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「でも、渡す前に僕はいなくなった」

「でも、渡す前に僕はいなくなった」



 向かう先が爆発の中心地点付近だった。

 ひとつ角を曲がるたびに破壊の度合いが高まり、爆風の衝撃に家屋の屋根は破れ柱は傾き窓は吹き飛んでいる。

 通りを進むにつれ生者よりも死者の数が増えていった。

 最初はレキも死体を見るたびに足が止まりそうになったが次第に慣れていった。無視することはできなかったが、どうにかして意識の外に追い出そうと懸命に頭を真っ白にして足だけを前に進めた。

 衝撃に吹き飛ばされ壁にめりこんだ者。煙と熱に力尽きた者。吹き飛んだ瓦礫の直撃を受けた者。死体の状態は様々だった。生者の状況も同様で、遺体にすがって泣き叫ぶ者、瓦礫の中から聞こえる声を頼りにうずたかく積もった建材を掘り起こしている者。力無く座りこみ、どことも知れない場所に視線を固定させている者。

 共通点は誰もが傷ついていること。さらに生き残った者たちを追い立てるように崩れた建物から炎が螺旋を描いて立ち昇り黒煙が渦を巻く。そんな炎の通り道になっている場所をジクスは飛ぶように駆け抜ける。その背を時に煙で見失いそうになりながらも追うレキは、このままジクスに付いて行くと気づかないうちに自分も死者の仲間入りを果たすのではないかと不意に思った。

 自身の死を意識したころ、すでに彼は周囲にいる死者の群れを光景としてとらえ、意識しなくなっていることに気がついた。悼む気持ちが消えたわけではない、ただそういうものとして慣れてしまった。

 破壊の渦は続いている。それどころか、さらにひどくなっていた。次第に道が崩れた家屋とそこから吹きだす炎に阻まれてしまう。彼らは通りを進むのをあきらめ方向だけをたよりに崩壊した家屋の上を走った。

 幸いにもレキは死神に連れて行かれる前に目的地へたどり着いた。完全に景観の変わってしまった街の中、目印を見つけたジクスに関心する。

 事前に教えられていたのは、ある家の敷地内に生えている大木だった。その木は爆風を受けたのか斜めに傾き、枝葉をもぎ取られて棒のような姿になっている。

 目的地であるトリトスの自宅は屋敷と呼ぶのがふさわしい大きさだった。

 過去形になったのは、家屋が無惨に崩れ去っていたから。

「これは……」

 レキはこれまでも散々崩壊した建物を見てきたが、思わず足が止まる。

 屋敷は完全に倒壊していた。かろうじて玄関などの配置はわかるが、もう残骸としか呼べない状態だった。火の手はまだ上がっていないがそこかしこにくすぶっている煙が見える。何かの拍子に火がつけばこの瓦礫も炎に飲まれてしまうだろう。

 ジクスはひしゃげた門の前で唇を噛みしめると猛然と駆け出す。瓦礫の山を、階段を一足飛びにして昇る勢いで走って頂上まで登り、厳しい眼差しで屋敷の壁と屋根と柱が混然となった足下をにらみつける。

 ややあってから身をひるがえし、今度はしゃがみこんで瓦礫を掘り返しにかかる。その挙動も凄まじいもので頭ほどの大きさの石やその他の物がひっきりなしに飛ぶ。

 レキも手伝おうとしたが彼の側に近づくことができず、飛んでくる破片を避けながら周囲を探索する。

 そこにも遺体が多くあった。使用人らしき女性を見つけて引きずり出す。彼女の下からまとまった人数が見つかったので、同じように掘り出してなるべく崩壊した屋敷から離れた場所に並べた。屋敷の規模からしてまだ内部に何人か埋まっている、それどころか生きて救助を待っている者がいるはずだった。

 レキの嗅覚に焦げたにおいが届く。近くの倒壊した屋敷から火の手が上がっていた。じきにこちらにも燃え移るだろう。

 それまでに助けなければ待っているは圧焼死。生きながら焼かれてしまう。

 迫る熱を肌に感じながらもレキは身体の中が冷えるのを感じた。だが見下ろした手は、すでに手袋が破れて皮膚に細かな傷が走っていた。表面の瓦礫をわずかに掘り返すだけでこのありさまだ。自身の背丈の何倍も越える山を崩すには、どれだけの力と手がいるのか。

 ばちり、と火花の弾ける音にレキは我にかる。ジクスがどうしているのかと思って駆け戻ると、彼はちょうど太い木材に手をかけたところだった。

 崩れた梁の一部だろう、折れているとはいえひと抱えもある太さだ。しかも半分はまだ瓦礫に埋もれている。

 手伝おうと足を踏み出したレキを省みることなく、ジクスはわずかな隙間に半身を突っこみ、四つんばいの姿勢で梁を肩に乗せると一気に力をこめた。両足と片手で踏ん張り、奥歯を噛みしめる。

 いくら何でも無理だろうとレキは思ったが、口も手も出すことができなかった。

 そう思う心のどこかで、あるいは、もしかしてという考えも確かにあったから。

 ジクスの口から低いうなり声が漏れ、険しい顔には幾筋もの汗が浮かぶ。

 と、そこでレキは軋む音を聞いた。

 同時に、わずかずつだがジクスの上体が持ち上がっていく。梁が動いているのだ。

 肩が上がると、ジクスはもう片方の手も梁にかけると呼吸を整えるように一度止まる。

 息を吸い、止め、険しい顔でさらに力をこめる。

 もう見間違いでも何でもなく、巨大な木材は瓦礫の中から出てこようとしていた。

 そして裂くような声を上げ、ジクスは一気に立ち上がる。こめた力と梁の重さに両足が瓦礫にめりこんだ。

 ごぼりという音がして、梁は瓦礫の中から引きずり出される。

 細かな建材の破片をばらまきながらジクスは梁を持ち上げた。それは彼の身長を越えるほどの長さだった。屋敷を支える部材だけあって、重量などジクスとレキの二人を足してもまだ足りないだろう。そんな長大で重量のある物体をジクスは道具も使わずに引きずり出したのだ。

 レキが声も出せずに突っ立っていると、ジクスはまったくちゅうちょなく梁を脇へ捨てる。木材が地面に落ちる衝撃が離れているレキの足下にまで伝わってきた。

 そのままジクスは一息もつかず、また瓦礫を掘り返す作業にかかる。

 レキは呆然とその様を見ているだけしかできない。せまる火の手を彼に教えることも、生き埋めになっている者を探しに行くこともできなかった。

 ジクスの背が半ばまで埋もれた時、彼の動きが止まった。

 そこでレキもようやく硬直から抜け出して息を吐く。それでも、口は縫いつけられたように声を出すことを拒否したが。

 レキの聴覚に呻き声が届く。苦痛を訴える声はジクスのものではない。

 声が聞こえるのは瓦礫の山、ちょうどジクスが掘り返しているあたりだ。

 助けを求める声にわずかばかり冷静さを取り戻したレキが動くと、気配を察したのか鋭い声が上がる。

「来ないで!」

 ジクスの苛立ちを含んだ声にレキは足を止める。

「ジクス……?」

「来るな! ーーーいや」

 叫んだ後、ジクスは言い直した。

「……お願いだ。二人だけにして欲しい」

 声が震えていた。だがレキはそれに気づかないふりをして後ずさる。

 二人ということは、ジクスは目的の人物、トリトスを見つけたのだろう。

 同時に、もう、手遅れだったのだ。

 レキはゆっくりとあとずさる。

「わかった……」

 そう答える以外、言葉を見つけられなかった。



 ジクスから離れたレキは、ひとりで瓦礫掘りを再開した。

 だが成果はかんばしくなく、生存者を見つける前にトリトスの屋敷にも火がついた。どうする、と次の行動を考えていた時、ジクスが戻ってきた。彼一人だけだったのを見てもレキは何も言わなかった。

 代わりにちらりと別の方向に視線を向ける。屋敷を蹂躙する火の手がすぐ近くまでせまっていた。このままではじきにこの辺りも炎に包まれるだろう。

 ジクスは包囲網を狭めてくる炎には何の関心もないのか、うつむき、両手を固く握りしめて棒のように突っ立っている。

 日は中天を少し傾いた頃だが、暗色の煙が陽光をさえぎりひどく暗い。だが炎の熱気にあぶられてむき出しの顔や腕がちりちりと痛んだ。

 このままここに留まっていては二人とも焼け死んでしまう。そう思ったが、レキは肩を落とすジクスに声をかけられない。

 やがて沈黙を保ったままジクスは歩き出し、レキも黙って追いかける。

 炎は屋敷の半ばまで及んでいた。押し寄せる熱気で肌が痛い。熱く焼けた壁が崩れ、とうとう炎は瓦礫の山を火の山へと変えた。

 二人とも振り返ることすらしなかった。

 歪んだ門扉を抜けて彼らは炎を避けて進む。そうやって道と家の区別がつかなくなった街を抜けてようやく肌に触れる風に冷気を感じ始めた頃、不意に足を止めたジクスがぽつりと漏らして振り返る。

「トリトスが渡したいものって、これだったんだ」

 ジクスはそれまで握りしめていた手を開く。そこにはガラス玉を繋げた首飾りがあった。様々な色ガラスが連なり、先端には涙滴型の飾りが付いている。

 飾りのガラスは色が混ざりきっていないのか、角度によって青や緑、透明にも見える。

 首飾りには、血がついていた。

「子供の頃、僕に渡そうと思って買ったんだって。この飾りが、僕の瞳の色と同じだったから……」

 うつむいているため表情は見えなかったが、髪の間からのぞく口元は、わずかに笑みの形に歪んでいる。それも、どこか疲れたような笑みだ。

「子供の小遣いだから、買えたのは気泡の混じった不良ガラスの安物飾り。でも、その時に手が出せる最上級の飾りで、僕に似合うだろうってこれを選んだ。これを持って僕に結婚を申し込むつもりだったって。誰かに先を越される前に、先に言ってしまおうって……言えって、ナザルが助言したらしいよ。多分、相手が僕だってことは知らなかったと思うけど」

 ジクスは初めて顔を上げる。いつもの、表面上はそう見える穏やかな表情。

「でも、渡す前に僕はいなくなった」

 再び首飾りを握りしめると、途端にその顔が歪む。なのにまだ無理に笑おうとしているせいでひどく滑稽な顔に見えた。

 やがてジクスの口から低い笑声が漏れ、次第に大きくなる。終いには腹を抱え上半身を折って笑う。

 どこか調子外れに響く笑声にレキは寒気を覚え、思わず叫ぶ。

「ジクスっ!」

 ぴたりと声が止まる。ゆっくりとジクスは身を起こすと、何事もなかったように笑ってみせた。

「大丈夫。僕は正気だよ」

 言葉にまだ壊れた笑いの残滓を漂わせながら、手の中の首飾りを揺らめかせる。次いで、今度はもう一方の手を開いて見せた。

「ほらこれ」

 差し出されたものを見て、レキは息を飲む。手の中にあったのは大粒の宝石だった。眼球ほどの大きさのそれは、手の上で浅緑に輝いている。石の価値をレキは知らなかったが、これほどの大きさとなると値段がいくらになるのか見当もつかなかった。

「また僕に会えたら、今度こそ本物を渡そうと思ってこの石を手に入れた。どんな首飾りにするかは、いまの僕を見て考えようと思ってたんだってさ」

 ジクスは宝石を指でつまんで掲げ、灰と煙で濁った空に透かす。その目にどこか剣呑な色が浮かんだ。

「本当なら、感激のあまりに滝みたいに涙を流したいところなんだけどね。泣きたい時に涙も出ないってこういう時に不便だよ」

 瞳に危険なものを秘めながら、ジクスは隣に立つレキに微笑みかけ数歩前に出る。通りはもう道とも呼べない惨状になっている。黒い煙と熱が漂ってきた。逃げてきたこの先に火が追いついてきたらしい。

「街がこんなになって、たくさんの人が死んでもさ、正直、どうでもいいよ。僕がいま考えているのはトリトスのことだけなんだ。ちくしょう。あとは、どうなってもかまいやしないってのに!」

 言葉の後半は怒りに満ちた叫びだった。

 全身から背後に迫る炎にも負けないほどの怒りを噴き出し、ジクスは非難の声を上げる。

 誰かではなく、すべてに対してその怒りは向けられていた。自分自身に対しても呪いような絶叫は続く。

 そうやって叫ぶジクスをレキはどこか遠くに見ていた。常にない様子の相方に声をかけられずにいたレキの中には二種類の感情があった。

 一方は驚愕、もうひとつは安堵。

 ジクスは他者に対して素っ気ない方だ。冷徹というわけではないが、関心が薄い。

 傭兵なんて職業をやっていることを差し引いても、どこか一線を引いている個所がある。

 にこにこ笑って愛想は良いが、そうやって相手に最後の一線は踏み越えさせない。

 誰にも心を許さず、内心を吐露することはない。

 それなのに、今のジクスは昔の仲間の死に喉が破れそうなほど叫んでいる。涙こそ流してはいなかったがこの叫びは涙の代わりではないかと思った。

 泣かないのではなく、泣けない

 今のジクスは、むしろ泣いた方がましと思えるほどに痛々しい様だ。

 人は所詮、ひとりよがりな生き物だ。自分の知らない人間が百人死ぬより、身内や知り合い一人が怪我をする方に心を痛める。

 爆発させている感情は、人としてごく当たり前ものだ。

 そんな姿に、レキは自分に近いものを見た。人間らしい感情の発露。

 ここまで取り乱し、感情を露わにするジクスを見るのは初めてだった。

(ーーー化け物)

 昨晩、老剣士に言われた言葉が甦る。

(そう罵るのは簡単だ。けどよ、あいつがそれだけじゃないってことは俺もわかる。少なくとも今は、おまえと一緒にいようとしているみたいだな)

 この二年、もう腕が立つとか力が強いとか、そんな言葉ではすまされない異常さを散々見せつけられてきた。さすがにある程度は慣れてきたが、それでも常に何か得体の知れない異質なものと接しているような感覚が離れなかった。

 そんな存在が、人の死に対して悔しい、嫌だと弱音を吐いている。

 ジクスが取り乱す様に、レキの胸中は純粋に新鮮な驚きに満ちていた。

 人の死に対して悲しむ姿を見て安心するのはひどく不謹慎だと自覚はしていたが、初めて見る相方の弱々しい様に、レキの中を切なくも暖かいものが満ちた。

 それでも、悲しみに取り憑かれた人間にかける言葉をレキは見つけられず、ただ彼の隣に立ち尽くしていた。


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