水色の旅の話〜ある一座と〜
「だめだ」
僕がその声に止められたのは、ある夕方。あたりが眩しいオレンジ色に染まり切った時だった。
「え…?」
はじめはそれが、僕に向けられたものかどうかもわからず、視線を辺りにさまよわすばかりだった。だが、“がさり”という木々のなく声に、僕の目の前に黒い塊が現れた。
「お前、いまそれに触ろとしたろ?」
その問いに呆然と頷きながら、僕はある事に気づく。
黒い塊はこげ茶の、使い古されたコートだった。
「それは水穴の巣だ。触れば飲み込まれる………確か」
頭をすっぽりとフードで覆ったその声は、高すぎず低過ぎず。見たところ17〜18の、れっきとした人間と取れた。男にしてはやや低めの、女にしては標準よりやや高めの背丈。
コートの中身について、その人から与えられたヒントはどれも曖昧なものばかりだった。
見るからに怪しげな人物は、木々の間から現れたかと思うと、僕の隣に並んで、その自らが“水穴”と呼んだ水溜まりを覗きこんだ。
「確かって…」
僕は少々あきれる。
「私も久しぶりに見たんだ。それにこの言葉は知り合いの受け売りだし」
「はぁ、」
どう反応したらいいかわから無かったので、とりあえず適当に頷いた。
「ミズアナ、ねぇ」
「そう、水穴」
その人はこくりと頷く。しゃがみこんでいる僕の隣で、一緒になってしゃがみ込む。
「ミズ、アナ…」
僕からはどうしてもただの水たまりにしか見えなかった。今もそうだ、“水穴”という言葉を聞いてもなお、それは水たまりにしか見えず、何がどう危険なのかもわかりはしなかった。
不思議そうに、そして怪訝そうに眉をひそめ考え込む僕を見て、その人は深くかぶったフードの下でひそりと笑った。
「見てなよ」
そう言って、その人は片手に小さな石を握る。
一体何をする気なのか。何となく想像ができたが、僕は何も言わず、その人の行動をじっと眺める。
普段なら、こんな知りもしない人間、適当に挨拶をかわして早々と通りすぎてるところだろう。無駄なおしゃべりに時間を裂こうとも思えず、自ら身を引いているはずだ。けど今回。僕はそれをしなかった。
頭をフードで覆い、荷物も何も持たず、初対面の僕に、遠慮もなく近づいてくる。
怪しもうと思えば、いくらでも怪しむ事は出来た。だが、初対面のこの人を、僕にはどうしても怪しむ事が出来なかった。
―――ぽちゃん
小石が水たまりの中に落とされた。
だがなにも起きない。
それはやはり水溜りだった。
波紋が広がり、ふちにぶつかる。
何もないじゃないか、と、僕が口を開こうとした時。目の前で、見た事もないおかしな光景が始まりだした。
広がった波紋がふちにぶつかれば、更にその波紋は中心に向かい、うっすらとした姿を走らせるはずだった。だが、その決まりに反して、波紋は水溜りのふちに吸い取られるように消えてしまった。その瞬間、水面は凍りついたかのように、“ぴたり”と静まり返った。
僕の思考もぴたりと止まる。
その水面がとても固い、無機質の塊に見えた。
だが、それは本当に一瞬のこと。
―――ざわざわざわ…
“小石の足もと”とでも言っておこうか。水たまりに半身を浸す小石の真下から、小さな気泡がいくつか現れたかと思うと、透明色のミミズのようなヘビのような物体が現れ、小石の表面を這うように動き回る。やがて小石の2/3程度が包み込まれた。やがてと言っても、それは3〜4秒のこと。さらにそれからすぐ、小石は瞬く間にその姿を水面下へと沈めてしまった。
水溜りにそこがあるのなら、そんなこと起こりえないはずなのに。
「な、ななな…」
僕はペタリと尻を地に着け、後ずさる。初めて目にする出来事に、ほんの少し腰を抜かした。
「なんだ、本当に知らなかったんだ」
フードのその人が笑うと、それに合わせるように、水穴は今食ったはずの小石を“っぷ、”と吐き出した。それは丁度よく、後ずさった僕の足もとへと転がり込む。
「お前、ここら辺の人間じゃないな?」
その人は言う。
「ここらの人間は、水穴なんて猫やら犬やら程度の当たり前の存在として知ってる」
その通りだ。僕はこの地の人間じゃない。
「旅の一座をしてるんだ」
「へぇ」
その人はふらりと立ち上がった。
「そういうあんたは、ここの人間か?」
「違うよ」
「じゃあ旅人か」
「…まぁ、そうかな」
本当に曖昧だと思った。
なにもかも、曖昧すぎるのに、その相手を信用してしまってる自分が悔しい。
「な、なんだよ」
腰を下ろしたままの僕の前に来ると、その人はじっと僕を見下ろし動きを止めた。
僕はまた、じりりと後ろに後ずさる。
「いや、男のくせに、一人で立てないのかなって」
差し出されたその手は、まるで僕をからかっていた。
「たっ、立てるに決まってるだろ!!」
飛び跳ねるように立ち上がると、自分の顔が赤くなるのが感じ取れた。
「それより、お前は何なんだよ。旅って言ったって、いろいろあるじゃないか。まさか人売りじゃないだろうな?僕を金にしようって魂胆なら、一座の皆が黙っちゃいないぞ」
目の前の人間が人売りではないことくらい、僕は訊かずともしれていた。
だって、その人のまとう空気は、人売りなんかのいやしいものとは全く違う。その人自体が“あるようにある”と言った感じで、なにも隠さず、なにも作らずしているのがよくわかった。自然体、という言葉が一番等しいだろう。
「人売り?まさか」
その人はまたフードの下で笑った。
「ただの追い剥ぎだよ」
情けなくも、僕の腰はまたも抜けてしまった。
*
一座に戻ると、大人たちが飲みの準備をしている最中だった。
「おお、ダン。どこほっつき歩いてたんだ。こんな遅くにまで何してた」
二つの丸テーブルを軽々と肩に担ぎ、団長は僕の方へとのうのうと歩いてくる。
「団長、今更“皆心配してたんだぞ”なんて言葉無意味だからな。子供が一人戻ってこないのに、誰も探しに来なかったじゃないか。それどころか酒の準備って、」
僕はため息をついて額に手をあてた。
「あっはっはっは、一本取られたか。まぁダンよ、これも皆がお前を信用している証拠だよ。お前は賢いからな」
がしがしと乱暴に僕の頭をなでる団長の手は、でかくて温かかった。頬を膨らましているものの、こうしてもらう事は嫌いじゃない。だが、後ろからの視線を感じ、僕は気恥ずかしさからその手からのがれる。
「今回はその言葉にごまかされてあげるよ、」
「まったく、素直じゃないなお前も、」
団長はさもおかしそうに笑う。このまま笑われるのはしゃくだが、早く話を進めたかった。僕は両手のふさがる彼の、服の裾を軽く引っ張っぱる。
「客、連れてきた」
なんともぶっきらぼうなその言葉に、団長は笑うのをやめ、僕の後ろへと視線を向けた。
僕の来た道の上。一座の明かりかがぎりぎりで届かない場所にその人は立っていた。
団長は闇に眼を凝らし、はっと口を開いた。どうやらその人の姿をとらえたらしい。
彼は両肩に乗せたテーブルを、“ごとり”と自分の両脇に置いた。なぜそんなものを軽々持ち上げられるのか疑問だ。僕がこのまま大人になっても、絶対に出来ない芸当だと思う。
「おーーい、あんたがダンの客人かい。そんな離れた場所にいないで、ほら、遠慮せずこっちに来てくれ」
遠慮という言葉に、僕は内心首を振った。多分、遠慮ではない。そう思った。
だが、そのあとすぐに思う。
これが遠慮でないのなら、なんでこちらに来ないのだろう、と。
あの人の行動が、どうも僕には理解できなかった。
結局は、団長の呼びかけにあの人は答え、一座の飲みに加わっていた。
それも、あの人はすんなりと皆の誘いに答えたのだ。遠慮も考慮もなく。
「どうだい、一緒に」
「じゃぁお言葉に甘えて」と。
僕の耳に残ったのは、なんとも手短なやりとりだった。
「どうした、ダン」
「いや別に」
「なんかお前怒ってないか?」
「そんなことないよ」
「そうか。まあいいや」
飲みの席。いつもなら、僕は子供でありながらその場に積極的に加わっていた。だが、今日はどうも気分が乗らず、この夜のためだけに建てられたテントの端の端にいた。
たまに調子に乗って、大人たちの飲み物を味見させてもらったりもするのだが、それもなしだ。今日はおとなしく、この宴会を第三者として眺めていた。
やいやいがやがやと、皆が放つ声や音はどれも楽しげに弾んでいる。
「なんでお前、僕の隣にいるんだよ」
「だって、私はお前の客だ」
「客っつったって、」
「呼んだのはお前だろ。私は別にあのまま帰っても良かったんだ」
「そんなこと言って、単に酒が飲めないだけじゃないの?」
「いや、飲める。けど、別に好き好んで飲むもんでもないよ。動物は水があれば充分だろ」
まあ間違ってもいない。そう納得してる自分を心の端に感じ、僕は視線をふいっとそらして「ふ〜ん。まぁ何でも良いけど、」と尊大に答えてやった。
だが、意味もなく意地を張るのにも空き、まだまだ子供っぽい自分へ軽く息を吐いた。隣に座るその人は、反論さえしなければくすりとも笑わない。いったい今、どういう表情をしていることか。
フードの彼(僕は勝手に男だと想像していた)は、きっと僕のこんな内心をすべて見透かしているのだろう。
椅子の上で山座りをしていた僕は、折り曲げられた膝の上に顎を乗せ皆を眺める。その口元からは、またもため息混じりの吐息が漏れた。
僕の客人とやらも、僕と同じようにただじっと皆を眺める。
皆を眺めながらも、“ちらり”とその人盗み見ては、なぜフードをとらないのかと疑問に思った。そう言えば、まだまだ訊くべきことはたくさんあるじゃないか、と僕は膝に乗せてた頭を持ち上げた。
「そういや、あんたの名前…」
「おーい!ダン。どうした。今日は気分でもすぐれないのか?」
突然、聞きなれた声が僕の肩を叩いた。
見れば、人をよけながらこちらに来る一人の黒髪が目に映る。
サイドだ。
この一座の中では細身な彼だが、武術の方に腕がたつ。ここではそれを売りにして飯を食っている。
腕は確かだし、人当たりもよく、面倒見もいい。皆から好かれる存在であり、団長とも仲が良く、たびたび2人で雑談をする光景を皆が目にする。
彼はきっと、団長を継ぐものだろうと、僕も皆も読んでいた。
未来有望の好青年。そんな彼は、いつも僕を本当の弟のように接してくれる。
「なんだ、サイドか」
「なんだとはなんだ。せっかく人がテンションあげに着てやったのに」
「いいよ。今は気分じゃないし」
僕はまた、先ほどからと同じように皆へ遠くから眺めるような視線を向けた。その横で、「可愛くない奴だな」と、サイドがぼやく。
そのぼやきもなかったもののように、僕の頭の中では今日の出来事がぼんやりと繰り返されていた。
あくびを一つ。
朝から始まり、昼、夕刻、と記憶が蘇るなか、ある時間帯でそれは止まる。
「あ、」
「なんだよ、びっくりした」
気を抜いていたのか、サイドの肩がびくりと揺れるのがわかった。
「なぁ、サイド。水穴って知ってるか?」
突拍子もない僕の質問に、彼は少々戸惑った様子だった。いきなりだなぁ、とぼやき、ぽりぽりと頭をかく。
「ここら辺に生息してるやつだろ。確か蜘蛛の一種かなんかの」
く、蜘蛛。あれが!?
と、僕は目を丸くする。
「なんだ。どうした」
サイドはまったく話が読めない様子だった。この場合、読めたほうが怖いのだからこれでいい。
僕は、今日初めてその生き物を目にした事を彼に告げた。
「ほぉ、良かったじゃないか。また一つ経験値があがって」
彼は他人事のようにからからと笑う。
「ねぇ、あれって人も食うの?」
「んー、でかいやつなら、たまに。子供が食われたって話も聞くしな」
「な、なんでみんなそんなこと黙ってたんだよ!!僕も食われるかもしれなかったんだぞ!」
身を乗り出す僕の額へ、サイドの節くれた指があてられた。なにかと口を開く間もなく、そのまま彼が軽く力を入れると、僕の体はひとたまりもなくバランスを崩し、椅子の上から落ちそうになった。
「食われなかったんだから良かったじゃないか。それに、皆機会があったら教える気でいたさ。おかげで俺たちは初めてお前の客人を、」
と、そこまで言いかけてサイドは首をひねった。
僕も椅子の上に落ち着き直しながら首をひねる。
「そういや、お前の客どこ行った?」
「どこって、そこに…あれ、」
僕らの視線の向けられたそこには、噂の客人の姿は微塵もありはしなかった。
*
「今日は、良い月だな」
フードの下、月に小さく照らされた唇が動いた。その言葉が向けられたのは、宴会の明かりから少し外れた暗闇。
―――くしゃ、
緑の踏まれる音がした。
それとともに、フードが見つめていた先の闇がさっと動き、姿を消した。消える瞬間、獣の尾と思しきものが月の明かりに照らされた。
「やあ、こんばんは」
足音の犯人は、人懐っこい笑顔を浮かべた団長だった。
彼の出現に、木々に隠れていた野犬でも逃げたのだろうか。
「こんばんは」
フードは答える。
「散歩、ですかな」
「はい、まぁ」
そうですか。と、団長はほほ笑む。
「ダンのことですが、」
「何か?」
フードは“とすん”と、その場に腰を落とした。
後ろに手をつき、背が高くがたいの良い団長を見上げるとも、天気の良い夜空を見上げるともとれるように顔をあげた。もちろん表情は厚めなこげ茶の布の下。
団長は腰に手をあて、やんわりと微笑みそれを見下ろす。
「あんたが初めてだ」
「はぁ、」
よくわからなそうに頷く、フードからはみ出る口元をみて団長はほほ笑む。
「ダンは、なかなか人になつかない気がある」
「そうなんですか」
(私と同じだな)
フードは口元を小さく歪ませる。それはほほ笑みとも苦笑とも取れた。
「私たちが拾った時も、誰とも口を聞こうとしなかった。半年で口を開き、一年で笑顔を見せて、それから更に半年で、怒りや不満を見せるようになってくれた」
優しげな男の瞳が、遠くを見るように星ぼしへ向けられる。そっと細められた目元は、まるで一人の父親だった。
「私たちとなじむのに、こうも時間がかかったあの子だ。一つの場所にそう長くとどまることのない集まりだ。あの子には友達を作るには時間が足りなすぎる…」
罪悪感でも感じてるのだろうか。
別に誰が悪いというわけでもないのに。
(随分と優しい反応だな)
フードは頷きもせず彼へと視線を向ける。その瞳には少量の疑問の色が浮かんでいた。だが誰かがそれに気づく事は決してない。
「あの子があんたを連れてきた時はびっくりしたよ」
風が流れ、草草がざわめいく。
気持のよい夜の沈黙を、少なからず団長は味わっているようだった。
話しを急ごうとさせず、この、今の流れに任せようとしている。
その場所の時間は、随分とゆっくり流れていた。
しばらくの間、どちらからと口を開く事はなく、澄んだ風だけがひそひそと木々と雑談をしては踊る。
二つの水色の瞳が、誰とも知らずゆっくりと瞬かれた。だがもちろん、それを知るのは瞬いた本人ただ一人。
「…ダンは、随分と珍しい髪をしてますね」
話題を持ち出したのはフードの方だ。
見上げた星ぼしの瞬きは心地よく目になじむ。コートに身を包んだ人間はそう思ったのもあって目を細めた。
「あぁ、あの燃えるようなオレンジは、こちらの大陸だけじゃなくあちらの大陸でも珍しい」
静かな会話が、あたりを満たす。
「いいんですか。あんなに目立つ髪をそのままに、一人そこら辺を歩かせたりして」
こげ茶に包まれた人間の言葉に、一座の団長は苦笑を洩らし頭を掻いた。
「まぁねぇ、貴方の言いたい事はわかる」
「あんな時間に、あんな場所で。もしも私が人売りだったら、良い拾いものをしたと喜んでたとこですかね」
「あぁ、あんたが人売りじゃなくて本当に良かったよ」
宴会の音が近くにありながらも遠くに聞こえた。
人々の動きが、明かりの中、影となりはっきりと伺える。
あるものは盃を大きく傾かせ、中のそれを一息に。あるものはテーブルの上にうつぶせて深い眠りに。あるものは仲間と肩を組み知る歌を口ずさむ。
「ところで、」
フードの視線がはっきりと肌で感じ取れるぐらいに、目の前に立つ一人の男へと向けられた。濃厚な何かが、ゆっくりと空気に溶け、まじりあう。
団長はそっと口元をゆるまし、地べたに腰を下ろす人物をじっと見下ろした。
フードもどうやら団長を見ているようだった。ゆっくりと立ち上がり、コートをぱっぱと叩く。
「他の、拾われた子供たちは今どこに?」
小さな風が、僅かに布を持ち上げた。そこに、口元しか見せなった影の下、一瞬ではあるが、水のように透き通ったきれいな瞳が顔を覗かせた。
*
僕はテントから出て、一人月明かりの下を歩いていた。
「あいつ、どこいったんだろ」
それもこれも、あのフードのせいだ。サイドが来る直前まではいたのに、いきなり姿をけしてしまうなんて。
(帰ったのかな)
そうだとしたら最悪だな。
僕は足を止めて、自らの立つ地面をじっと見つめる。
いきなり現われて、かと思ったら話しかけてきて、ここまで付いてきてくれて、何もなかったかのように消えてしまって。
(これじゃあ、何もなかったのと変わらないじゃないか)
「折角話ができたのに…」
あんなに、自然体で人と接する事が背来たのは、一座の皆を除くとゼロだった。
いつもいつも、目にする人間誰ひとりに興味を沸かす事が出来ないでいた。みんなが同じように見えて、皆が自分を珍しい生き物のように遠慮気味な視線を向けて。
一体、自分が何なのか、たまにわからなくなる。
多分、この髪のせいだろう。
しかも、この大陸だ。
よそ者でありながら、風変りな容姿。
僕には、人の目を引くには最高の条件がそろっているのだ。
だからだろうか。
あの、フードをかぶった自然とは言えない服装。
旅をしてる人間がコートをまとうのは自然な事だが、あんな道端でフードをかぶってるのはおかしな話だ。大きな街や港に行くと、黒い仕事をなあわりとした人間が沢山居る。そういった奴らがうえから下まで黒ずくめだったり、顔を隠していたりするのはよく見る光景だった。
だが、あんな人気もなく、顔を隠すような必要もない場所で、あいつは当たり前のようにフードの姿で僕の目の前に現れた。
その不自然さが、僕の目をひいたのだろうか。
というより、気を引いたのだろうか。
(どう見ても、そういう系の仕事をしてるようには見えないんだけどな)
見えるというより感じるだろう。
もともと顔も表情も見えない相手だ。話してる感じで判断するしかない。
自分で言うものなんだが、僕には多少、人を見る目があると思う。あくまで自分の言葉だから、その内容に信憑性はないが、自分はそうだと信じている。
初めて会った時は、まるで読めない奴だと思った。
けど、会って、話して、一緒に歩いているうちに、言い表せない親近感と信頼のようなものを抱いてしまっていた。
どこか深い考えを持て居るようで、かと思えば、やはり何も考えていないようで。子供っぽいとも思った。自分より背の高い人間を見上げて、実は自分と同い年なんじゃないかと疑った。
―――もっと、話したい。
いつの間にか僕は、普段なら決して思いもしないような事を思っていた。
「なのに、」
消えるなんて、ずるいじゃないか。
僕はこぶしをぎゅっと握った。
宴会から抜け、眠りにつき、僕が目を覚ましたのは、夜も深まった1時ごろだった。
どうにも寝袋の中が熱苦しく感じて、何度も寝がえりをうっていた。我慢できずに瞼を開くと、就寝用のテントの戸となる、入口に垂れ下げられた布の間から、夜の黒を切り裂くような一筋の月明かりが覗いていた。
それが寝起きの目に眩しかったのか、一度瞬きしただけで、僕の頭はすっかりと覚めてしまっていた。
(これじゃあ寝れないな)
もぞもぞと寝袋から這い出る姿は、何かのさなぎが成虫へと進化する様子にも見えただろう。
抜け殻となった寝袋を後に、僕はまた、何かを探すようにテントの周りを歩いていた。
「………そろだな、」
ふと聞こえた音に、僕の耳が敏感に反応した。
「そうか」
この声にも聞き覚えがあった。
僕は声のする方へと足を進める。自然と足音は消えていた。じっと息をひそめ、ただ一つ、明かりの灯されたテントの方へと近づいていく。
「早いと思うなら、そう言うと良い」
低く、深く、ざらついた声。
やはり。
これは団長のものだ。
「いや。別に俺は反対しないよ。もう自分でも十分だと思ってるし、あとの判断は全部あんたに任せるよ。団長さん」
これは………
(…サイド?)
ここのテントだけ、一座の皆が共有するものとは質が違う。団長が自分で買い求め、自分のためだけに使っているものだ。ほかのと比べ、厚みがあり、表面がけばだっているせいか、のの中の人影は淡くぼやけていてはっきりとは確認できない。だが、二人以上いることは確信できた。
二人にしては、衣ずれの音が少少多いのだ。
(一体何の話をしてるんだろう)
僕はさらに耳をそば立てる。
たまに、団長の知り合いという人間がこの一座に出入りしているのは知っていた。それはいつも不定期だが、いつも真夜中に訪れ、去って行くという。
多分、今あのテントの中にいるのもそれらの人間だろう。
「俺らはまた、いつもどおりにしてる。だから、次の段階に入る時はまた合図をくれ」
乾いたような、かさかさとした響き。この声は僕の全く知らない人間のものだ。
「あぁ、」
それに団長の声が頷いた。
さらにまた、僕の知らない、先ほどとは別の人間が口を開く。
「とりあえず、次の段階にいく前には、確実な人数と性別を教えといてくれ。早めに客は探しておきたいだろ?あと、よこしてくれる情報によっては、準備しておく客の種類も変わってくる」
「まぁ、何にしろは趣味のいい金持ちやなんかになるんだろ。あとは適当な地主とかか?労働力に困ってるとこなら、値は後にしても必ず買ってくれる。…商品が健康ならな」
サイドの言葉は、どこか嘲りをふくんでいた。普段聞きなれていない、彼の声の帯た変な色を感じ、僕の背中に鳥肌が立った。
もう聞きたくない。
その思いが頭の中を埋め尽くす。
「とりあえず、確実に2人分は準備しといてくれ。これはいい値で売れるはずだ」
僕の身は風となり、その瞬間その場から消えた。
「はぁ、はぁ、…」
どうにも胸の鼓動が落ち着かない。
うまくあの場から立ち去れたはずなのに、なぜだろう。
まだ、目が覚めてからそんなに経ってい何のに、長い時間をあそこで過ごしていたきがした。
「どうしよう、…どうしよう、…」
僕は胸を抑える。
―――2人は、確実。
それは一体何のことだろう。
いや、それより、それは一体誰のことだろう。
(・・………………………………………………………………………………僕、だ)
漠然と放り出された情報をつなぎあわせ出てきたのは、漠然とした答えと、認めたくない焦燥だった。
やっと、この一座の不可解な点に気づいたのだ。
旅先でよく身元のない子供を拾う団長。だが決して増えすぎない一座の人口。
なぜ?
入ってきたと思えば、あまり長居をせずに出て行ってしまう子どもたち。
なぜ?
子供たちがどこに行ったのか、訪ねればいつだって答えてくれた。ただ、それは“新しい家族の元”といった、大きすぎる枠組みなもので、決して“どこの土地の”や“どういった人たち”という点は聞かされないでいた。
なぜ?
今すぐ団長の元に戻り、あの会話が何で会ったのかを確かめたい。だが、僕自身が本人に確認する必要はないと訴えている。
信じるな。疑え。あれは危険だ。今すぐ逃げろ。
だが、今までの思い出は、その思いを行動に出すには、あまりに暖かすぎるものばかりだった。
僕はどうしようもできず、仁王立ちのまま空を見上げた。
*
「―――……っつ、」
私が目を覚ますと、そこには明かりも何も存在しなかった。ただ何となくわかったのは、四方に壁のあるどこか狭い場所に、自分は放置されているという事だ。真っ暗なのは、ここに天井があるからだろう。
冷たい地面に預けていた頬が痛かった。身を起こすために力を入れると、どうも腹部が痛んで仕方ない。とりあえず動き回ることに気が乗らないので、その身を手近な壁に預け、一つ息を吐いた。
(くそ…あいつ、肋骨が折れてたらただじゃおかないからな)
私は虚しくも一人舌を打つ。
どうやら手足は動かせないようだ。見なくても分かる。手頸やら足頸やらが、荒い縄に締めつけられちくちくと痛んでいた。
(縄は…ナイフで何とかなるか。その後は…)
なれた動作で、コートの下にひそませたナイフへと手を伸ばす。両手が縛られているので、全身を使わなければそこへは手が届かなかった。
「くっ・…」
途中、ずきりとした痛みに身が縮こまる。これは腹部からのものもあるが、頭部からのものが一番だろう。どうも頭ががんがんして止まない。
(腹よりも頭か。…耳鳴りがするなぁ)
なんでこうなったのか。鮮明な記憶はあのときまでだ。
この一座の団長である男と、他愛もない会話を交合わせていた。そして、単に確信に迫りたいという好奇心から、ある質問をした。
『拾われた子供たちは…』
(あの時のあいつの顔、頭に血の昇ったゴリラかなんかだったな)
それを見てすぐ、後頭部に痛みが走ったのだ。
後頭部では大雑把過ぎるだろう。詳しく言うなら、首の後ろ。
(…手刀)
あれは手なれた人間のものだった。
人の体をよく知り、その狙う位置や力加減、角度と言ったものをよく理解していた。
(そこからか、)
私の意識が、はっきりとその場をとらえられていたのは。
(一発目は、…耐えた、よな。それで確か…)
それからの記憶を探して、私はじっと暗闇の一点を見つめた。本当に真っ暗で、ここが一体どこなのか。これから自分がどうなってしまうのか、という不安も忘れて。
***
『ところで、拾われた子供たちは今どこに?』
フードの下の瞳が、一瞬月明かりに照らされる。
足音も何もなく、その声は突然現れ、鼓膜を揺らした。
『面白い話をしてるな』
とん、
音だけなら随分と軽々しいものだ。だが、首筋にその衝撃を受けた人物は、突然の出来事に視線も体も追い付かなかった。
『っ―――』
フードの下で、二つの眼が見開かれる。肺から逃げだそうとする空気を飲み込み、その口元はぎゅっと引き結ばれた。
ざっっ、!!!
二つの足はなんとか踏ん張り、草を踏みつけ、土をえぐる。
だが、身を保っていたのもほんの数秒のことだった。
一発目を絶えた標的へ、更に相手はもう一発加えてきたのだ。
それが、あの大男。団長である。
『この、野郎…!』
『―――がっ』
その一発は見事鳩尾へとはまり、どさり、とその身は仰向けに倒れこんだ。
手なれた一発目より、怒りにまかせられた二発目の方が効いたようだ。
『こいつ、どこでその情報を、』
冷たく低い声が、おもしろくなさげに舌をうつ。
もう一発、と、振り上げられた腕だが、それは“ぱしり”と細身の節くれた手に止められた。
『それ以上はやめとけって。死んじまうよ』
団長はその手を振り払う。
『死…。殺した方が良いのかもな。こいつはここ何十年も隠し通してきた俺らの商売を知ってる。知らない奴らにばらされる前に、さっさと始末した方が…、』
『へぇ、』
青年の口元に浮かぶうすら笑いに気づき、団長はふっと腕を下ろした。
『あんたにできんのか?』
人を殺めることができるのか、とその声は聞いた。
大男は唇をかんだ。
青年はそんな大男の様子には飽きたように視線を移す。それは地に寝そべるコートの人物へと向けられた。そしてゆっくりとその人物の頭部へとたどり、そっと細められる。
『あれが見えたのは、俺だけか?』
『あれ?』
何のことだ、と団長は首をかしぐ。それを見た青年は小さく息をつき、また、じっとそれを眺めた。
仰向けに倒れこんだフード。それはいまだに頭部を布の下に隠したまま。だが、僅かにその裾から、意識のあった時には見えていなかった“あるもの”が覗いていた。
それが見間違いでない事を確認すると、一発目の手刀を放った青年、サイドは、その裾へと指をかける。
『ほらな』
その唇が賤しい笑みを形造る。
月明かりの下。短い髪をばらばらと乱し倒れる人影があった。その容姿は男の物のようにも見える。だが、男にしては輪郭を縁取るその線に、硬さが足りない。
こげ茶に包まれていない頭部は、苦しげに歪んでいた。
だが、意識のある彼らが視線を送るのは、そのもう少し上。
倒れ、気を失うその者の髪は、白銀の月に照らされ水のように透き通っていた。うっすらと青みがかった銀髪。まるで、青天の空を映した水の色。
二人の男は目を合わす。
団長の表情に、下賤な笑顔が花開いた。
『なるほど、な』
その声は若干震えていた。
***
カイは、ずきずきと痛む頭を項垂れ、「くそっ」と毒づく。
「やっぱ覚えてないか…」
団長の一発でKOして、あとはぐっすりだったという事だ。
(なんか悔しいなぁ)
見えない月を見上げ、ほうっとまた息をつく。
頭が痛むのは、団長の一発より、誰だか知れない人間の手刀の方が効いていたからだろう。ぎりぎりで堪え抜いたところを、何となくは予想していたがあの大男に手を出されてしまったのだから仕方ない。
自分はただ、この一座の裏の顔を確かめようとしただけなのに。と、特に理不尽でもない内容に、水色は唇をとがらせるのだった。
(今は金に困ってないし、役所に知らせようとか、そんなのもなかったんだけどな、)
できることなら、あの楽しげな宴会を適当に眺めた後、その余韻に浸りながら、近くの村にとっておいた質素とも素朴ともとれる宿に帰り眠りたかった。
(なのにこんな…)
どことも知れぬ、箱のような場所で寝る羽目になるとは。
カイは「あーぁー、」と意味のない声を出して、手にしたまま弄んでいたナイフを動かし始める。腕を後ろの方にして結ばれているため、手元は見えないはずなのだが。なんとも器用な事に、彼女はさくさくとその作業を進めていった。
手頸に結ばれた縄を切り、軽く腕を回すと次はその刃を足首に捲かれたものへと当てる。それも簡単に切り取り、ほどいたそれを手近なところに置いた。
それで終わりかと思いきや、自分の足もとにナイフを突き立て、床の下に地面を感じるとすっとその刃を抜いた。手触りで、自分の寄り掛かる壁の質を確認し、そこにも、床同様ナイフを突き立てた。それを抜き取る瞬間、外界からの光にナイフの刃がきらりと輝く。
(外…なんだ、まだどこにも移動してないのか)
カイは懐かしい月の明かりに目を細め、床の一部を小さく削り取った。それを、今し方開けたばかりの覗き穴に軽く詰める。
あたりは又、光のない暗闇に戻ってしまった。
そして、さっき外したばかりの縄も、また同じように手頸と足頸に結ぶ。だが、先ほどとよりもかなり緩く。
こうしてその場は、また一度前となんら変わらない光景へとなった。
手足をひもで結ばれた人間が一人と、何もない暗闇が一つ。
後はただじっと待つばかりだ。
様子を見に来る団長の手先か、自分と同じように捕まり放り込まれる、間抜けな誰かを。
*
しばらくすると、静寂と暗闇しかなかったそこに、明かりと騒音が飛び込んできた。
「離せ!くそぉっ!!…知ってる、ぞ!お前ら!団長とグル、に、なってる奴らだろ!!団長をたぶらかしたのも、お前ら何だ!!ぜったい、絶対許さないからな!!!………うわぁ!」
ごんっ
っと、騒々しくも戸が開いたかと思えば、早々とそれは閉ざされた。軽々と片手にぶら下げられ、物のようにここへと放り投げこまれたのは、カイがついこの間で会ったばかりの少年、ダンだった。
どうやら彼の抵抗は全くの無意味に終わったらしい。どう暴れようが、何を言おうが、全て軽々と流されてしまったようだ。
ダンは、縄を手と足に結び転がるカイの手前へと投げだされ、打ち所の悪そうな音を立てて静かになった。
(死んだか?)
カイは黙って様子を見続ける。
「う、くっそ…」
しばらくもしない内、その小さな体がもぞりと動いた。ここに放り込まれたとき、逆光になって彼を連れてきた人間の顔は見えなかったが、その背丈や体つきからどうやら男である事はわかった。あと、この少年も手足を結ばれ動きが制限されている事も。
(なんだ。生きてる)
当たり前のことだろうに。
「あの野郎…痛っ…、」
「大丈夫か?」
「うわぁ!!」
やっとカイの存在に気づいたのか、ダンは起こした身をまたも地面に転がした。
「だ、誰だお前!」
(そこまで驚くか?)
カイはとりあえず手足を自由にし、覗き穴に詰めておいた屑を取り除く。そこからわずかに外の明かりが入り込んで、その狭い箱の中を照らした。本当に僅かの光だが無いよりはましだ。これで少しはダンも落ち着いてくれるだろうか、という配慮もある。
(さて、早く終わらせようか)
このままだらだらと事が続くのは面倒だから。
小さく息をつくと、カイは転がる少年へ視線を向けた。
「ったく。待ちくたびれたよ」
そいつが座ったまま伸びをしたのは、立ち上がれば天井に頭がぶつかってしまうからだろう。
「待つって、………僕を?」
「まぁ、そんな感じだ」
(なんだこいつ)
その曖昧な返事は僕の中の不信感を膨らました。
いつの間に穴を開けたのか、この箱にいた先客は小さな明かりをバックに僕を見つめている。僕はどうしたらいいかわからず、小さく身じろぐ。
「とりあえず明かりを増やそう。増やしすぎるとばれるから少しだけな、」
そう言うと、目の前の人物が天井へと腕を伸ばした。一瞬その手に銀に光る何かが見えた。
とすっ、という音の後、僕らの上に、朝日のかけらが降り注ぐ。
箱の中は入ってきた時と比べ、十分に視界が安定してきていた。暗闇に目が慣れてきたのもあるだろう。
「少しは落ち着いたか?」
問いかけに、僕は答えず相手を見据えた。
そこにいたのは見た事もない人物。
入り込む明かりから、水色の髪がさらりと揺れるのがわかった。そして、その瞳を見て僕は動きを失う。
ぞくり、と鳥肌がたった。
髪と同じ水色。だがそれだけじゃない。その瞳を見た瞬間、いろんなものが流れ込んできた。
冷たいもの、黒いもの、暗いもの、悲しいもの、寒いもの。温かいもの、白いもの、明るいもの、幸せなもの、暖かいもの。
怖いと思ったわけではない。ただ、直感的に鳥肌が立ち、身震いしてしまった。
僕の見ている先で、その水色が“ふっ”と細められる。こんな曖昧な明るさの中で、僕の鳥肌に気づいたかのように。
何かを代弁しようとした僕の口は、中途半端に開けられたまま止まった。だす言葉も思いつかなかったのだ。
「ダン」
「は、はい」
よくわからないが、相手の呼びかけに僕は焦って声を裏返した。
「何緊張してんだよ」
相手の呆れた声。だがどこか温かい。僕は小さく「ごめんなさい」と言い、大人しくその場に座った。
「お前、私が誰か分かってないだろ?」
鳥肌の事には触れず、その声はただそう問うてきた。
「え、誰って、…」
僕はこんな奴知らない。知らないと、そう言いたかった。
だが、僕の口はその意に反して思いもよらない事を云ったのだ。
「昨日の、…水穴の……、」
まさか。
自分で言ってそう思った。だが、言ってみればそんな気がしてくる。見なれたこげ茶のコート。頭の後ろに垂れ下がるフード。耳の奥にいつの間にかなじんでいた声。
そう、そのまさかだったのだ。
「正解」
目の前のその人はフードをかぶって見せる。
そして、そのフードからはみ出た唇が緩やかな弧を描き告げた。
「さて、タネ明かしといこうか」
僕はただ茫然と頷く。
聞かされたのは一人の少年の話。
彼はある一座に拾われ、育てられた。
なかなか人になつかない少年を、その一座の団長は大切に育てた。
彼の緊張を少しづつほどいてやり、生活の仕方を教え、人への接し方を教え。何よりも誰とでもなじめられるように、と努力した。
すべてはそう、
―――いつか彼が、高い値で外に売り出されても困らないように、と。
うそだ!
その一言が出なかった。
なぜなら昨夜、僕は団長たちの会話を聞いてしまっていたから。
「サイドが、団長とよく話をしていたのはそのせいだったんだ」
カイは、壁に持てれてうなだれる僕をじっと眺めていた。何を聞いたのか、なぜ聞いてしまったのか、いろいろと尋ねることができるだろうに。
少し待ったのち、彼がたずねてきたのは「これは外から見て何に見えた」というものだった。僕の昨晩の出来事については興味が無いのだろうか?僕は軽くふてくされながら答える。
「少し小さめの、移動用の倉庫だよ。荷物の端の方に置かれて、上に布がかぶされてた」
「そうか」
カイは軽く黙りこみ、またも問う。
「ここはまだあの場所のままだな。一座はまだ移動してない」
「うん」
紐をほどいてやった後のダンは思ったほか大人しくしてくれていてカイは助かった。いろいろとこの箱に投げ込まれたいきさつを聞いてほしいようでもあったが、それはすべてが済んでからにしようと頭のはじに置いておく。
今考えるべきはどうするか。
箱の上に被せられた布の事は気づいていた。何せ壁に二度も穴を開けたのだ。そして、これから自分たちがどうされるのかもわかった。
「ここにいる人間の三分の一は、たぶんこの事を知ってる」
「このこと?」
「自分たちの家計を支える、二つ目の稼ぎのことさ。今回の贄が私とお前だろ」
「そんな」
「お前はずっと守られていたんだよ。その容姿だと、いつほかの同業者にねこばばされるか分からない。知ってるか?おかしな集団を引き連れた一座の話。一座の周り、ある一定の距離を保ちながら付き添う、おかしな奴らがいるんだと。灰色の安っぽいテントに寝泊まりして、たまに一座と接触してはまたいつもの距離から眺めている。街の酒場やらなんやらに行って、珍しい猿はいらないかって、聞いて回るんだ。そいつらから見たら、お前は大切な家畜だったんだろうな。」
「そん、な…」
愕然。
今、この話を初めて聞いたダンからはそんな言葉しか出てこなかった。
「“猿”っていうのは…」
「言わなくても解ってるだろ」
少年の問いに、カイは少し目をそらす。彼女は彼女なりに、昨日で会ったばかりの少年に気を使っているのだろう。きっと、見た目に出ているよりもさらに、あの小さな頭の中では大きな打撃を受けているはずだから。
「…“人”、なんだね」
少年はカイが答える必要もなく、その正解を自分でいいあてた。カイはこくりと頷いてやる。
ダンの瞳は切なげに自分の足もとへと転がされた。その瞳の奥では、“人”を“猿”呼び、まるで物を扱うように売買をする彼らへの怒りと悲しみが垣間見えていた。多分、そこに“悲しみ”という感情が混ざっているのは団長の存在があるからだろう。
彼は本当に、団長の事を自分の父親のように慕っていたのだから。
「ねぇ、これからどうするの?」
ダンのつぶらな瞳がカイを見上げる。
カイは少年の頭へと自分の手を乗せて、小さく勝気な笑みを浮かべこう言った。
「逃げる」
*
逃げる。
ダンにはその言葉の意味が分かっていた。
だが、ここには一応鍵がかかっているし、外には見張りがいた。なぜ、どんな自身があって、カイが“逃げる”という言葉を気軽に口にしたのかわからなかった。
(けど、)
けど、
そう。
なんでだろう。
僕は、気付いた時にはもう外にいた。
あの箱の中で、確か僕はカイにこう尋ねたのだ。
『逃げるって、一体どうやって?』
そしたらカイは、始めにこう答えた。
『これくらいの素材だったら簡単に壊せそうだけど』
けどその後、彼は自分でこの言葉に反対した。箱を壊せばいくらかの音が出てしまう。そうすると見張りが仲間を呼んで面倒なことになる。
一体一番いい脱走法は何なのか。
考えるように腕を組んだ僕に、彼は考える間をくれることもなく教えてくれた。
『見張りに寝て貰おう。それから鍵を借りて、外に出て、鍵を閉めて見張りに返せば一件落着だろ』
『うん、そうだね・・・えぇ?』
納得しかけたが何かがおかしかった。
寝てもらう。鍵を借りる。(というよりこの場合は盗むが正しいのだろう)
寝かすにも、鍵を盗んで開けるにも、外に人がいなければダメではないか。
僕はぶんぶん首を振った。
『何いってんだよ。そんなのできるはず、』
『ほら、ダン。出るぞ』
振り返れば、いつの間にやら戸が開いていた。箱の一面が大きく下へと倒れ、地面へと斜めにかかり足場となっていたのだ。
僕は自分の目を疑った。
『なんで』
見れば見張りも気を失っていたし、彼の手にはカギがあった。
彼は僕が箱から出ると、入口を元あったように閉めて鍵をし、見張りのポケットへと滑り込ませた。本当に返してあげるなんて、と僕は場違いな律儀さに曖昧な表情を浮かべた。
「ねぇ、あれどうやったの?」
「あれ?」
「鍵だよ。あと見張り番。お前、…あんた、僕と一緒に中にいたじゃないか。なのになんで」
僕の視線の先で、水色頭のその人は悪戯っ子のように小さく笑んだ。
「ネタばらしは後だ。とりあえず、ダンはこの後どうなりたい?」
「どうなりたいって、…お前、いや、あんたは」
「カイだ」
「カイはどうするのさ」
「私は帰る宿があるから、そこに帰るよ」
「僕は、…」
ある考えに行きつき、言いだそうかどうか迷っていると、先を歩くカイがこちらを振り向いて言葉短に僕へと言った。
「駄目だ」
「まだ何も言ってないじゃないか」
「そうだな」
「・・・。」
内心を読まれているかのような言葉だった。僕が言いだそうとしていた言葉の返答としては、ばっちりかみ合ってる内容だった。だからこそ拒否されて、少なからず傷ついた自分がいた。
カイはそんな僕に気づいているのかいないのか。ただ前を歩きつづける。
まだテントの明かりは見えていた。朝焼けの中にまぎれるように、僕の生活の場がぽつりと見える。
「やばいな」
「え?」
突然足を止めたカイにならい、僕もその横に並び足を止める。彼の顔を下から見上げるように覗きこむと、なにかにあきれているような表情があった。
「どうしたの?」
「あぁ、どうしたんだ?」
ここにはないはずの声が後方から聞こえ、僕はびくりと肩を揺らす。
「ほら、早く逃げなくていいのか?」
ふざけてるとしか言いようのない声に、カイは小さくため息をついていた。
「本当に、早く逃げるつもりだったんだけどなぁ」
あーぁ、とそれは本当に残念そうな声だった。カイは僕の頭をぽんぽんと叩き、声の発信源である後ろへと向き直った。
「逃がしてくれるのか?」
「そうだな、内容によっては」
「へぇ、内容」
「そうだなぁ、」
僕らの後ろにいたのはサイドだった。彼は僕の今まで見たことのない種類の笑みを浮かべていた。まさか、あんなに気の良い笑顔しか見せていなかった彼が、僕の目の前であんな表情を見せる日が来るなんて、昨日の夜を迎えるまでは絶対に信じられなかった事だ。
「よし、じゃぁ」
考えが決まったようだ。だが、カイはそれを聞くまでもなく返事を投げて返した。
「悪いけど、興味無いんだ」
「え、うわぁ」
僕の体は突然引っ張られてよろける。
何の前触れもなく、またも僕はカイに引っ張られていたのだ。それも本当の意味で。
「なんでサイドの言葉を聞かないの」
「後ろ、見りゃわかるよ」
走りだしていた僕たちの後ろ。そこにサイドがいた。そしてその後ろには見覚えのない男たち。
「あ、本当だ」
元から逃がすつもりなんてなかったという事だ。
僕はカイにひかれるままとりあえず走った。どうやらカイは僕を気遣ってか少しペースを落としているようだった。
おかげで僕は草木に足を取られることなく走れた。もともと一座育ちの僕は体力や身のこなしには自信のある方だったから、これ位のけもの道なら普通の道と同じように行ける。それだけでもカイの足を引っ張らないで済むことに安心した。
「気をつけろよ」
「え?」
「ああいう奴らは誰かしら麻酔銃を持ってるから」
その言葉の通りだった。
すぐに後ろから沢山の針が飛んできて、僕たちの足は速さを制限された。木々の影をたどりながら、麻酔に当たらないようにとサイドたちから逃げる。
やがてたどり着いたのは、小さな沼のある平地だった。
足もとのぬかるむそこで、遂に僕等は人売りの男たちに取り囲まれてしまった。
「よお、お二人さん」
サイドが気軽に僕たちへ片手を上げる。
「やっと追い詰めたか」
その後ろから、一回り大きい影がのそりとあらわれた。熊のようにたくましいシルエットと、あの人を和ませる声は、僕の記憶の中で一人しかいない。
「…団長」
「よお、ダン」
団長は僕と目が合うと優しげに微笑んだ。
「皆心配してるんだ。何で逃げたりした」
「だって、だって団長は」
「ほら、一緒に戻ろう。お前がそいつに何を吹き込まれたかは知らないが、それはきっと誤解だ。お前なら俺を信じてくれるだろう?」
でも、と僕は言葉に詰まる。
だってあの夜、僕は確かに団長の声もサイドの声も、あのテントの外で聞いてしまったのだから。それに、カイの言葉もすべて真実だとしか思えなかった。
「お前は賢い子だ。ほら、こっちに来い。この先は危険だ」
「でも、…だって、団長は、」
どうしたらいいかわからなくて、僕はそっと後ろへ下がった。横にあるカイのコートを握りしめ、その陰に隠れるように頭をうつ向かせる。
「もういい。ほら、団長さんよ。こっちには麻酔もある。人もいる。今更説得なんか無理だよ」
もう力ずくで行っちゃおうぜ。
というサイドの言葉。
やっぱりそうなんだ。
カイのコートを握る拳にぎゅっと力が加わる。
信じてきたんだ。ずっと、ずっと。サイドのことも。団長の事も。だけどあの優しさはすべて嘘だったんだ。
僕だけが知らなかった。
間抜けに、あの生暖かくて気持のいい空間に浸って、今まで消えてきた同い年か年下かの子供に何の引っかかりも覚えなかった。ただ、自分が幸せならそれでいいと、消えてきた家族へ何の違和感も、なんの心配も―――
「違う!ダン、信じろ!確かに俺は、お前の隣にいるそいつを売ろうとはした。いや、今もそのつもりだ。だが、お前だけは守ってやろうと必死だった」
「おいおい。父親って言うのは難儀だねぇ」
「うるさい!このうそつきめ!」
団長は突然、仲間であるはずの青年へと怒鳴りつけた。サイドは「おぉ怖い」と首をすくめる。
「聞け、ダン!今回売りに出すのはお前じゃないほかの子の予定だった。本当だ。お前を売り出すならもっと小さいうちにでも売っているさ」
「け、けど」
僕はぐっとカイのコートを握り締める。
「本当だ」
「え?」
「多分、団長の言葉は本当だ」
「私もさっきまで疑ってたけど」と、上から落ちてきた小さく低い声に、僕はカイを見上げた。その水色の瞳はサイドと団長を見つめたままで、僕へは向けられてはいない。
「ダン、」
だが、その言葉は確かにぼくに向けられていた。
「今まで売られてきた子たちは、長くてどれくらい一緒に旅をしていた」
「一月か二月、…確か」
僕の視線が自信薄に記憶をたどって泳ぐ。
「じゃあ、今まで、あの一座から生まれた子供が居なくなったことはあったか」
「…それは、無い」
そうだ。確かにあの一座の中で生まれてきた子供は、一人も欠けることなく僕等と一緒に旅を続けている。
「お前は、誰を信じたい」
まっすぐに向けられた、透き通る水色の瞳。
「僕は、」
「ダン!お前は絶対売ったりしない! 俺はただ皆を食わせてやりたくて、」
「黙れ!!!!」
突如、糸が切れたかのようにサイドが声を荒げた。
「今更自分ばっかいい人気取りか? 商品に情が湧くなんて、お前人売りとして本当最低だよな? しかもまるで、自分だけ罪からのがれるようなこと言いやがって」
雰囲気がおかしい。
「サイド?」
僕はよく知ったその顔を遠くから覗く。
「切れた」
カイは平常のごとく、いつもの調子でそう言っていた。これは呟きなんだか、僕に向けていったんだかよくわからない。
サイドは僕の視線の先で項垂れていた。肩を落とし、身動きせずに。
「いつもいつも、あんたとは意見の対立ばかり。あんたの制限さえなければ、俺らはもっと儲かる事が出来るっていうのによ!!」
「おまえ何を、」
「だから嫌だったんだ。さっさとあんたも売っときゃよかったか」
「サイド、…お前!!」
この言葉に団長の青筋が立った。裏切るつもりだったのだ。遅かれ早かれ、団長も、あの一座も。
「何てやつだ! このカスが!! 自分のことしか考えていなかったのか!!?」
「カスはあんたも一緒だろ。共に行動してきたんだ。その罪も価値も俺らは平等だっつうの」
サイドは顔を上げる。その瞳はギラリと怪しい光を放ってカイとダンへと向けられた。
「それよりも、今はあっちだ。あんたは後で片してやる。…行け!!」
青年の言葉で、周りの男たちは動きだした。
「何してやがる!お前ら!止めろ!!」という団長の言葉などには耳も貸さず、その男たちは沼のぬかるみにはまらないように、自分たちの獲物へと詰め寄って行く。
カイは周りをぐるりと見渡し、腕を組む。
「軽く20人か」
「カイ?」
「二人だから、切りの良い数なのかな」
ダンは詰め寄ってくる男たちを眺め焦る。
「一人10人だ。2人で20。丁度いい」
「ちょっと、それってまさか僕に戦えって、」
男が一人、大きく踏み出した。狙いはカイだ。彼女の真後ろに回り込み、ダンの死角に入り込んでいた。それに気づいていなかったダンは、カイの背後ににょきりと生えてきた男の影に目と口を大きく開いた。
「違う、」
カイは少年の言葉に答える。後ろの男には目もくれず。
「だめだ。カイ、危な、」
ざんっ!!!
「うわぁぁぁぁ!!!!」
カイの後ろにいた男が、またカイの影へと消えた。べしゃり、とぬかるみに倒れこむ音が聞こえ、それからまた姿を表す事はなかった。その代り、何か灰色の物がカイの影から飛び出して男たちの中へと飛び込んで行った。月明かりは、僅かに灰色の毛並みをとらえる。
「戦うのはあいつだ」
「ぇ、」
ダンはよくわからないままそれを眺める。
その間、カイも自分たちへと向かってくる人売りたちをてきぱきと沈めていく。
ダンが灰色の影が何なのか眺めているうちに、意識のある人売りは半数以下にまで減っていた。
「クソ。やっぱ役に立たないんだよなぁ」
サイドは自分の仲間たちを眺めながめながら一人ごちる。
そして向き直り、団長へと話を戻した。
「で、俺が思うに、団長は行方不明ってことにしようかと思うわけ」
「おまえ、何を」
「じゃあな、団長さん」
青年の肩手が団長の首を狙う。
「誰がそう簡単に」
だが団長はそれを片手で防いで見せた。青年の細く節くれた手をがっしり握りしめ、相手が逃げられないようにと捕らえた。だが、サイドはにやりと笑うとそのまま跳ね上がる。
「あんたは確かに力はつよい。けどな、」
どごぉ
団長は自分の後頭部にそんな音を聞いた気がした。
「スピードはまるでない。俺が上だ」
大男の体は重たい音をたてて地面へと転がった。だが、彼の意識はまだある。「くそっ」と毒づきながら二つの腕で上半身を起こし、いざやり返してやろうかと立ち上がる。
だが、やはりスピードはサイドの方が上なのだ。
団長の後ろに素早く回り込んだサイドは、素手ではなく凶器で事を終わらそうとしていた。
―――どす
鈍い音がその背に響く。
「…なん、で」
「お返しだ」
どさり
地面に沈んだのは青年の方だった。
「あ、あんた」
命拾いした事に気づき、団長は驚いた顔でカイをみる。
カイも団長を見た。自分よりはるかにでかい相手を見上げ、目を細めた。まるで下町によくいる悪ガキのような笑顔をその口に浮かべて。
「カイ!!」
すべてが無事終わったと読んで、ダンがカイのもとへと駆けてきた。
ぬかるんだ足もとに泥を撒き散らし、だがそんなこと構いもせずに。
ダンはカイの下にたどり着くと、後ろに横たわる青年と、その横に転がる鉄のパイプを交互に見て悟った。
「これで殴ったの?」
「ああ」
確かに、人売りの中にはこんなのを持った奴もいたかもしれない、とダンは内心納得した。それとともに、こんな物で人を殴っといて、罪悪感のかけらもない「ああ」という返事をどうかとも思った。少しサイドに同情してしまう。
そして、それよりも気になっているのはカイの足もとだ。
そこにはあの大きな人影―――団長が腹を抱えて気を失っていた。
「団長!!まさか、サイドが!?」
「いや、」
心配そうに団長を眺めるダンへ、カイは正直に本当の事を教えてやった。
「お返しだ」
「…?」
教えてやったそれは、結局は少年に理解される事がなく、サイドがやったという事でおさめられた。
*
もう日も高く上がり、人々は活発に活動をはじめていた。
活気あふれる人々を眺めながら、カイは静かな昼食を送る。
「カイ」
名前を呼ばれて振り返れば、そこにはもうここ二日で見慣れたオレンジの少年がいた。
「良くここがわかったな」
「そりゃわかるよ。こんな小さな村だもの」
「そっか」
カイはまだ温かいスープを口に運んだ。
「なぁ、あの灰色の奴、こいつだったんだな。僕らをあの箱から出してくれたのも…」
「ああ」
ダンが視線で示した先には、カイの椅子の横でうつぶせに眠る獣の姿があった。
「ペット?」
「いや、」
その先を言わず食事を続ける水色を見て、ダンはそっと目を細めた。もっともその水色は今、こげ茶のフードに隠されていてあまり見えないが。
「ずっと一緒にいるの?」
少年は獣を眺めながら尋ねる。
「そうだな。ずっと昔から」
「へぇ、」
小さな沈黙。
「ねえ、結局、水穴ってなんなの」
口の中から物が無くなると、カイは口を開いた。
「蜘蛛だよ。水に巣を張る。お前、なんであの時水溜りを眺めてた?」
「なんか、光ったんだ。太陽に反射して。はじめはビー玉か何かが落っこちてるのかなって」
「目だよ」
「え?」
「水穴の目だ。あいつら、たまに周りに獲物がいないか様子を見るんだ。ちょうどいい水溜りを見つけて、その真ん中あたりに穴掘って、自分の体液だかなんかで、水の嵩を増すんだ。そうすれば掘った分水が下がる事もない。あと、その体液って奴を水に混ぜることで地表の振動を感知しやすくしてる、んだったかな。まぁそこら辺はよく知らないけど、水浴びしにきた鳥やら、水を飲みにきた小動物なんかを狙ってるんだよ」
「へぇ、」
カイは又食事へと戻った。
外を眺めながら、のどかな空気に満たされながら。
しばらくの間そうしていたが、やがて、いつの間にか自分の隣に座っている少年へと視線を移し、カイは尋ねる。
「何しに来たんだ」
「何も。………ただ、もう少し話したかったんだ」
「ふーん」
カイは固めのパンをちぎり、口へと運ぶ。
「本当は自分が、カイに付いて行きたいのかと思ってた」
獣の耳がぴくりと動き、また静かに眠りだす。カイはパンを口にしたことで乾きだした口内を、またスープを含み渇きを潤す。
「けど、違ったんだ。ついて行って、一緒に旅したいと思ったのは確かだけど、…けど、………けどそれはまだ違った」
たっぷり、ゆっくりと時間をかけて食事を味わうと、カイは皿に残った最後の一口のスープを口の中へ流し込んだ。
「ちゃんと、もっとたくさん、世界を見るよ。それで、僕、強くなるんだ」
店の前を通り過ぎてく人々を眺めながら、ダンは瞳を輝かせてそう言った。
「そうか」
カイはその横顔を少し眺め、立ち上がった。
「行くの?」
「ああ」
店からでて行くカイの背を追い、ダンも席から立ち上がった。
「ねぇ、カイ」
店の入り口を出たところで、一人の一座の少年は一人の旅の水色を呼びとめる。
そして、その直向きな瞳を水色に向けると、声高らかにこういった。
「僕、絶対カイみたいな強い男になるよ!」
ダンのオレンジの瞳が、いつかのよく知った赤い瞳とダブって見えた。
―――おまえ、それでも男かよ
「………っ、くくく」
確か、前にも一緒に行動していながら自分が男だと思ってい疑わなかった奴が居たっけ。その時は本当に頭に来たけど。と、カイはこらえるように小さく笑う。
「な、なんだよ」
突然笑いだした水色に、少年は戸惑う。
「はは、何でもない」
カイは少年の頭をわしゃわしゃとなでる。
「強くなれよ。けどな、」
けど?
ダンは一体何を言われるのかと、不思議そうにカイを見上げる。見上げた先の後ろには高らかと上った太陽があり、あの水色の瞳は逆光により見えない。
ダンはじっとそのフードの下の瞳を探したが、太陽を背にした影は重く、見つけることができなかった。一体今、彼はどんな表情をしているのだろう。ダンの好奇心が膨らむ。
カイが言葉を切ったのは一拍にもみたない一瞬だったが、この少年にはかなり長く感じた。何日も、何週間も、何ヶ月も、少年はその時を待った気がした。
そしてようやく、カイの口は次の言葉を告げる。
「私は女だ」
時が止まった。
「―――――!!!!!!!!!!!!!」
少年は今ようやく、自分の犯していた重大な間違いに気づいたのだ。それと、この瞬間、見えなかった彼女の表情が、一体どんなものかもわかった。
きっと、悪戯に成功した悪ガキのような笑顔なのだ。予想の中、それが一番“カイ”という人間“らしい”と思った。
カイは、言葉を失った少年の様子を見て、そこまで驚くのはある意味失礼じゃないかと思い、だが笑った。なんとも面白い反応がみれたのだよしとしよう、と。
「お前って賢いけどたまに抜けてるよな」
自分を笑う水色の瞳をやっと見つけ、ダンは楽しげに言い返す。
「そっちこそ」
村の天気は今日もいい。
空が澄んでいて、風が温かい。
最高の旅立ち日和だ。
*
その一座はまだ旅を続けている。
団長は相変わらずの大男らしく、そのメンバーの中にはもう“サイド”という名の青年はいないらしい。
そして、その一座がまだ人売りをしているかどうかは、私は知らない。
ただ知ってるのは、人が増えに増え、賑やかすぎて困っているらしい。という噂くらいだ。
こんにちは。こんな長めな短編を最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。そしてお疲れ様です。
私は気づけば朝を迎えています。外がなんか明るいです。昨日バイトから24時頃帰ってきて、風呂入ってさっさと寝ようかとか思っていたらこのざまです。
本当は朝早く起きて試験勉強やらレポート造りやらしようと思ってたんですよ。ありえないって。
確かに朝早く起きる手間は省けましたが、違うんだって。私が欲しかったのはこんな朝じゃない…orz
いや、
はい。
お疲れ様でしたm(_ _)m