ふたつの魔法
キャロルのほか、明日香と沙雪もちょうど空腹となった13時頃。3人が入ったのは街外れに軒を構える蔦が張り巡らされた屋敷のようなイタリアンレストラン『タベルナ』。店内は焦げ茶色に加工された柱が剥き出しのコテージ風で、入口付近にはなぜか書架がある。四人用のテーブル席が窓際、壁際、中央部、30組ほどある広々とした空間だ。
マルゲリータ、アンチョビのピッツァ、ホウレン草とベーコンのパスタほか10品を平らげた3人は、デザートの野いちごジェラートをちびちび口に運んでいた。子ども3人にしては多めの食事量だが、7割以上をキャロラインが占めた。
「んじゃ、魔法について説明するわね。沙雪、そもそも魔法って、なんだと思う?」
「科学を超越した力、でしょうか」
「そうね、超越というよりは、別分野の力かしら。火力と水力くらいの違いがあるわ。相反する力でありながら、発電みたいに同じ目的で使用できるっていう点でね。あと、堅苦しいから敬語は使わなくていいわ」
うん、わかったと頷いた沙雪。あっさりタメ口になったわねと、キャロルは切り替えの早さに驚いた。じゃあ、説明を始めるわよと前置きをして、キャロルは魔法について語り始める。
「まず大前提として、この世界では何かを得れば、その分だけ何かを失う。それは理解しているかしら?」
「うん。正負の法則だね」
「あー、えーと、あれ? 水とか火の力を使った分だけ発電できる、みたいな?」
「そうよ。能力があるとか技を習得したからといって、エネルギーを無尽蔵に生み出せるわけではないの。何かの犠牲なしに成り立つものなんて存在しないわ。明日香、意外とモノわかりいいじゃない」
「でしょでしょ! これでも私、なまらエリートだからね! 少し見直した?」
「エリート? 見直す? ふん、何言ってるの、これくらいわかって当然なんだから。私の中では相変わらずただの変態よ」
「えへへ~、それほどでも~」
「褒めてない。さ、話を戻すわよ。この世界では灯油やガソリンみたいな化石燃料、電気、水とか、色んなエネルギー源を魔法力に変換できるんだけど、それらはどれも貴重だから、私はなるべく使いたくないの。そんな中、食べ物だけは毎日何万トンも廃棄されるくらい余ってる。だから私は食べられるため、いいえ、人間の経済活動のために犠牲になった命を少しでも無駄にしないために、食べ物を魔法力に変換しているの。
経済活動のための食べ物だから、有り余っても飢餓に苦しむ人は絶えない。犠牲になった命は土にさえ帰せず燃やされるだけ。まったくおかしな世界よ。
このラチエンコーストには海があるから、釣り竿とルアーがあれば魚を食べて暮らせるけど、内陸の平野に位置する街では海の幸も山の幸もなく、田畑で泥棒をする人がこの辺りよりずっと多いわ」
「そっかぁ、私も貧乏家庭の育ちだから、一食が古米に塩をかけたやつだけだったり、早朝の海で打ち上げられたイカを拾ってきたりしたことあったな~」
そうか。飢餓に苦しむ生活を身近に感じる機会など、裕福な生活をさせてもらって育った私にはなかった。それどころかデザートに高級アイスクリームを頂き、その後はゆったり脚を伸ばせる浴槽でミルキーバス。大人3人分ほどの幅がある低反発ベッドで眠り、翌朝は大雪ならばお父さんの高級車で登校。私が育った環境は恵まれ過ぎている。
「へぇ、明日香も意外と大変な生活をしているのね。魔法についての説明はざっくりこんなもんだけど、もっと修業を積めば同じカロリー摂取量でもエネルギー効率を上げて、いま以上の力を発揮したり、長時間、コンスタントに力を放出できるようになるわ」
◇◇◇
「あの、魔の力を使う方法はないのかな」
「沙雪、それは、ホンモノの魔法のことかしら?」
沙雪はこくりと頷く。ここまでキャロルが説明したものは、人間の手から発せられる力ゆえに魔法と呼べるものであり、道具を開発すれば科学の力でも代替できるのだ。例えば食糧を使用する魔法であれば、それを燃やしてエネルギーに変換し、炎はもちろん、製氷や発電にも利用できる。バイオマス燃料といって、トウモロコシなどを原料にしたエタノールで自動車を走らせたり、ゴミの焼却により発せられた熱を温水プールに利用している例もある。
「なにそれなにそれ!? なんか凄そう! 聞かせて聞かせて!」
「仕方ないわね。そんなに言うなら説明してあげるわ。
沙雪が言ったように、魔法っていうのは魔の力を利用したもの。すなわち『魔』の存在が発動条件になるの。
この世界には酸素や二酸化炭素みたいな空気のほかに、PM2.5みたいな汚染物質もあるけど、それだけじゃなくて、色んな性質を持った『気』が漂っているの。それを利用してエネルギーに変換するのが本来の魔法よ」
例えばと、キャロルは店内の通路を力なく歩いているスーツ姿の中年男性に目を遣った。
「彼は全身に多量の邪気を纏っているわ。家庭や仕事が上手くいかないとか、心配事があるとか、街の雰囲気との相性が良くないとか、色々な理由が考えられるけど、溜まった邪気を排出する場所がないのね」
「邪気を排出するにはどうすればいいの?」
明日香が訊ねた。
「う~ん、そうね~、大きな声で歌ったり叫んだり、街で見かけたカップルが言うには、あ、なんでもない」
「おほぉ!? カップルが言うには!?」
「べ、別になんでもないわよ! あなたに話すとろくでもないことをしでかしそうだから言いたくないわ!」
「言わないといまこの場でしでかしちゃうよぶぎゅへへへ~」
「わ、わかったわよ。かっ、カップルの男がね、君を抱きながら絶頂に達すると気分がスッキリするって言ってたの! まったく、7歳の子どもになんてこと言わせるの!」
「ふふ、キャロルちゃん、りんごみたいに顔が真っ赤だよ?」
キャロルちゃん、もしかしたら自分の発言の意味を理解しているのかも。
「沙雪、あなたの瞳の奥にどれほどの知識が蓄えられているのか、気になるわ」
「それはこちらの台詞だよ。こういうのをマセガキというのか、もしくはキャロルちゃんも学校で保健体育を履修しているのか」
「さぁ、どうかしらね。ほら、また話が逸れたじゃない! 気を取り直して、次は魔法を使う際の注意事項よ。
気を人間の体内に取り込むと、身体が重くなったり気が病んだり、時に風邪や病気にかかったりもするの。熟練の域に達するまでは気を吸着する性質のある金属製の剣やステッキに纏わせて使うのが無難ね。
もし件のカップルの女性が魔法使いだとしたら、抱かれながら相手に元気を分けるのと引き換えに、自分は物凄い疲労に見舞われて、酷い場合は慢性的な頭痛を引き起こしたり、善悪の区別さえもつかなくなったりするわ。そこにつけ込んで洗脳を図る悪人もいるから、被害に遭わないためにも滅多なことでは使っちゃだめ。ま、それ以前に使えるようになるまでは相当な鍛錬が必要だから、いま警鐘を鳴らすことでもないんだろうけど」
「ぶひひひひぃ、キャロル、私たちを心配してくれてるんだぁ」
「なっ、何言ってるの! 違うわよ! ただ私は魔法使いとしての説明責任を果たしただけなんだから、勘違いしないでよね!?」
キャロルの露骨なツンデレにブヒブヒと興奮する明日香は再び過激なスキンシップを試みた。ふたりの攻防がしばらく続き店を出ると、何故か3人の男性警察官が待ち構えていた。
「階上沙雪さんですね? お訊ねしたいことがありますので署までご同行願えますか?」
どうしよう、どう考えてもハチの巣爆破の件だ……。
お読みいただき誠にありがとうございます!
次回、拷問刑が科せられる世界で沙雪が取調室行きです!




