犯行動機とエピローグ
「でも……」
私は口を開いた。
「どうして杉土さんは黒板を消すだなんて凶行に走ったんでしょう? 津山先輩も言ってましたけど、彼女、なんだか内気な感じで、とてもそんなことをしそうには見えませんでしたよ?」
私の問いに、論説先生は面倒くさそうに苦笑いを見せる。
「そんなこと聞かれてもね……。人の心は何とも断定し難いから、僕ははっきりと言い切ることはできないよ。まあ、証拠のない憶測なら思いつくけどね」
「え、思いつくんですか!?」
私は意表を突かれて驚き、つい机から身を乗り出してしまった。
「やっぱり復讐なんですか!? 内気な仮面をかぶって、実は腹黒い――」
「いや、言いすぎでしょ!!」
先生は目を細めて私にツッコんだ。いけない、つい捲し立てかけてしまった。
「それに、復讐と頭ごなしに決めつけるのは良くないと思うんだけど」
そして、やんわりと否定される私の意見。
「結局消されてたのは向日葵だけじゃなかったわけだし……。それにだいいち、彼女は黒板アートを描くためにスケッチブックに案まで用意してきたんだよ?」
「むむむ……」
私はぐうの音も出せずに唸りこんだ。
「じゃあ、なんだっていうんですか? 恨みではない、黒板を消す理由――私には思いつきませんけど」
「あるじゃないか。それも、恨みとは正反対な理由」
言い切った論説先生に私は怪訝そうな目を向ける。
「恨みとは正反対? それじゃあ、好きってことですか?」
「んー、そこまでは分からないけど……でも、杉土ちゃんが羽川君に対して他とは違う特別な感情を抱いていたのは間違いないんじゃないかな。例えば、慕っていたとか」
「慕っていた……? でも、絵を消す理由にはなってないのでは?」
私の疑問に、先生はゆっくりと首を振った。
「なるんだよ、青風ちゃん。じゃあさ、絵を消すとどうなるのかい?」
私は首を傾げる。
「そりゃあ……絵が無くなりますよね」
「じゃあさ、絵が無くなったらどうするのかな?」
「……絵を描く?」
なんだか単純すぎて自信がなかったので、私は語尾を曖昧にして返した。どうやらこの答えであっていたのか、論説先生は頷いて見せる。
「その通りだ。つまり、こういうことだよ。
杉土ちゃんは羽川君を慕っていた。そして、卒業する彼へ黒板アートを描き、そこにメッセージを込めたいと思ったんだ――津山美術部長と同じようにね。だけれども、既に津山部長によって絵は描かれてしまっている。このままでは自分で絵を描くことが出来ない。なら――消してしまえばいい」
「そ、そんな理由で!?」
私は予想外の回答に驚きを隠せない。なんて自分勝手な動機なんだ――!
「今、なんて自分勝手な! って思ったでしょ」
「え、エスパーですか!?」
そして、私の心を読んできた先生にも驚いた。
「いや、表情見れば何考えてるのか分かるよ。青風ちゃん、単純だからね」
「ムキーッ!!」
さりげなく――いや、かなりはっきりと侮辱された。私はブレザーのポケットに入れていたハンカチを出して、思わず齧って引っぱる。
「なに漫画みたいなリアクションをしてるの……。ほら、話にはまだ続きがあるんだから」
「え、続きとかあるんですか?」
「もちろん。
さて、今青風ちゃんは杉土ちゃんの『絵を描きたいから消した』って動機を自分勝手って評したみたいだけど、果たしてどうなのだろうか? 思い返してほしいのは、正垣ちゃんのこんな言葉だ――『例年美術部が描いているんですよ』」
「んーと、確か最初に美術室に来た時に話してたことですよね?」
私の言葉に頷いて、論説先生は話を続ける。
「この言葉をそのまま受け取ると、あの黒板アートは本来なら杉土ちゃんも描くことが出来たはずなんだ。なぜなら、彼女も美術部員なのだから」
「だけど、彼女は描けなかった。インフルエンザによる学級閉鎖で、描く予定だった昨日は学校に来れなかったから……」
私は思い出しながら言った。先生の表情を見ると、どうやらこれであっているらしい。
「さて、ここで彼女の立場に立って考えてみなよ。インフルエンザ明けに学校に来て、部活へ向かっていると、5組の黒板に描かれた絵が目に入ってくる。本来ならば、自分もここに手を加えられたはずだ。だけど、学級閉鎖のせいでそれが果たされなかった。なんとも言えない気持ちになったことだろうね。そして、部活に行こうと足を踏みだしたとき、ふと気が付くんだ――教室の鍵が開けっ放しになっていることに。彼女は息をのんで教室の中に入り込む。そして、改めてその絵を目の前にして、こう思ったことだろう。『これを消してしまえば、自分も手を加えることができる』とね」
先生が済ました顔で言い切った。私は慌てて反論を唱える。
「で、でも、ちょっと待ってくださいよ。黒板アートに手を加えたいんだったら、何も消すことないじゃないですか。ちょろっと描き加えさせてもらえば、それで済む話ですよね?」
論説先生は、「ごもっともだね」と私の言葉にいったん賛同した。だが、すぐにそれを否定する。
「でもさ、津山美術部長が言ってたんでしょ? 『そこだけ残しておいたら後々描き直したときに浮いちゃうじゃない!』って……。つまりさ、何かを描き加える場合も同じような感じじゃないのかな? 蛇足って言葉があるけど、せっかくきれいに整った絵を乱すことになってしまう。だから、今更自分に描き加えさせてくれだなんて言えなかったと思うよ。内気な杉土ちゃんなら尚更にね」
「なるほど……」
納得してくれたかな? という論説先生の問い掛けに、私はこくりと頷いて見せた。
「さあ、分かったところで、新聞の編集作業に移るよ! 青風ちゃん、締切ギリだからね」
「はい、がんばります!」
私は幾分か晴れやかな顔で答えた。たぶん、事件の真相を憶測ながら知ることができたからだと思う。
そんな私を、論説先生は満足げに笑って見る。それから、私が作業に取り掛かるのを見届けてから、かけていた眼鏡を外してYシャツで軽く拭いていた。
◇
さて、それから40分あまり経って、私は地獄の編集作業からようやく解放された。
「鍵は僕が掛けるよ」という論説先生の言葉に甘えて、私は部室を出てそのまま校門へと歩く。そして、そこを出ようと足を踏みだしたとき、あることに気が付いた。
「あ……金路先生にペンを返すの忘れてた!」
手帳にメモするときに借りたペン、あれからずっとポケットに入れっぱなしだった。そうだ、ついでに事件の真相を話してこよう。あのまま誰が消したかわからないままだなんて、きっと気持ち悪いだろう。それに、真相を語る探偵になって得意げになってみたいというのもあるしね。
私は引き返すと、3年館の昇降口で靴を脱いで、白い靴下のまま中に入った。床が特別汚れているわけではないけれど、白靴下だとついついつま先立ちして歩きたくなってしまう。
私が階段を登り切り、3階に辿り着いたところで、ちょうど金路先生とバッタリ遭遇した。
「あれ、どうしたんだい? 脱いだ靴を持ってるってことは、下校途中だよね?」
「先生にお借りしたペンを返し忘れてて……」
不思議そうに首を傾げた金路先生に、私はペンを差し出した。
「ああ、そういえばそうだったね。あとでも良かったのに……」
そうぼやく先生を見て、私は2つ目の目的について口にする。
「あの、黒板を消した犯人についてですけど……」
「……入れ知恵されたね?」金路先生は、少しだけニヤリと笑い、私に問いかける。「たぶん、勿来君でしょ」
「え、ええ。どうしてそれを……」
「君が新聞委員だって聞いたからね。
――彼とはちょっとばかり腐れ縁でね。勿来君に話を聞いたってことは、僕につけられた妙ちきりんなあだ名も知っちゃったってわけだ」
先生は冷たい笑みを浮かべる。
「え、あの、私、消されるとかないですよね?」
表情が本気すぎて少し怖かったので、震える声で尋ねると、
「はは、なんてね。冗談だよ」
「なんだぁ……。マジかと思ったじゃないですか……」
私は安堵の息を漏らした。
「で、犯人についてですが――」
「しっ」
先生は口に人さし指を当てた。“喋るな”のポーズだ。
「それは言わないでもらってもいいかな? できれば、君の胸の内にとどめて置いてほしいんだ」
「……なんでですか?」
ちょっと怪訝そうな表情になる私。それを見た金路先生は、口に当てていた人さし指をそのまま5組の教室に向ける。
よく見えなかったのでちょっと教室の方へ寄ってみると、未だ教室に残る3人の姿があった。先ほどの事件などなかったかのように、楽しげな笑みを浮かべて絵を描いている。
「真実を言わないほうが良いときだって、たまにはあるのさ」
先生はぼーっと3人を眺める私に悪戯っぽく笑うと、「じゃあ、さよなら」と言って職員室へと歩いていった。
――そうか。探偵がペラペラ得意げに真相を語るだなんて、とんだ夢物語だったのだ。
言わないほうがいいことだって、あるに決まっている。私がここで教室に乗り込んだりしたら、きっと喜ばれるよりも疎まれるだろう。
私は自嘲的に鼻を鳴らすと、つま先立ちのまま階段を下りる。
探偵は推理を語って終わりだなんて、そんなことがあるはずがないのだ。世の中そう言う風にできている。だって、真実を知ったら悲しむ人がいるかもしれない。関係が壊されてしまうかもしれない。
――そんなことも気付けずに一人前の探偵だなんて、なんだか馬鹿馬鹿しいな。
ちょぴっと複雑な思いを抱えながら、日が暮れてすっかり暗くなった道を、私はゆっくりと歩いていった。
無事完結しました!
お読みいただきありがとうございます。
詳細なあとがきや読者への挑戦への返信につきましては、後日活動報告などを活用してやりたいと思います(今はちょっと疲れ気味なので、無しかな。すみません)。
なんだか最後が不完全燃焼気味なので、いずれ直すかもしれません。
では、またどこかでお会いしましょう。
南後りむ




