第2章 -義兄妹-
その日の夜、焔は家でセリーナとサファイアの荷解きを手伝っていた。
本当に焔の家に越してきた2人は、先にセーフハウスの方を整えてからやってきたので、こちらの引越しは少々遅れ気味だった。
京は出張で出掛けており、今夜は3人だけだ。
「ふう、ようやく落ち着いてきたな」
「ありがとうございます、焔様」
女性らしいシックでエレガントな家具のセンスと日用品が整頓されたセリーナの部屋だが、その実、本の後ろもソファの下も棚の引き出しも、どこもかしこも銃が隠された物騒な部屋だ。
重火器の扱いに長ける彼女は、どこに行ってもこんな感じになる。
クローゼットにしまうつもりでテレビの前に置かれたミニガンが異様な空気を放っていた。
「さて、サファイアの方はどうかな…」
2人の部屋を行ったり来たりしていたのだが、荷物が多いセリーナの方についつい長居してしまう。
「ボス〜、セリーナ〜、終わった〜?」
家では生体偽装も解除し、ラフな格好のサファイアがやってきた。
暑いのか、手をパタパタさせている。
「ようやくひと段落つきましたわ」
「セリーナは物が多いのよ」
「ていうか銃な。学校でも修道服の下は武装してるだろ」
「習慣なんですもの」
物騒なシスターもいたものだ。そんな奴の授業は受けたくない。
「そういえばボス、今日の試合見てましたわ」
「ああ。気づいてたよ」
会場の端の方。2人は遠くから観戦していた。
「あいつら、ボスの悪口ばっか言いやがって…」
「サフィちゃん、観客を全員始末しそうな勢いで大変でしたわ」
きっと額に青筋を浮かべるサファイアをセリーナが止めていたのだろう。その光景が目に浮かぶ。
「まあそう怒るな。一番実害がありそうな奴は始末したわけだし」
「そもそも、ボスがあの女に手を出さなければあんな騒ぎにはならなかったんだけど?」
「………」
サファイアから目を逸らす。
手を出した上、フェリシアに誘惑されて無駄に派手な戦いをしたのだ。
フェリシアの方が付き合いは長い、とは言えなかった。
「焔様、迫られたらすぐコロッといく癖を直しましょうね?」
「…善処する」
女に恥をかかせるな!と教育された焔は、誘われると滅法弱い。
「ねえボス〜。あっつい汗かいた〜」
そう言いながらサファイアが後ろから抱きついてくる。
豊かな胸を背中に押し付け、耳元で吐息を吐きながら囁く。
「みんなでお風呂入ろ?」
あらあら、とセリーナは微笑みながら目を細め、ぺろりと唇を舐めた。
言った側から、誘惑には逆らえそうになかった。
「んん、んちゅっ…はあっ…れるっ」
「んむっ…ずちゅっ…あむっ…ん」
鬼城邸の浴場は大人3人が浸かれるくらいの巨大な浴槽を完備した豪奢な造りになっている。
京とはよく湯船に浸かるが、ヨーロッパ出身の2人にはあまりその習慣がない。
バスマットの上で、いやらしく身体を絡ませながらキスをするサファイアと、焔の猛りに口で奉仕するセリーナを相手にしていた。
それぞれ一回戦ずつを終え、今はインターバル中だ。
「んっ、はあっ……。また疼いてきちゃった…」
「んふふっ、焔様はもう準備万端のようですわよ?」
「お前ら、連携プレイばっかり上手くなりやがって」
「だって、ボスを1人で相手してたら意識飛ぶまでノンストップなんだもん」
「京ちゃんみたいに本番中は気性が荒ければいいかもしれませんが、焔様相手に少しでも攻戦に回りたかったら人海戦術ですわ」
「ほう、そういう腹積もりか」
ちなみに、普段は静かな京と刹那はセリーナ風に言うところの、かなり気性の荒い2人だ。
「あんっ♡」
「やぁっ♡」
セリーナを下に、サファイアを上にして抱き合う形で重ねて寝かせると、それぞれの秘所を交互に手で攻める。
ゆっくりと焦らすような愛撫に2人がお湯ではない湿り気でいっぱいになると、再び張り詰めた部分をあてがっていく。
「湯船に入らなくて正解だったな。のぼせたお前たちを運ぶ羽目になるとこだった」
「ボス♡」
「来てください♡」
結局、暑さで喉がカラカラになって3人揃って正気に戻るまで風呂場での攻防は続いた。
その週の金曜日、昼休みに焔たちは生徒会室を訪れていた。
刀那の振る舞ってくれた紅茶を飲みながら食後のひとときを楽しむ。
「ああ、まさかフェリシア先輩とお昼をご一緒できるなんて…」
「そんなにいちいち感激するようなこともないだろう」
「そんなことないです!」
「燿子ったら、会長と連絡先を交換してからずっとこんな調子よ」
「おいおい、ちゃんと体力作りはしてるんだろうな?けっこうハードな登山になるぞ」
「し、しているとも!私のために同行してくれるんだ。ぬかりはない」
「なんだ、登山デートか?」
「デートじゃないって…」
「燿子の刀を直しに行くそうよ」
「なんで剣を使わないのに鍛冶屋と知り合いなんだ?」
「ん〜、修行を兼ねて師匠の紹介で依頼品の配達を請け負ったのが最初だったかな?確かに俺は剣士じゃないが、得物に詳しくて損はないぞ」
「ジャパニーズソードのTAKUMIか…。興味あるな」
「お前の量産品とは違って、全部の刀剣が一点物だからな。だけど、鍛冶屋って連中はやたらと気難しいのが多くて…」
そんな風に話していると、扉がノックされて女子生徒の声が聞こえてきた。
『エイゼルステイン会長、いらっしゃいますか?』
その声を聞いた瞬間、焔がカップを持ったままフリーズした。
「ああ、どうぞ入ってくれ」
『失礼します』
入ってきたのは、セミロングの黒髪に百合の絵が彫られた白い髪留めを付けた日本人の女子生徒だった。
制服のデザインの違いから、魔法科ではなく普通科の生徒だとわかる。
「会長、今年のトーナメント期間中の露店開催の予算案の提出を……え?」
女子生徒は焔を見つけて焔と同じようにフリーズした。
焔はゆっくりとティーカップをテーブルに戻す。
「そんな、どうしてここに…」
驚きのあまり、思わず手にしていた書類を落とした女子生徒にフェリシアが怪訝そうにする。
「どうした、陽ノ森?」
しかし、女子生徒はフェリシアの言葉には反応せず、ずんずんと焔のもとまで来ると、怒りを抑えきれない様子で焔を睨む。
「何故貴方がここにいるんですか!」
「お前こそ、この学園に入学したとは聞いてなかったぞ」
「貴方に報告する義務なんてありません!」
一瞬、また焔が手を出していた女かと思っていたミラは、予想外の険悪なムードに眼を丸くしている。
燿子たちも同様で、フェリシアたち生徒会組は、普段の女子生徒を知っている分余計に驚いていた。
「意外です。まだ私のことを覚えていたんですね」
「命、俺は…」
「言い訳なんて聞きたくありません!」
「ちょ、2人とも落ち着いて…」
「口出し無用です。私はすぐに出て行きますから」
「おい、俺はともかく、関係ない奴にまでそんな態度を取るなよ」
「貴方に指図されたくありません!」
顔を赤くして怒る女子生徒に、焔はロクに反論もせずに言葉を失う。
「今さらどの面下げて戻ってきたというんです」
「俺にはやるべきことが…」
パァン!と乾いた音が響き、女子生徒が焔の頬を思い切り叩いていた。
「私は貴方のことが嫌いです」
眼を見つめ、はっきりとそう告げられる。
「見損ないました。もういいです、私に話しかけないで下さい」
「………」
「会長、テーブルの上に書類は置いておきますので」
そう言って拾った書類だけテーブルに置くと、最後にキッと焔を睨んでから踵を返して生徒会室を出て行った。
「………」
「だ、大丈夫?」
「…ああ」
焔は短く返事をして立ち上がった。
「気分悪くしてすまない」
それだけ言って、焔も生徒会室を出て行ってしまう。
残された8人は、戸惑いを隠せず互いに顔を見合わせた。
「はぁ…」
焔はぼんやりと空を眺めながら溜め息を吐く。
あの後、1人になるため誰もいない屋上へ登り、先ほどの生徒会室でのことを思い出していた。
「こんなとこにいた」
「…ミラ」
いつの間にかやってきたミラが、焔の顔を覗き込んだ。
「もう授業終わったわよ。昼休みからずっとここにいたの?」
「ああ、もうそんな時間か…」
「…あの子のこと?」
「まあな」
「誰彼構わず手を出すからよ」
ミラは茶化すように言う。
「あいつは、そんなんじゃない。聞きたいんだろ?お前らも出てこいよ」
ぎくっ、という擬音が聞こえた気がした。
屋上の扉を恐る恐る開けてハークやフェリシアたちが顔を出す。
「き、気づいてたか…」
「当たり前だろ」
「えっと、聞いてもいいの?」
「ん…」
焔は起き上がって胡座をかく。
他の面々も円を作って腰を下ろした。
「あいつは、日ノ森命。普通科の二年生、みたいだな」
「みたい?」
「俺もこの学園にいることは知らなかったんだ」
「じゃあ、偶然なのね。どういう知り合いなの?」
「妹だ」
「「「ええ〜〜〜っ⁉︎」」」
「驚きすぎだろ…」
「妹がいたの⁉︎」
「義理だけどな。命は俺が育った孤児院の義兄妹だ」
「孤児院…」
それはつまり、命も焔も何らかの形で親を亡くしているということだ。
知っていたフェリシアたちはそうでもないが、ミラやハークたちは聞いてはいけないことを聞いているような罪悪感を覚えてしまう。
だが、焔は気にする様子もなく自分と命のことを話し始めた。
「俺と命が育った“陽ノ森の家”は、この街の外れにある孤児院だ。
生まれてすぐ1人だった俺を拾って育ててくれた夫婦が、何の因果か捨て子とか孤児に次々と出会って、正式に孤児院として経営し始めたんだ。
だから俺が長男。
命は俺と同い年で長女だけど、兄妹としては5番目だ。
10歳のとき、両親が亡くなって1人だった命と出会ったのがきっかけで家に来た。
子供の頃の俺はやんちゃばっかしてて、学校でも近所でもケンカ三昧の悪ガキだった。
魔力を持ってるって気づいてから魔法も自分で覚えて、今思うとかなり危ないガキだったな。
ん?魔法を自力で習得したのかって?
まあな。いやいや、そんな大したもんじゃないさ。
自分の雷で感電してばっかだったし。
そんなときにお師匠様と出会って、修行で家を空けることが多くなった。
でも、命は家を飛び出してロクでもないことばっかしてる俺にも優しくて、いつも兄さん兄さんて心配してくれる良い義妹だったよ。
13くらいの頃には、もう家にいる時間の方が短いくらいになってた。
で、14のとき。フェリシアたちと知り合った何ヶ月か後だ。
紛争地帯でNPO活動に勤しんでいるとき、派手に負けて、大怪我して、左半身を失って一週間生死の境を彷徨ってた。
眼を覚まして色んなもんを失ったことに打ちひしがれてたとき、両親が事故で死んだって知らされた。
弟妹たちが泣いて悲しんでいるときに、俺は勝手に国を出て、勝手に紛争に首突っ込んで、勝手に大怪我して死にかけてた。
馬鹿野郎もいいとこだ。
でも、帰国できるような容態じゃなかったし、無理に帰国したところで地獄から帰ってきたみたいな兄貴を見て弟妹たちはどう思う?
ただでさえ両親を亡くしたってのに。
俺は自分の弱さを呪い、ベッドの上で動かない身体で暴れては鎮静剤で寝かされるような有様だった。
そんなことしてる間に、陽ノ森の家は存続の危機に立たされてた。
半ば強引に子供たちを庇って経営してたせいか、役人は元の両親や里親を探して帰そうとするし、怪しい宗教団体はしつこく訪ねてくるし。
そんなときに陽ノ森の家を救ってくれたのが星宮夫妻だ。
そう、校長だよ。
うん?だから、書類上は俺の義理の母親さ。言ってなかったっけ?
師匠の旧知だった星宮夫妻が陽ノ森の家の経営を引き継いで、あの家を存続させてくれたんだ。
俺はその頃、この義肢の生体テストの被験体になることに合意して、手術を受けることを決めた。
もう一度戦うためにな。
星宮夫妻とは電話で話して、家を救ってくれた礼と、まだ帰れないことを伝えた。
そのときに、弟妹たちには俺のことを話さないでくれと伝えたんだ。
だってそうだろう?
せっかく家が救われて、これから星宮夫妻と上手くやっていかなきゃってときに、不安をぶり返すようなことはできない。
まあ、なんてのは俺の言い訳だな…。
手術が終わった後も帰国する勇気がなくて、アメリカでリハビリして前線に復帰してからも、性能テストとかなんとか理由をつけて向こうでずっと仕事に明け暮れてた。
そこでバカ2人と知り合って、互いの傷を舐め合うように、戦場に出る理由を正当化するための組織を作った。
それから組織の活動の一環でようやく帰国して、そのときにはじめて星宮夫妻と出会った。
あ、いや、修行時代に師匠と一緒に会ったことがあったんだっけ。
まあそれはいいや。
で、そのときに改めて俺のことは黙っててくれと頼んだ。
弟妹たち、特に命は俺がいなくて相当堪えてたらしい。
今更どの面して逢えばいいのかわからなかった。
瑞乃さんと錬太郎さんは当然俺のことを説得しようとしたけど、俺は頷けなかった。
日本にいる間に京と出会って、京を連れてまた国外へ飛び出して、最近になって組織がだいぶ形になってきたから、仲間に任せて帰国したんだ。
なんでかって?
それは言わない。それ以上は関わってもいいことないぞ。
でだ。相変わらず陽ノ森の家に帰る度胸はなかったんだが、そしたらさっき命に再会したんだ。
3年ぶりか?
あの態度はまあ、予想通りだよ。瑞乃さんから聞いてたし。
でも、あいつが怒るのも当然だろ?
あいつはいつも俺のことを心配してくれてたのに、俺は馬鹿ばっかやってた上に、必要なときに側にいてやらなかったんだ。
そんな兄貴はもう必要ない。
弟妹たちが幸せになるのに、俺は不要だ。
このまま忘れてもらうのが一番だ」
焔が屋上で自分の過去を語っている頃、瑞乃が校長室で仕事をしていると、随分乱暴に扉がノックされた。
「どう…」
言い切る前に扉が強く開け放たれ、怒りのオーラを纏った命が入ってきた。
机にバン!と手をつき、瑞乃のことを睨みつける。
「何故言わなかったんですか」
バレてしまったか…、と瑞乃は嘆息し、手を振って風魔法で開いた扉を閉めた。
「あいつから口止めされていたんだ」
「ずっと知ってたんですね⁉︎」
「命、焔は決してお前たちを見捨てたわけじゃ…」
「じゃあなんで何も話してくれないんですか!一番必要なときにも側にいなかったのに!」
「命…」
目に涙を溜める命に、いっそ話してしまおうかと口を開きかけるが、
『校長先生、いらっしゃいますか?』
ノックと共に、新たな来客が訪れる。
命は俯いたまま何も言わずに校長室から出ていってしまう。
「うわ!あれ?星宮校長、あれって普通科の生徒会の子じゃ…?」
「あぁ、話は終わったから大丈夫だ。で、何の用かな?」
瑞乃は兄妹のすれ違いに心を痛め、親子でありながらどうすることもできない自分を責めたい気持ちでいっぱいだった。
話を終えた焔は、特に辛そうな様子もなかった。
たが、聞いていた側はそうはいかない。
「おいおい、お前らがそんな顔すんなよ」
「いや、でも…」
「ちょっと喋りすぎたな。忘れてくれ」
そう言って立ち上がる。
「焔、どこ行くの?」
「もう放課後だし。帰るよ」
「そう…」
「じゃあな」
そう言って屋上から去った焔は週明けにも姿を見せず、次に戻ったのは燿子との約束の前日である木曜日だった。
姿を消したことにミラたちは怒ったが、焔は急な仕事が入っただけだとそれを躱し、ミラたちにはどうすることもできなかった。