私の推理ミスと混迷する事件
「犯人がわかったって……いったい誰なのよ!? 私が描いた絵を消したのは!」
真っ先に津山先輩が食いついた。私はなだめる調子で、
「まあまあ落ち着いてください。まず、今の話をまとめたこの数直線を見ていただけますか」
4人は私のメモ帳を覗き込む。
「まず、事件が発覚したあとにこの廊下を通った杉土さんは犯人から外していいでしょう。彼女に消すチャンスはないので、アリバイは完璧です」
杉土さんがほっとしたような表情になり、それと対照的に残る2人の表情は強張った。
「次に、津山先輩が16時ちょっと後の時点ではまだ絵は消されていなかったと言っていましたが、ということはそれより前に美術室へやってきた正垣先生のアリバイも完璧です。つまり、犯人は――」
私はドラマみたいに、ぴしっと指を突き出す。
「唯一アリバイがない津山先輩、あなたですね!」
私に指さされた先輩は――いや、先輩を指さしてよかったのか? まあいい、私に糾弾された先輩は呆然と口を開ける。
「いや、ちょっと待ってよ、なんで私が自分で描いた絵を消さなきゃいけないのよ!!」
「それは……さっき言ったみたいに羽川先輩への恨み?」
「だったら向日葵なんて最初から描かないわ!!」
確かに。いや、なに納得しているんだ。動機なんていくらでもあるじゃないか。
「じゃあ、もしかしたら先輩に宛てて描いた向日葵の絵が、よくよく見たらひどい出来だったから、描き直すために消したとか。ああ、これですよ!! だから左側の桜の絵は消さないでとっておいたんですね!!」
我ながら名推理だ。だが、津山先輩はなおも抵抗するらしい。
「馬鹿ね、そこだけ残しておいたら後々描き直したときに浮いちゃうじゃない! だったら全部消してるわよ!」
それもそうか。絵のことに関しては素人の私には勝ち目がないな。
「まあ、動機ならいくらでも作れるでしょう。人の心なんて読めませんからね」
「匙を投げたわね!!」
津山先輩は私に掴みかからんばかりの勢いで叫ぶ。まずい、このまま掴まれたら、推理ドラマに良くある『もみ合って突き飛ばしたら死んじゃいました』みたいな現場が出来上がってしまう。私はまだ死にたくないし、人殺しもしたくないよ!
「まあまあ、ちょっと待ってくださいよ」
おお、あなたは救世主か!? 私は声の主である金路先生を見る。
「今の青風さんの推理には穴があります」
「え……」
救世主に私の推理を否定されたので、驚きのあまり表情を硬直させた。津山先輩やその他2人も少し驚いたような素振りを見せている。
「ど、どこに穴があるっていうんですか!?」
私はちょっと必死になって先生に詰め寄った。今の推理に穴が? そんなわけないじゃない!
「まず、今のは津山さんが犯人であるという状況証拠であって、彼女が犯人だと決まったわけじゃない」
「そりゃそうですけど……」
私が続きを言いかけたが、それを言わせまいとばかりに金路先生が捲し立てる。
「それに、もし杉土さんが嘘の証言をしていたとしたら? 本当は正垣先生が来る前に黒板を消していて、あとからさも初めてきましたって風を装って合流したかもしれないじゃないか。あと、正垣先生に関しても、美術室からこの教室に戻ってきたときに急いで黒板を消して、それから焦ったように演技して走って戻ってきたのかもしれないよ? だから、他の2人のアリバイも成立しない」
私は唸るしかなかった。私の推理に穴などないと言った数十秒前の自分を殴ってやりたい。
推理を思いっきり外して恥ずかしかったのだが、それよりも犯人呼ばわりした津山先輩に謝らねば。
「あの、津山先輩、すみません。私の勘違いで……」
先輩はむっとした表情を崩さないままだが、幾分か和らいだような気もした。
「ふん、まあいいわ。で、これで私の疑いは晴れたのかしら?」
「いや、まだそれは決まらないね。あくまで犯人が美術部の中にいるという事実は変わらないから」
すまし顔でいう金路先生。
「じゃ、じゃあ、犯人はいったい誰なんです!?」
「そんなのわからないって。でも、手がかりならまだあるんじゃないかな」
金路先生は、そう言って教室の後ろの方を指さした。
「後ろのドア、鍵がかかってないよ?」
「え、あれ、ほんとだ」
私は近寄って確かめる。ドアの側面にあるラッチがドア枠に引っかかって、きちんと閉まっていないようだった。急いでいてテキトーにドアを閉めると、ラッチがちゃんとラッチ受けに収まらないときがあるのだ。
「正垣先生、後ろのドアは開けましたか?」
金路先生の問いに、正垣先生は首を横に振った。
「つまり、後ろのドアは犯人が逃走用に使った可能性が高いんじゃないかな」
「なるほど……でもなんでですか? 普通に前のドアが開いてるんだから、そこから逃げればいいのに……」
私の疑問に、金路先生は「さあね」と曖昧に笑みを浮かべた。
もしかしたら、教室の中に何かあったのか? 犯人が後ろから逃走しなければいけなくなった「何か」が……。
私は教室を見回してみる。教室の後ろに掃除ロッカーと生徒用のロッカー、壁に貼られた時間割表。真ん中には6席×7列の合計42個の机。前には問題の黒板と教壇、教卓、黒板の隣の何も貼られていない掲示板。ああ、教室の廊下側には日程を書くミニ黒板があった。――どれもいたって普通で、特異な点など何もない。
「むむむ……」
私はしかめっ面で唸り声をあげていた。
「ねえ、お悩み中悪いんだけど、まず私たちが犯人だっていう前提が間違いなんじゃないの?」
津山先輩の言葉に、私は首を傾げる。何を言っているのだろうか。
「だからさ、もしかしたら犯人はただ単に黒板を消したかっただけで、たまたまこの教室があいていたから侵入して消したのよ。もちろん、向日葵も、羽川先輩も関係ない。こんな考えも出来るんじゃない?」
な、なんという暴論!! 私は開いた口が塞がらない。そもそも黒板を消したい人ってなんだ。学生なんてみんな黒板消すの嫌いだろ! 日直とか嫌々やってる人しかいないじゃん!
「確かに、そうかもしれませんね。あ、それと……今から黒板の絵を描き直すっていうのはどうでしょうか」
え、ちょ、杉土さーん。あなたも何をおっしゃりますの?
「あ、それ賛成! ちょうど部活の時間だし、2人いれば昨日よりはやく終わるよ!」
「私も顧問として何かお手伝いしますよ」
なんだか、急速に事件のことが有耶無耶になっていくような気がする。私は金路先生の方を見たが、先生も「別にいいんじゃない?」と言わんばかりの顔をしていた。
つまり、美術部内部犯説を推す私は少数派になってしまったわけで――。
「そうと決まれば、さっそくチョークとか取りに行ってきましょう!」
「あ、あの、私自分のスケッチブックに黒板アートの案を何個か描いてきたので、参考程度に持ってきますね」
「サンキュー! どうせなら前よりいいのを作ろう!!」
「では、私はここで黒板を綺麗にしていますね」
杉土さんと津山先輩は、トントンと僅かに足音をたてながら美術室の方へと向かっていった。残った正垣先生は黒板消しをクリーナーにかけて、乱雑だったチョークの渦を丁寧に消していく。
「ほい、じゃあこっちも居残りの続きをするか。ほら、帰ろう帰ろう」
私は金路先生に背中を押されて、教室を後にした。美術室へ向かう途中で、紺色のブレザーを着た杉土さんがスケッチブックを抱えて走っていき、そのすぐ後を津山先輩がチョーク入れを手にやっぱり走っていった。
「ぶう……絶対犯人あの中にいたと思ったのに……」
私は美術室に入ると、先ほど自分が陣取っていた席に座り、文句を垂れる。長いこと座っていなかったからか、椅子は冷たくなっていた。
「はいはい、文句を言わない。それより早く終わらないの?」
「あとちょっとなんですよ。ほんのちょびっと描けば終わりなんです」
私は親指と人さし指で空気をつまんで見せる。金路先生はため息を吐いた。
「はぁ……まったく、時間かかり過ぎだって。僕1年生全クラスの美術担当しているけどさ、居残ってるのは君だけだよ?」
「す、すみません」
クラス内だけだと思ってたけど、学年でも1人だけだったのか。恥ずかしい。
とにかく、あと少し描けば終わりだ。晴れて作品提出、美術の成績オール10が約束される。
――だけど、なんだか心の内には蟠りが残っているようで、気分は晴れなかった。
よく見ると写真に写ってる金具汚い……。




