はじめての感覚
軽はずみなことを言って、キャロルを傷つけちゃった。そうだよね、いくら当たり前に戦闘が繰り広げられてるからって、そんな日常が平気なわけじゃないんだよね。
せっかく綺麗なお姉さんが目の前にいて、いっしょに入浴できるのに、自分で蒔いた種のせいでテンションが上がらない。
沈んだ空気に飛び入ったお姉さんは困り顔。
「私、白河詩音っていいます。21歳で保育士をしています」
詩音に続き、明日香、沙雪、キャロルと、詩音から見て左から並び順で自己紹介をした。
「ふふ、よろしくね」
沈んだ雰囲気のなか、湯に脚を浸し、明日香の隣に落ち着いた詩音は敢えて敬語をやめ、親しみやすいよう穏やかな口調、トーンを心がけた。
「みんなも冒険をしているの?」
「はい。白河さんもですか?」
「ふふ、詩音でいいわよ。私は現実世界でスマホゲームを始めようとしたら意識が遠退いて、目が覚めたらこの世界にいたの」
「あぁちょっとタンマ!!」
キャロルを気遣った明日香は咄嗟に詩音の口を塞いだ。
「そういう人、多いのよね。明日香と沙雪もそうなんでしょ?」
知ってたの? と沙雪が問う。えぇ。とキャロルは頷いた。
「言われなくてもわかるわよ。冒険者の多くは妙に平和ボケしているものね。常に危険と隣り合わせなのに、世界の怖さを全然知らない感じがするわ」
やっぱり危険なんだよね、この世界。現実世界を思い起こすと、転校の際、新青森駅から新幹線に乗って東京駅に着いたとき、高層ビルの数が過去に訪れた他の都市より遥かに多く、しかも在来線に乗り換えて引っ越し先の茅ヶ崎に至るまでの1時間、田園風景が一切ないのに驚くと同時に、人が多く、都会慣れしていないからか、いつ事件が起きてもおかしくないと恐怖を感じた。ここは現実世界より人口は少なそうだけど、戦闘が当たり前という前提から、その感覚が一層強い。
「そうだね。いまや私たちのふるさと、日本でも毎日悲しい事件があって、心から平和とは思えなくなってきたけど、この世界よりは悲劇に巻き込まれにくいかな。それで急に戦闘が盛んな土地に連れて来られたから、ちょっと困惑しているの」
詩音はキャロルに胸の内を打ち明けた。
「私も。戦わなきゃ殺されちゃうのはわかってるけど、できれば戦いたくない」
「明日香ちゃんは、戦闘のない世界を望んでいるのね」
俯き加減のまま、こくりと頷く明日香。
「そうなんだ。明日香ちゃんは、まっすぐで優しい子なのね」
詩音は明日香を自らの胸元に抱き寄せ、濡れていない部分に触れぬよう後頭部をそっと撫でる。
驚いた明日香は詩音の言葉に頬を染め、抱擁に目を見開いた。
顔がすっぽり埋まる大きな胸。きっと普段の私なら、いやらしい気分になってニヤニヤしちゃうけど、いまはなんだか違って、せき止められていたものが溢れそうなくらい、すごくあたたかい。こんな感覚、知らなかった。
両親が喧嘩ばかりで険悪な雰囲気の家庭で育った私は、いつも放置されるか八つ当たりの標的にされる。こんな風に抱きしめられた記憶はもちろん、褒められた記憶もない。だからいま、この状況がとても信じられなくて、すごい幸せ。この世界に来なければきっと、味わえなかった感覚。怖いことはたくさんあるけど、まんざらでもないかも。むしろ現実世界でずっと空元気のまま生きてゆくよりマシなんじゃないかとさえ思える。
「私たち、先に出ているわね」
キャロルは言い残し、沙雪とともに浴場をあとにした。




