はじまりはいつも通り
はじまりはいつも通り
「動くな」
ありきたりなセリフだが。告げられた内容よりも、それと同時に突きつけられるものに対して人は恐怖を覚え、言葉通りに動きを止める。
そう、大抵の人間は、頭に銃を突きつけられたら止まるもの。だがその人物は例外中の例外だった。
「あー、レキ。その魚のフライ、僕にちょうだい」
「……おう」
レキと呼ばれた青年は、背後に視線を固定させながら、それでも皿は相方に向かって差し出す。本音を言えば、最後のフライは自分も欲しかったのだがこの状況ではそうも言ってられない。
レキからフライをせしめた当人は、妙に幸せそうな顔をしてそれをほおばっている。
もぐもぐと、満足そうに咀嚼している。
後頭部に、銃口を突きつけられているというのに。
その余裕ある態度とは対照的に、拳銃を向けている男はどこか貧相な印象で、常に周囲をちらちらと忙しなく視線をさまよわせている。
混み合った昼間の食堂でいきなり銃を抜けば周囲から注目も浴びるだろう。近くのテーブルにいた者たちはさりげなく逃げ出す準備を始めている。だがしかし、互いの声も聞き取りにくい喧噪の中、ほとんどの人間はまだ事態に気づいていない。これが剣を抜けばまた話は別だったのかも知れないが、銃は武器としては認知度が低く、実物を目にした者の方がまれだ。さらに男が持っているのは手のひらにすっぽり収まるような小型の単発式銃。何をやっているのか端から見ていると、非常にわかりづらい。
それでもさすがに本人が認識できない、というか、何の反応も返さないのは男にも想定外だったらしく、いまだに食事を続けている相手に向かって怒鳴りちらす。
「いい加減にしろ! おまえ、聞こえてないのか?」
喧噪にも負けない声だったが、悲しいかな、語尾が微妙に震えていた。
「うるさいなあ、食事中だよ。店内ではもっとお静かに」
まるで相手のあせりはお見通しとばかりに、レキの相方は今度はパンに手を伸ばしながらのんびりとした受け答えをする。
「静かにって……ジクス、おまえさ、自分の状況わかってんのか」
恐る恐るレキは訊いてみる。
対して相方であるジクスからの返答は、いたってあっさりしたものだった。
「うん、頭に銃を突きつけられてるね」
「それだけわかってんなら、もう少し慌てるとかそんな感じの素振りを見せろよ」
無駄だと思いつつもレキはつい突っ込んでしまう。自分としてはさっさと片を付けたいのだが、相方がこの調子では埒があかない。
ジクスはもそもそとパンをかじり、薄いスープで流し込む。
「いやでも、ほら、よくあることだよ」
「よくあってたまるか!」
不毛な会話を展開している間に、どうやら男の方は多少なり腹が据わってきたらしい。先ほどよりもずいぶん落ち着いた様子で口を開く。
「おまえが〈拳銃使いのジクス〉だな」
「そーだよ。ていうか、銃を突きつけてから確認しないでよ。人違いで頭撃ち抜かれたら、さすがにしゃれになんないから」
言いながらも、ジクスは食べるのを止めない。
男の方は指摘された個所はきれいに無視して続ける。
「はっ、十人委員会幹部を殺したにしちゃ、ずいぶんな優男だな」
その言葉に、ジクスは初めて食事の手を止める。食べかけのパンをテーブルに置き、口中の物を飲み込んだあとで面倒くさそうに息を吐いて振り返る。
急な動作に男の方がたじろいだが、ジクスはまったく動じた様子もなく後頭部から額に移った銃口を意識せずに見上げてきた。
テーブルに肘をつき、さも疲れたと言わんばかりに顎を手に乗せる様に男の方が眉根を寄せる。ジクスが動いたからではない、彼の姿形に疑問を覚えたからだ。
座っていたのは金髪に翠玉の瞳が印象的な人物だが、そこで男は首をかしげる。
相対している人物は、どうにも男女の区別ができない容貌をしていた。細い金の髪が縁取る顔の線はなめらかで、そこから続く首や肩も細く胸は薄い。全体的に華奢な印象をしている。黒革の簡素な防具とマントを身につけているが、服装のいかつさの割には中身が幼く見えた。
自分で優男と言っておきながら、男は疑問符を浮かべて硬直する。
「あのさー。ひとつ訊くけど。それ、何年前の事件なのか知ってる?」
細い眉をしかめながら発した質問に、男は答えが見つけられないのか戸惑うように視線をさまよわせた。
男の答えを待たずにジクスは先を続ける。
「なんと! 今年で二十五年だよ。記念に式典でも開きたいくらいの数字だね。で、二十五年前というと、ほら、ここにいる僕の犬もまだ生まれてないよ」
言って、ぴしりと対面に座っているレキを指さす。
「誰がおまえの犬だ」
犬呼ばわりされ、指まで突きつけられたレキは憤然とした顔で抗議の言葉を口にする。
が、最後まで言い切る前に、銃声が轟いた。
レキは耳の奥が痺れるような衝撃と音に、一瞬意識が遠のきかけた。遠のくどころか、本当に意識を失って倒れそうになったがどうにかして踏み止まる。
「犬は文句つけないの」
いつの間に出したのか、ジクスの手には大型の拳銃が握られていた。その銃口はレキに向けられている。先ほどの発砲音は、後ろの男からではなく、彼の持っている拳銃の方だった。
発砲したジクスは涼しげな顔で銀色の拳銃をくるりと回し、太股に装着したホルスターに収める。銃は自身の後頭部に突きつけられているのが玩具に見えるほど大型で、無駄はないが凶悪そうなフォルムを有している。
レキはそこまでの動作を呆然と眺めていたが、不意にさぁっと顔を青くして背後を振り返り、後ろの席に誰も人がいなかったことに安堵する。彼をかすめた銃弾は壁にめりこんで小さな穴を開けていた。
「ジクス! おまえっ、なんてことするんだよ!」
今さら遅かったがレキは思わず叫んで立ち上がる。
怪我人こそは出なかったが、さすがに店内は大騒ぎになっていた。銃の何たるかは理解できなくとも異変は悟ったらしく、客はばたばたと出口に向かって逃げて行く。
蜂の巣をつついたような騒ぎになっている店内で、その騒ぎを起こした張本人はいたって平然とした様子だ。
逆に、そもそもの元凶に当たる男はすっかりジクスの早撃ちに圧倒されたらしく、もう言葉も出ない有様だった。拳銃を突きつけた格好のまま動けなくなっている。
その引き金にかかった指にもう少し力を込めることを失念しているらしい。
「で、そんな二十五年も前の手配が今も生きてるのはびっくりだけど、その人物が本当に僕だと思うわけ」
銃口を向けられたまま、ジクスはためらいもせずにもう一度、男に向き直る。
その動きにまた男は大仰に肩を震わせる。だがどうにか踏み止まり、逃げ腰になりながらもいま一度、ジクスを頭の先からつま先までじっくりと眺める。
まず、顔。黙って微笑ませれば女性といっても通用しそうな線の細い顔立ち。美貌というほど際だったものではないが、金髪と、青緑の瞳の組み合わせが鮮やかだ。
しかし、顔から視線が下るにつれ、男は首を傾げる。
黒一色の旅装に包まれたその身体には、どこにも女性らしいふくらみやくびれは見受けられない。
かといって、男性的なわけでもない。確かに胸は薄いが、それは他の部分にも言えることで、全体的にほっそりとした肢体は成長期の少年のように手足がひょろ長い。
男はさらに疑問を顔に浮かべながら、また視線を顔に戻し、ますます首を傾げる。
今度は相手の年齢を計りかねたからだ。
とっくに成人は迎えているようだが、それ以上はわからない。
少なくとも、二十五年前に殺人を犯すには、少々、いや、かなり無理があるように思えてくる。
相手の心理状態がわかったのか、ジクスはにっこりと微笑む。またその笑みが妙に幼く見え、年齢不詳っぷりにますます拍車がかかる。
「ね、君も僕が犯人じゃないって思うよね」
男の方は「はい」や「いいえ」ともいえず、銃を片手に半歩下がる。だがその表情は明らかに迷っていた。
「おい」
突然の呼びかけに、男はびくりと肩を震わせる。あきらかに動揺している様子だった。
声を発したのは、妙に神妙な顔つきをしたレキだ。
「あんたさ、とりあえず逃げた方がいいぞ」
「は?」
男がその言葉の意味を考える前に椅子に座っていたジクスが姿を消す。
次の瞬間、疑問詞を顔に浮かべたまま男は顔面を蹴り飛ばされた。倒れた身体は後ろのテーブルを巻きこみ派手に転がる。幸い、周囲の人間はもう避難済みだった。遠巻きに眺めていた者たちの間から悲鳴と驚愕の声が上がる。
「レキ、ダメだよー」
ジクスは天井の梁にぶら下がりながらのんきに笑っている。ジクスは男の注意がそれた瞬間に椅子から飛び上がり、梁をつかんで振り子の要領で勢いをつけ、男の顔面に鉄板仕込みのブーツをおみまいしたのだ。
「敵に逃亡をそそのかすなんて、相方として失格だよ」
「いや、こいつもおまえの口車に乗せられた挙げ句に殺されたんじゃあ浮かばれねえだろうと思ってな」
結果として、レキの言葉に意識を向けた隙に男は蹴り飛ばされたわけだが。
ジクスは悪びれた様子もなく、梁から手を離して降りて来る。
「なに恐いこと言ってんだよ。僕は殺してなんかいないよ」
確かに、倒れた男は白目を剥いて、小刻みに痙攣している。水でもかければ目を覚ますだろう。
ジクスは男のかたわらにしゃがみこみ、ことさら楽しそうに話しかける。
「ねえ」
それは相手にしか聞こえない程度の声量。だが、相手の耳に届いていないことも承知の上だった。
「僕は君の言う通り、賞金首のジクスだよ。残念だったね、あそこでためらわずに引き金を引いていれば、君は今頃、抱えきれないくらいの報奨金を受け取れていたのに」
さらに年齢不詳の笑みが深まる。だがその目がぱちぱちと、何かに気づいたように瞬く。
ジクスは無遠慮に男の前髪をつかんで持ち上げ、遠慮なく落とす。ごつん、と床で後頭部を打ちつける音にもかまわず、今度は男の手から小型拳銃を奪うとさりげなく自分の懐にしまう。そうやって男をひっくり返したりしながら眺めていた。
「おい、ジクス……」
その様子を見ていたレキは、相方が奪った拳銃を使って男を撃ち殺すのではないかと冷や冷やしていたが、それは杞憂に終わった。
ジクスがぱっと顔を輝かせて振り返る。
「この人の銃、盗難届が出てるヤツだよ! ちんけな犯罪だけど、この人と銃をギルドに突き出せば、明日のご飯代は硬いね!」
言って、嬉しそうに男の頭をぶんぶん振り回している相方の姿から視線を外し、レキは重い息を吐く。
「そりゃあよかった……」
レキは、適当に伸びた黒髪をかき上げる。目にかかるほど伸びた前髪に、そろそろ髪を切るか、とまったく場違いなことを思ってみた。
ただの現実逃避だということは、自分自身、痛いほど理解できたが。
レキとその相方ジクスは、職業は傭兵という名の自由業。争乱があれば馳せ参じて暴れ、用心棒の依頼があれば適度に威張り散らして他者を威嚇してみる。
他にも様々な悪事を働き手配された者たちを捕縛し、傭兵ギルドから報奨金を受け取る賞金稼ぎの真似もする。
得られる報酬は、金額が固定された賞金は別として、自身のランクによって大幅に上下する。ランクはEからSSクラスまで七ランク。ジクスはSクラスで、レキはBクラス。一般的に、Sランクまで登りつめるには相応の実力が必要とされる。
ジクスはその戦闘力の高さと、拳銃という珍しい武器を持っていることで〈拳銃使いのジクス〉と呼ばれている。
もっとも、本人的にはSSクラスだと自負している。レキと相方の実力は認めている。銃泥棒など、それこそ準備運動にもならないような相手だ。
そう、認めてはいるのだが、この相方には傭兵の他に、もうひとつ肩書きがある。
ジクスが資格を得て順調にランクを上げ続けて二年。レキは相方がその肩書きのため、いつ傭兵の資格が剥奪されて追う者から追われる者へ変わるのかと気をもんでいた。
肩書きの名称は、賞金首。
ジクスは傭兵ギルドの基本構造を構築した者たち、通称十人委員会幹部のひとりを殺害した罪で追われている。その懸賞金は、当時のギルドの年間運営予算。
手配から二十五年経過したが、傭兵ギルドに追加された賞金首がどれだけ凶悪な大量殺人犯や国を滅ぼした政治犯でもその設定金額を越えることはなかった。ゆえに、新人の傭兵はまず手配書の一番後ろに記載されているその存在を追い求める。
Sクラスの拳銃使いジクス。
二十五年前の殺人犯ジクス。
どちらが彼の本当の姿なのか、二年付き合っているレキはいまだに相手の正体を計りかねていた。