも複雑な心境を抱いていた自分の口に彼女の指が触れる。

 何事かと彼女を見れば、


「君を奪うことなんて、造作もないことだしね」


「……」


 満面の笑みで、そう答えていた。


「君はもう、私の虜なのだよ」


 どこから来るであろう自信。

 けれど強ち、間違いでもなくて、


「そう、かもしれませんね……」


 その現実を受け入れるように苦笑していた。

 すると彼女は目を見開いて、安堵するように微笑を浮かべた。


「ねぇ……」


「何?」


「今夜は、一緒にいたいな」


「……」


 とんだ口説き文句。


「ダメ?」


「ダメ」


 甘えるように見つめられても、それは聞けない。


「添い寝は?」


 言葉を変えて、より具体的な要望を求める彼女。


 ほんと、諦めの悪いことこの上ない。



 まぁ、でも――。



「……ちょっとだけですよ」


「やったー♪」 


 彼女には背中を押してもらいっぱなしで、自分がしてやれることはこのくらいしかない。



 ――だから、



「瑠璃が寝るまでの間だけだぞ」


「うん!」


 今日一、嬉しそうな返答。

 何気に頭を胸元へと摺り寄せてきて、手は自然と恋人繋ぎになる。


 それを許してしまうあたり、今日の自分は甘々だなと、人のことを言えない現状に心の中で嘆息を浮かべていた。


「ふふ」


「……?」


「なんか変なの」


「何が?」


「添い寝はありなんだな~って思って」


「それは……」


 自分でも思った疑問。


 そのしんみりとした口調にどう返そうかと若干の迷いが生じていれば、その一瞬の隙を見逃さないというように、彼女が覆い被さってきた。


「私が襲うことは考えなかったの?」


「……」


 油断大敵とはよく言ったもの。


 少し気を許せばすぐこれだ。

 けれどそのおかげで、らしくない自分から我に返ることができる。


 だからお礼の意味を込めて、その無防備な額にデコピンをかましてやる。


「いてっ」


「そんなことをしたら、瑠璃とはもう口きかないから」


「それは困るっ」


「じゃあ大人しく、俺の胸で寝てろ」



 ――まったく……。



 自分を人質にしないと、自分を守れないとは。



「―――」



「ん……?」


 急に黙り込み、蹲っている彼女。

 その様子を窺えば、顔を真っ赤に染め上げて動揺を露わにする姿があった。


「今のセリフ……」


 端的な言葉。

 それだけで、豹変した彼女の態度に納得がいく。


 今までからかわれてばかりで、受け身に徹していた自分。

 その関係が心地良いというのもあるが、もう一つそうすべき理由があった。


 ただ今だけは、それを利用してやろうと思っていた。


「瑠璃」


「なに……?」


「愛してる」


 一世一代の告白。

 さらりとそれをやって見せたのは、そこに大きな穴があるから。



「わ、わたしも――」



 それをしてこなかったのは、彼女を本気にさせてしまうから。


 攻めに強いが受けに弱い。

 彼女は本当に恋焦がれているのだと、そう思わされる。


 乙女チックな彼女も素敵なのだが、向けられた矛先が自分自身である事だけは否めない。


 だからこそ、その先を言わせるわけにはいかない。


「家族として」


「~~っ」


 最後、勘違いの無いように訂正の意味を込めて付け加えた一言。

 そこに彼女は案の定、悶えるように口籠る。


「瑠璃?」


「もう……名前で呼ぶの禁止っ……」


 口元に指でバツ印を作る瑠璃。


 恥ずかしがる素振りが新鮮で。

 けれどこれ以上、からかうのも可哀想なため、やめてあげることにする。


「そっか~。瑠璃はもう瑠璃って呼んでほしくないのか~」


「……やっぱり時々でいいのでお願いします」


「了解」


 素直な彼女は扱いやすい。



 ――でも、



 そんな行為に勤しめば、彼女にどんどんのめり込んでしまう。


 魅力的というのも考え物で。

 執着しそうになる想いに駆られぬよう、夢のような空間から抜け出すように、起き上がって地に足を付ける。


「もう行くの?」


 重たい腰を上げて聞こえるは、背後からの天使(あくま)の囁き。

 振り返ることすら、この場では拒んでしまう。


「だって、そんなことしたら、ほんとに後戻りできなくなるから」


 家事ができて、優しくて、甘々で。

 太陽のような包容力。


 執着することこそ玉に瑕だが、その無償の愛に溺れそうになるほど、彼女は魅力的すぎる。

 だから猶更、そんな彼女に今の自分は相応しくないと、そう思う。



 だって――、



「私は遊びか~……」


「人聞きの悪い……」


「だって……」


 言い淀み、不満げな反応を示す彼女。

 不貞腐れる姿も愛らしく思えるが、こればっかりは仕方がない。

 自分の中ではもう、曲げることのできない理由が成り立っているのだから。


「家族に手は出せないでしょ」


「そう、だね……」


 凄く、在り来たりな言い訳。

 それはもっともな事実であって、真意じゃない。

 けれどそれを、彼女はわかってくれてはいるみたいで。


「おやすみ」


「おやすみ」


 部屋を出る寸前に交わした言葉。

 そこにはちょっぴりの複雑さと気まずさがあり、彼女との関係に拗れが生じていることは明らかで。


 その原因が自分にあるということは確固たる事実。

 互いに理解しているからこそ、口にはしなかった。


 ただ敢えてそれを言うならば、自分が未練がましい男だということ。


 自分の犯した罪と向き合い、償うため。

 決着のついていない恋に終止符を打つため。


 そんな過去に囚われた自分への、逃げることも前へ進むことも許されない停滞した今を抜け出すための戒め。


 自分に納得したいがための、勝手な理由。



 高々それだけの事だったんだ――。



 ――思い出の囚われ人。

  誓った想いを叶えに行こう。

    惚れた女の笑顔のために――

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