原初のEclipse
とある尊敬する作家さんの企画に、稚拙ながら参加させて頂こうと思い至り書いたものです。
時は室町時代。
足利義満公がこの国を治めていた頃のお話。
少し雲のある神無月の昼下がり。
西京の外れにある屋敷に、またその女性がやって来た。
濃藍の髪をゆるく結び、最近庶民から中流階級の者達の間で人気がある小袖を着こなした紅い目をした妙齢の美女。
そんな彼女は屋敷の門を軽く叩くと、返事も聞かずに門を開けて叫んだ。
「スズカ〜、遊びに来たよ〜‼︎」
スズカとは、この屋敷の主人。
漆黒の髪に銀の双眸を備え、外出時にはよく立烏帽子を被って額の角を隠している彼女は、この屋敷の主人であり、かつて伊勢の鈴鹿山に隠棲していた。
そんな中、彼女を討伐すべくやってきた英雄と恋に落ちて子を成し、その英雄が亡くなるまで共に過ごした鬼女。
大通連、小通連、顕明連の三振りの名刀を持っており近接戦闘もさる事ながら、数々の妖術を使いこなす妖術師である。
また麓の集落に時々降りては村人達の病を治したり、共に畑を荒らす獣を追い払い、その礼として様々なモノをもらいながら暮らしていた。
そんな彼女を、村人達は畏敬の念を込めてこう呼んだ。
「鈴鹿御前」と。
そんな彼女も、今は西京の外れにある小さな屋敷でのんびりと暮らし、時々やって来る者達の相談に乗ったりして過ごしていた。
ところが数十年前に、この女性はスズカの元にやって来て、それ以来何かと理由をつけてはこの屋敷に遊びに来るようになった。
「はぁ。また来たのね、柚」
「だってスズカとお話するの楽しいからね。それに」
彼女はくすりと笑った。
「貴女だって、嫌そうじゃないもの。ほら、また口元が緩んでるよ?」
「うむむ……べ、別に来て欲しいって訳じゃ‼︎」
「もうそうやってすぐ誤魔化そうとするとこも愛いヤツめ〜。このこの〜」
そうやって戯れつきながら、彼女はいつの間にか屋敷に入ると、ふと虚空から果物をいくつか取り出した。
「まーそういうのはとりあえず置いといて。はいこれ」
「これは……イチジク?」
「そそ。ご近所さんがいっぱい実家から届いたからって、お裾分けしてくれたんだよ。ただ、私だけじゃ食べきれないから持って来たの」
「ふぅん。というかそれ、どれだけくれたのよ?」
「ざっと70個くらい」
……な、70⁉︎
「……かなりあるわね、それ」
「まー私だけじゃ食べきれないよね〜。ってことであげる‼︎」
そう言うと、彼女は更に大量にイチジクを虚空から取り出し始め、それらは床を転がってあちこちにいってしまった。
「ちょっと⁉︎ここでそんなに出さないでよ‼︎ ほら転がってるから‼︎ ちょっと待ってっての‼︎」
結局、スズカは30個ほどのイチジクを必死に追い掛けて回収する羽目になったのだった。
「……まったく。ちょっとくらい手伝ってくれたっていいじゃない」
「えぇ〜?」
「えぇ〜?じゃないっての‼︎ なんで私だけで集めなきゃいけないのよ‼︎」
「いいじゃない、探知魔術なら貴女の方が得意なんだし」
「そういう問題じゃ……はぁ。もういいわよ、どーせ聞かないんでしょ」
いつもそうだ。
面倒ごとは嫌いだと言わんばかりに、厄介事は全部私にさせてくるんだから。
そこでふと彼女は辺りを見回して問うた。
「そういえば、リンちゃんは?」
「あぁ、あの子なら今は寝てるわよ。昨日は遅くまで貴女が前に教えた虚空魔術の勉強をしていたからね」
柚がリンちゃんと呼ぶのはスズカの娘。
凛華と名付け、亡き夫と私の間に生まれたのだが、身体の成長がとても緩やかな代わりにとても知識欲があり、私が教えた妖術はあっという間に理解して使いこなせるようになってしまった。
その為、柚も協力して魔術を教えてくれているものの、彼女の魔術の大半は彼女にしか使えない固有魔術が多く、リンは余計にそれが興味を引くようで、寝る間も惜しんで魔術を学んでいた。
そのせいか、時々こうして日が昇っている時間でも爆睡している事があり、母としてはあまり良くないなと思うものの、本人があまりにもやる気に満ち溢れているので半ば放置している。
「……とりあえず、リンちゃんにはあまり詰め込み過ぎないように、って念を押さないとダメっぽい?」
「そうね。とはいえ本人のやる気を削がないようにしたいから、これがまた面倒なんだけど」
面倒、と聞いた途端に、案の定柚は顔をしかめて深くため息をついた。
「はぁ。まあでもさ、本人がちゃんと自己管理しているなら、今はこのままでもいいんじゃ……」
そこまで言うと、何故か柚は突然言葉を切ってそれまでのほんわかした雰囲気から凛とした顔に変え、すくっと立ち上がった。
「スズカ、面倒な事になったわ」
「また?最近多いわね。手伝おうか?」
「ううん、これだけは私一人でなんとかしなきゃいけないから大丈夫よ」
「あら珍しい。いつも厄介事は私とかに押し付けるのにね」
そう反応したスズカの声を聞き流し、柚は虚空から二振りの刀、桜花・橘花を取り出すとその鞘を払い部屋の外に出た。
「ホント、しつこい奴らね。そんなに私の首がほしいのかしら?」
そう叫ぶと、屋敷の塀の上に突然金属と皮の鎧を着た数十の弓兵が現れ、その中の隊長と思わしき男が彼女の問いに応えた。
「ふん。ユリフィス・レディクルナ、貴様のような奴を生かしておけるものか」
「……本当に聞いて呆れるわ。そんなに教会は私が邪魔だと?わざわざ住み慣れた理想郷を捨ててこの極東の島までやって来たのに、どこまでも目の敵にして追い掛けてくるなんて」
そんな柚の声が聞こえたのか、弓兵は鼻にシワを寄せると吐き棄てるように叫んだ。
「あんな地が理想郷だと?ふざけるな、あれは神に背く地だ。その上、王を詐称しあまつさえ我らの国どころか教会にまで弓引く始末。看過できる訳がなかろう‼︎」
「……別にこっちから戦争吹っかけた訳じゃないのにね」
「問答無用。散々我らを愚弄し国を見捨て部下を見殺しにしてまで生き延びようとしたその悪辣な首、今度ばかりは逃さんぞ‼︎」
その言葉を聞いた瞬間、柚の纏う空気が変わった。
「……そういう風に取るのね……。貴方達が我が領を踏み躙り、目の前で民を虐殺したのは全て私の責任だと……」
「撃て‼︎」
隊長の放った矢とその言葉を皮切りに、数十の矢が一斉に放たれた。
それらが柚に当たる寸前。
突然矢は空中で静止すると彼女の纏う魔力に当てられて塵のように霧散した。
「いいわ、これまで必死に殺さないよう手加減してきたけど……もう我慢も限界よ。せめて苦しませずに……殺してあげる」
その瞬間、周囲に大量の魔力が渦巻いてうねるように収縮すると、それらは柚自身の纏う蒼い魔力と共鳴し始め……。
「……”女王の箱庭”」
世界は暗転し、隔離された。
ーーーーーーーーーー
「……あーあ、完全にキレちゃった。あれじゃ私には止められないわね。仕方ない、とりあえず屋敷に被害が出ないように結界を張っておこうかな……」
スズカが一人でそう愚痴を言っていると、いつの間に起きたのかリンが起き出していた。
「おはようございますお母様。これは柚姉様が?」
「……そうよ。また彼女の言っていた追手が来たみたい。毎回周りの被害お構い無しで暴れるから、先に屋敷が壊されないように結界を張ったんだけど……」
その時、巨大な魔力の爆発と共に、柚の気配も、侵入者の気配も消え失せると、辺りを静寂が襲った。
「今のは……一体?」
「……きっと柚姉様が虚空魔術を応用して、隔離空間を作ったのではないでしょうか。多分、次元に働きかけて一時的に空間を転移させ、異空間を生み出したんだと思います」
これは大規模な空間転移。
当然これを行うには大量の魔力が必要な上、異次元領域に空間を固定してしかもそれを維持しなければならない。
そもそも同じこの世界線上での空間転移ですら、転移先の座標指定や出現先の高度の調整、さらにはその地点に何も障害物がない事を確認しなければならず、いずれかが失敗すれば突拍子もない場所に飛び出したり、はたまた宇宙に出てしまったり、場合によっては壁に埋まったりしてしまう。
しかも今回のそれは、転移先が異次元空間。
当然そこに明確な土地が存在する可能性は低く、座標指定すらままならない。
そもそも空気があるかも分からず、そのような場所に出るためには、空間の生成から始める必要がある。
それだけの事を同時に、かつ一切の無駄を徹底して省いた上で全て成功させねばならないのだ。
それがどれだけ難解で高度な技術を要するかは想像に難くない。
「……そんな大規模魔術を平然とこなす訳ですから、やはり柚姉様は桁違いですね」
「その上私と同等以上の剣技だし。ホントに無敵よね」
そう、それだけの魔術の腕前がありながら、本人は近接戦闘の方が得意だと言う。
実際、私と何度か手合わせした時は、毎回接戦には持ち込めるものの、最後に勝つのはいつも柚の方であった。
しかもお互い魔術による強化や支援などを一切使わずにそれである。
これが魔術使用可能になれば、私も妖術を使うとはいえ、おそらく差はさらに開くだろう。
つまりそんな彼女をたった数十人で倒せる訳もなく。
「あの人達、生きて帰れるといいけどね……」
あそこまで柚が怒ったのだ。
無事で済むはずがない事を察したスズカは、せめて彼らが生き残れることを祈るのだった。
ーーーーーーーーーー
そこは異質だった。
さっきまでいた屋敷の庭園は見る影もなく消え去り、見えるのはどこまでも続く廃墟。
それも、ついさっきまで戦闘があったかのような凄惨な光景が広がっていた。
そして、隊長はその光景に見覚えがあった。
「これは……あの征伐の時の……」
「……そう。貴方達が我が領土に攻め入り、全てを蹂躙していった時の光景」
彼が振り向くと、そこで柚は目を伏せながらそっと微笑みながら立っていた。
「そしてこの光景は私の心象。私の時間はあの時から止まっている。あの侵略を受けるまで、私の理想郷はあの地に完成していた。人と魔族が手を取り合い、共に生きる世が。助け合いながら共存共栄する世が。それを貴方達が……」
そこまで言って、彼女は顔を上げた。
その美しい顔は憎悪と復讐に歪み、不気味な笑みを浮かべていた。
「……貴様らが私の大切なモノを全て奪ったのだ。当然その報いは受けるのであろうな?」
その問いは彼の背に悪寒を走らせたが、同時に彼はそれを振り払うと部下達を鼓舞して、矢を射かけてきた。
「……ふふっ。痴れ者どもが、懲りもせずまた矢を射かけてくるとは、そんなに死に急ぎたいか‼︎ ならばすぐに送ってやる。”闇夜の世界”‼︎」
その瞬間。
心象光景のあちこちで倒れ伏せていた亡骸が端から分解され、柚に吸収されていき。
「ぐあぁぁぁ……っ‼︎」
さらには彼の部下達の中にも、耐えきれずに吸収されていく者まで出始めた。
そうしてかき集めた魔力は柚の周りに渦巻き、彼女自身の魔力と混ざり合いさらに勢いを増してあらゆるモノを吸収していった。
「くそ、こいつにこんな力が……⁉︎」
「下等なクズが、この程度か」
「何っ⁉︎」
あの一瞬で背後を取られた彼は弓を投げ捨てると、無理やり身を捻り、振り向きざまに腰に差していた細剣を居合い斬りの如く振り抜き、そのまま構えを取った。
「さらにその速度……。お前達、気を付け……っ⁉︎」
「遅いわ。私には止まってみえるくらい遅い。そんな雑魚を何人送ろうと無駄よ」
そう彼女が言った瞬間。
彼の背後に立っていた部下達はほぼ一斉に紅い華を咲かせ地に倒れていった。
彼はそれを呆然と見ていた。
いや、”見てしまった”。
あの一瞬で、数十もの兵を斬り捨てたのだ。
確かに呆然としてしまうのも無理はないだろう。
だが、その代償は高かった。
「……貴様、なぜ剣を収める?」
「私に背を向けたからよ。それと」
「なんだ。ユリフィス……」
「私の本名はユリフィス・”ディア”・レディクルナ。相手の名を呼ぶなら間違わないように。といっても今はもうその名は捨てたの。今の名は紅月柚。さよなら、恨むなら私と戦うことになってしまった己の非運を呪うことね」
そう柚が言い終えると同時に、彼は自身の胸にすでに穴があることに気付き。
戦いは一方的なまま終わった。
ーーーーーーーーーー
柚が異空間から戻ってくると、ちょうど日が落ちようとしていた。
「ふぅ。久々に暴れちゃったな。でもこれでしばらくは狩りに出なくても大丈夫そうね」
「あらおかえり。狩りに出なくてもいいってことは、結局彼らは全滅させちゃった訳か」
そうスズカが声をかけると、柚は返り血に濡れた服を着たまま、少し困ったような笑みを浮かべた。
「あまりにも煽ってくるから、いい加減我慢できなくて。少しだけ本気を出したらすぐに壊れちゃった」
「まぁ、貴女はもともと西の大陸の果てで国を治めてたんでしょ。しかも弱肉強食の魔族達をまとめるほどの実力者なんだからそうなるのも仕方ないか」
「まぁ久々に禁呪使ったから、その瞬間勝敗は決まってたんだけどね〜」
禁呪?って……まさか。
「あの周囲のあらゆるモノから魔力を吸い上げるやつ⁉︎よくあんな物騒なモノを使う気になったわね……。そんなに怒らせたなんて、仕方ないとは言ったけど、むしろ自業自得だったのかしら」
本来なら、柚自身もあの技は使うつもりはなかったのだ。
ただ、西の果てからこの日の本の国に来るまでの逃亡とその後の追手との戦いは相当彼女に精神的負担をかけていたのだろう。
「まぁいいわ。とりあえず夕餉の支度するけど、貴女も食べてく?」
「いいの?ありがと」
そこで部屋に上がろうとする柚だが、スズカは彼女の服の惨状を再度見ると。
「部屋に上がる前に着替えの服取って来るから、裏手に回ってお風呂済ませて来なさい。そのまま入られたら畳がやられちゃうから。貴女のことだし、設備さえあればお湯とかは自前で出来るでしょ?」
「うぐ……分かったよ」
このスズカの判断のおかげで、屋敷の畳は無事使い物にならなくなる未来を回避したのだった。
柚がそうして裏手の風呂場に来た時、ちょうどリンが上がったところだったようで、彼女はすでに薄衣を羽織ると手拭で髪を拭いているところだった。
「あら残念。あと少し早く来たら一緒に入れたのに」
「ちょ⁉︎柚姉様っ⁉︎さすがにそれはご勘弁を‼︎」
「むぅ。親子揃って私の扱いが酷いなぁ。少しくらい労わってくれても……」
そう服を脱ぎながら言う柚を見たリンは顔を真っ赤にすると彼女をお風呂に押し込んだ。
「いいから早く入ってきて下さい‼︎」
「わっ‼︎ちょっと待っ……‼︎」
その途端、柚の身体から魔力が溢れ出すと、どんどんお湯に溶け出していってしまい。
「あわわわ……ちょっと、リン……助け……」
「柚姉様っ⁉︎」
なんとかお風呂から引っ張り出した時には、柚はすでに真っ赤に逆上せていて、ぐったりしていた。
「ごめんなさい柚姉様。ですが、柚姉様の魔力はあんなに水溶性が高いのですか?」
「水溶性というか。種族的に流水に弱いのよ……。太陽光は自分で遮光剤を調合できるから、それさえ塗っておけばいいんだけどね」
完璧な柚の数少ない弱点がその二つ。
といっても、どちらもある程度は対策している為、不意を突かれなければ問題ないのだが。
その後もちょくちょく色々な事があったものの、やがて柚もそろそろ帰るねと言って京の郊外にある村へと帰って行った。
こうしてのんびりとまた一日は終わり、人外達は人の世に紛れて生きていく。
だが、そんな日々はやがて終わりを告げるのだろう。
時代は常に変化していくのだから。
この日からちょうど150年後。
スズカは友を亡くし、その友の娘は世界を大きく変えることとなる。
だがそれはまた、別の機会に話すとしよう。
番外編という形ですので、もしよかったら本編『Gratia-紅き月の物語-』の方もよろしくお願いします。