5 別れ
「何ですって!?」
森がざわめく。いつも余裕を崩さない父親が発した緊迫した声に、どうにも不吉な予感がした。
ヒヒーン!!
その時、黒い影が一瞬馬車の前を横切ったかと思うと、ガタンといって馬車が急に止まる。はっと気がつくとと馬車を引く2頭の内、1頭の首がなくなっていた。急にバランスを崩した馬車が傾き、俺たちは馬車から放り出される。
顔を上げた俺が目にしたのは、あたり一面の木陰からこちらを覗いている、グレートハウンドの赤い目であった。20匹はいるだろうか、一瞬で俺はこの状況が絶望的であることを悟る。通常グレートハウンドはB級以上の冒険者が3人以上のパーティーを組んで討伐するのが一般的であるようなモンスターであり、父のようなC級の冒険者ではどれだけ死力を尽くそうが、1、2匹倒せるかどうかである。普段戦闘しているわけでない母親に至っては1匹だって倒せないだろう。
つまり到底20匹のグレートハウンドなど敵うはずもない。しかもグレートハウンドは足が速い。馬車があっても追いつかれてしまうほどだ。まして馬車を失った俺達が逃げることはできない。
つまり、俺たちはここで死ぬ。どうしようもなく死ぬことが分かってしまう。いくら何でもこんなところで死ぬなんて想像もしなかった。
「あぁぁぁ・・・どうしてグレートハウンドがこんなところにいるんだよ!」
このあたりにいるのはF級モンスターのスライムやゴブリン程度のモンスターだけであるはずなのだ。E級のオークですらめったに遭遇しない。ましてB級モンスターであるグレートハウンドが、しかも群れでこのあたりにいるはずがないのだ。
「トキワ、エリー!よく聞け!」
突然父の鋭い檄が飛ぶ。周囲を確認した父は一介のベテラン冒険者として状況を素早く把握した。覚悟を決めたように短くふっと息を吐くとまっすぐとした目で俺と母に静かに語った。
「・・・トキワ。この道をまっすぐ走って町に向かえ。俺とエリーでこいつらを何とか足止めする。・・・エリー、すまない。俺一人ではこいつらからお前たちを守れない。お前の魔法が必要だ」
そういって俺を振り返る父の顔は今まで見たことないほど優しい顔をしていた。母も頷く。
「ええ。守りましょう、私たちで」
そういって母は俺に馬車に積んでいた金貨を手渡す。
「少ないけれど、これだけあればしばらくは何とかなるわ。キリ町に走って、ダイダイヤ伯父さんのところに行きなさい。・・・愛しているわ、トキワ」
「・・・・っ!」
二人を置いて行くなんて、あり得ないだろ!そう叫びたかった。しかし何も言えなかった。この状況でスライム一匹倒せない俺がいたところで二人の邪魔にしかならない。三人が助かる道が無い中で、せめて命を賭けて俺だけでも助けようとする二人に、俺は言葉を発することすら敵わなかった。命を賭けた二人の覚悟を無駄にするだけだ。
・・・それでも、俺は二人を置いていくことはできない。
「俺も―――」
一緒に戦う、そう言いかけた時、俺の頭に手が置かれる。
「トキワ。ありがとうな。優しい子に育ってくれて。しばらく見ないうちに大きくなって、びっくりしたぞ。元気でな。お父さんも、エリーも、いつまでもお前を愛してるよ」
頬を伝う涙が止まらない。二人の優しい覚悟が伝わる。目をぎゅっと瞑る。生きなければ。俺は生きなければならないと感じた。父と母を抱きしめる。それ以上の言葉は必要なかった。俺はすぐに立ち上がって町へ全速力走る。そのとたん父と母は戦闘を開始する。
「エリー!氷魔法で地面を凍らせろ!できるだけこいつらの機動力を落とすんだ!」
後ろで両親がグレートハウンドと戦っている音が聞こえる。でも俺は振り返らなかった。振り返ると絶対に両親の元へ向かってしまうと思ったからだ。
俺は泣きながら夢中になって森の中を駆け続けた。
―――――
「ハァ、ハァ、トキワはもう森林を抜けたころか。もう大丈夫だな」
「ええ。よく頑張りましたね私たち」
グレートハウンドを足止めしたレイモンドとエリーは既に瀕死の重傷であった。戦いから既に数十分が経過し、グレートハウンドの半数は足などに大きな傷を負っていた。当然二人が狙ったのだ。二人が突破された後息子に追いつかないように。
しかし、倒しきったグレートハウンドは一匹もいない。二人が、「倒すための戦い方」ではなく徹底して「長引かせ、足止めさせるための戦い方」をしてきたからである。二人がもし前者の戦い方をしていたら数匹は倒せたであろうが、その後すぐに残りのグレートハウンドがトキワを追い、そして命を奪ったであろう。グレートハウンドの嗅覚は鋭く、縄張りである森林内であればどこまででも追いかける習性があるのだ。
ともあれ、これは二人が生き残ろうとする戦い方ではない。二人は自分たちが助かることを考えず、完全に息子が逃げる時間稼ぎに徹した。20匹のグレートハウンドに数十分持つだけでも奇跡といってよい。肉体的に、精神的に、魔力的に自らをすり減らしながらも耐えることができたのは、息子への愛情と、自分が倒れれば隣にいる最愛の人が殺されてしまうという極限の状況によるものである。二人は粘ったが、しかし、それでも限界の時はきた。
「ははは。頑張ったといえば、今日までよくトキワを育ててくれたな。お前のおかげだよ、エリー。たまに帰るたびにどんどん成長していい男になっていくのが俺はいつも楽しみだったんだ」
「いいえ。あなたが立派な父親の姿を見せてくれたからこそ、トキワもあなたみたいな男になってくれたのよ」
「・・・ああ・・・そうだな。思えば手のかからない子だったな。あいつは天才だ。頭の良さは俺よりはるかに上だし、なんだか大人びているように見えることすらあった・・・まあ、まだまだひよっこだから教えなくてはいけないことが山ほどあるんだがなあ」
「大丈夫ですよ。トキワなら・・・。きっと自分の力で・・・・。私たちの子ですから」
「ああ。そうだな。成人の儀式・・・行ってやりたかったな。・・・・あいつの立派な姿、見たかったなあ・・・」
「ふふっ・・・やめて・・・・くださいよ・・・わたしだって・・・」
「どうか・・・トキワが・・・・元気に・・・暮らして・・・・行けます・・ように・・・・・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
―――――