第3章 -霞迅工房-
三連休初日の金曜日。午前6時にジャージ姿の燿子は登山用のリュックを背負い、星宙学園都市前駅で焔と待ち合わせをしていた。
登山の嗜みのない燿子は、リュックも登山用品も全て前日に焔から借りたものだ。
時計の針が6時ぴったりを指したところで焔がやってくる。
「おはよう、燿子」
「おはよう、焔。今日はよろしく頼む」
「あぁ。待たせたか?」
「いや、そんなことはないぞ」
実は、焔が行方を眩ましていたことを心配し、今日ここに現れない可能性も考えてしまったりしてついつい駅まで走って早く着いたりしていたのだが、それは言わないでおく。
「昨日話した通り、電車とバスの乗り継ぎで近くまでは行けるが、工房の場所は地図には載ってないし、ちゃんとした登山道もない。燿子の身体能力の心配はしてないが、登山初心者にはキツいぞ」
「覚悟の上だ。ぬかりはない」
「そうか。じゃあ行こう」
電車とバスを乗り継ぎ、終点を越して更にその先へ。
片道4時間少々というその道のりを、しかし燿子は退屈することはなかった。
焔と二人きりというのははじめてだったが、焔はだんまりになるようなことはなく、色々な話を燿子に聞かせ、また燿子の話を聞いてくれた。
お互い華やかな過去は生憎持ち合わせてはいなかったが、刀とだけ向き合ってきた燿子にとって見たことも聞いたこともない景色や食べ物、未知の遺跡とそこに巣食う魔獣、命のやり取りをした好敵手たちの話は飽きが来なかった。
そして、あまり他人には理解してもらえない刀や武の話題でも、造詣の深い焔は会話を盛り上げてくれる。
(男の子とこんなに話したのははじめてだな…)
気づけば、けっこう笑っていた気がする。目をキラキラさせていたかもしれない。
焔のことをもっと知りたいとは思っていたが、思わぬ機会に恵まれたことに感謝していた。
最後のバス停を降りたのは午前10時半を回った頃。
周囲は深い山々に囲まれ、無人の駅を降りると遠くに小さな集落があり、それ以外は細い道と山が続くばかりだ。
「うわ…」
「さあ、まずは腹ごしらえをしよう」
途中軽く朝食はとっていたが、近くにあった営業しているのかどうか怪しいほど静かな蕎麦屋に入る。
蕎麦を啜りながら、焔は地図を取り出してみせた。
「工房の場所自体は秘匿だが、道は覚えてるから安心してくれ」
「この地図はなんだ?どうやって見たら…」
「こいつは正確には地形図だな。まあ大まかに山の形を捉えてくれればいい。今いるのがここ。で、目指す山はここだ」
「間に二つ山があるな」
「そう。真っ直ぐはいけない。標高は最大で2200mになる」
「けっこう高いな」
「まあ、頂上を目指すのが目的じゃないから。で、途中はもちろんコンビニなんてない。ちょっと遠回りになるが、この辺りを通れば水質の高い川があるから、そこで水を補給する。水筒は持ってきたな?」
「あぁ。指示通りすぐ取り出せるようにしてある」
「よし。夜の登山は危険だ。今回は下山も含めて3日しかないから、途中でキャンプは張らずに目的地を目指す。」
「うむ。心得た」
最後の一口を啜ると、2人はいよいよ山登りを開始した。
登山開始から4時間、道は進むごとに険しくなっていく。
2つ目の山までは登山道が存在するが、気軽に登れるような道ではない。
いつ熊の一頭でも表れてもおかしくないような深い山だ。
体力の消耗を抑えるため焔もあまり話しかけては来ず、燿子も集中して歩みを進めている。
焔はほとんど振り返らないが不思議と燿子のペースを把握しているようで、適度に水分補給を促し、ペースが乱れる前に小休憩を挟んでくれた。
んくんく、と水を飲みながら燿子は僅かに先を行く焔の後ろ姿を見つめる。
遠くも近くもないこの距離を焔はずっと等間隔で保っている。
「ぷはっ」
(歩みに迷いはないし、ペース配分も完璧だ。おまけに汗一つかいていない)
戦闘でもなんでもないただの登山だが、改めて焔のポテンシャルの深さを見ている気がする。
「燿子、もう少しで川がある。水を汲んで、腹ごしらえをしよう」
「む、そうか」
ほどなくして、川のせせらぐ音が聞こえ、小さな河原と透明度の高い流れが現れた。
「すごい、綺麗だな…」
「ここの水は飲んでも平気だ。ひと休みしよう」
リュックを降ろし、砂利の上も構わず腰を下ろすと、持ってきた携帯食を口にしながらしばしの休息を挟む。
「悪くないペースだ。このペースを保てれば陽が沈む前に着けそうだぞ」
「どのくらい進んだかな」
「もう二つ目の山に入った。だが、ここからは標高も上がるし、途中崖のような斜面に挑むことになる」
「まだまだこれからというところか…」
「そうだな。先客に追いつくのは難しいだろう」
「先客?」
「俺たちと同じルートを進んでる奴がいる。足跡の大きさと歩幅から見て、たぶん若い女が1人」
「そんなことがわかるのか⁉︎」
「追跡技術はアマゾンで嫌というほど学んだからな。かなり身軽で慣れているようだ」
「アマゾン…」
そういえば、電車の中でアマゾンのジャングルの話をしていた。ピラニアは美味しくないらしい。
「さ、そろそろ行こう」
立ち上がって荷物を背負い直すと、再び地図に載っていない工房を目指した。
それから更に3時間ほど歩き、陽が沈むギリギリというところで焔が「着いたぞ」と告げる。
今までと同じような景色だが、不意に道を外れると開けた場所があり、そこに木造の家屋が6棟ほど建っていた。
「うわぁ…」
茅葺き屋根の古民家の奥には石造りの洞窟のような建物があり、金属を打つ音が絶え間なく聞こえてくる。
「ここが目的地か」
古民家の一軒を見ると、入り口に看板が掛かっている。
その看板には『霞迅工房』とある。
「霞迅工房⁉︎ここが⁉︎」
「流石に名前は知ってたか」
「当然だ!」
霞迅工房。それは、刀剣使いなら誰でも憧れる、日本が誇る魔刀の最高級ブランドだ。
量産品は一切なし。全て一点物の刀剣は市場では数百万円はくだらない額がつく。
他にも手裏剣やクナイ、鎖鎌、マキビシなども製造されており、海外からは“ニンジャ・ファクトリー”という愛称で呼ばれている。
工房の場所は秘匿。所属する刀鍛冶は複数いるが、その正確な所属人数はわかっていない。
手紙、もしくはインターネットで発注を受け付け、取り引きには工房の人間は一切接触しない、謎だらけの鍛冶集団である。
「こんなところにあったなんて…。もしかして、それでミラたちの前では工房の名前を出さなかったのか」
「そうだ。同僚にも人に教えるなと言われてるしな。燿子連れて来ちゃったけど」
「まさか霞迅工房に訪れる日が来ようとは…」
「さあ、早く依頼を済ませよう」
「うむ。つい見惚れてしまった」
焔曰く、看板の掛かっている建物以外には客人は入ることを許されないらしい。
更に、部屋は一切貸してもらえないため、日帰りが不可能な場合は野宿するしかないという。
「それでテントが入っていたのか」
確かに気難しいな、と頷きながら扉を開けようとすると、先に中から扉が開いて人が出てきた。
「わっ」
「…あ」
「おう」
霞迅工房から出てきたのは、フェリシアの従者にして生徒会書記・久遠院刹那だった。
「刹那。足跡はお前だったのか」
「…焔。こんなとこで会うなんて偶然。燿子も」
「せ、刹那先輩。こんにちは」
「…こんにちは」
「お前も武器の調達に?」
「…うん。暗器の仕入れと、新しい忍者刀を買いに」
「なんじゃ、騒がしいの」
思わず入り口で話していると、中から小柄な老人が出てきた。
半纏姿で頭には手拭いを被り、背丈は低いががっしりとした体格で、彫りの深い顔に鋭く眼を光らせている。
「おや、鬼の小僧か。ようやく来おったな」
「お久しぶりです、棟梁」
「そっちの娘は…?」
棟梁と呼ばれた老人は燿子を値踏みするように見る。
燿子が「あ、あのっ」と名乗る前に口を開いた。
「なんと!お主、緋々神の縁者じゃな?生き残りがおったのか」
「え、どうしてそれを…」
「立ち話もなんじゃ。入れ」
「は、はい!」
有無を言わさぬ老人に誘われて中に入る。
「うわぁ…」
中に入った瞬間、燿子は工房に辿り着いたときと同じリアクションで驚きの声を上げる。
壁一面の武器、武器、武器。
日本に伝わる伝統的な刀剣や暗器の数々がびっしりと展示されている。
「すごい…」
「ほれ、ここへ座れい」
土間から火の点いていない囲炉裏の間に上がるよう促される。
なんとなく戻ってきた刹那も含めて、4人で囲炉裏を囲むように座る。
「緋々神の娘、名はなんと言う?」
「!申し遅れました、私は緋々神燿子と申します」
「燦悟の娘か?」
「はい。影士の、妹です…」
「そうか」
緋々神の一族にあったことは知っているのだろう。
うんうんと頷いて納得する。
「儂は十三代目一木霞迅。この工房の現棟梁じゃ」
「貴方があの霞迅さん…」
刀使いの誰もが知る伝説の人物を前に、燿子は恐縮して元からぴっとした姿勢を更に正す。
「話しはそこの小僧から聞いておる。依頼の品はそれか?」
「はい」
燿子は登山リュックに縛り付けていた司炫を解き、霞迅に渡す。
「お〜お〜、こりゃまたこっ酷くやられたもんじゃ」
ゆっくりと鞘から引き抜き、半ばから折れた司炫の様子を見て顔をしかめる。
「私の未熟さ故に…」
「燦悟も昔、刀を折ったときに同じ台詞を言うとったなぁ」
「え?父が?」
「うむ。まだ結婚する前じゃったかのう」
霞迅は司炫を鞘に戻すと、燿子に向き直る。
「小娘、刀の修復、依頼は3年待ちじゃ」
「さ、3年⁉︎」
それではトーナメントどころか、学園を卒業してしまう。
「本来はな。じゃが、今回は費用の3倍の額を前払いで受け取っておる。3週間で打ち直してやろう」
「前払い?」
そんなことをした覚えはない。が、ハッとなって焔を見ると、知らん顔で湯飲みに口をつけていた。
「代刀を貸してやろう。ちょっと待っとれ」
そう言って霞迅が奥に行っている間に、燿子は焔を詰め寄った。
「焔!ここまで連れてきてくれたことには感謝しているが、金銭のことまで世話になるわけにはいかない!」
「じゃあ3年待つか?それにしたって、お前に払える額じゃないぞ」
「ぐ、だが、払えないものを余計に甘えるわけには…」
「安心しろ、タダなんて言ってない」
「え?」
「今回払った額は、影士の首にかけられた懸賞金とほぼ同じ額だ」
「‼︎」
「お前の刀を折った相手は?お前が刀を修復する目的は?今俺が立て替えて問題あるか?」
「ぐ、む、わかった…」
改めて考え直し、燿子は渋々受け入れることにする。
「今回だけだぞ!絶対返すからな!」
「わかったわかった」
「ほれ。これを持っていけ。…なんじゃあ、お前ら?そんなに顔を寄せて」
「な、なんでもありません!」
「…じゃあ、そろそろ行こ」
「ん、とその前に」
焔はリュックの底から、小さめのジェラルミンケースを取り出す。
「依頼の品だ」
霞迅はそっと中を確かめる。
「ん。確かに」
「それじゃ、失礼するか」
燿子は焔が渡していたものが気になったが、焔に習って一礼をすると工房を後にした。
その後、鍛冶場とは反対側の開けた場所にテントを張り、3人で焚き火を囲んで夕食を食べる。
辺りはすっかり暗くなり、焚き火と古民家から漏れる明かりだけが薄く周囲を照らしている。
夕食は近くの川から獲ってきた川魚と山菜だ。
どちらも焔が3人分用意したもので、そのサバイバル能力の高さに燿子は感心しきりだった。
「…あ〜ん」
「お、おいやめろって。燿子も見てる前で」
「…夕飯のお礼」
「さてはそれが目的で俺に任せてたな」
ちなみに、この里(と呼ぶらしい)では鍛冶以外で魔法を使うことが許されない。
なので火はご丁寧に火打石を用意していた刹那が起こしていた。
燿子はそんな2人の様子を顔を赤くしながらチラチラと見ている。
「…2人も明日下山?」
「いや、俺たちはもう一泊していく」
「そういえば、そんな予定だったな」
「燿子、せっかくここまで来たんだ。普段とは違う環境で修行をしよう」
「え、それって、私に戦いを教えてくれるってことか⁉︎」
「そんな大層なもんじゃないけど、まあ俺もトーナメントに出る流れになっちまったし。お前も代刀に慣れたいだろ?」
「もちろんだ!それは嬉しいな」
「…じゃあ、私も残る」
「平気か?フェリシアたちは」
「…大丈夫」
「そうか。じゃあ3人でもう少し深くまで行こう」
「うむ!」
「…うん」
こうして、急遽刹那も交えて修行をすることになった。
夕食を食べ終えると、テントに戻り燿子は微睡んでいた。
(影士の懸賞金と同じ額、か…)
いよいよ避けては通れない道だ。
今、自分は焔に試されている気がする。
ごろんと寝返りを打って焔のテントの方を向くと、人影が焔のテントに進入して行くのがうっすらと見えた。
「む?」
静かに起き上がり、そっとテントから顔を出して隣のテントを除くと、
「おい、刹那!お前か!」
「…せっかくの2人きり」
「馬鹿!燿子が隣にいるんだぞ!」
「…私といるのに他の女の話」
「それ言いたかっただけだろ…」
ぼんやりとしか見えないが、焔の制止も聞かずにパサ、パサ、とゆっくり服を脱いでいく音がする。
「んむぅ⁉︎」
「ん…れろ…ちゅ…」
(はわわわわわ!)
燿子はどうしていいかわからず、しかし目を逸らそうともせずに裸になって焔に跨る刹那の背中を見ている。
「…声我慢するから。ね?」
首筋や胸に舌を這わせ、その間も押し付けるように腰を動かす。そして、
「んんっ…はぁ…」
「うっ…」
腰を浮かせ、少し位置を調節した刹那が、再びゆっくり腰を沈める。
そこから先は、淫靡に響く水音と押し殺した喘ぎ声を聞きながら、跳ねる刹那の後ろ姿を延々と見ていた。
(はわわわわわわわわ〜〜っ‼︎)
林檎のように顔を真っ赤にした燿子は、しかしやはり2人の事情から顔を背けることはなかった。
翌朝。
「おはよう」
「…おはよう」
「お、おはよう…」
「?どうした、燿子。顔が赤いぞ」
「なんでもないなんでもない!」
その辺から獲ってきた木の実と、持ってきた乾燥果物で手早く朝食を済ませると、武器と水だけを持って更に山奥へと進む。
里から1時間ほど離れた場所に、滝のほとりで開けた場所があった。
「よし。ここでやろうか」
里の方が広くスペースはあったが、魔法を使ってはいけないという決まりがあるため、心置きなく修行できるこの場所を選んだ。
「さて、燿子」
焔は工房から借りてきていた刀を抜刀すると、燿子に向けて構える。
「え?まさか刀で試合をするのか?」
「当たり前だろう?そのために借りてきたんだ」
「焔は刀も使えるのか?」
「ぜんぜん」
思わずずっこける。
だが、確かに構え方が雑だ。
「焔、お前の強さが異常なのは十分知っているが、慣れない刀を持っても枷になるだけだろう?手加減のつもりか?」
「いやいや。剣の扱いは燿子の足下にも及ばないだろうさ。だが、剣士じゃない俺は、要点を口で説明するのが難しい。遠慮はいらないぞ?」
「そうか…」
燿子はスッと目を細めると、焔に向かって正眼の構えを取る。
「…じゃあ、行くよ」
岩の上に座ってぼーっと見ていた刹那が腕を振り上げる。
「…よーい、はじめ」
「破ッ‼︎」
砲弾の如く地を蹴って飛び出した燿子は焔に肉薄し、斬りかかる。
しかし、焔はそれを刀でいなし、するりと突進を躱す。
「ぜああっ‼︎」
すぐさま向き直り斬りかかる燿子に対して、焔は「ん〜」と眉をひそめながら刀の具合を確かめるように防御に回る。
(やはり素人…!)
このまま押し切る!と更に力強く踏み込むが、その瞬間、迷いがあった焔の眼の色が変わった。
「こうだ」
「〜〜っ‼︎」
急に刀を振るう腕が冴え、たちまち圧していた筈の燿子が退がりはじめる。
(な、なんだ急に⁉︎)
弾かれそうになるのをぐっと堪え、焔の顔面目掛け容赦なく突きを繰り出す。
しかし、焔は刀を背負うように受け流し、無防備に隙を見せてしまう。
(しまった‼︎)
が、ほんのコンマ数秒焔が刀の取り回しに悩んだことで隙が閉じ、再び構え直して斬り結ぶ。
「ぐっ!」
「むん」
自覚があるのかないのか、剣士の燿子から見て、焔の動きはころころと変わる。
およそ日本刀向きではないような、刀の特性を無視した剣術を、筋力と反射速度で無理矢理実現している。
まるで、様々な色の絵の具をぐちゃっと混ぜたかのようだ。
(なんと異質な!)
しかし、その剣は燿子をじわじわと追い詰め、開始直後のような迷いはもはや見受けられない。
「はあぁっ‼︎」
一か八か、粗い部分を突破しようと攻め込むが、まるで大剣を振り下ろすかのような一撃に食われ、今度は切り替えを悩まなかった焔が隙を見せた燿子の首筋に刃を当てる。
「う…」
「…そこまで」
刀を収めた焔はぷるぷると手首を振っている。
「やっぱ慣れねえな」
「焔、今のはなんだ…?」
何故私は負けたのだ、と燿子は強く拳を握る。
「俺の剣術を見てどうだった?」
「…粗削りで乱暴だ。刀の特性を理解できていない」
だが、と続ける。
「刀を、いや、剣のことをよく知っている。およそ実用的ではないが、それでも私には突破できない」
「正直かなりギリギリだったけどな。別になにも言ってないのに燿子が魔法を使わなかったのもあるけど」
「あ…」
そういえばそうだ。
「俺は“刀の使い方”は知らないが、“刀剣類の対処法”はよく知ってる。古流の剣術から現代の総合剣術まで、世界中であらゆる剣士を倒してきた」
「それで、あの動きか」
「燿子、俺が勝てたのは、お前の視野が狭いからだ。お前、昨日刀の値段の話をしてから、また影士のこと考えていただろ」
「⁉︎」
「武器に対する先入観、標的のイメージ、それがお前の剣を鋭くもするが鈍らせてもいる。去年、入学仕立ての新入生たちに比べれば武道を学んだお前の剣は圧倒的だったかもしれないが、全体で9位止まりだった大きな原因はそこだ」
「視野が狭い…」
「だから、色んな剣と戦い、対処法だけは積んできた俺の付け焼き刃に勝てなかったんだ。勝負はいつも自分のフィールドでできるとは限らない」
「なるほど…」
言われたことを噛み締め、じっと代刀を見つめる。
「俺に使い方がわかっていないと言ったが、お前はその代刀の具合を確かめる時間を設けなかっただろう?もちろん実戦でその辺の武器を手にして戦うような状況じゃそんな余裕はないかもしれないが、可能な限りは理解をするべきだ」
「確かに、焔の言う通りだ」
「俺が戦ってきた中でも達人級の連中は、皆口を揃えてこう言っていた。『真の武器使いは、武器を道具ではなく体の一部にする』ってな」
「私に足りないのは、己に向き合うこと、か」
「かもな。さっきは上手くいったが、剣について俺には偉そうなことは言えない」
「焔、もう一本頼む!」
「ん〜、2度目はもう勝てないだろうな。刹那」
「…ん」
岩から飛び降りた刹那が、腰から忍者刀を抜き放ち構える。
「武器のことは武器使い同士で闘るのが一番だ。今日1日は視野を広げることに専念しよう」
そうして、多彩な武器を使いこなす刹那と素手でありながらまるで刀を寄せ付けない焔を相手に、日が暮れるまで実戦訓練に没頭した。
翌日の早朝、太陽が見え始めたくらいの時間に一向は下山を開始した。
次に訪れるのは3週間後だ。
「いよいよトーナメントが始まるな」
「…今年もきっと盛り上がる」
「う、うん。そうだな」
「どうした、また顔を赤くして。具合でも悪いのか?」
「いや別になんとも⁉︎」
「そうか?」
「…きっと、2日続けて私たちがヤッてるのを覗いてたから」
「「ぶっ⁉︎」」
2人同時に吹き出す。
「はあ、ちょ、ええ⁉︎」
「なななななになになにを⁉︎」
「の、覗いてたのか…。お前、なんで気づいてたのに止めなかったんだ!」
「…その方が燃えるから」
顔を真っ赤にした焔と燿子は、気まずい空気の中、行きよりもぐっと口数を減らして帰路につくのであった。
星宙学園の女子寮に帰ってきた燿子は、疲れ切った様子でベッドに倒れこんだ。
「う〜、久々に疲れた…」
「おかえりなさい、燿子。はいお水」
「ありがとうミラ…」
ゆらっと体を起こし、ミラの差し出してくれた水を飲む。
「ほらほら、ベッドが汚れちゃうわよ。先にシャワー浴びて。それとも御飯?」
「ん〜、浴びてくる」
「リュック開けて洗濯物出すわよ?」
「頼む〜」
まるで母娘のようなやりとりに、ミラは苦笑しながらふらふらとシャワーを浴びに行く親友を見送った。
「晩御飯どうする?もう寝ちゃう?」
風呂上がり、燿子の髪をドライヤーで乾かしながらミラが尋ねる。
「いや、なんだか米が恋しい…」
「じゃあ学食へ行きましょうか」
最後にいつものポニーテールを作ると、ちょっと足取りがふらついている燿子と腕を組んで学食へ向かった。
遅い時間だが学食にはまばらに生徒がおり、2人は適当なテーブルに腰を落ち着ける。
米が恋しかったが魚は十分食べていた燿子はトンカツセット、ミラはカルボナーラだ。
「で、刀はどうなったの?」
「一旦預けて、3週間後に取りにいく。それまで代刀を借りてきた」
「往復で3日もかかったわけ?」
「いや、なんとか1日で着いたんだが、焔と、あと偶然現地で会った刹那先輩に1日稽古をつけてもらっていたんだ」
「刹那先輩?どこまで行ったの?」
「場所は教えられないんだが、聞いて驚け、なんと霞迅工房だ!」
「えぇ⁉︎」
そうやってミラが燿子の話を聞いていると、ふと「ん」とお盆を持って歩いていた女子生徒に気がついた。
「む?」
「あ…」
燿子が振り返ると女子生徒もこちらに気づく。
それは、先日生徒会室で出会った焔の義理の妹、陽ノ森命だった。
「貴女たちは…」
「えっと、命ちゃんよね?」
「この前はどうもお騒がせしました」
器用にお盆を持ったまま頭を下げてくる。
「いいのよ。気にしないで。今から食べるの?一緒にどう?」
屈託のない笑顔で自分の隣を促すミラに命は少々戸惑ったが、燿子も頷いていたので遠慮がちに座った。
「お邪魔します。ご存知のようですが、私は普通科生徒会役員の陽ノ森命です」
「私は魔法科のミルドレッド・クイーンよ。ミラって呼んで」
「同じく、緋々神燿子だ。よろしく」
「よろしくお願いします。お二人は、生徒会ではないですよね?」
「えぇ。フェリシア先輩たちとはちょっとした知り合いで、お茶に招待されてたの」
「そうなんですか」
「もう、敬語なんてやめてよ。同じ2年生じゃない」
「あ、えぇ」
命は恥ずかしそうに頷く。
「えっと、2人はその、彼とは…」
彼、とはもちろん焔のことだろう。
「同じクラスなの。まだ知り合って一月半くらいだけど、いろいろあってね」
「そう…。義兄は迷惑をかけてない?」
「そんなことないわ。むしろ、けっこう助けてもらっちゃってる」
「うむ。私もだ」
色々事情はあっても、やはり義兄なのだろう。
命は心配そうに聞いてくる。
「ついカッとなってあんな風に…」
「あの後焔から聞いたわ。ずっと家を空けていたって」
「それだけじゃありません!あの人は私たちが必要としているときに…!」
途中まで言いかけるが、言葉を飲み込む。
「なあ陽ノ森」
「はい」
「私たちはまだ焔と知り合って僅かだが、それでもわかっていることもある。あいつは、えらく不器用な男だ」
「緋々神さん…」
「あと、お人好しだ」
「ぷっ、確かにそうね」
「そうだとすれば、昔と変わらないままだけど…」
燿子は少し箸を止め、命の目を見つめて語る。
「私にも兄がいるんだが、それはもう屑みたいな奴でな。父と母を殺して逃亡した挙句、あちこちで暴れ回っている」
「え?」
「でも、陽ノ森と焔はまだやり直せる。きっと分かり合える。その機会を逃しちゃダメだ」
「義兄さんは、まだ私の知っている義兄さんのままなのかな…」
「どうかしらね。私たちは昔の焔を知らないから」
「今も、鬼城の姓を名乗っているの?」
「ええ、そうよ。本名じゃないの?」
「本名よ。たぶん。義兄さんの両親のことはよく知らないけど。でも、昔は陽ノ森焔だったから」
「そうなのか?」
「うん。修行って言って家を空けるようになった頃から鬼城って名乗ってた」
「なんか納得」
「今は寮にいるの?」
「いや、自宅って言ってたけど、場所はわからないわね」
「同じ学園にいるのに気がつかなかったなんて。去年のトーナメントでも見なかったし」
「焔はずっと怪我してて、4月から復学したのよ。知らなかった?」
「え?そうなの?」
命は怪我という言葉に敏感に反応する。
「もう大丈夫なの?後遺症とかは?」
「え、えっと、特にないと思うけど…」
ミラと燿子は一瞬顔を見合わせるが、義手のことは言わない方がいいと判断した。
「私、半年間交換留学でイギリスにいて、この前帰ってきたばかりなの」
「あ、そうなんだ」
ということは、グリード事件の際には学園にいなかったということだ。
「この前、なんか植物が魔力を吸収して大きくなって、校舎まで壊れたってときに帰ってこようとしたんだけど、義母さんから大丈夫だって言われて」
「ああ、うんうん!大変だったわ!」
「そうそう!あはは…」
子が子なら親も親だ。瑞乃もグリードのことは伏せているらしい。
「帰ってきたと思ったらいきなり義兄さんに再会して。もう何がなんだか…」
「焦ることはないだろう。また会うこともあるんじゃないか?」
「そうよ。今悩んだりしなくても平気よ」
「そう、かな。うん。ありがとう」
その後は他愛のない話で盛り上がり、3人とも年頃の女子の顔を見せた。
夕食を済ませ、夜風を浴びながら寮の方へ歩く。
「誘ってくれてありがとう。クイーンさん、緋々神さん」
「ミラって呼んでよ。ミ・ラ」
「私も燿子でいい」
「ん、わかったわ…」
やはり少し恥ずかしそうだ。
「命も寮?」
「ううん、私は自宅。今日は部活で来てて、遅くなっちゃったから食べて帰ろうと思って」
「あら、何部?」
「空手部よ」
「え、意外」
「ふふっ、よく言われる」
「こっちに歩いてきてるってことは、西門から帰るのか」
「うん、そうよ」
やがて、女子寮の前で立ち止まる。
「今日はありがとう。楽しかったわ」
「こちらこそ」
「また一緒に御飯でも食べよう」
「ええ。それじゃ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ〜」
2人は去っていく命を見送った。
「ふ〜、今度こそ寝る」
「ほらほら、お腹出てるわよ」
部屋に戻り、二段ベッドに横になる。
燿子が下でミラが上だ。
「どうなるかしらね、あの兄妹」
「わからないが、命にはまだ焔を慕う気持ちが残っているんじゃないか?」
「あら、気づいてたのね。あの鈍感な燿子が…」
「う、うるさいな」
「何かきっかけが必要だとは思うけど、下手に首は突っ込めないし…」
「むう、そうだな」
「………」
「………」
「仲直り、できるといいわね」
「うん」
しばしの沈黙の後、ミラはそういえばと考えていたことを思い出す。
「ねえ燿子」
「す〜……す〜……」
「うふ。おやすみ」
ミラは微笑むと、明かりを消した。