過去は今へと繋がるが、理解はできない②
「……わかった」
少し間があってから、ジクスは短く告げて拳を引く。その表情は憮然として不機嫌さを隠そうともしない。わかったと答えたのも、おまえの言い分は理解したから一度は引くということにすぎない。決して、納得したわけではないのだ。
「じゃあ、この紙の束がその調査報告書ってわけ」
「ああ。なに、量は多いが大したことは書いてない。調査隊の誰もが、何が起こったのか正確に把握できずに戻って来た」
「あっそ。じゃあレキ、読んどいて」
「なんでそこだけ押しつけるんだよ」
「決まってる。面倒くさいからだよ」
きっぱりと言い切られてしまった。レキとしては何か言い返したかったが、まだ怒りの残り火をくすぶらせている背中に何を言っても無駄だろう。
ジクスは鋭い眼差しで老剣士をねめつける。
「その代り、僕の指名手配の取り消し、よろしくね」
「ああ、ちょうど明日の午後からこのベルネに十人委員会幹部がそろって会議だ。一番の議題にするさ」
そうか、とジクスは一人で納得した顔をする。
「だから君たちもいたんだな」
心底面倒くさそうな顔をしてジクスは嘆息し、肩を落とす。
「そうと知ってたら、ベルネには来なかったぞ」
「偶然でもなんでも、僕はジクスに会えてうれしかったよ」
下の方でトリトスが無邪気に笑っているのを見て、ジクスはますます居心地の悪そうな顔をする。レキとしては彼らとの関係性が気になっていたが、ジクスが苦手意識を持ちながらも邪険にできない相手がいると知って、妙に新鮮な気持ちになっていた。
あきらめたのかジクスは身体を起こして伸びをする。
「なんなら、これ以上僕に賞金をかけ続けることで、どれだけ君たちが迷惑被るか会議の席で話してあげるよ」
「おまえが迷惑を被る、って話じゃあないんだな」
ナザルはジクスの物言いに苦笑する。その様子に、ジクスも仏頂面をわずかに緩め、笑ってみせる。
「そりゃあ、僕だって四六時中狙われて気分いいわけないよ。でも、僕に関わると必ず僕以外の誰かが死ぬ。だって、殺意を持って向かってくる人間を見逃したり、手心を加えたりしていたら、それこそ僕の方が危ないんだ。君だって、早くそのあほな新人を育てたいんでしょ。いくら将来有望そうでも、僕なんかに刃を向けたら、どんな有力株も引っこ抜かれて終りだよ」
「それは困るな。ま、申請は通るだろうよ」
あっさりと言いきられ、ジクスどころか聞いていたレキも驚く。二十五年、どれだけ手配書が更新されても残り続けていたものが、本人の訴えだけであっさりと消えるなら、それこそもっと早くになかったことにされていてもおかしくはない。
「元十人委員会幹部の意見だから?」
疑問符を浮かべるジクスに、ナザルは苦笑を返す。
「違う。テスラがいないからな。おまえの指名手配続行を強制させる人間は、もう委員会内にはいないんだ」
ジクスは軽く目をみはり、きょとんとした顔でナザルを見つめ返す。
「いないって、どういうこと?」
「テスラはね、死んだよ」
ぽつりとトリトスがつぶやいた言葉に、ジクスは弾かれたように顔を上げる。沈黙する老剣士は苦い表情で小男の言葉を肯定していた。
「おまえは当然、知らんだろうが、もう十人委員会は全員入れ替わった。俺とトリトス以外は傭兵ギルドからも離れたし、生死不明なやつもいる」
「……テスラ……死んだの?」
呆然と同じことを繰り返すジクスに、ナザルは憂いのある優しい肯定を返す。
「そりゃ、いつかは死ぬさ」
「ま、そうだけどさ……」
ジクスは心底意外なことを聞かされたとばかりに驚愕の表情を見せる。心なしか、青ざめてもいた。
「そもそも、おまえに手配をかけることを提案したのがテスラだ」
ジクスは一度うなずき、考えこみ、それから首を横に振った。
「あーなんか納得。あの〈白い魔女〉ね。普段にこにこしてる分だけ、ことが起こった時にはもの凄まじく陰険だったし。ま、それはわかるよ。手配されて当然のこともしたわけだし」
「もう死んだ相手だ。そう悪く言うな」
この話題を拒絶されている気配に、ジクスは肩をすくめる。
「はいはい。今はとにかく自分を探してはり倒してこいと。なんだか謎かけみたいな依頼だね。あ、そうだ、この依頼って報奨金は出るの? なんなら僕用の賞金、こっちに流用する?」
打って変わってからりと明るい声でとんでもないことを要求するジクスに、ナザルは先ほどとは違う意味で渋い顔をする。
「馬鹿言うな。ギルドの年間運営資金だぞ」
「設定したのはそっちじゃないか」
「だから、そこら辺もテスラの仕業だ。俺もそれを聞いた時は、おまえが殺されないことを祈ったぞ」
「そりゃ、祈りたくもなるだろうね」
超を通り越した高額な報奨金設定。いくら二十五年も前とはいえ、当時の傭兵ギルド年間運営資金は相当程度の額だ。凶悪な通り魔を百人捕まえても、そこまで莫大な財は手に入らないだろう。
「なんせ手配直後はその報奨金目当てに傭兵希望者が例年の十倍以上に跳ね上がったからな。新人どもが全員でかかっておまえを肉塊にした瞬間、傭兵ギルドも消滅の危機だったんだ」
「だから、なんでそんな無茶な金額設定にしたのさ。それに、自分で言うのもなんだけど、僕は本当に死ににくいよ。そんなの相手に指名手配かけるなんて、あの女はなに考えてんだか」
「あいつなりに、何か思惑はあったんだろうさ」
ナザルはわずかに目を伏せる。
会話が途絶えようとした時、トリトスが割って入ってきた。
「それにテスラは、ジクスが賞金稼ぎにどうこうされることはないって宣言してたね。多分、考えっていうのはものすごい懸賞金を出してギルドの登録者を増やしたかったんじゃないかな」
あー、とジクスが声を上げて頭を抱える。
「やりそう。つか、あの魔女ならやる。僕を宣伝材料にして、ギルドの拡張を狙ったとか十分にありうる話だよ」
「俺たちも、おまえが何ヶ月もつか賭けをしたな」
「人に指名手配かけておいて、さらに賭け事までやってたのか!」
ひどいな、とレキは思わずジクスに同情する。彼は確かにべらぼうに強いが、それでも毎回毎回賞金稼ぎから逃げ回ったり殴り飛ばすのはそれなりに骨を折る作業だった。
「そんな思惑があるなら、新人全員を殺しておけばよかった……」
声を上げてジクスはしゃがみこむ。他者を害することに何の痛痒も覚えない神経の持ち主だが、それでも彼なりに殺人だけは回避しようと努力はしていた。それすらも、相手の計画の内と聞かされては脱力もするだろう。
レキも話を聞きながら唖然としていた。さすがにこのとんでもない相方を仲間と呼んでいただけのことはある。それなりに性根は座っているようだ。
「あんまり聞きたくないけど、二人とも何ヶ月に賭けたわけ」
投げやりに問いかけてくるジクスに、ナザルは威張って胸を反らす。
「俺はおまえを過小評価しなかったからな。なんと十年だ!」
「僕は手配解除になるまで捕まらないに賭けたよ」
「あ、そう」
二人そろって得意げな様子を見せつけられ、ジクスはぐったりと肩を落とす。
「テスラもトリトスと同じだ。けど、それじゃあいつまで経っても結果が出ないって話になってな、十年で区切った。負けたやつらは俺たちに酒をおごるって条件でな」
「じゃあ、十年は経った時にはさぞかし美味いただ酒が飲めただろうね」
「ああ、たっぷりおごってもらったさ。十年以上に賭けていたのは、俺とトリトス、テスラの三人だけだったからな。手配十周年を記念して、大いに盛り上がったぞ」
「だから、人の指名手配を肴に宴会しない」
ジクスは深いため息をついた。目の前の二人は、ジクスのことは無視して当時の話に花を咲かせている。
「あの女も、目の前に黙って座らせておけば、酒のつまみになるくらいの美人だったからな」
「魔女だけどね……」
「こう、あの目で見つめられているだけで何もしてないのに謝りたくなるからな……。あそこまで悪酔いした日はなかったぞ……」
当時を思い出し、その苦しみがぶり返したのか、ナザルは頭を抱える。そうやった後、思い返したようにジクスの方を振り返る。
「けどよ、その酒宴の後からあいつは身体を壊してな。そこで療養に専念しなかったのもたたって、ずいぶん長い間、床を払ってはまた倒れてを繰り返してな……五年、いや、六年前に逝っちまった」
「二十年目の宴はできなかったんだ」
「無理だったな」
そこでナザルは肩をすくめると、話題を変えた。
「ま、そこら辺の話ももう明日にしてくれや。さすがに年寄りに夜更かしはこたえる。久々に大暴れしたしな。お、そうそう。おまえの手配取り消しだが、証人として出て来てもらっても、今の委員会の面子じゃ誰も本人だって信じないぞ」
「それもそうだね。お堅い会議に出るのも嫌だし、その件は任せるよ。じゃあ明日は会議が終わったら、宿の方に来てよ。場所はその犬に聞いてね」
じゃあね、と手を振って。ジクスは踵を返す。
その背を、トリトスが追いかける。出入り口前で追いつき、必死になって何かを言いつのっている様子だったが、少し離れていたレキに内容までは届かなかった。だが遠目に、ジクスはあまり乗り気ではない様子がうかがえた。
そのままおざなりに手を振り、細く扉を開けて出て行く。
「っ、おい、ジクス」
レキも慌てて追いかけたが、扉の向こうに相方の姿はなかった。ギルドの正面入り口前はそこそこ広い通りになっている。すぐさま隠れられるような脇道はない。それなのに、ジクスは煙のようにかき消えてしまった。