過去は今へと繋がるが、理解はできない①
過去は今へと繋がるが、理解はできない
「……それにしても、すさまじいな」
レキは半壊した待機所の惨状にそれ以上感想を述べることができなかった。
長椅子は倒れ、あるいは銃弾を受けて砕けている。本棚や壁も一部が崩れ、カウンターは位置がずれて備品が散らばっていた。
壊した張本人達は、我関せずとばかりの態度だったが。
「ずいぶん壊しちゃったね。これじゃ明日の営業に差し支えるよ」
「そこらへんは明日、出勤するやつらに判断させるさ」
「入り口を開けた瞬間に腰を抜かすと思うけど。あ、そうそう。先に言うけど、修理代は出せないよ。知ってると思うけど、傭兵暮らしってあんまり儲からないんだ」
ジクスが肩越しに振り返ると、ナザルは移動したカウンターを元に戻そうとしている。その向こうにある扉を開けたいらしい。
「修理代は、おまえの報償金用に積み立てている金を使うさ」
「何だよ、それ。なんか賦に落ちないんだけど」
「おまえの手配を解除すれば、積立金もあまるんだ。裏金にして貯めこまれるよりちゃんとした使用目的があった方がおまえもうれしいだろ」
「ちっともうれしくないから」
自分を捕縛した際に支払われる賞金が、自分が破壊した待合所の修理に使われる。費用を請求されるよりはましだが、ジクスは納得できないと顔をしかめてみせる。
「ま、正直な話、俺もおまえの手配を取り消すことには賛成だ。これであほな新人がおまえを狙って返り討ちにされた挙げ句、意気消沈して田舎に帰ることもない。ようやく新人育成ができるってもんだ」
「へー、ナザルって後任を育てているんだ」
「そこまで大げさな話じゃあない。けどよ、俺も色々やったせいで、自然と周りに人が集まるようになった。単に俺の側にすり寄ってうまい汁を吸おうと企むあほなやつらは丁重にお帰り願ったが、それ以外の、俺の武勇伝とやらを真に受けて来た若造なんかはどうにも追い返しづらくてな。もういちいち断るのも面倒になったから、暇な時に稽古つけてやっているのさ」
「ナザルも有名人になったもんだね」
待て、とレキが間に入ってくる。
「有名どころか、傭兵の間じゃ闘神って呼ばれているぞ。名前を聞いた時はもしかしてって思ったけど。まさかこんなところで会えるなんてな」
レキはナザルの背を見て感嘆の息を吐く。
闘神ナザル。傭兵の間では下手な神に祈るよりも勝利を導くとされている。神といっても見ての通り本人は存命中なのだが。
「あ、そうなんだ。レキもちょうどいいから剣技について教わってきたら。この人、でたらめみたいに強いから」
「そこらへんはもう、さっき充分に堪能した」
レキはがっくりと肩を落とす。目の前の老剣士の実力は目を見張るものがあった。有名人であることを差し引いても教えを請いたいとは思う。
「過去の威光ってのはなかなか楽しいぞ。適当に威張って昔話を脚色して話せば酒がおごってもらえる」
「それって、ただのたかりじゃない」
「たかるのは懐が寂しい時だけだ。ちゃんと仕事もしているぞ」
「僕を追いかけ回すこと?」
「はんっ、体のいい閑職さ。今の委員会にしてみれば、十人委員会初期メンバーだった俺を粗末には扱えない。かといって、運営に口をはさんでこられるのも困る。仕方がないから一番面倒でどうでもいい仕事を押しつけたわけだ。ま、確かに、暇なくせに、体力あり余っている年寄りにはうってつけだったぞ」
「ふーん……。で、そもそも何で今さら僕を探していたのさ」
「理由はある。だが、ちょっと待て」
「もったいつけないでよ」
ジクスが急かすのを無視し、ナザルはカウンターを戻し扉を開ける。と、その向こうから、人が転がり出て来た。
それこそ、本当に転がりそうな体型の小男だ。
男はよろめきながらも顔を上げ、落ちつかなげに周囲を見回す。樽のような体型の小男は、四つん這いになった格好のままで三者を見上げる。
「あ……」
男はジクスの姿を認めた途端、ぱっと身を起こして駆け寄ってきた。
「ジクス!」
喜色満面といった顔で走ってくる男は、卵のような丸い胴体に生えた短めの手足を振り、ジクスの名を呼ぶ。
呼びかけられた方は、少しの間、考えるように小首を傾げていたが、やがて思い当たったのか、ややためらいがちに相手の名を口にする。
「……トリトス?」
「そうだよ、僕だよ! また君に会えるなんて、夢じゃないよね!」
トリトスは興奮気味にまくしたてる。対するジクスは、どうにも微妙な顔をしていた。間違っても、再会を喜んでいるようには見えない。それでも、相手を拒絶できず、苦いものを噛んだように顔をしかめている。
「あー、とりあえず現実だよ」
適当に答えながら、ジクスは無理矢理顔を背けている。居心地の悪そうな様子で視線をさまよわせ、ナザルの姿が視界に入った途端、目つきを険しくする。にらみつけられた男は素知らぬ顔で書類整理を続けていた。
「最悪だ。いや、悪いわけじゃないんだけどさ」
ジクスは何かをあきらめたのか、ぶつぶつと口中でうなるように言葉を漏らし、疲れたように顔を伏せてしまう。その様子を、レキは珍しいものを見るように眺めていた。
「ナザルにトリトス。こうまで都合よく昔の仲間に会えるなんてさ、なんか、できの悪い芝居でも見ているみたいだよ」
ジクスは自嘲気味に笑い、息を吐く。
「……ジクス?」
レキは相方の隣に立ち、その顔をのぞきこんでぎくりとした。
ジクスは顔中に蒼穹のように晴れ晴れとした、それだけにいっそ不気味とも思える笑みを浮かべている。
「で、話って何なのさ」
穏やかな声音。だがそれゆえに、これ以上話を先延ばしにすれば何をするかわからないという言外の圧力があった。
押し負けたのか、頃合いだと踏んだのか、ナザルが口を開く。
「俺がおまえを探していたのは、仕事を依頼するためだ」
「賞金首に、その手配をかけたギルドが何を依頼するんだよ」
棘のある物言いにもひるまず、ナザルは淡々と続きを口にする。
「依頼内容は、おまえ自身を見つけ出して殺すことだ」
老剣士の言葉にジクスは青緑の目を見張り、少し首を傾げ、よくわからないといった様子でナザルを見つめる。しかしそれ以上の説明は今のところ出てこないらしい。あきらめてジクスはひとつ息を吐くとさも楽しそうに笑う。
「何それ。何かの哲学?」
冗談だと笑い飛ばすような真似はせず、ナザルは肩越しにトリトスを振り返る。おずおずといった様子で彼は抱えていた書類束を出してきた。ナザルは分厚い紙束を受け取るとそのままジクスに突きつける。読め、ということらしい。だがジクスはそれなりに厚みのある書類を手には取ったがそのまま隣のレキに渡してしまう。
「こんな紙切れを読ませるくらいなら、自分の口から話せよ」
青緑の瞳に炯々とした光を灯し、ジクスは笑う。
隣に立っていたレキは思わず半歩退く。発する雰囲気が変わる。怒りが全身から吹き上がっているのがわかった。
「何なら、口がきける程度にもう一度痛めつけてあげようか」
ジクスは右手を拳の形に突き出す。レキとトリトスはその剣幕に、叱られる直前の子供のように首を引っこめる。
あと一言、ナザルが何か余計な言葉を付け加えれば、ジクスは言葉通り相手を叩き伏せるだろう。見た目は華奢でもレキを抱えて振り回すような怪力の持ち主だ。殴られたらそれこそ、その辺りに転がっている長椅子のように無惨な姿をさらす羽目になるだろう。
凄絶な微笑に死刑宣告をされながら、ナザルは大きく息を吐く。炎のような怒りを前にしても彼は落ち着いていた。
「俺が悪かった」
言って、両手を上げて老剣士は敗北宣言をする。それでもジクスの怒りは収まらず、半歩近づく。
待てと片手で制し、ナザルはひとつ息を吐いて呼吸を整える。
「簡単に言えば、ジクス、おまえらしい人物がこの大陸中に出没しては村や町で殺戮を繰り返している」
「それはまた、ずいぶんと物騒な話だね」
「被害は大小様々だが、四年前は山間の小さな町が焼失した」
「どうして、それが僕だって思うの」
「おまえならできるからだ」
「僕が犯人という点は確定なんだね」
「違うなら、犯人を捕まえてこい。いや、捕縛する必要もない。その場で叩き伏せてくれ」
レキはナザルの物言いに口中で小さな悲鳴を上げる。彼の言っていることは明らかに冤罪で、過剰な要求に思えた。
何より、そんな事件が連続して起こっていることをレキは初めて知った。もちろん彼が知らないだけで、各地では戦の余波や盗賊の襲撃で村や町が地図上から姿を消すような事例は珍しくない。
それでも、少なくともこの二年、ジクスはそんな虐殺行為は行っていない。街中で気に入らない人間を顔の形が変わるまで殴り飛ばして壁に穴を開けるような真似はしょっちゅうだが、結果的に相手が死亡したことはあっても、最初から殺すつもりで他者と相対することはほとんどなかった。
ジクスは殺人を忌避しないが、進んで殺しはしない。
この二年はそうだった。とはいえ、出会った当初のジクスはまさに殺人鬼だったし、それより過去は知る由もないが。