52 虚無の町⑦
まるで夢でも見ているようだ。そこにはとてつもなく巨大な蠅がいた。全長は2マートルほどである。その赤い複眼はまるで神秘的な輝きすら帯びているかのようだ。遠くから見ているにも関わらず、群衆の中央に佇むその姿は感動すら覚えるほど美しく見えた。
「な、なんだ!?あの巨大な蠅は!?」
「き、きれいな姿ね・・・。まるで神様みたい・・・」
はっとナナミの方を見ると、ナナミがその蠅を見てうっとりとしている。普段は虫の類が苦手な彼女が間違っても言わないようなことを口にしていることに戦慄する。そのときルリリが俺とナナミの手を引く。
「早く!ここから逃げるのよ!!」
「えっ!?いきなりどうしたんだ」
「いいから、理由は後で話すから!とにかくこの町から急いではなれなくちゃ!」
そのルリリのあまりの剣幕に、ただ事ではないことをくみ取った。ルリリの顔に現れているのは今まで見たこともない明確な恐怖の表情だった。俺は足を動かそうとしないナナミの手を引いて急いで家を脱出した。俺はどうしてルリリがこんなにおびえているのか不思議に思っていたが、とにかく町の外壁へと走っていった。町の外側は人気がまったく無かったため誰にも見つかることなく町の外へ脱出できた。
しかし、そこでルリリは足を緩めることなく、早く!早く!と町から離れるように促す。(途中から赤グレートハウンドに乗って走った)
町からだいぶ距離を空け、ようやく俺たちは一息ついた。
「ルリリ、いったいどうしたんだ?もう少し様子を見れただろうに、あんなに急いで逃げる必要あったのか?」
俺はルリリに尋ねた。ルリリは体をぶるぶる震わせて言った。
「・・・もう少し様子を見れたですって?あの時私たちはいつ死んでもおかしくなかったわ」
「なんだって!どういうことだ?」
「そのままの意味よ。とっくに私たちはあいつに見つかっていたわ。死ななかったのは幸運にもあいつがたまたま私たちを殺す気分じゃなかったから。それだけよ」
俺は言葉を失う。あの巨大な蠅はそれほど強力なモンスターだったのか。
「あいつを見て、ナナミちゃんもトキワもチャームにかかったわ。どうやらトキワの方が耐性があったみたいだけどね。それでもあいつに危険性や嫌悪感を抱かなかったはずよ」
俺は巨大な蠅の姿を思い浮かべた。・・・あの時、確かに俺は巨大な蠅に対していつもなら感じるであろう嫌悪感や恐怖心のような負感情を全く抱かなかった。むしろ逆で、暖かいような懐かしいような包まれる感覚を抱いた。俺はそれに気付きぞっとした。拒絶の感情が沸き上がらなかったことがそのモンスターの異常性をかえって際立たせた。
「あいつは・・・『蠅の王』よ」
「『蠅の王』!?」
俺が聞き返す。『蠅の王』といえば、前世でも名前くらいは聞いたことのある大悪魔である。そんなものが実在するのかと驚く。
「『蠅の王』は邪神と呼ばれる神様の一柱よ。この世界とは別の次元に住んでいるらしいわ。はっきり言って今の魔王よりも強いわ。文字通り次元が違う存在よ」
「ばかな・・・くそっ!なんてことだっなんでそんな奴がこんなところにいるんだよ?」
「・・・私にもわからない。でも、私たちがあそこにいるのは確実にばれていたでしょうね。町に入ってから私たちの周りに常に蠅が飛んでいたのに気づいた?あの蠅一匹一匹は蠅の王の直属の見張り部隊よ。私たちの動向は最初から逐一耳に入っていたってことよ」
俺は天を仰ぐ。そんな世界の次元が違う神相手じゃ俺たちの能力ではとてもじゃないが勝てないんじゃないか。そもそもどうしてこの町にそんな高位の神様がいるのか理解できない。俺はルリリに尋ねた。
「そんなのどうやったら倒せるんだ!?」
「倒すのは不可能ね。それどころか、まず戦いすら成立しないでしょうね。ナナミちゃんを見て。あんなに遠くから『蠅の王』の姿を見ただけでもう虜になりかけてる。『蠅の王』はそうやって自分の姿をさらして、よってくる人を操るのよ」
「どういうことだ?」
「『蠅の王』は言い伝えによると顕現したとき、人間や動物や魔族にさえ卵を産み付けるそうよ。卵を産み付けられた者の中でゆくゆくは蠅の王の護衛となる蠅たちの幼生が生まれるの。母体となった生物の意識は乗っ取られていつの間にか『蠅の王』を心から心酔するようになるらしいわ。きっと町の人々は皆既に卵を産み付けられたみたいね」
「何てこった・・・」
俺は顔をしかめて思わず呻いた。