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その名前の意味を、まだ知らなかった①

 その名前の意味を、まだ知らなかった①



 轟音。

 波のように音が全身を打つ。

 耳慣れないそれが轟く度に、場にいる者が一人、また一人と後ろに引っ張られるような格好で吹き飛ぶ。肉体は受けた衝撃に血と内臓と脳漿といった、ありとあらゆる液体を噴きだし壁や床に奇怪な絵画を描く。

 再び、轟音。

 レキの側にいた男は、胸の辺りに巨大な穴を開け、倒れる。吹き飛んだ血がレキの顔を赤く濡らした。頬から口元へ流れる粘度の高い液体が顎を伝って床に落ち、絨毯に濃い染みを作る。

 ぬるついた血の感触を気持ち悪いと感じていた。だが、レキにはそれをぬぐう気力はなかった。

 呆然としていたことに加え、単純に、彼は身動きが取れなかったのだ。

 身体のあちこちが痛む。先ほどまで、彼の周囲で面白いようにばたばたと倒れて行く男たちに散々殴られ、足蹴にされたせいだ。右肩を下にした格好のまま床に倒れ、指先ひとつ動かない。顔もひどく腫れ上がり、まぶたはほとんど上がらない。意識がもうろうとして視線も定まらず、レキはその格好のまま、敷物のように情けなく転がっていた。

 どうにかして目だけ動かすと、視界の端に自分と同じように倒れている少女がいた。身につけていたのは下着だけだったが、それすらもボロ切れ同然の有様。

 投げ出されたままの素足を汚す赤を見て、彼は目をそらす。

 不意にわき起った、いや、ぶり返してきた怒りに思わず叫び出したくなったが、喉から漏れたのはうめくような声だけだった。

 レキを無視して殺戮は続く。

 人が、まるで見えない拳で殴られるように吹き飛ぶ異様な光景。だが彼はその正体を理解していた。

 拳銃。

 片手で携帯できる程度の大きさをした、鋼の器物。火薬の爆発力を利用して鉛の弾丸を飛ばし、標的を殺傷する武器だ。

 彼自身、幾度か見かけたことはあったが、まだ歴史の浅い武器のために普及率は恐ろしく低い。レキも実際に発射される様を見るのはこれが初めてになる。

 その希少な武器を振りまわしているのは、突然の来訪者だった。

 扉を蹴り破る勢いで突入してきたかと思えば、呆気にとられている者たちが誰何の声を上げる暇もなく、室内に銃声が轟いた。

 レキがその犠牲にならなかったのは、その時にはすでに倒れていたため相手の視界に入らなかっただけだろう。

 それほどに、容赦のない銃撃だった。

 十人近くいた男たちは、半分は自前の武器に手をかける前に銃弾を浴びて倒れ、残り半分は侵入者が銃弾を再装填している間に剣を抜くところまではこぎ着けたが、結局、末路は同じだった。

 拳銃使いは立っている者たちがいなくなると、軽い足取りで部屋を横切る。

 血を絨毯に染みこませている死体も、痛ましげな少女も、倒れたままのレキも完全に無視して。

 そうやって、ゆったりと闇色のマントをひるがえしながら、侵入者は凄惨な場には不釣り合いなほど穏やかな笑みを浮かべていた。

 と、甲高い悲鳴が上がる。

 声は数少ない生き残り。この屋敷の主だ。

 主人は突然の乱入者に声も出せず、かといって、逃げ出すこともできずにいた。恐怖に引きつった顔で豪奢な椅子の、その肘掛けにしがみついている。自身を守る壁がいなくなったことここにきてようやく叫んだのだ。

 元はその椅子に座り、自己主張の激しい装飾同様に威張り散らしていたのだが、最初の銃声に驚いて椅子から滑り落ちた後はメッキの剥げた安物飾りのように、情けなく表情を引きつらせたまま震えていた。

 と、拳銃使いが初めて口を開く。

「残念だったね」

 静かな、だが、凄惨な場にはまだ少し幼い響きさえある声。

「僕の機嫌が悪い時にたまたまそこにいた君たちには同情するけどさあ。君たちもそれなりのことはしたわけだし。ま、あきらめてね」

 表情こそ笑っているが、貼り付けたような笑みはどこかいびつだった。加えてどことなく演技過剰な棒読み口調で侵入者は語る。

 主人は相手の言葉を理解する余裕もないのか、見栄も体裁もなくひぃひぃと声にならない悲鳴を上げてわめき散らす。そうやって眼球がこぼれそうなほど目をいっぱいに見開き、青ざめた顔を巡らして周囲に助けを求めたが、彼を守るためにいたはずの者たちは、すでに肉塊となって転がっている。

 助けが来ないことを悟った主人は、歩みを止めない侵入者に精一杯の哀願をする。

 切れ切れで、声は裏返ってほとんど言葉になっていなかったが、おそらく「助けてくれ」「許してくれ」「何でもする」そんな類の言葉だったのだろう。

 主人まであと数歩というところで、拳銃使いは立ち止まると静かに鋼の器物を持ち上げた。

 手にした拳銃が再び咆哮を上げ、主人の頭は半分に吹き飛んだ。

 椅子にしがみついていた身体は衝撃に弾かれ、後ろに倒れこんで床の上を跳ねて転がったあと、そのまま動くことはなかった。

 くたりと力を失った身体を無感動に眺め、拳銃使いはくるりと踵を返す。

 何のよどみもない歩調。

 この室内にいたほとんどの人間を殺したというのに、まるで町の目抜き通りをどこかに向かっているようなそんな自然な歩みだった。

 相手の手腕と容赦のなさにレキは震えた。

 拳銃使いが命を破壊する様はむしろ穏やかで、速さはあったが感情の高ぶりや勢いとは無縁で、何かの作業のように軽快な動きだった。いまも転がっている死体を避ける足取りも、道に落ちている酒瓶をちょっと避ける、その程度にしか見えない。

 レキは倒れ伏したまま身を縮める。少しでも相手の意識や視界に入らないようにするために。馬鹿げた行為だったかも知れない。それくらい、今のレキは必死だった。

 ただただ、かたわらに転がっている肉塊と同じものにはなりたくなかった。それだけ。

 だが無情にも拳銃使いの足がレキの前でぴたりと止まる。

 まるで死刑宣告を受けたようにレキの肩がびくりと跳ねた。

 反射的に顔を上げてしまい、ちょうど相手と目が合う。

 レキを見下ろす瞳には、まるで感情の色がうかがえなかった。

 先ほどから感じていた、言い知れぬ恐怖が彼の中で大きくなる。

 目の前の存在が、まるで得体の知れない生物のように思えた。ありえないものが何かの力を受けて動いているような、そんな馬鹿げた想像が脳裏をよぎる。

 歯の根があわず、かちかちと小刻みに音をたてる。

 この惨劇の場で、相手が返り血を一滴も浴びていないことに驚愕する余裕もなかった。

 そしてそれだけの恐怖を覚えて顔を赤いまだら模様に染めながら、レキはそれでも相手から視線を外すことができなかったのだ。

 そうやって、どれだけ相手と視線を交えていたのか。時間としては、ごく短かったのだろう。先に顔を背けたのは、拳銃使いの方からだった。

「生きていたいなら、僕が出て行くまでそこを動かないことだね」

 少し疲れたような声で告げると、振り返りもせずに歩き出す。

「え……?」

 唐突に、命の手綱が自身の手に戻されたことにレキは呆然とする。思わず相手の行方を追いかけようと顔を動かした途端、身体は肩から崩れ、情けなく床に顎を打ち付けてしまう。毛足の長い絨毯のおかげでさほど痛みはなかった。

 そこが、彼の限界だった。

 だんだんと意識がぼやけてきた。視界が狭くなってくる。思考が混濁し、ここがどこかもわからなくなってきた。

 強烈な睡魔にも似た感覚に襲われながら、それでもレキは顔を上げる。

「何で……なんで、殺したんだ……」

 確かに、ここにいる者たちは、殺されても仕方のないくらい卑劣な人間ばかりだった。自分もその末端に属していたことは棚に上げて。いや、その場にいたからこそ、彼らのやりようには吐き気すら覚えた。

 倒れ伏したまま、身じろぎひとつしない少女。

 助けられなかった。いや、レキが勢いだけの正義感を振りかざし、少女に手をさしのべたからこそ、さらに少女は痛めつけられた。

 彼の目の前で。

 レキを踏みつけながら、悲鳴を上げる少女を壊していった。

 笑いながら。

 そうやって、怒りと憎しみと無力さに、身体を引き裂くほど声を上げていたレキを嘲笑うように、侵入者は彼にできなかったことをたやすくやってのけた。

 殺してやると罵っていたレキの代りに、彼が欲した強大な力を振りかざし、男たちを屠ってみせた。

(ああ、そうか……)

 すっと、呼吸が楽になる。

 もやもやとした気分に何かが入りこみ、レキは鉄さびくさい空気を吸いこんで吐き出す。

(俺はこいつらが殺されたことが嫌なわけじゃない。自分の手で、何もできなかったから……)

 先を越されたことを悔やむわけではない。

 いくら自分の無力さを恥じたとしても、勝たなければ、力がなければ何も変えられないのだから。

 レキはほとんど無意識につぶやく。

「ありがとう、な」

 侵入者はレキのやりたかったことを最大限に拡張して行動してくれた。まるで彼の思いを具現化したように現れた存在にレキは称賛と感謝の念を向ける。

 悔しさはあるが、それ以上に、喜びが勝った。

 まぶたは重く、頭も少しずつ下がってくる。

 だから、相手が足を止めて振り返ったことにも気づかなかった。

 侵入者は倒れているレキをじっと、それこそ観察でもするように眺めた後、何かを言いかけて口ごもり、少しの沈黙の後、ようやく口を開いた。

「………………かい?」

 声は、かろうじて内容を聞き取れる程度のものだった。

 レキの頭は相手の言葉を聞くか聞かないかのうちに意識が落ち、まぶたもならって閉ざされる。

 それでも、意識を失う一瞬前に、レキは侵入者の質問に答えた。

 答えて、内容も何もかも忘れてしまった。


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