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願い  作者: ネコミワコ
2/7

第1話

 やかましく鳴き続ける蝉の音、窓から差し込んでくる紫外線はさんさんとして痛いくらいだ。目覚めたとき、私は下着姿でベッドの上に転がっていた。頭で考えるよりはやく頭痛と胃の不快感が押し寄せてきて、昨日の飲み会のことを思い出す。大学が夏季休業に入る前のお祝いみたいな定例飲み会。学科の中で誰かが幹事やって、大体半分の20人くらいが集まって、実のない話をして騒ぐ。とにかく飲む。大人数の飲み会では、いつも私は調子に乗って飲みすぎてしまう。昨日もビール、焼酎、日本酒と手を出して、お店をでてアパートにたどり着くまでの間、記憶が半分ない。


 枕元の目覚まし時計を確認すると針は10時を回っていた。今日は午後から亜美とバーゲンにいく約束してるし、そろそろ起きて準備をしなきゃ。体を起こすと一瞬目が回るような頭痛がして、頭を抱えてそれをこらえる。シャワーよりもお湯につかってアルコールをとばした方がよさそうだな。あーものすごくのど渇いてる。苦しい。


 そんなこと考えながら、昨日からバッグに入れっぱなしだった携帯をチェックした。

「はっ?なにこれ?」

 思わずつぶやいた。着信件数8件の表示。心臓をぐわりとつかまれるように感じながら件名を一件ずつ確認した。

 昨日の夜11時台に父の携帯から2件、朝7時から9時までの間、自宅から6件。

 嫌な予感はどんどん確信に近づいてくる。ごくん。と咽喉がなった。自宅の電話番号が表示されている画面で通話ボタンを押すと、どんどん息が苦しくなる。コール音を聞きながら、この音がずっと続いてくれればいいと思った。頭の中では世間を騒がした色んなニュースのパターンが私の家のことに置き換えられていく。家庭内暴力とか殺傷とか自殺とか・・・。そういうことはいつだって起こりうることだと思ってる。パンパンに膨らんだ風船みたいに、不穏な空気が充満しているあの家は少しの刺激で粉々に破裂してしまうだろう。



 電話にでたのは母でも父でも兄でもましてや祖母でもなかった。

「実加ちゃん?あーよかった。」

 聞き覚えのある少し舌足らずの声は叔母の奈津子さんだった。奈津子さんは年の離れた母の妹で同じ市内にすんでいる。

「お義兄さんが何回かけてもつながらないって。あーでもよかったわ。」

 なんでこの電話から奈津子さんの声がきこえるんだろう?自宅の電話を母以外の人間がでることは滅多にない。なんとなく母に何かがあったんだ、ということが分かった。

「すみません。あの、電話気づかなくて・・・。それで、あの。何かあったんですか?」

「うん。もう今は大丈夫みたいなんだけどね・・・お姉ちゃんが昨日の夜倒れて、救急車で市民病院に搬送されたのよ。もう治療もして普通にしてるんだけどね、しばらく検査入院っていうことみたいよ。」

「・・・入院。」

 私は母のことを思い出してみる。父とケンカしているときの泣きそうな顔。祖母の介護をするときの無理につくったような笑顔。散らかった台所のテーブルに肘をつき、ちょっと疲れちゃったわ、と言ったときの遠くに向けられた視線。私は家を出るべきじゃなかったのかもしれない。母のそばにいなければいけなかったかもしれない。

「心配よねえ。今、お義兄さんが病院にいってるわ。おばあちゃんのことは私がみてるから大丈夫よ。それで実加ちゃん、もうすぐ大学も休みでしょう?お姉ちゃんの入院の間こっちに帰ってくることってできるかしら?お義兄さんもまだお盆休みに入らないし大変だと思うわ。」

「ええ。まあ。それは。・・・どうにかなると思います。」

 私は曖昧な返事をした。母のいない父と兄と祖母だけの家。それは私にとって最悪の環境だった。よかったわぁ。という奈津子さんの明るい声が聞こえる。

「すみません。色々ありがとうございます。とりあえず私は今日から休みなんで、今日中に帰れると思います。」

 電話を切ると、またやかましい蝉の音で部屋中いっぱいになった。時刻は10時20分。

 ついさっきまで寝ていたベッドに突っ伏すと、口に出さずにいられなかった。

「もうやだ。もうやだ。もうやだ。もうやだ。もうやだ。」

 何度も繰り返す。母が倒れて入院なんて嫌だよぉ。あんな家に帰りたくないよぅ。

 そして、昨日の飲み会をひどく懐かしく思う。昨日のあの楽しかった時間に母は倒れて苦しい思いをしてたんだ、と思う。ううん。母はずっと苦しい思いをしていた。

 「おかあさぁん。」

 小さな声でつぶやいてみる。私はあの人が好きなのか、嫌いなのか分からない。でも、もしいなくなってしまったら、置いていかないでと思うと思う。





 



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