事件に挑む私と春の夜の夢のように儚く消された絵
「黒板アートが、消されてた?」
私は首を傾げる。
「え、ええ。黒板消しでぐわーっと派手に……」
「派手に、ですか」
何かの怨恨だろうか?
と、私は、赤っぽいフレームの眼鏡をかけた女子生徒が正垣先生の後ろに立ったことに気が付いた。
「すみません、正垣先生。ちょっと通ってもいいですか?」
「あ、ご、ごめんなさい」
正垣先生は頭を下げて道をあける。金路先生が女子生徒――靴の色が私と同じだから、同学年だろう――に気が付いて、声をかけた。
「やあ、久しぶりだね、杉土さん」
「何かあったんですか?」
杉土さん――さっきの話に出てきた、杉土明実さんのことだろう――は美術室に入ると、私たちに向かって尋ねる。彼女は私の隣の机に陣取ると、着ていた紺のブレザーを脱いだ。
「なんか、黒板に描かれてた絵が消されたらしいよ。詳しくは僕もわからないけど」
金路先生が答える。
「とにかく、5組の教室に行ってみましょうよ。実物を見てみない限りでは、何も言えませんし」
私の提案に、その場のみんなが頷いた。
正垣先生は皆を先導するべく美術室を出る。コツコツと廊下に鳴り響く足音も、若干テンポが速いように感じられた。
3年5組の教室に着くと、正垣先生は電気をつけた。
「あの、これです……」
先生が指さした先には、黒板が。
「うわぁ、こりゃ酷いな……」
金路先生がこぼす。確かに酷い。黒板に描いてあったであろう向日葵や卒業を祝す文言が跡形もなく消されている。黒板の上では色とりどりのチョークの粉が混ざり合い、波のように渦巻いていた。
「そんな……せっかく綺麗に描いてあった向日葵が……」杉土さんが言って、それから奥の方を指す。「あ、でも、奥の桜は消されていないみたいですよ」
「ほんとだ……。ってことは、向日葵を意図的に消したってことなんでしょうか」
私は眉をひそめながらも、湧き上がる興奮が止まらなかった。
これはどっからどー見ても怨恨だ。章造さん――苗字を聞いていなかったな。まあ、その彼に対する恨みが募り、黒板アートの向日葵を消した。よりにもよって向日葵を消した。何と斬新な恨みの晴らし方であろうか!
私は少し美術部を見直したかもしれない。――ミラクルな事件、起こるじゃないか!
と、そこへかかる鋭い声。
「ねえ、何があったの?」
津山先輩だ。部活で絵を描く前だったのかYシャツ姿になっている先輩は、長袖をまくっている。
「嘘……何これ!?」
津山先輩は黒板を見て絶句した。それからよろよろとおぼつかない足取りで黒板の前に行き、貼り付いたチョークの粉を指で触る。あまりに唐突すぎることに、実感がわかないようだ。
「ごめんなさい!!」
私たちが振り返ると、正垣先生が頭を下げていた。
「私のせいなんです!! 私が、鍵を開けっ放しにして美術室なんかにいったから! その間に誰かに消されてしまったんです!! 全部私のせいなんです!!」
ふわふわの髪の毛が乱れるのにもお構いなしに、正垣先生は頭を下げて叫び続ける。
「先生は悪くないですよ。悪いのは、消した犯人です」
「そう、犯人!!」金路先生の言葉に、私は叫ぶ。
「黒板の絵を消すという犯行方法、よりにもよって向日葵を狙って消すだなんて、怨恨以外に考えられません! これは――苗字なんですか? 法学部に行くらしい美術部の先輩の」
「羽川――羽川章造君です」
やっと頭を上げた正垣先生が答えた。
「その羽川先輩にものす~っんごい恨みを持った人が、わざわざ黒板アートを消しに来たんですよ!」
「先輩に……恨み? どこの誰が?」
「そんな、あんなにいい先輩に恨みだなんて……」
津山先輩と杉土さんが、口々に言う。
「ちょっと待ってくれよ」
金路先生が待ったをかけた。
「普通の人が見てさ、黒板に描かれた向日葵が羽川君に関係しているだなんて、はたして想像できるだろうか?」
「確かにそうです! 普通なら、さっきの私みたいに、なんで向日葵なんだろうなぁと思うだけですよね! ということは――」
「犯人は内部――すなわち、美術部の誰かなんじゃないかな」
金路先生の一言に、私たちは唾を飲み込んだ。
「つまり、部長の津山先輩か――」
「わ、私はやってないわよ!」
「部員の杉土さんか――」
「わ、私も違いますよ!!」
「それとも、顧問の正垣先生」
「そ、そんな……。私もやっていません、断じて違います」
私は3人を順繰りにみてから、最後に金路先生を見る。
「この3人の中の誰かってことですよね」
「加えて、一応僕もだね」と先生。
「僕も向日葵のことは知ってたから……。まあ、放課後はずっと青風さんと一緒に美術室にいたから、アリバイは完璧だけど」
「そうだ、アリバイです。皆さんのアリバイをお聞かせ願いますか? そうすれば、犯人が絞り込めるかもしれませんので」
私が言うと、容疑のかかった3人は互いに顔を見合わせる。誰が先に話すかをアイコンタクトで決めあっているようだ。その間に、私はブレザーの胸ポケットからメモ帳を取り出した。新聞委員たる者、いつどんな事件に遭遇してもいいように、メモ帳とペン一本は常備しておくものだ。……あ、ペン忘れた。
「はい、これ使いなよ」
私の心を読んだのか、それともなんとなくわかったのか知らないが、金路先生が私にボールペンを差し出した。私は頭を下げて礼を述べる。
そんなことをしている間に、容疑者3人は話す順番を決めたらしい。いや、声に出して話し合っていたわけではないので分からないが、たぶんそうだろう。
「じゃあ、私から話すわね」
トップバッターは津山先輩のようだ。
「私がここを通ったのが16時過ぎのことで、この時教室の中を見たんだけど、確かに絵はちゃんと描いてあったわ」
「本当にちゃんと描いてあったんですか? 見逃したりは?」
「馬鹿ね、自分が描いた絵を見間違えるわけないでしょ! 真ん中の向日葵に左右の桜、『祝卒業』の文字も、その他諸々のイラストも、全部ちゃんと描いてあったんだから!」
「そ、そうですよね……」
先輩の気迫に押されて、私はたじろいだ。容疑がかかってるのは先輩の方なのに……。
「話戻すけど、中の絵をちらっと見た後はそのまま美術室に向かったわ。で、あなたを勧誘してから、奥の美術部の部室に行って絵を描く準備をしてた。それから美術部に戻ってみると、誰も居なくなってて、この教室の方で声が聞こえたから来てみたら、この有様だったってわけ」
「なるほど……。では、次の方は――正垣先生みたいですね」
正垣先生は控えめに頷くと、申し訳なさそうに口を開いた。
「あの、本当にすみません。私がちゃんと鍵をかけていれば、こんな事件起きることもなかったのに……」
「まあ、その話はもう大丈夫なので、先生がここに来てからの話をどうぞ」
金路先生に促されて、正垣先生はまた頷いて話し始める。
「黒板の絵を見にこの教室にきたのがだいたい16時くらいだったでしょうか……。それから、美術室でもう部活しているかと思って、教室の鍵を開けたまま美術室に行きました……」
「どうして鍵をかけなかったんですか?」
私が問いかける。
「あの、普段は防犯のためにかけるようにしているんですけど、今は高校3年生が登校していないので、貴重品もないし大丈夫かなと思ったんです」
「なるほど。続きをお願いします」
「ええ。それから、美術室で皆さんとお話をした後に、またこの教室に戻ってきたら、黒板が派手に消されていて、私、少しパニックになっちゃって、あわてて美術室に戻ってきたというわけです……」
言い終えて、また「ごめんなさい」と頭を下げた。
「じゃあ、最後は杉土さん、ですね?」
「は、はい。あの、その、私は16時15分くらいにこの教室の前を通って美術室に向かってたんですけど、正垣先生が走って美術室の方に向かうのが見えたので……」
「なるほど、そして美術室で私たちと合流して、ここに来たってわけですね」
「え、ええ、まあ……」
私の言葉に、杉土さんはちょっと顔を強張らせながら頷いた。
今までの話をさらさらと手帳に書き込むと、その情報をもとに私は数直線を描く。こうすると時系列が分かりやすい。
――あれ? これってもしかして……。
私は口を開く。なんだか、緊張で震えているような気がした。
「犯人、わかったかもしれません」
ちなみに新聞委員がペンとメモ帳を持ち歩くというのは彩春ちゃんの脳内の話です。実際はありませんよ。
*改稿の記録*
2018/3/27 津山の服装について記述を追加




