過去は今へと繋がるが、理解はできない③
鮮やかに消えてしまった相方の行方にレキが首を傾げていると、その背に声がかかる。
振り返ると、ナザルが眉根に皺を寄せて立ち尽くしていた。老剣士は、途方に暮れたような顔をしている。先ほどまで明るく昔話に興じて笑っていたというのに、急に変わったな様子にレキは帰りそびれてしまう。トリトスも何か感じていたようだが、言葉少なに奥へ消えて行った。
ぱたりと奥へ続く扉が閉じ、さらに数呼吸分の間を開けたあと、ナザルは口を開いた。
「あいつとつるむようになって、どれくらいになる」
ぽつりと漏れた言葉に、レキは老剣士に向き直る。
「そうだな、二年……くらいになると思う」
正確に数えたわけではないが、そんなものだろう。
「よくもったな」
「そこら辺は、俺も毎日のように思ってるよ」
改めて振り返ると、二年という月日は短いようでいて長い。ジクスと出会ってからレキの人生は比喩なく変わった。
それを幸福と呼べるのかはまだ判断を保留しているが、少なくとも絶望するほど苦しむことはなくなり、代わりに頭を抱えて悩んで忙しくしている間に、あっという間に季節がめぐってしまった。
「あいつは、その、かなり普通じゃないぞ」
ナザルは言いにくそうに言葉を選んでいる。普通じゃないという表現は、相方を表すにはかなり控えめなものだ。
拳銃使い。傭兵。Sクラス。賞金首。傍若無人の災害。
ジクスを形容する言葉は無数にある。だが、どれも本質を突いてはいないとレキは考えていた。
正体が何かまではレキには理解できなかったが、時折かいま見せる片鱗に比べれば、賞金首の凄腕傭兵という矛盾した肩書きなど可愛いものだ。
レキが肩を落とす様子に何かを感じ取ったのだろう。ナザルは少し困ったように顔をしかめる。
「なら、あいつがSクラスの傭兵で、同時に賞金首だってことは知っているな」
ゆっくりうなずいたレキに、今度はナザルの方が盛大に息を吐いてみせる。
「何とも馬鹿げた話だけどよ、なんせ手配自体は二十五年も前の話だからな。二年前、ギルドに提出された傭兵登録書類を見て、受付係がジクスを賞金首だと思わなかったのも仕方のないことだろうよ」
二年前、ジクスとレキは傭兵ギルドに登録書類を提出した。
提出した書類は問題なく受理され、二人はEクラス傭兵という肩書きを手に入れた。
長くも短い二年で、お互いのクラスに大きく差は付いてしまったが。
「なんでまた、傭兵になろうなんて思ったんだか」
ナザルの独白に対し、レキは答えを持っていた。
「あ、それは俺が勝手に登録書類をジクスの分まで提出したから、です」
「なんだって?」
ナザルは困惑と驚愕を一緒に浮かべてレキを見やる。
レキとしては、思い返せばあの提出書類が現在へとつながるはじまりだったなと感慨深さと同時に、どうしようもないあれこれを思い出してしまったが。
「あいつと……その、出会って、色々と世話を焼いてもらって、傭兵ギルドのことまで教えてもらえた。てっきりあいつも登録するつもりだろうと思って……」
勝手に提出した二人分の書類。字が書けるようになったばかりのレキはうれしさのあまりに大して考えもせずにやったことだが、結果としてはジクスの驚く顔が見れたので、それはそれであの時はしてやったりと笑ったものだ。
「そりゃあまあ、すごい真似をやらかしたもんだな」
「後にも先にも、あいつを驚かせたのはあれっきりだったな」
受付でジクスは自分の名前が呼ばれ、レキに種明かしをされた瞬間に見せた、なんでとまさかを繰り返す表情を思い返してレキは笑う。
よくやったな、とナザルは称賛と驚愕の混じった言葉をくれた。
だが、と老剣士は表情を厳しくする。
「あいつが手配されるような真似をしでかしたのも事実だ」
そこで言葉を切ると、ナザルはことさらゆっくりと告げた。
「あいつは二十五年前、十人委員会幹部の一人、ケインツェルという男を殺し、逃亡した」
レキはナザルの言葉に唇を噛む。老剣士がジクスの罪を言葉を口にした途端、彼の肩に何かがのしかかってきたような気がした。
今までジクスが賞金首だという話は、追ってきた賞金稼ぎから何度も聞かされていた。だがどんな罪状だったのかはレキ自身は手配書にある、十人委員会幹部を殺したという点しか知らなかった。知ろうともしなかった、いや、わざとそこから目を背けていた。
「けど、二十五年も前の話なんだろ」
レキが賞金稼ぎの話に真剣さを感じなかったのは、時間という問題だった。
しかし今、目の前にはジクスと過去を共にした仲間がいる。そしてジクスもまた、過去を当たり前のように語っていた。彼らの間には確実に共有した時間があると、側で聞いていたレキには理解できた。
「俺はまだ産まれてもいなかった。なのに、同い年くらいのあいつがどうやって人を殺せるんだよ」
ずっと貯めこんでいた疑問は、思っていたよりもするりと口をついて出た。
対するナザルも、その反応を待っていたとばかりに自嘲を含んだ笑みを浮かべる。
「そうだ。昔の話なんだよ」
乾いた笑み。疲労しきった人間が見せる、どこかいびつな笑い方。レキは老剣士の様子に薄ら寒いものを感じて後ずさりしたが、わずかに開けたままだった扉に肩がぶつかって止まる。
「今日あいつを直に見て、正直、恐ろしかった。夢でも見ているのかと思った。あいつは、最後に見た時と何ひとつ変わってなかったんだよ」
しぼり出すようにそう言って、ナザルは顔を伏せた。
言葉が途切れた途端、思い出したように沈黙がのしかかってきた。いたたまれなくなってレキは視線をさまよわせるが、視界に入ってきたのは老剣士と拳銃使いが暴れ回ったおかげで破壊しつくされた待合所の残骸だけ。それも照明がないので物の輪郭程度しかわからないし、いまさらだが互いの表情の詳細すらもわからなかった。
むしろレキにとってはその方が都合がよかった。
きっと、自分でも驚くくらい青ざめていることだろう。
細かく震えている身体。静まりかえった闇の中、レキは浅くなっていた呼吸に気がつき懸命に息を整える。
「……あいつは、何者なんだ?」
あえぐように、ようやくそれだけ言った。
「さてね」
ナザルは肩をすくめる。
「ま、ただの若作りってわけじゃあねえだろうよ。だが、何かなんて想像もつかない」
何者でもなく、何か。そう分類するナザルの言い方は無意識なのだろうが、そこにレキよりも長い時間の中で彼が悩み続けていた疑問の答えが見えた気がした。
すでにナザルは答えを出している。
ジクスは自分たちとは違う枠にいる存在だと、言外に認めているのだ。
「あいつの存在は異端を通り越している。力が強いやつ、足が速いやつ、剣術に優れているやつ。世の中には、そりゃあもう、信じられないような能力を持ったやつらがごろごろいる。だがあいつはそのどれにも当てはまらない。俺たちが持つ、常識や価値観って枠を飛び越えているんだ」
レキは沈黙する。
そんな存在を指し示す言葉が脳裏を駆けめぐったが、口には出せない。
「化け物」
レキはびくりと肩をすくませる。まさしく、彼自身が今、思っていたことだった。しかしそれもナザルには予想範囲だったらしく、老剣士は太い笑みを見せる。
「そう罵るのは簡単だ。けどよ、あいつがそれだけじゃないってことは俺にもわかる。少なくとも今はおまえと一緒にいようとしているみたいだしな」
「そりゃあ、あいつと付き合いは長いけど、俺は引きずり回されてるだけだし……」
「それが過去しか知らない俺にしてみれば、驚愕の一言に尽きるんだよ」
口ごもるレキに、ナザルは年長者特有の余裕ある笑みを向ける。
「あいつの存在は、矛盾の塊みたいなもんだ。純粋に力を力として振り回せば、一晩で町ひとつくらい破壊できる。そんなやつが拳銃なんてちっぽけな武器を振り回して傭兵家業にいそしんでる。報告書を見た時には目をむいたぞ。十人委員会を離反する前だって、あそこまで働き者じゃなかった。もう数合わせにいるだけで、何にもしないやつだった」
過去を懐かしむにしてはかなり物騒な内容に、レキは言葉をはさめない。老剣士もまた、思いついたことを口にしているだけで若者の意見は必要ないらしく、反応を待たずに続きを口にする。
「以前のあいつは、戦わせれば凄まじいが、いかんせん、規格外過ぎて扱いに困っていた。無口で、無愛想で……腐った目、してたな。ありゃ、何もかもに嫌気がさして投げやりになってる目だった」
「なんか、あんたの話を聞いてると、今のジクスとは違うやつみたいだな」
「あいつも変わったんだよ」
きっかけは見当もつかないが、とナザルはお手上げだと肩をすくめる。
「どうしてそんなことを俺に教えるんだよ」
「あいつが初めて自分の側に置いた人間だからだ。いやケインツェルやトリトスも含めれば、三人目か」
「その殺された幹部は、ジクスの何なんだ」
言った後で、自分の直球さ加減にあせったが、老剣士はむしろその率直さを好ましいものと思ったらしい。ことさら楽しそうに笑う。
「ケインツェルはな、主に武器や防具の開発に力を入れていた。戦うよりも、技術を高める方に夢中になる男だった。拳銃なんて代物を生み出したのも、あいつだ。あの男は、自分の描いた図面を実現させる場を求めて傭兵ギルドに身を置いたんだ」
だが、と言って老剣士は一度言葉を切る。
「ジクスとあいつの詳しい馴れ初めは俺も知らん。ただ、俺がケインツェルと初めて会った時、もうあいつのかたわらにはジクスがいて、トリトスがいた。魔女のテスラもな。やつに関してはトリトスの方が詳しいだろう」
言って、目でトリトスが消えた扉を示す。レキも反射的にその視線を追ったが、先ほどのように扉の向こうから小男が転がり出て来ることはなかった。
「俺が加わってから、テスラは人を集め始めて傭兵ギルドの原型を作った。その旗頭、特に力の象徴として担ぎ出されたのがジクスと俺だった。戦場に放たれたやつは独壇場とばかりに活躍したよ。殺して、壊して、何もかもを蹂躙しつくした」
傭兵ギルド。荒事に役立つ人員を適切に選んで派遣することを目的に創設された。各々の村や町の自治組織では解消できない問題ごと、主に街道に出没した盗賊の駆逐や、国境をまたぐ犯罪者を追うことを組織だって行えると宣伝した。年月をかけてギルドは傭兵の実力を見せつけて出資者を集め、組織は大枠を作り上げて稼働を開始し、現在では大きな町では支部が必ずあるほどの実力と影響力を持っている。
「けど、俺は闘神ナザルの話は知っているが、ジクスのことは何も知らない」
レキも子供の頃、旅芸人たちが語る英雄譚にあこがれた。そこで闘神ナザルの武勇に心を躍らせたものだったが、その語りのどこにも拳銃使いの存在はなかった。
「情報操作ってやつだ。考えてもみろ、ひと振りで三人斬るっていうなら英雄譚だが、ひとっ走りで百人殺す存在なんておとぎ話だ。そのあたりは、ケインツェルが開発した新型の武器ということになっている」
それなら、とレキはあまり深くない知識を掘り起こす。傭兵ギルドは腕っ節の強い者を集めた荒くれ者の集団という側面のほかに、多様な武器開発を行ってきたという実績がある。そのひとつが、ジクスが鈍器のように振りまわしている拳銃だ。彼が扱っているのは小型で携帯できるものだが、中には城の障壁を破壊できるほどの威力を持った大型の重火器も存在している。傭兵ギルドは戦う力のある者を集め、同時に戦える力となる武器を掲げて自らの存在を誇示しているのだ。
その象徴のひとつとされる老剣士は息を吐いて空を見上げた。夜明けにはまだ遠い空は藍色に塗りこめられ、星が布に空いた穴のように瞬いている。
「色々言い過ぎたな。ジクスじゃないが、俺も誰かに話を聞いてもらいたかったみたいだ。余計に混乱させただろうが、俺が話したことをどうとらえるかはおまえ自身の判断だ」
老剣士はそこまで言うと、全身を弛緩させる。
話しのはけ口にされたレキは、逆に疲弊し緊張していた。
「……混乱する一方だよ」
頭を抱えるレキに、ナザルは俺が言えるのはここまでだ。そう言って、通りの先を指さした。帰れと言うことらしい。
レキは手短に宿の場所だけ告げ、頭の上に黒雲を乗せながら案内所をあとにした。