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鎧姫の涙

作者: 六月屋

 風の生温かい春の夜空の下、かつては立派な屋敷であったろう廃屋の中で、二人の人物が相対していた。

 片や、三メートル以上もある巨体を武者装束に包んだ大男。背後には青白い鬼火が無数に浮かび、彼がこの世の者でない事を示している。男──亡霊武者は、刃こぼれのした巨大な刀を構え、少女を見下ろしている。

 そう、この亡霊武者の前に立ちはだかっているのは、彼の半分、一五〇センチほどの身長しかない小柄な少女であった。普段ならばおっとりとした印象を受けるであろう整った顔に、今は戦いに臨む者の凛とした緊迫感を浮かべている。しかし一方で、腰まで伸びているぬめるような長い黒髪や、身にまとった亀甲模様の十二単は、あまり戦いに向いた恰好とは思えない。

 十二単の袖からは手がのぞいている。少女の体つきからすると不釣り合いに大きく見えるその手は、明らかに人間の手ではない。表面は細かな鱗に覆われ、指の先端では長く硬そうな爪が鬼火を映して黒光りしている。まるでとかげのような手だった。少女は両手を胸元に構え、亡霊武者をきっと見据えた。

 しばしにらみ合ったあと、先に動いたのは亡霊武者の方だった。刀を振りかぶり、叩きつけるような勢いで振り下ろしてくる。

 少女は動かない。ただ、右腕をすっと顔の前に差し出すのみである。

 刀が腕に当たる瞬間、少女はふわりとした柔らかい動きで右手を横に払った。刀は耳障りな金属音を出しながら十二単の上を滑り、床に叩き込まれた。十二単には傷一つない。

「無駄です。これしきのことで、玄武の守りを破る事はできません」

 言葉など通じるかどうかもあやしい亡霊武者に、少女は哀しそうな目を向けて言った。

「せめて、安らかにお眠りください」

 少女はゆっくりと亡霊武者に歩み寄る。亡霊武者は刀を放り捨てて後ろに飛び、鬼火に向かって合図をする。鬼火が次々と少女をめがけて襲ってきた。

 少女は両手を交差させ、十二単の袖で自分の前に壁を作った。その態勢で少女は、亡霊武者への歩みを再開する。

 鬼火が十二単の袖に当たった。青白い炎を上げて燃え上がるはずの鬼火はしかし、袖に当たった瞬間、弾けて消えてしまう。少女はそれを予期していたらしく、鬼火に構わず亡霊武者に詰め寄る。

 鬼火が天井まで上がり、少女の頭上に落下してきた。すると今度は、少女の髪が上に突き出した。髪の束は鬼火に触れると同時に一気に開いて、鬼火を粉々に散らせる。それから元のとおり、流れるようにして少女の背中に収まった。

 その間も少女は確実に歩みを続け、亡霊武者の目前に迫った。亡霊武者は最後の一撃とばかりに、手甲をはめた拳で少女に殴りかかる。しかし次の瞬間、武者は動きを止め、がらんどうの鎧となってその場に崩れ落ちた。鋭い爪の生えた少女の手が、鎧を背中まで刺し貫いたのだ。

「どうぞ、安らかに」

 少女は、見る間に錆び朽ちてゆく鎧に向かって一礼し、屋敷の玄関へ向かった。


 屋敷の中と庭を一周し、少女は、もうほかに妖怪がいないことを確認した。

 鱗に覆われた手で印を組み、呪文を唱える。すると十二単は光を放って消え、彼女の服装は、クリーム色のブラウスと黒いロングスカートになった。手は大きさが縮むと共に鱗と爪が消え、少女本来の白い小さな手に戻る。

 少女はスカートのポケットから携帯電話を取り出した。

「もしもし、わたしです。今、終わりました。お迎えをお願いします」

 簡潔に用件だけを伝えて電話を切る。戦いの後の疲弊した状態では、それだけを言うのが精一杯だった。

 迎えの車を待つ間も、屋敷の崩れかけた塀に背中を預け、荒い息をつきながら、少女はようやく立った姿勢を保持していた。

 しばらくして黒いリムジンが廃屋の前に到着した。少女は車内に乗り込み、運転する執事の小倉おぐらに言った。

「家で仮眠と朝食をとってから、学校に行きます。着いたら起こしてください」

 先ほどと同様に用件だけを告げると、彼女は座席に横になり、うたた寝を始めた。


 少女は自宅の寝室で目を覚ました。リムジンを降りてから寝室へ行くまでの記憶はなかったが、いつものことなので、深くは気にしない。

 一口に自宅と言っても、少女の家は、昨夜の屋敷よりはるかに広い。

 少女はブラウスとロングスカートを脱いでシャワーを浴び、学校の制服である紺のブレザーと赤紫のネクタイ、そしてチェックのプリーツスカートに着替えた。

 食堂に行くと、朝食は少女の分しか用意されていなかった。家族は全員外に出ているらしい。これも別に珍しいことではないので、少女は黙って一人きりの朝食を終える。

 そして少女は鞄を手に、夜と同じリムジンに乗って学校へ向かった。

 雷神高校。いささか奇妙な名を持つこの高校は、名前とは裏腹に、極めて平凡な学校である。学業成績もスポーツ実績もそこそこ。校庭のすみに校名の由来となった「雷神塚」という小さな塚がある以外は、特に特徴らしい特徴もない。

 そして少女──玄武宮成姫げんぶぐうなるひめもまた、この学校の中では、単なる二年生の一生徒に過ぎなかった。

「おはようございます」

 校門を抜けたところで成姫は、友人の木下真理香きのしたまりかの姿を見つけて声をかけた。その穏やかな笑顔に、昨夜亡霊武者に向けていた戦士の表情はない。

「あ、ヒメ。おはよー」

 馬鹿丁寧な性格の成姫は、誰に対しても敬語で接する。真理香は去年一年間の付き合いでそれをわかっていたので、彼女のかしこまったあいさつも気にせず応えた。

 成姫が小柄なのと、スカート丈をミニにしてすらりとした足を強調しているせいで長身に見えるが、真理香も身長は一六〇センチほどである。セミロングの髪をライトブラウンに染めており、ぱっと人目を引く華やかな雰囲気があった。

「三日ぶり……だったかな?」

「月曜日には来ました。ですから四日ぶりです」

 正確に憶えていてくれなかったさみしさから、成姫はむくれて訂正を入れた。真理香は気まずそうに笑って、

「そうだっけ。ゴメンゴメン」

 それから彼女は、成姫の青白い顔を見て言った。

「今日、もう学校来ても平気だったの? まだ顔色悪いよ?」

「ええ、まあ」

 まさか正直に「徹夜で妖怪と戦っていた」などと言えるはずもなく、成姫はあいまいにうなずいた。

 成姫の家である玄武宮家は、その名のとおり玄武に由来する力──亀甲模様の十二単は玄武の甲羅であり、玄武宮の力の中ではもっとも基本的なものである──を以って妖怪を密かに葬ることを使命とした一族である。そしてその一人娘である成姫もまた、昨夜のように、妖怪との戦いに身を投じている。

 しかしもちろん、そんなことをおおやけに言うわけにはいかない。そこで成姫は普段、「病弱」を理由にして学校を休んでは、妖怪と戦っていた。

 彼女がそうまでして学校に行きたがる理由は、そこが彼女にとって、気をまぎらわせるのに最高の場所だったからである。

 家にいたら、毎日が妖怪退治一色に塗り潰されてしまう。妖怪退治の使命は果たすつもりだが、それにすべてを注ぎ込むだけの覚悟は、まだ成姫にはなかった。

 その点、学校に来ていれば、友人と会って話したり遊んだりできるし、その中で戦いのつらさを忘れることもできる。だから彼女は、できるかぎり、学校で「普通の女の子」としての生活をしたかった。

「わたしが休んでいる間に、何かありましたか?」

 成姫が聞くと真理香は、言っても良いものか迷うような表情で、

「うーん、あったって言うか、今あるって言うか……」

「何かあったんですね?」

 真理香の口調に引っかかりを覚えた成姫が聞くと、彼女は唐突に言ってきた。

「ケータイ、今持ってる?」

「はい」

 成姫は素直に、鞄のポケットから携帯電話を取り出した。

「それ、なくさないように気をつけた方がいいよ」

 成姫は、真理香がなぜそんなことを言い出したのか分からず、きょとんとしながらうなずいた。真理香は成姫の様子を見ながら、

「おとといくらいからなんだけどさ、ケータイをなくしちゃう人がいっぱい出てるんだって」

「なくなる、と言いますと?」

 生徒用玄関で上履きに履き替え、階段を上って廊下を歩きながらも話は続く。

「そのまんまの意味。学校にケータイを持ってくると、どっかに消えちゃうんだって。一人とか二人くらいなら別に不思議じゃないけど、もう何十人もケータイをなくしてて、出てきた人はまだ誰もいないみたい。落とし物コーナーとか警察にも全然届いてないみたいだし。ウチのクラスでも何人かいるよ、そうやってケータイなくした人」

「携帯電話が、なくなる……」

 成姫は廊下を進む足を止め、真理香の言葉を反復した。

「それ以上の被害は出ていないのですか?」「被害って?」

「電話に記録されている内容を悪用されるですとか、オサイフケータイで勝手に買い物をされるですとか、そういった事件は起きていないのでしょうか?」

 携帯電話は文字どおり電話にしか使っていない成姫だったが、どんな機能があってどんな悪用方法があるかくらいは思いつく。

 それに対して真理香は、特に何も考えていなかったらしく、首をひねりながら答えた。

「ケータイがなくなって困ったっていうのはよく聞くけど、それ以外は特に聞いてないなぁ」

 ちょうどそこまで話したところで、真理香のクラスである二年A組に着いた。

「お話、ありがとうございました。わたしなりに検討してみます。それではまた、お昼休みに参ります」

 成姫は軽く一礼して、自分のクラスである二年C組に向かった。


 午前の授業中、成姫はずっと、真理香から聞いた話について考えていた。事件への漠然とした違和感が気になって仕方なかった。おかげで、普段なら真面目に受けているはずの授業もまるで身が入らず、教師から注意を通り越して心配されるほどだった。

 そしてようやく昼休みを迎えた成姫は、真理香と一緒に昼食を取りながらこの問題を考えようと思い、弁当箱を手にしてA組へ向かった。

 決して人を避けているわけではなく、むしろ人と一緒にいるのは好きな成姫だったが、内気な性格のため、自分から他人に関わってゆくのは苦手だった。

 そんな成姫に、積極的に話しかけてくれ、またほかの友人たちとの間の橋渡しをしてくれたのが、この高校に入った時にクラスメイトとして知り合った木下真理香である。だから成姫にとって真理香は、友人の中でも特別に大切な友人だった。

 A組に入ると、真理香は笑いながら男子生徒と何か話をしていた。

 成姫は迷った。自分が話しかけてしまって良いのだろうか? 真理香の邪魔にはならないだろうか?

 考えた末、成姫がC組に戻ろうとすると、真理香が声をかけてきた。

「ヒメ。ごはん、一緒に食べよ」

「──よろしいのですか? お邪魔にはなりませんか?」

 成姫がおそるおそる聞くと、真理香は先ほどまで話をしていた男子に目をやって、

「ああ、これ? 気にしなくていいよ」

「『これ』はないだろ」

 男子は苦笑してから成姫の方を向いた。スポーツをやっているのか、長身で引き締まった体をしている。

「玄武宮さんですよね。おれ、石井広太いしいこうたです。よろしく」

 彼の言葉を引き継いで真理香が言う。

「前に話したっけ? 中学の時の元カレね。今年から、こっちで一人暮らし始めたんだって」

「『元』かよ?」

「はいはい、今でも愛してるよ」

 適当にあしらっているようで、内面にはまだ強い思いを持っている。そんな真理香の心情がほのかに見えて、成姫はくすりと笑った。幸せそうな友人の姿を見るのは、成姫にとってうれしいことだった。

 そのまま三人で昼食をとるうちに、成姫は石井広太という人物に好感を持ち始めていた。彼と真理香とのやりとりに、とても温かいものを感じたからである。長い付き合いならではの一体感のようなものが、そこにはあった。最初のうち成姫は、自分の真理香が取られてしまうような気がして不安だったのだが、広太が成姫にも話しかけてくれる中で、その思いも薄れていった。

 他愛もない、それゆえに成姫にとっては大切な時間が流れた。

 食事が終わるころになって、ようやく成姫は、ここに来た本来の目的を思い出した。まずは広太に確認を取る。

「石井さんは、携帯電話のお話はご存知ですか?」

 石井はうなずき、

「うん、聞いてる。ケータイがなくなってるんだって?」

「なんだ。ヒメ、まだ気にしてたの? もしかして、ヒメのケータイも消えた?」

「いえ、わたしの携帯電話は大丈夫です。少なくとも今のところは」

 そう言って成姫は、真理香たちに携帯電話を見せる。

「今朝、真理香から聞いた時点で気になっていたのですが、もしこれが同一犯によるものだとしたら、目的は何なのでしょう?」

「目的?」

 真理香が首をかしげる。

「そうです。今のところ、なくなった携帯電話が悪用された形跡はありません。つまり犯人は、ただひたすらに携帯電話本体を集めていることになります。その目的が、気になるんです」

「目的、ねえ……。レア物ケータイのマニアとか?」

「人数の多さからして、特に珍しい種類ばかりがなくなったわけではなかったのではないでしょうか? それに、一人一人の携帯電話の種類を判別して盗みにかかるというのは、少し無理がある気がします」

「それもそうか」

 真理香は考え事をするように、宙に目をやった。だが、それ以上の案は思いつかなかったらしい。

「おれたちで調べてみるか?」

 今まで黙っていた広太が言った。

「コータ?」

 立ち上がった広太を真理香が見上げた。

「なんかドラマみたいで、面白そうじゃん」

 笑顔でそう言われると、真理香も反論しにくいのか、戸惑いながらもうなずく。

「そう、だね。やってみようか。とりあえず被害者の聞き込みからかな」

「あの、わたし、聞き込みなんて……」

 つい先ほどまで会話の主導権を握っていた成姫が、急に情けない声を出した。

 できるはずがない。真理香を相手にしてさえ緊張してしまう成姫が、初対面の相手から話を聞き出すなど。

 それは真理香の方でも、察してくれたようだ。

「あー、ヒメにそういうのは期待してないから、心配しないで。ヒメは推理担当で、捜査結果を待っててくれれば良いから」

 どうやら真理香も、やる気になってきたらしい。

「すみません。単なるわたしのわがままに、お力添えを願えるなんて」

 成姫が頭を下げると、広太は首を振った。

「良いって。おれも、この事件、気になってたから」

「あたしも。ヒメの頭なら何とかできるかもしれないから、がんばって推理してね」

 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。成姫は二人に深々と一礼してから、急いでC組に戻った。


 午後の授業でもまた、成姫は気もそぞろであった。

 どんな情報が集まってくるのだろうか? そしてそれは自分にどうにかできる内容だろうか?

 普段の妖怪退治なら、事前に必要な情報は情報班から一通り渡され、自分はただ戦うことに専念すれば良い。しかし今回は、まず犯人が何者なのかを調べなければならない。まだ妖怪の仕業と決まったわけではないから、玄武宮家の調査班を呼ぶことはできない。文字どおり、自分たちの手だけで解決しなければならないのだ。

 犯人が人間だとしたら、自分はどうふるまうべきだろう? 人間相手に玄武の力を使うのは気が引ける。もちろん、相手が武装していたら話は別だが、単なる泥棒がそれほどの武装をしているとは考えにくい。しかし玄武の力を使わなければ、自分は単なる少女に過ぎない。そんな場面になる可能性は低いだろうが……

 午後もまったく授業を聞かないまま、成姫は放課後を迎えた。

 C組に真理香と広太が顔を出す。二人は、今日の放課後と明日一日をかけて聞き込みをする予定だと言った。

 成姫には何の仕事も与えられなかったので、おとなしく帰るしかなかった。

 どこに犯人がいるかわからないので、明日の放課後、使っていない空き教室で結果報告をすることに決め、成姫は二人と別れた。


 翌日も成姫は、授業中ずっと事件のことを考えながら一日を過ごした。長い長い一日を終え、やっと放課後になる。成姫は小走りになりながら約束の空き教室に向かった。

 予定よりも早く着いたらしく、まだ二人とも来ていない。無造作に並べられている椅子の一つに腰かけていると、先に真理香が現れた。

「どうでしたか?」

 成姫が聞くと、真理香はため息をついて言った。

「全然ダメ。なくした場所も時間もばらばらだし、ケータイの種類も特に決まってないみたい。数が多いだけで、本当に『ただなくした』っていうふうにしか見えない。犯人なんているのかなぁ?」

 成姫は申し訳ない気分で一杯になった。元はと言えば自分が事件性を言い出したから、真理香と広太が動いてくれたのだ。

 どうやって謝罪すれば良いか成姫が悩んでいると、広太が入ってきた。顔を上気させている。広太は二人の姿を目に留め、大声で言った。

「怪しいやつ、見つかったぞ!」

 二人の少女の顔が、一気に明るくなった。

「おれが聞いてきた話だと、校内に不審者が出てるらしい。制服は着てるんだけど、なんとなく年上っぽい雰囲気の男で、そいつを見たあとでケータイがなくなった、っていう人間が何人かいた」

「じゃあ、その不審者が、ケータイを盗んでたの?」

「たぶん。ケータイって、データももちろん大事だけど、材料もけっこう高く売れるらしいんだ。だから、それを狙ったんじゃないかな」

「すごーい。コータのこと、ちょっと見直したかも」

「遅えよ。もっと早く気がつけ」

 軽口を叩く二人を見ながら、成姫はなぜか釈然としないものを感じていた。

 広太の話に従えば、犯人を探し出すのも不可能ではなさそうに思える。しかし、本当にそれで良いのだろうか。

 成姫の頭に、一つの答えが浮かんだ。あまり信じたくない答えが。

「石井さん」

 成姫は広太の目をまっすぐに見て言った。

「あなたの調べてきてくださった情報を疑うと、問題が解決します」

「問題って何?」

 真理香が聞いてきた。自分の彼氏を疑われるというのは心外なのだろう。それは成姫にも良くわかっていたし、だから言いたくもなかった。しかし、そう考えれば、先ほどからの疑問は解けるのだ。

「石井さんの話からは、犯人らしき人物の姿がはっきりと浮かび上がってきています。それに対して、真理香の話からは、それらしい人物の姿がまったく出てきません」

「だから、コータの調べてきた犯人を探せばいいんでしょ?」

 真理香がまた口を挟んでくる。広太は何も言わず、向けられた成姫の視線を見つめ返している。

「同じ事件を起こした同じ犯人が、あるときは姿を見られて、あるときは姿を見られない。それだけならば特に不自然な点はありません。しかし『石井さんに証言をした被害者だけが』犯人の姿を見ているとなると、話は変わってきます。なぜ、石井さんに証言した人だけが、犯人の姿を見ることができたのか。それは」

「おれが証言について嘘を言っているから、かな?」

 広太が皮肉っぽく笑って言った。成姫はうなずく。

「そうです。あなたは証言を集めて来たふりをして、実際には架空の犯人像をわたしたちに示した。これが、真理香の集めて来た証言と石井さんの集めて来た証言が食い違う理由です」

「なんでおれは、そんなことをしたんだ?」

 不思議そうな、と言うよりは、答えを予感したような調子で聞く広太に、成姫はきっぱりと答える。

「あなたが、この事件の犯人か、犯人に極めて近い人物だからです」

 沈黙が流れた。成姫と広太は、互いに視線をそらさず向き合っている。その間で真理香が、おろおろとしながら二人を交互に見ている。

「ちょっと、ヒメ、変な冗談やめてよ」

 真理香はそう言って笑い飛ばそうとしたが、うまくいかなかった。二人が無言のままだったからである。

 再び重い沈黙。

 成姫の身に、本能的な危険信号が走った。次の瞬間成姫は、亀甲模様の十二単をまとい、手も大きなとかげの手へと変形させていた。

 袖を広げた成姫が真理香と広太の間に入るのとほぼ同時に、激しい電撃が少女たちを襲った。成姫はそれを全身で受け止めようとしたが、その一瞬だけ前に真理香は電撃を浴びてしまっていた。

 床に崩れ落ちる真理香。成姫はおおいかぶさるようにしてそれ以上の電撃を遮断し、真理香の様子を調べた。一時的に気を失っているだけらしい。

 成姫はほっと一息つき、十二単の一番上にまとっている亀甲模様の唐衣からぎぬを彼女の上にかぶせた。玄武の甲羅の防御力を持つこの唐衣ならば、たいていの攻撃は防いでくれる。自身の防御力は下がってしまうが、真理香を守りながら戦うよりはこの方が安全だった。

「あなたは、石井さんではありませんね?」

 身を起こして問いかけると、広太──広太の姿をした者は、にたりと笑って言った。その体からは、先ほどまでなかったはずのどす黒い妖気が激しく吹き上げている。そこにもはや、人間の魂の存在を感じ取ることはできなかった。石井広太の魂は、もうそこにはなかった。

「ああ。この体の持ち主だった坊主はもういない。俺が脳味噌ごと喰っちまったからな」

「……そうですか」

 相手が妖怪だと気づいた時点でなかば予期していたこととは言え、それが確認できてしまうのはつらい。ましてや、それが「本人」の口からとなると。

 真理香が気を失っていて良かった、と成姫は思った。今まで妖怪など何の関係もなく生きてきた彼女に知らせるには、酷すぎる内容だ。いずれは知らなくてはならないが、それが今突然にである必要はない。

「俺がどこの誰だか、知りたくはないかい? 嬢ちゃん」

 広太の姿をした者は楽しそうに聞いてきた。成姫は感情を押し殺した声で応える。

「電撃を操ることと、活動範囲が学校の中だったことを考え合わせると、雷神塚に封じられていた妖怪、というところではありませんか?」

 広太の姿をした者は、感心したように言った。

「冴えてるねえ、嬢ちゃん。正解だよ。さすがに俺の嘘を見抜いただけのことはある。ただし俺は、雷神なんてご立派なものじゃねえ。雷獣らいじゅうだ」

 雷と共に現れ雷を操る妖怪、雷獣。成姫も名前くらいは知っていたが、実際に相手をするのはこれが初めてである。

 成姫は慎重に戦術を考えた。自分の得意とする戦い方は力押しの接近戦である。それに対して相手の武器は、遠距離から至近距離まで使える電撃。いつものように、攻撃に耐えながら接近して戦うしかないだろうか。しかし相手は、本来なら空を駆ける獣。自分とは比べ物にならないほど身軽だと予想できる。だとすると……。

 真理香を守る態勢のまま考えをめぐらせる成姫に、雷獣は言った。

「作戦検討中かい? まあいいさ。退屈しのぎに詳しいいきさつでも話してやろう。

 俺は雷神塚に封印されていた。いつからは知らねえ。人間の暦なんぞに興味はねえからな。

 そうして寝ていたら、この坊主の蹴飛ばした玉が雷神塚に当たってな、封印がほんの少し解けちまったのさ。それで、玉を取りに来た坊主の頭をぱくり。あんなところで玉遊びとは、運が悪かったね」

 どうやら広太はサッカー部の練習中に襲われたらしい、と成姫は理解した。なぜこんな危険な場所に学校など作ったのだろうと思うと、悔しさでいっぱいになる。それは、塚の存在を知りながら何の対策もとっていなかった自分への怒りでもあった。

「知っているかい? 嬢ちゃん。人間の脳の中にゃ、細かい電気の流れが無数に走っていてな、量は少ねえが繊細な舌触りはたまらねえ。おまけに、前がいつだったのか思い出せないくらいにひさしぶりのメシだったからな、もう夢中で食ったさ。天にものぼる心地ってのは、ああいうのを言うのかね?」

 雷獣はにやにやと笑った。成姫を挑発しているのは明らかだった。

「とりあえず体だけはもらったものの、生身の食事は今一つ口に合わねえ。まあいい時代になったもんで、電気はどこにでもあるから食うには困らねえ。そいつで腹を満たしてから、俺は考えたのさ。俺はまだここの封印から完全には開放されていない。だからまずは戦力を増やして、一気にこの封印をぶっ壊そう、ってな。

 そのために、俺と同じ雷獣を作れる程度に複雑な電流の組み合わせを探してみて、ケータイってやつに目をつけた。機能はそこそこだが、数が半端じゃねえからな。それで実際に作ってみたのが、こいつらさ」

 雷獣が口笛を吹くと、宙に浮く携帯電話が次々と現れた。どれも画面には狼とも山猫ともつかない動物──雷獣の絵を表示している。ポップイラスト風の妙に可愛い絵柄が、いっそうの不気味さを出していた。

「どうだい、悪くないだろう? さて、話もなくなったことだし、そろそろ対決といこうか」

 雷獣と化した携帯電話たちが一斉に成姫を取り囲み、電撃を放ってきた。一つ一つの攻撃力は決して強くないものの、数が多いため、玄武の甲羅を持ってしても攻撃を防ぎ切るのは難しい。雷獣の読みは当たっていた。

 成姫は自分の身を抱くようにして防御体勢をとった。身じろぎもせず、ただただ集中砲火に耐える。

「がまんすれば助かると思っているのかい? この数が相手じゃ、嬢ちゃんの方が先に参っちまうぞ」

 雷獣のあざけり声にも成姫は反応を示さない。

 電撃の音が唐突にやんだ。同時にプラスチック特有の安っぽい破壊音が次々に響く。

 電撃でうっすらと焦げ跡さえついた床の上で、周りにぐるりと携帯電話の残骸を散らし、成姫がすっくと立っていた。

 成姫は、携帯電話雷獣たちを充分に引きつけてから、髪を全方位に向けて突き出し、周囲の携帯電話雷獣を一掃したのである。携帯電話雷獣を破壊した髪は、ゆるゆると成姫の背中に戻っていった。

「ほおう」

 雷獣が感心したような声をあげる。その雷獣に向かって、成姫は突進した。その速度は決して速くない。普通の人間が走るよりわずかに速いかどうか、という程度である。

 雷獣は正面から電撃を叩き込んだ。成姫の体勢が崩れ、かすかに苦悶の声が上がる。それでも成姫は、足を止めようとはしなかった。しかし雷獣はあっさりとその突撃を躱す。

「はは、がまん比べの次は鬼ごっこかい。面白いねえ、嬢ちゃんは」

 勢い余ってたたらを踏んだ成姫は、向きを変えて再び雷獣に突進する。雷獣は電撃を叩き込んでまたも躱す──はずだった。

 ところが雷獣が身を躱すと、成姫はその軌道を目で追い、うちぎを脱いで雷獣に叩きつけた。玄武の甲羅の重さと硬さが雷獣を襲い、彼は勢いに負けて倒れ込む。

 身を起こして電撃を叩き込もうとしたときにはもう、成姫のとかげの手が彼に向かって突き出されていた。

 胸を貫かれ、雷獣の口から濁った悲鳴が漏れる。

 一方で成姫は、突き立てた手から、雷獣の電撃を受けていた。鱗があるとは言え、素手に近い状態で電撃を受け、成姫は圧力で弾き飛ばされそうになった。

 このエネルギーがあるかぎり、まだ油断はできない。成姫は手に力を込めた。

「……何、これ……」

 背後から声がした。成姫ははっとして後ろを振り向いた。

 いつの間にか意識を取り戻した真理香が、亀甲模様の唐衣をはねのけて、そこに立っていた。

 成姫は、彼女の目に自分たちがどう映っているかを考え、慄然とした。

 自分は今、彼女の恋人である石井広太の胸に、怪物じみた腕を突き立てている。傷口からは血があふれ、広太の顔にはすでに精気がない。

「ヒメ? コータ? 何してるの?」

 真理香はうつろな視線を成姫たちに向けながらつぶやいた。それは現状の確認ではなく否定、怪物と化した友人が恋人を殺している光景を、必死で否定しようとするあがきだった。

「真理香」

 広太の姿をした雷獣が、荒い息をつきながら声を出した。

「おまえに会えて良かった」

 それだけ言って、がくりと頭を落とす。真理香が絶叫した。

「コータ!」

 電撃が消えた。雷獣の生命が尽きたのだ。そして雷獣は最期の瞬間まで、成姫への敵意を忘れなかった。成姫は全身の血が凍るような思いにとらわれた。

「ヒメ? 何なのこれ? どうなってるの? どうしてヒメが、コータを……」

 真理香が茫然とした口調で聞いてくる。成姫はその問いに答えられなかった。真理香は涙声になりながら問う。

「ねえ、教えてよ! ヒメ!」

 教える? 何を? 石井広太はもう死んでいて、今まで一緒にいたのは彼の姿をした妖怪だったと言えば良いのか? この、妖怪同然の身を持つ自分が?

「真理香」

 彼女に聞こえるかどうかわからない小さな声で、成姫は言った。

「ごめんなさい」

 成姫の髪が素早く前方に伸び、真理香の首に巻きつく。

「ヒメ!? やめて、くるし、い……」

 真理香が意識を失ったのを確認してから、成姫は彼女の体をそっと持ち上げた。涙がひとしずく、ふたしずく、真理香の顔の上にこぼれ落ちた。


 真理香が目を覚ましたのは、雷神塚のあった校庭のすみだった。時刻ははっきりしないが、とりあえず夜であることは間違いない。雷神塚は一部が壊れていたが、真理香にそれを気にしている余裕はなかった。

「ヒメ!? コータ!?」

 ついさっきまでの光景を思い出して、真理香は周りに声をかける。しかし何の反応もない。誰もいないようだ。

 真理香は携帯電話を取り出して、まず成姫の番号に電話をかけた。しかし、いくら待っても成姫は出ない。真理香は焦りと不安の中で、広太を呼び出す。しかしこちらも返事はない。

 真理香は電話を切り、バス停に向かった。家を直接、訪れるためだった。しかし広太のアパートからは何の応答もなく、成姫の家では「お嬢様は体調不良です」の一点張りで追い返された。


 翌日、真理香は学校で二人に関する話を聞かされることになる。まず、広太が交通事故で死亡したこと。そして、成姫が病状の悪化を理由に退学したこと。

 大切な二人を一度に、しかもあの光景を見せられたあとに失ったショックは、真理香にとって、精神の許容量を超えるほど激しいものだった。

 真理香はしばらく学校を休んだ。その間、広太の葬式に参加し、成姫の見舞いにも行った。携帯電話での連絡はつながらず、会うことは依然として断られたが、見舞いの手紙だけはなんとか受け取ってもらえた。


「お嬢様。また木下様がおいでになりました」

「そうですか……」

 成姫は執事の小倉から、可愛らしいデザインの封筒を受け取った。

 事件から半年後。真理香は今でも、律儀に玄武宮家を訪れては、見舞いの手紙を渡していた。

 学校を辞めてから成姫は、妖怪退治に専念するようになっていた。大切な人を戦いに巻き込まないためには、自分から距離を置くほかなかった。

 孤独な戦いの日々の中で、成姫の唯一の楽しみとなっているのが、真理香からの手紙だった。携帯電話で話したりメールをやりとりしたりすれば、彼女に会いたい気持ちを止められなくなってしまう。それに、もし携帯電話に何かあったら、思い出までも一緒に消えてしまう。だから成姫は、あえて手紙という形でのみ、真理香と接触していた。

「また会いたい」

 手紙はいつものように、その言葉で結ばれていた。

 ──わたしも、会いたいです。

 成姫もまた、いつものように心の中でそう返答した。

 そのためには、今度こそ、広太の件をはっきりさせておかなければならない。

 成姫は部屋に戻り、返信を書き始めた。


「ヒメ」

 待ち合わせをしたコーヒーショップに行くと、懐かしい声・懐かしい呼び名で真理香が声をかけてきた。成姫は身を固くする。

 何を言われても仕方がないと思っていた。自分が広太の姿をした者を殺したのは事実だからだ。自分の姿から、妖怪の存在は納得させられるかもしれないが、広太までが妖怪だったという話を受け入れてもらえるとは思っていなかった。

 しかし、真理香の発した言葉は、

「あたしは、ヒメのこと、信じてるよ」

 成姫は大きく目を見開いた。真理香は言葉を続ける。

「あれはコータじゃなかった。あのときのコータ、着替えもしないでずっと同じ服を着てたし、家に遊びに行こうとしても断られたし。それに、本物のコータなら、ヒメに嘘の情報を教えるはずなんてないもん。

 ねえ、ヒメ、本当のことを教えて。コータはあのとき、もういなかったんでしょ?」

 長い沈黙のあと、成姫は黙ってうなずいた。

「そう、だよね。やっぱりそうだったんだよね……」

 真理香の目に涙が浮かび、ぼろぼろと落ちる。その言葉からすると、覚悟は決めていたらしい。

 成姫はどうすることもできず、真理香を見守った。

「ヒメのせいじゃないよ」

 真理香は言った。

 限界だった。成姫はその場に泣き崩れた。それは、成姫が真理香の前で、初めて流す涙だった。

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