第6話
お米の形がなくなってしまうくらいどろどろに溶けたおかゆ、濃い黄色のポタージュスープ、ヨーグルト。それが今日の母の昼食だった。
「こんなのたべてるの・・・?」
私は唖然として言った。これじゃあほんとに重病の病人じゃない?
「今は胃がちょっと弱ってるから、固形物がうまく食べれないのよ。すぐよくなるわよ。」
母はリモコンを操作してベッドの腰から上の部分を起き上がらせながら言うと、テレビの下の台の引き出しを指さした。
「そこにお財布が入ってるからとってくれる?」
私が深緑の大きながま口財布を渡すと、母はそこから千円出して私に渡した。
「これでお昼食べてきなさい。おなかすいたでしょ?下に喫茶店もあるけど嫌だったら病院の近くに色々お店もあるから。」
年のせいなのか、病気のせいなのか、母の手は骨ばって乾いていた。
私は病院の一階まで降りて、喫茶店の前をふらふらしてみたけれど、なんとなく入る気にならず、陽射しの照る中、外の散策をする気にもならず、結局売店でおにぎりを二つとお茶を買って病室に戻ることにした。レジに向かう途中でふとお見舞いものコーナーみたいに果物やお菓子が並べられているところに桃がおかれているのを見つけた。あっ、もう桃でてるんだ、はやいなぁ。と思って思わず手に取った。私のうちでは夏から秋にかけての時期に毎年、母の知り合いの農家の人から桃が送られてきていて、私も母も桃が大好きだったからいつもそれを楽しみにしていた。やわらかい桃の肌をなでて、甘いにおいを嗅ぐと懐かしい気持ちがした。旬の時期と比べると二倍くらいの値段だったけど、おにぎりとお茶とあわせても千円いかない値段だったので、それをひとつ買うことにした。桃なら水分ばっかりだから母もたべれるかもしれないなぁ。と考えながら。
病室にもどると母はほとんど食事を終えていた。
「おにぎり買ったからここで食べるね。じゃーん。桃も買ったよ。」
桃をみせると、母の顔が少し明るくなった感じがした。
「あら、もうでてたの?はやいわねえ。」
いって、やさしく両手で包み込むように桃をもってにおいを嗅いだ。
「いいにおいね。」
「桃ならどう?食べれそうじゃない?胃にもやさしそうだしさ。」
「そうねぇ。ちょっとたべてみようかな?」
何度も繰り返し桃のにおいを嗅ぎながら、母はにっこりしていった。
母が自分でやるというので、私はベッドの横におかれたパイプイスに座っておにぎりを食べながら、果物ナイフを器用に使いながら桃をきる母を見ていた。ナイフを入れるたびに桃のにおいは強くなって、私たちは何度も、いいにおいだねえ 、といいあった。
私がおにぎりをふたつ食べ終わって、母も桃を切り終わると、ふたりで一切れづつ食べた。
一年ぶりに食べた桃はみずみずしくて、口の中に甘さが広がった。
「おいしいね。」
母もほんとにおいしそうに、にこにことしていた。その桃が母が最後に口から摂取した固形の食べ物だった。
母はふた切れ目をくちにしたぐらいに急に顔をしかめて咳き込みだし、左手でくちを覆った。
「なに?どうしたの?苦しいの?」
パイプイスから立ち上がって、母の顔を覗き込んだが、母はどんどん苦しそうになるばかりで、今度は右手で胃の辺りを押さえた。
「ちょっと待って。今、看護婦さんよぶから。」
必死でナースコールを探して、ボタンを押した。私はどうしていいかわからず、母の背中をさすっていた。母の咳は嗚咽に変わり、口を覆っていた左手の指の隙間から、赤いものが流れた。それは血液だった。
私は頭の中が真っ白になってしまい、叫ぶことすらできなかった。怖くて怖くて仕方なかった。