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あの日、あの瞬間、あの季節。


夏は嫌いだ。


燦々と照り付ける陽射しに悪態をつくように、私は心の中でそう呟いた。

さっきまでひんやりとしていたフローリングも、今では自分の体温より熱い。

汗ばむ体となにものも接していてほしくない。冷蔵庫の中で宙に浮いていたい。今なら北極か南極の海に入れる気がする。あぁ、冬が恋しい。

蝉の大合唱に混じる、風が鳴らす鈴の音さえも耳障りに感じる。

何かが膝の上、太股の辺りを這っている。蚊だろう。

仰向けに寝転んでいるから、ちょうど手が届かない。起き上がれば届くのだろうけれど、暑いから動くのが嫌なのだ。


現実逃避して冬を思い出す。


降り積もる雪、鼻先や耳が赤みを帯びるほどの冷気、吹き付ける突風――――。


先輩。


微かな記憶の残り香が、強い強いその香りが、夏のあの日へ意識を引き戻す。


夏は嫌いだ。



別の女の人と歩いていたあの人を見て、私は私から彼の全てを消し去った。そういう日だった。そういう気持ちだった。水泳部だったあの人と会うのが嫌で、真反対にある図書館棟へ行った。


向かう途中、文芸部の前を通った。

通る瞬間、部室の扉が開いた。

目と目が合って、その2秒くらいの間、私とその人とは宇宙の彼方にいた、――と思う。

耳の辺りで切り揃えれた髪、大きな瞳と、綺麗な眉毛、凛としたその顔を私は最初男のものだと思った。

どうしたの?と言われて、その声で女の人なんだと気が付いた。

すっと、ドアの前に立つ。170cmは優に越しているであろう身長、それから着崩した制服を見て、先輩だと分かった。


それが私と先輩の出逢いだった。


そのまま図書館へ一緒に行って、済し崩し的に仲良くなってデートに誘われた。



夏のあの日、海へデートへ行ったあの日。

夏のあの日、図書館の隅でキスをしたあの日。

夏のあの日、先輩の部屋でセックスをしたあの日。

夏のあの日、先輩のお姉さんに恋人だと紹介されたあの日。


何もかもが塗り変わった夏のあの日たち。


たしかに、あの夏、私たちはずっと一緒にいて、それから秋も冬も春も、さっきまでずっと一緒にいた。


けれど今年の夏を向かえる前、雨の季節が過ぎる前に、先輩は私の前から姿を消した。




梅雨は嫌いだ。


あれだけの季節を一緒に過ごしてきて、私はもう完全に先輩の色に染められていたのに、6月のあの日、先輩は私から、現実から逃げていった。


これは本当に恋なのか、私たちは互いに逃げてきただけじゃないのか、自分の気持ちも、私の気持ちも、本当も、わからないと先輩は言った。

買い物袋を持ってアパートの扉を開けて靴を脱いで上がって来たところだった。

どしゃぶりの中を来たところだった。

買い物袋を机に置いたまま立っている私に、先輩はそんな風なことを言った。


なんで今さら、本当になんで今さらそんなことを言い出すのだと思った。

私の全てを変えておいて、今さら自分から逃げ出すのかと。

涙がとまらなかった。塞き止められない感情をどこに持っていけば良いのか、何と吐き出せば良いのか分からず、ただただ呆然と立ち尽くす。

先輩はベッドの上で膝を抱えて俯いて座ったまま、それ以上は何も言わなかった。

屋根を叩く雨音と、私の啜り泣く声だけが部屋に響いていた。

そのうちに哀しみは漠然と怒りのような感情にすり替わって、私は帰りますと声を絞り出してどしゃぶりの外へ飛び出した。


もう何が起こったのか、分かりたくもなかった。



頬を流れていたのは汗じゃなく、涙だった。

どの場所も、どの季節も、先輩を思い出させる。嫌いな季節が増えていく。


脱け殻だ。たった一人失っただけでこうまで墜落していくのかと、私にとって先輩や、先輩と過ごした1年は、私の人生そのものだったのかと、自分がひどくちっぽけに感じる。

そうして世界とか宇宙とかと対比されて、自分の小ささに消えてしまいたくなる。


心まで潸々と落涙しているようだった。


この底から駆け上がる力を、私はいつになったら手にできるのだろうと、未来の自身に希望を馳せる。


伽藍堂になって、天井を、空を見つめる。


体が重く重く、地に沈んでいく感覚に囚われる。

すーっと静かに海に浮かぶように沈んでいく。

なのに脳だけが宙に浮いていって、そのうちに肉体と思考が乖離する。


先輩、


嫌いになったはずのその顔が、そこにはあった。



/I hate you.


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