頭脳派とはつらいもの
「ぶっはーあっ! お風呂上がりの瓶牛乳は至高ね!」
脱衣所の前にある休憩広間。浴衣姿のキャロルと沙雪は温泉入浴のシメ、牛乳タイムを満喫していた。キャロルは左手を腰に当て一気に飲み干し、沙雪は両手で瓶を抱えちびちび啜っていた。
「キャロルちゃん、お口の周りが白いよ?」
「沙雪もね」
互いに舌で付着物を拭い、壁際に設置された木製の長椅子に腰を下ろした。
「明日香、戦闘のない世界の意味を理解しているのかしら?」
「戦意ある者を全て殺害または手足の自由を奪うなどで無力化しないと平和は訪れない。暴力的な戦闘に限らず、企業戦士とか、数字で戦う人、その他、結果を求めて戦略的に生きる全ての人。ほかにマナーの悪い人とか、不快感を与え、怒りや殺意を引き出す人も。あらゆる不安定要素を排除した結果、もたらされるのは統一思想」
「それもそうだけど、そもそも戦闘のない世界なんて理想郷、平和を願う者にとっては天国。彼らが最も高尚な人種であるのだろうけれど、真の平和を得たら、この世は存在意義を失うんじゃないかしら」
キャロルの言葉に、沙雪は気付かされた。
「なるほど、言われてみればそうかも。この世は修業の場。対立や葛藤、あまねく不満と対峙して、それと真摯に向き合い打開してゆく場。そこから自己の成長に繋がって、魂が洗練されたりもするよね。恒久の平和を享受し、この世において、疑問や思考、葛藤、開拓が不要になったら……」
「えぇ。平和が訪れたら、やがて新たな脅威が発生するのが常だけど、それがない場合、世界は終焉を迎えると思うの。私は日本の歴史についても少し知っているけれど、第二次世界大戦を終えた日本は平和国家を誓って驚異的な経済成長を遂げた一方、それから70年が経過しようとしている現在でも、さっきのお姉さんが言っていたように悲しい事件が毎日のように発生して、自殺者は年間2万から3万人くらい出るっていうじゃない」
「うん。それでも他国より平和だと思うけど、あくまでも比較論で、悲しい思いをしている人は数多。まだまだ究極の平和には程遠いね」
キャロルちゃんの思考を要約すると『恒久の平和が訪れたら世界は終焉を迎える』。ゲーム世界の住人が言うと、とても説得力がある。
多くのRPGではラスボスを倒して世界に平和が訪れたところでオールクリアとなる。この世界も例に漏れず、もしかしたら現実世界も戦闘や経済など、いかなるかたちの争いがなくなったとき、終焉を迎えるのかもしれない。かといってその思想で戦闘を正当化したら、世界滅亡を招き、バッドエンドは容易に想像できる。
「でしょうね。でもそれを問題視して改善しようとする意思が人間にはある。それはなぜかしら?」
「うーん、みんなが幸せになったらいいなっていう理想を掲げているから?」
沙雪は世界の理について思考を巡らせると同時に、キャロルとの会話を楽しんでいた。こういった会話は同級生とも両親ともできず、話し相手の登場に心が高揚し、目を輝かせ、声のトーンが僅かに上がっている。
「そうね。なら、神と魂の存在、輪廻転生、昇進制度。この3つを前提に、神が争い事のない世界を人類の最終目標として掲げたらどうなるかしら」
「仕組みとしては、神が定めた目標のためにあらゆる生物はこの世に生かされ、死後の魂は天に召され、何年か後に転生、つまり生まれ変わり、現世という修行の場で鍛練を重ね、神に評価され、成績に応じて死後の世界での階級が上がり、また転生し鍛練を重ね、それを繰り返す。ということだよね」
「えぇ。人間のみにとどまらず、ありとあらゆるものに存在意義はあるのでしょうね。魂は鍛錬を重ね洗練され、究極に到達すると転生不要となり、全ての魂がそこに辿り着くと修行の場は存在意義を失う」
「恐竜が滅びたように、人間も必ず終焉を迎える。仮に恐竜の魂が人間に受け継がれているとしたら、弱肉強食の概念を履修し、次のステップへ進むときが来て、それは文明開化であったり、他を思いやる感情や行動であったり」
「愛他行動は人間でなくてもとるわよ。草原を移動するヌーの群れの一頭が敵に襲われたとき、仲間を助けて自分が犠牲になってしまったという実例があるわ。傲慢にも生物ピラミッドの頂点が人間であるとしたら、犠牲になったヌーの来世は人間で、逆に愚かな人間は弱い生物にでもなるのかもしれないわね」
「うん。私も来世を見越してロケットランチャー飛ばし過ぎないように気を付けなきゃ。でもこの調子だと、人類は当面絶滅しないね」
無闇に暴力的手段を講じたら、確実に魂のランクが下がる。私の主観に過ぎないけれど、野生動物に近い行動を取る人間の思想は多くが短絡的で、尚且つ誰かに教わったものをそのままインプットしているようにしか見えない。少なくとも自発的に物事を考えるレベルには達している私がそこまで堕落してしまったら、もはや人間として生きる価値は無い。
「そうね。けれど環境破壊や温暖化が加速すれば、地球はバランスを取ろうとしてあの手この手であらゆる生物を滅ぼすわ。この辺りでは環境保護と蚊の媒介による感染病を防ぐために、蜻蛉を大切にして害虫駆除を図る取り組みをしているけれど、それでも全世界的には人間の経済活動が最優先だから、水平展開されるとは考えにくい。これだけを取って見ても、僅かな力では破壊は止められない。
この世は悪の力のほうが強いのよ。悪に染まるのは善を身に付けるより容易で、悪はルールに縛られない。地球を守るために森林を大切にしようっていう森羅万象への正義より、お金儲けのためにそこを開発しようっていう経済社会への正義のほうが強い。後者も正義として成立するけれど、多くの資源や命を破壊した対価を支払わなければ、自然の力が強制的に命や財産を没収する。しかも破壊者本人とは限らず、不特定多数の人間や動植物からね。だから結果として、正義であり、悪である。悪に対するものは、正義ではなく良心」
「でも、森林開発のお陰でお金儲けができて、病人や借金に苦しむ人を救えるとしたら?」
「残念だけど、開発で救われる人より、犠牲になる命のほうが圧倒的に多いわ。だから当事者からすれば良心であっても、そこで生きていた動植物にとっては悪よ」
「そうか。戦闘とか、人間の事情だけじゃなくて、自然との共存も一つの平和のかたちだね」
「えぇ。だから課題は盛りだくさんよ。更に言えば、戦闘は環境破壊に繋がるし、環境保護の観点からも平和構築への努力は重要ね」
平和構築がゲーム世界における私たちの存在意義としたら、明日香ちゃんは真っ直ぐ突き進み、私はこれから現れるであろう利害関係者との駆け引きのなかで、ときに汚い手段を講じ、ときに脅威を殲滅したりするのだろうか。ふふ、頭脳派とはつらいものよ。
「沙雪、何か考え込んでるみたいだけど、悪者オーラを醸し出してとても楽しそうね」
そんなことないよと、沙雪は天使のような笑みをキャロルへ向けた。




