6 ダイダイヤ伯父さん
走れ、 走れ、 走れ・・・・
恐怖と、絶望と、自分への怒りが俺をつき動かしていた。
あの数のグレートハウンドが相手では両親が生還するのは絶望的だった。それにもかかわらず二人を置いて自分だけが逃げ出していることがどうしようもなく許せない。それと同時に、いつグレートハウンドが後方から追いついてくるのか恐怖にかられた。グレートハウンドが追いつくということは、既に両親が殺されていることを意味する。それがはっきりわかってしまうことが怖かった。
父や母を守る力を持たない無力な自分が許せない。もし成人の儀式さえ受けていれば二人と一緒に戦えたのに、今の自分にはその資格すらない。俺の胸にやるせなさや無力感が満ちているような気がして、どうにも息苦しく思考が鈍る。そんな中、次第に視界が明るくなっていることに気付く。
「はあっ、はあっ、はあっ、ようやく、・・・森を抜けた」
気がつくと木々が密集した領域を抜け、少しずつ木々が少ない場所に出た。森を抜ければ数時間ほど走ればキリ町へ着く。既に息が切れ、精神的にもまいっていたがそのまま走り続けた。少しでも休むことなどもちろんできなかった。
そのまま走り続ける。既に森を抜けて平地を走っていた。キリ町まであとほんの少しのはずである。その時、前方に誰かを襲っているスライムが見える。1匹のスライムが筋肉質の中年男とその娘らしき少女に襲いかかっている。中年男はどうやら既に2~3匹のスライムを倒しているようで、ドロドロの体液が地面や彼の服に飛び散っている。中年男は格闘士のようだ。格闘士は物理攻撃に強いスライムとは戦士に並んで相性の良くない職業だ。
既にスライムの2マートルもあるしなやかで巨大な体を使った殴打により格闘士はボロボロだった。娘は俺と同じく成人していないのか、何もできず中年男の後ろで心底不安そうに彼を見ている。中年男がスライムの突進を受けるたび息をのむ。
俺はその様子をみて、満身創痍だったが、傷だらけになりながらも背中の人を守るために戦うその姿に父と母の姿が重なり、気がつけば持っていたショートソードを抜いて戦いへ向かっていた。
「ヌキュキュ!?」
スライムは突如現れた俺の気配に気付き、迎え撃つ構えを見せたが、その隙を見逃さず中年男がスライムに掌打を放った。スライムの液状の体に掌打の振動が伝わり、スライムが体を震わせひるむ。俺はショートソードで突撃の構えをとり、そのまま勢いよくスライムの体に自分の体ごとショートソードをねじ込む。突っ込んだスライムの体中でショートソードをむちゃくちゃに振るとスライムのコアに触れたような気がした。夢中でそこに向かって剣を振ると硬いゼリーを切ったような感触がした。
「ピギュ!」
そのとたんスライムは体をのたうち回らせ、明らかに苦しみだした。俺はスライムが暴れた勢いで、スライムの体液でドロドロに濡れたまま外へ放り出された。勢いよく地面に叩きつけられた衝撃で俺の意識は途切れた。
―――――
目が覚めると、レンガ造りの家のベットで寝かされていた。
「おっ目が覚めたか。トキワ、具合はどうだ」
ここは・・・知ってる。ダイダイヤ伯父さんの家だ。ダイダイヤ伯父さんがそのクマのような顔で心配そうに寝ている俺の顔を覗き込んでいる。
起き上がろうとしたとき、体中を痛みが走った。そのとき、キリ町に向かう途中でグレートハウンドに襲撃されたことを思い出した。慌ててダイダイヤ伯父さんに訴える。
「ダイダイヤ伯父さん!お父さんとお母さんがグレートハウンドに襲われたんだ!す、すぐに助けに行かないと!」
しかしダイダイヤ伯父さんは顔を曇らせ俯いた。努めて感情を押し殺すような、小さな声で話す。
「・・・ああ、昨日お前が一人でこの町へやってきたと警備隊に気絶したお前を預けてくれた親子がいたんだ。警備隊の知らせが来て、黒髪蒼眼の特徴からすぐにお前のことだと分かったよ。急いで警備隊の駐屯所へ向かえに行った。ここへたどり着いたのがお前一人で、これはただ事ではないとすぐに警備隊と複数の冒険家に依頼してレイモンドとエリーさんを捜索してもらった。もちろん俺も加わってな。・・・・・・道をたどって捜索していくと、これが森の中で見つかったよ」
そういってダイダイヤ伯父さんは壁に掛けてある一本のバスターソードを指さした。何年も使用してところどころ錆び、母からもう代えるように何度も言われていた、紛れもない父の剣だった。父は、これは母と一緒に選んで買った特別な剣だからまだまだ大事に使うのだと後からこっそり俺に話してくれた。
俺の頭が真っ白になる。死んでしまった。もう二度と両親には会えないのだという現実を否応なく理解させられた。
「うゔううぅう・・ああぁぁあ・・・」
俺は声にならない嗚咽を漏らす。ダイダイヤ伯父さんは言葉を続ける。
「グレートハウンドだと!?・・・レイモンドたちがやられるモンスターなどこのあたりにいるわけないから不思議だったが・・・。畜生っ!なんだってお前たちが来るこのタイミングに限ってそんなモンスターが出るんだ!」
「伯父さん。・・・それもあいつらは1匹や2匹じゃなかった。20匹もいたんだ」
ダイダイヤ伯父さんは目を見開いて絶句した。
「・・・20匹!?・・・馬鹿な!そ、そんなのA級冒険者でもないとどうしようもないぞ・・・そうだ!こうしちゃいられない、すぐに警備隊に話してあの一帯を通行封鎖しなければ!トキワ。すまないがしばらくここで休んでいてくれ。俺はこれから駐屯所に行ってくる!」
そういって伯父さんはあわただしく家から出ていってしまった。一人残された俺は壁に掛けられたバスターソードを見る。両親が死んでしまった事実に改めて打ちのめされる。それに全身の疲労感から何もする気が起きなかった。俺はベッドに横になる。この世界では家族がモンスターに殺されるのは珍しいことではない。しかし、今自分がそうなるとは思わなかった。どうしたらいいのか何もわからなかった。突然孤独になったものさみしさが心からぬくもりを奪っていくようだった。布団にもぐって、自分の体を丸めて抱えるようにして眠りに落ちた。
―――