その名前の意味を、まだ知らなかった③
その名前の意味を、まだ知らなかった③
「はいよ!」
「どわあっ!」
無造作に投げ落とされ、レキは縛られたままだったので受け身も取れず、為す術なく地面を転がる。
「じゃあね。好きなところに行きなよ」
言って旅人はレキの横を通り抜けて歩き出す。
放り出された場所は、村から出てしばらく歩いた丘の上。何もないといえば何もないが、少なくとも殺気立った村人はいなくなった。
立ち去る背中に向かってレキはもがく。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
「何だよ。命助けられただけじゃ不満なのかい。悪いけど、これ以上は面倒見きれないよ」
言いながらも足は止めない。
その背に向かってレキは必死で叫び続ける。
「おい! 待ってくれって!」
「ーーーなに?」
二度目の呼びかけで、ようやく振り返ってくれた。だが表情に不機嫌さを隠さない。
「その……」
「僕が君を助けたのは、ただの気まぐれだよ。せっかく見逃してあげたのに、勝手やってる村の奴らが許せなかっただけ。だからこの先、僕の視界の中で死なないならもうどうだっていいよ」
レキの言葉をさえぎり、旅人は投げやりに、しかし一気に言葉を吐き捨てる。妙に苛立っている様子だったが、レキにはひとつだけ言っておかなければならないことがあった。
「あの……」
「なに、何かまだある?」
「な、縄を解いてくれっ!」
旅人は数秒間、瞬きもせずにじっとレキの姿を眺めたあと、一転して表情を変えて目を丸くする。
「このままだと君、縛られたまま日干しだね」
さらりと不吉なことを言いながらも縄を解いてくれた。レキはきつく縛られ、すっかり強張ってしまった手首をさする。
「それにしてもさ、何で君は村人に私刑にされそうになってたの」
旅人はぽいと道の脇に縄を捨てるとレキに向き直る。どうやら不機嫌の虫は去ったらしい。足も止まってしまった。
「俺があの領主の仲間だったからな。そりゃあ、恨み言のひとつも言いたくなるだろうよ」
「自分たちもその領主の横暴に黙って従っていただけじゃないか。せっかく君が娘を連れ帰ったのに、冷たい奴らだね」
「けど、そこで手放しには喜べないだろ……って、何で知ってるんだよ」
まるで見てきたような口ぶりだ。そこに気づいてレキが突っ込むと、当人は涼しい顔で、
「見てたからね、ずっと」
と、こともなくそう答えた。
「え……ずっと……?」
「君が娘さん抱えて城を出て、村で私刑になる寸前まで、ずっと」
あっさり答える様子にレキは呆然とするが、ややあって我に返る。
「……何でそんなことしてたんだよ」
レキは、反射的にそう尋ねてしまう。それに見ていたのなら先ほどの質問は無意味だ。
疑念を顔に浮かべるレキに、旅人の方はあっさり答える。
「暇だったからね。君がどうするのか眺めるのも面白そうだと思って屋根の上で見ていたんだ。ほら、人間って、自分の目線より高い場所にはなかなか注意を向けないから、良い観覧場所だったよ」
屋根の上が特等席だと言われても、その真下で村人に締め上げられていたレキとしてはよかったね、とは言いにくい。
そもそも見物して楽しい催しではない。
「君さ、どうして村の奴らに言い訳しなかったの。そりゃ、頭に血が上っている奴らに言ったところで逆効果だろけど、僕だったら相手を殴り飛ばしてでも話を聞かせるけど」
「殴る……は無理だけど。俺は助けられなかったから、だから……しょうがないって」
「思ったんだ、そこであきらめたんだ! うわ、さいてー。自虐趣味の人?」
旅人は嫌そうに眉根を寄せると、馬鹿だねと笑う。
率直な物言いに腹は立ったが、顔をしかめただけでレキは嘆息する。
「あの子の世話をするのが俺の役目だったんだ。ひどくおびえてた。当然だよな。だから、どうにかして助けようって思って、連れ出そうとしたけど、見つかって……」
「馬鹿な真似をしたよね。そんなのすぐに捕まって終りだよ」
確かにすぐだったな、とレキは肩を落とす。自分なりに計画を立てて少女を連れ出そうとしたのだが、結果としては屋敷から出ることすらできなかった。
「ていうか、僕があそこに踏み込まなかったら君だって今日まで生き延びたかわからないよ」
そこも正論だった。旅人が現れなければレキはあのまま領主の手下に嬲り殺されていただろう。
仮にあの場を切り抜けて少女を助けられていたとしても、村の様子を見る限りでは自分に手を下す相手が変わるだけで結末は同じだったはずだ。
恩人か、とレキは改めて旅人の姿を眺める。
緩やかな風になびくやわらかな金髪。木々の緑を写したような翠玉の瞳。
顔つきだけを見れば女性と見まごうばかりの線の細い造作をしている。体つきも華奢で、とてもではないがマントの下からのぞく無骨な拳銃を振り回すようには見えない。
だがしかし、自身をここまで小荷物のように抱えて運んできたのは事実だし、鋼の器物と暴風じみた勢いで他者の生命を破壊する様も目の当たりにした。
そこでレキは、初めて相手に疑問符を浮かべる。
先ほど自分で女性のように見えると思ったが、では男女どちらなのかということで首をかしげてしまう。
だがその疑問を解消する前に笑みを含んだ声がかかる。
「でも、馬鹿なことをしたと思っても、後悔はしてないんでしょ」
座りこんだままだったレキは上から落ちてきた影に思考を中断し顔を上げる。
予想より近くにあった相手の顔は、面白いものを見つけたように輝いていて、レキは自分が見世物になっている気がして口をとがらせる。
「何でそんな風に言い切れるんだよ」
「君みたいな奴の考えることは手にとるようにわかるよ。僕が理解できないのは、何でそんな正義感に満ちた若者が、あんな見るからに悪徳領主なんて救いようのない奴に仕えていたかってことだ」
そこか、と近すぎる顔から半身を引いてレキは息を吐く。
「村を出たんだ」
言って、裾を払って立ち上がる。身に着けている衣服は砂以上に血や別のもので汚れていたのだが。
「けど、仕事がなくてすぐに食うにも困るようになって……そこで、声をかけられたんだ」
「で、やって来た先で落ちぶれたと」
「……身もふたもない言い方だな」
「だって、実際そうじゃない。血気盛んな若者が、そのあまりまくった衝動のままに生まれ育った村を飛び出した挙げ句、悪徳領主の用心棒。いやもう、冗談かってくらいの転落人生だね」
レキは反論できずに押し黙る。不機嫌な様を見ても相手は何も気にせず彼の周囲をゆっくりと回る。ふらふら動いている相手が自分より少しばかり背が高いことがわかって何となく腹が立った。
「ひとまず生き延びたわけだけど、領主は僕が殺しちゃったから失業ってことだね。金もないし食料もない。野宿して死ぬような気候じゃないけど、色々と絶望的だ」
言われなくともわかっているが、こうしてひとつひとつ言葉にして突きつけられると、命が助かったことを素直に喜べる状況ではない現実に肩が重くなる。
「だから、死のうとしたの?」
どういうことだ、と相手の顔を真正面から見据える。
「娘さんを助けられなかったのを悔やむ気持ちはまあ、わからなくもないけど、そもそも、そんな真似をする領主に娘を渡したのは村の人間だ。君がそこまで悲観的になる必要はない。なのに君は村人に捕まった時、あきらめただろ」
長広舌の間に詰め寄られ、レキは半身を退くが引いた分だけ旅人は迫ってくる。
翠の瞳が、じっとこちらを見ている。自分の姿が映っているのが確認できるほど近くに。
「君があきらめたのは、助けられなかったからじゃない。君は生きていくのが面倒になって楽になろうとしたんだ。そうやって一人で悲劇ぶって命を投げ出すところが気に入らない。潔くなんかないよ、ていうか情けない。逃げ出す根性あるなら村人の包囲網を突破して娘さんをさらってさ、そのまま故郷にでも帰ればよかったんだよ」
かわいいお嫁さん付きならバカ息子でも親は迎えてくれるだろ、と旅人は鼻で笑う。
「っ、今さら戻れるか!」
「男たる者、一度飛び出したからには名を挙げるか金持ちにならないとってか。つまんない見栄だね」
やれやれと大仰な動作で肩をすくめてみせる。レキにしてみれば、いくら命を助けられたとは言え、会ったばかりの人間にここまで言われる筋合いはない。
言い返そうと息を吸い込んだ途端、ぴしりと指を鼻先に突きつけられ、吐き出そうとした言葉をそのまま飲み込んでしまう。
「ただまあ、助けたからには僕も助言してあげる。君、傭兵になりなよ」
「は? 傭兵……?」
「君さ、用心棒やるくらいだから、そこそこ剣が使えるんでしょ。ここから一番近い街はベルネだから、あそこなら傭兵ギルドの支部があるから登録できるよ」
「傭兵っ、そんなのならず者とどう違うんだよ」
レキの反応は世間一般での感覚だろう。それに領主に仕えていた者たちも広義では傭兵になる。彼が眉をひそめるのも無理はない。
しかし旅人は腰に手を当てると得意げに笑う。
「んっふっふっ。その認識は古いよ。今はちゃんと傭兵ギルドってものが存在しているんだよ」
「傭兵、ギルド?」
「そう。傭兵というならず者集団を統轄するための組織だよ」
「……そんなものがあるのか」
レキは素直に驚いた。
もっとも、彼が驚愕したのはそんな厄介者たちを管理しようと思うような酔狂がいたという点だが。
「そりゃ、派遣される傭兵はピンキリだけど、実力は大まかにランクわけされてるから、希望者はそこを目安に選ぶわけだ。それに、君が思うほど裏切り行為は少ないよ。与えられた仕事をないがしろにすることは、即座に自分の信用や報酬に関わってくるからね」
「くわしいな。ていうか、おまえはその傭兵ギルドの勧誘員か何かか」
「もしそうなら、登録用紙でも差し出したいところだけど。残念ながら違うよ」
傭兵、か。
レキは口中でつぶやく。
旅人の言うことを全面的に鵜呑みにはできないが、確かに魅力的な提案に思えた。現実問題、大きな街に出れば仕事の口くらいすぐに見つけられると思ってはいたが、それでも不安は残る。それなら手段のひとつとして傭兵の登録を考えてみるのも悪くない気がしてきた。
つい先ほどまで、生きることをあきらめかけていたというのに自身の切り替えの早さには少しばかりあきれたが、目の前で傭兵課業の利点を笑顔で語る旅人を見ているとどうでもよくなってきた。
ひとつ息を吐き、レキは気分を少し軽くなった頭を上げる。
「俺も、なれるのか?」
「特に年齢制限はなかったと思うよ。あとは君のがんばり次第かな」
どうする、と旅人は面白そうに目で問いかけてくる。
「……やるよ。俺は傭兵になる」
言葉を口に出しただけでは何かが変わるわけではなかったが、少しだけ道が開けたような気がした。
少なくとも、自分は生き残ったのだ。だからもう少しだけあがいてみよう。
「よし、決まり。じゃあとりあえず支部のある街に行こうか」
早速とばかりに旅人は先だって歩き出し、レキもそれを追いかける。
先ほど置いていこうとした背中の後ろを歩くなんて、それこそ予想していなかった。
「なあ」
隣に立って声をかける。今度は無視されず、即座になんだい、と返ってきた。
「その……助けてくれて、ありがとうな。本当言うと……殺されるのは……死ぬのは、怖かったんだ」
旅人は歯切れの悪いレキの言葉に、にこりと笑う。
「それが自然な反応だよ」
毒も含みもない笑顔にレキは肩の力を抜く。そこでようやくあることに気がついて相手に向き直る。
「あの、俺はレキ。まだ、その、命の恩人の名前も聞いてないんだけどさ」
名前を教えてくれと言った途端、旅人は表情を曇らせる。
晴天から曇天へ急転直下した態度に少し戸惑うが、旅人は顔を少しずらしてレキの向こう、森か空かわからない虚空へ視線を向ける。
ややあってから、雨だれが落ちるようにぽつりと漏らした。
「……僕の名前、何だと思う?」
今までとは打って変わった抑揚のない物言いにレキは相手の言葉を聞き逃しそうになった。
「は? いきなりそんな謎かけふっかけられても……」
「そんなご大層なもんじゃないよ。ただ聞いてるだけ」
「知るわけないだろ。村の奴らには名乗ってたのかも知れないけど、俺は聞いてないし。もしかして、俺がお前の名前を当てるまでずっと名無しで通すつもりかよ」
めんどくせえとレキがこぼすと旅人は少し考えるように首をかしげる。
「うーん、そうしても面白そうだけど、きっと君は当てられないと思うな。じゃあ、ジクスとでも呼んでよ」
「本名は別にある、とでも言うのかよ」
「名前はいくつもあるよ。でも本物なんてないから、いつも相手の好きに呼ばせているんだ」
「じゃあ、この名前は思いつきか」
「ううん、昔ね、僕を拾った人がつけてくれたんだよ」
以降、レキは彼をその名で呼び続けることになる。