異世界まで追ってくる現実
風呂から上がって詩音と別れた明日香が部屋に戻ると既に仲居によって3人分の布団が敷かれており、沙雪とキャロルは窓際に向かい合って設置されたふかふかの椅子に掛けながら会話していた。その頭上では、アキアカネ夫妻がカーテンにしがみついて横並びで静かに留まっている。20時を回り、蜻蛉はとうに眠りの時間だ。
「あら明日香、早かったわね」
沙雪とキャロルはおもむろにそれぞれの布団へ移動し、微妙な距離を保ちながら会話が続く。
「うん。なんか、色々ごめんね」
「別に私は気に障ることなんてされていないわ」
二人のやり取りを傍で見ていた沙雪は安堵の笑みを浮かべた。
眠るアキアカネ夫妻を無視してテレビを点けた明日香。仲直りのむず痒さを誤魔化したいのかもと、沙雪は感じていた。
『いちばん大切な君に この唄は届かない 遥か彼方の知らない街 夕焼け空を仰ぎ歌うの』
「うひょっ!? この姉ちゃん、なまらかわええのぉ! ロリとオトナの境目というヤツかしらっ!?」
切ない歌詞をややハイテンポなメロディーに乗せ、オレンジの光が照らす歌番組のステージセットで歌う一人の少女。肩甲骨まで伸びるキャラメルブラウンの髪をヘアピンで留め、左の額を露出させている。服装は学校の制服のような茶色のスカートと白いシャツに赤いリボン。
風祭羽心音という明日香や沙雪と同じく現実世界出身のアイドルだそうだ。
明日香が羽心音に夢中になっていると、不意に明日香と沙雪のウォッチのバイブが鳴動。テレビ電話機能を用いたボビーからの同時着信だ。
『やあ諸君、元気にしているか? 今回は冒険者の君たちが抱いているであろう不安を一つ払拭するために電話した』
「なになに、いま忙しいけど朗報なら聞くよ。もしかして日本米の配給? お米が食べられないって何気に痛手なんだよね」
先ほど取調室で日本米を食した沙雪は胸の内で明日香に恐縮した。
『そういうものは和食レストランで食べられるから安心しろ』
「ふぅん、じゃあいいや。いまアイドル観賞で忙しいからまた後でね」
『脳みそが何で出来ているか想像し難い明日香は最も後回しにしてはならない存在だ』
「なにさ! 私の脳みそは夢と希望とハッピーで出来てるよ!」
明日香の言動に、沙雪はほへぇ、何を馬鹿げたことを言っているのだろうと僅かに口を開いて呆れ、キャロルはジト目。
『そうか。ならばそれらを増幅させるため、明日香と沙雪には義務教育課程を修了してもらう必要がある。学習アプリを強制インストールするから、各自しっかり取り組むように』
「ん? それはもしかしてあれかな? 冒険しながら学校の勉強もしろと?」
子どもの相手をするように、異様に爽やかな笑顔でボビーに問う明日香。
『そうだ。明日香にしては理解が早いな』
キャロルと仲直りし、更にアイドル観賞で元気を取り戻したばかりの明日香は、再びがくりと俯いた。そのまま数十秒の沈黙が続くと、今度はうおおおおおおと唸り声を上げ始め、それをじっと見ていた3人はクレイジーな予感がしていた。
「うおおおおおお!! オーマイガーアア!! なんということだ!! この世界にいれば勉強しなくていいと秘かにほくそ笑んでいたのに!! 学問というのはヘブン、ヘル、リアルをも突破しファンタジーの世界までこの私を追ってくるというのか!! オーシット!! イッツエンドオブザワールド!! この世の終わりだ!!」
頭を掻きむしり、悶え布団上を高速で転がり往復を繰り返す明日香は不注意でオーバーランし、柱に足の小指をぶつけた。
「ああああああ!! イッツソーペイン!! 心もからだもボロボロだ!! 沙雪!! ロケットランチャーでボビーをぶっ飛ばそう!!」
何を勝手なことを言っているのだという意味を込め、沙雪はロケットランチャーを呼び出し、無言無表情で砲口を明日香へ向けた。
「ちょっとあんたたち何やってんのよ!! あんまり騒がしくするとアキアカネが起きちゃうでしょ!!」
「そっか。めんごめんごー」
『そもそもだ明日香、お前は現実世界でろくに勉強してきたのか? 授業中に騒いで妨害しているクチのように見えなくもないが』
「失敬な。静粛に眠っているか、たまに聞こうとしても理解する前にどんどん進んじゃうから結局諦めて眠っているよ」
「うん。とても心地良さそうに眠っているよね」
『学習内容を頭に入れるか否かはともかく、義務教育だから最悪聞き流してでもアプリに収録されたムービーをすべて再生するように。たまにテストを実施するが、成績に応じて報酬がある。その点も留意しておくと良いぞ』
「お金!? わかったガンバルンバ!!」
現金なヤツめと言い残し、ボビーは通信を切った。
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各作品の見直しのため更新が遅くなっており、恐縮でございます。




