仕方ないわ、寿命だもの
芝生でグダグダ休憩中、一行の前に広がる池にジャポン! と何かが落下する音がしたので、4人は反射的に視線をそちらへ向けた。
「わぁ! アキアカネが池に落ちてる! キャロル、魔法で引き揚げて!」
「わかった。レスキューフロムポンド!」
言って、キャロルは魔法のステッキで池に落ちたアキアカネを浮き上がらせ、自分たちの前まで移動させて地に下ろした。
魔法の呪文には縛りがなく、魔法使いっぽい演出をするためにキャロルは思いついた言葉を口にした。
そんな中、現実世界育ちの明日香、沙雪、羽心音の3人は、仲間が溺れているのに他のアキアカネたちは何事もないように飛翔している状況に違和感を覚えていた。
「大丈夫?」
羽心音が声をかけると
「ありがとう。でももう僕には、この世を旅立つときが来たんだ」
よく見ると翅は傷み小刻みに欠けていて、複眼には小さな黒点がある。かなり老いた個体だと、4人は理解した。しかし声は老人のように掠れてはおらず、目隠しして聴いていたら若者と区別はつかない。
「え、ちょっと、がんばろうよ! ほら、栄養ドリンク!」
明日香が咄嗟に通販で購入してアキアカネに栄養ドリンクを無理矢理飲ませようとするが、老いたからだはそれを受け付けず、瓶からはボロボロと黄金色の液体が零れ落ちてゆく。
「ありがとう。でも僕にはもう、思い残すことはないよ。ここまで敵に捕食されず、事故にも遭わず、環境破壊で住処を奪われもしなかったし、妻はもう空の上だけど、結婚もできた。ここまで成し得られるトンボは確率にして百万分の1。奇跡の一生だったよ」
人間社会も物騒で、明日の命の保証はないけれど、その数字に論破された4人は、返す言葉を紡ぎ出せず、黙り込んでしまった。
「で、でも!」
数秒後、何か言おうと明日香が口を開いたときには、アキアカネの腹は拡縮運動を止めていた。つまりもう、呼吸をしていない。
「明日香ちゃん……」
羽心音がそっと、明日香の肩に手を添えた。
「仕方ないわ。寿命だもの」
続いてキャロルの放った言葉に、明日香はハッとする。ずっと黙って様子を見ていた沙雪は、ようやく気付いたかと、明日香を見遣って芝生に視線を下ろし、長い黒髪を秋のひんやりした風に靡かせた。
羽心音は明日香の肩に手を添えつつも横目で沙雪を盗み見て、彼女の心境を推察する。
あの子はそっとしておこう。でも少しずつ、心を開いていけたらいいな。
「ていうことはさ、もしかしてさ……」
「そう。アキアカネは越冬種じゃないから、ここを元気に飛び回ってる子たちも、近いうちにね」
はっ、と思わず息を漏らす明日香。懸念が確信に限りなく近付き、現実の紐に結ばれるまではほんの一瞬で、明日香の頬にはぽろぽろと涙が滴り始めた。
「そっか、そうだよね、トンボだもんね。でもやだなぁ。あんなに元気で敵から逃げたりケンカしたりしてたのに、またいつか会えるって、思ってたのに」
春に孵化し、初夏に羽化して冬に寿命を迎えるアキアカネが越冬して来秋まで生きたとしたら、人間に換算すれば2百歳まで生きると同じ。明日香は頭で理解していても、声と肩を震わせながら泣き崩れていた。
一行は近くの林に穴を掘って目の前に横たわるアキアカネを埋葬し、合唱して冥福を祈ると、シックルウェアへ向けて再び歩き出した。
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