8. “自宅”を奪い取れ!
「グルバ帝国とアリシュリア王国から返事が来たようだ」
「というと?」
「うむ、両国はザラ平野で交戦しているわけであるからな、今回の“自宅”がそこに設営される事になった事を伝えておいた。自由直帰権がある以上、キタラーの帰宅を妨げる事はあってはならないと警告しておいたが、どうなるか。あまり芳しい返事は得られなかったが、上は黙認してくれるらしい。
それよりも問題は“自宅”か」
「はい、毎年“自宅”は針剣アートが刺さった位置の家を制圧――ゴホン、失礼、借り受けて使用していましたがこの辺りには建物がありませんね」
「映像班! っと、既に針剣ダールが刺さった場所を映しておったか」
「……おお、丁度好さそうな天幕がありますね」
「……うむ、これならば“自宅”に申し分ない。周りに他の建物もない事であるしな、決定だ。設営班、その天幕の家主と平和的に交渉し、ご理解願え」
『――了解しました』
「いやー、偶然ですね。こんなところに天幕があるなんて」
「うむ、偶然であるな。何やら鎧を着た連中が出入りしているようにも見えるが」
「あの黒い鎧はグルバ帝国の兵士ですね」
「そうか、かの帝国は帰気を軍事利用しようと目論んでおってな。個人的には好かんが間の良い事よ」
「……」
「……」
「あの」
「どうした?」
「えっと、いえ――いいんですかこれ。軍事介入ですよ!」
「……仕方ない。なにせ針剣ダーゾは絶対だ!」
『――繰り返す! こちらグルバ帝国総指揮官クロード・フォン・グルバである! ここはグルバ帝国軍の総司令部である! 貴公らはどこの所属だ! 早急に立ち去られよ。これ以上の接近は交戦の意志ありと見なすぞ!』
『公帰連設営班班長のグロリアだ! この天幕は針剣アーツによって今回の帰宅部全国大会決勝戦の“自宅”に選ばれた! 早急にお貸し願いたい!』
『おい! こちらの話を聞いていたのか! なんでいつもお前たち公帰連は、そこまでかたくなに直帰しようとするのだ!』
『? ……そんなもの、そこに家があるからに決まっているだろう?』
『ちょっと待て! なぜ全員そろって小首を傾げる!? 俺がおかしいような感じにするな!』
『くどい! 狂人は皆そう言うのだ! それに、自由直帰権を知らぬとは言わせんぞ!』
『ぐぬぬ……しかし“自宅”を設営させなければその自由直帰権は成立しない!』
『成立させるさ! 総員設営準備! 公帰連の平和的交渉能力を見せてやれ! 案ずるな! 我々には帰る家がある!』『『『おおーっ!!』』』
『くっ、ならば我らも戦うほかあるまい! 我らは帰気を持つ軍隊! グルバ帝国精鋭たちよ、武器を取れ! 我らにも帰る家はある! 戦争とは帰宅する過程である! そう、我らが軍事行動は、我らが兵は帰道なり!』『『『はっ!!』』』
「……手間取っておるようだの」
「はい、指揮か――家主のクロードさんが頑固なようですね」
「東帰ポでたまに名前を見かける程の人物であるからな。とはいえ、設営班の前で何分持つかの。もし健闘するというのなら私が直々に、帰気召喚でクロードを呼び出して平和的交渉をしてやるが、さてどうなるか」
「……あの、ところで、こういう事するから帰気を軍事転用しようなどと考える者が出るのではないですか?」
・兵は帰道なり
グルバ帝国の古い学者がその著書において用いた名句。グルバ帝国が帰気を軍事転用する理論の礎となった。
本来のこの句の意味は「兵士は戦うために戦っているのではなく、帰るために戦っているのである。つまり、国を守る心を忘れないから兵士は強いのだ」という一種の精神論でしかないはずなのだが、後の世で様々なねじ曲がった解釈がなされる事となる。ある意味、この名句自体が詭道に落ちている。
・クロード・フォン・グルバ
グルバ帝国のたぶん第二王子ぐらいの人。兄と王位継承権を争っており、この戦争の手柄で帝国内の支持をなんやかんやしよう、というふわふわした理由で参戦している。というより、設定がふわふわしている。
参謀からは王子は帰気の研究に踏み入り過ぎたせいで、帰気の深淵に呑まれたのだと嘆かれている。やはり帰気が悪いのだ。
そして実際このような現象は深刻な問題である。なぜなら、帰気を研究する者は存在自体や行動原理が曖昧になって、最終的によく分からないふわふわした人物になるのだ。そのため、帰気というよく分からない何かの解明が遅くなってしまっている。
実は針剣ダートはこの影響を逆手に取った武具なのであるが、誰もが名前すら覚えられないので、その事には永遠に気付けないであろう。
・設営班
“自宅”の制圧もとい設営を行う班であり、主にヲリ戦法を得意とする元キタラーで構成される。帰宅速度では映像班に劣るが、公帰連内でも他の追随を許さない程の平和的交渉能力を有する、事実上の最大戦力である。
・平和的交渉
世界を平和にする事すら可能であるとされる不思議な交渉術である。過程よりも結果が重要なのだ。