第1話
今日も今日とて蒸し暑い日が続く。
窓を見れば鬱陶しい程に光をはためかせる太陽が目に映る。
カーテンを引いた。
冷房機の設定温度を下げて再び寝床に身を転げると、不意にテレビが見たくなった。
なんと言うことはない、リモコンの電源スイッチをテレビに向けてボタンを押すだけでよい。
ただ、それすらも面倒くさいと思ったが、寝る気分にもならずテレビの電源を入れた。
「日本各地では猛暑日が続いており、今週中は暑い日が続く事でしょう。」
今日はまだ火曜日だ。
週の前半でこう言われたのでは先が思いやられる。
気だるい。
倦怠感とはこの事であろうか。
鬱々しい気分のままテレビのチャンネルを変えた。
「政府の対応が遅れている事に関して指摘が上がっていますが・・・。」
鬱々しい気分のままテレビの電源を切った。
そういえばトイレ紙を切らしていた。
仕方が無い。
またそこら辺りの公衆便所から紙を拝借してくるか。
それとも今回はコンビニ辺りがいいかな。
さすがに良心はほんの少し痛むが、何しろ金が無い。
自分の節約のためには多少の犠牲は必要なのだ。
寝癖のついた髪をなんとか押さえつけ、体臭を確認して外に出た。
うだるような暑さとはこの事だろう。
逆に寒さを感じるかと錯覚するような気温にうんざりしながらも最寄の公園に歩いていく。
途中、飲料水の自動販売機が目に入った。
躊躇わずに自分は財布から小銭を取り出し、投入し、ジュースを購入した。
金はあまり持ってはいないが、きっとこの暑さの中で飲む冷たいジュースは百数十円の価値をも軽く凌ぐだろう。
トイレ紙を買う金は惜しいが、ふさわしい場面でふさわしい物が手に入るこの状況では、金を出さざる得ない。
仮にトイレの便座横にトイレ紙の自動販売機があれば自分は喜んで金を出すだろう。
しかし残念な事に現実はそこまで便利でハイテクにはなっていないし、公衆トイレに行けばトイレ紙を無料でくすねられることも事実である。
木陰になっているところが見つかったので、そこに腰を下ろしてジュースを飲む。
ああ、今日もやっている。
足に怪我をした女性がよたよたと何かから逃げている。
その何かといえば、アレしかない。
女性の後ろ5メートルぐらいに、よろよろと歩く男性がいる。
女性は足にしか怪我をしていないが、男性は顔の皮が全部溶け落ちてしまったかのような、
否、完全に溶け落ちている。
目は濁り過ぎていてどこを向いているのか分からないし、手は半分白骨化している。
それなのに執拗に女性を追い回すその姿は、まるで昔に映画で見たかのようなゾンビである。
怪我をしたところに運悪くゾンビが近づいたのか、それともゾンビに怪我をさせられたのだろうか。
どちらにしてもどん臭くてとろい女性である。
悪いが女性が危機に陥っているからといって、自分がそれをどうにかしてやろうという気にはならない。
そんなことをして万が一自分がゾンビに噛み付かれたら目も当てられない。
すこしでも自分に被害が及びそうならば、全力でその可能性を潰しにかかる。
自分はそういう男である。
少しの間、女性とゾンビの悠長な鬼ごっこを見ているとサラリーマン風の男がやってきた。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
リーマンは近づくや否やそういって女性を抱えて距離を置いた。
先ほどの声は女性に向けられたものだろうか。
ゾンビのほうが重傷だろうに。
彼も元は人間だっただろうに。
リーマンは脇に転がっていた、看板の足に使われていそうな棒っきれを手に取った。
そして女性に夢中であるゾンビの背後に回り、振りかぶってそれを後頭部に刺した。
よくそこまでできるものだ。
ゾンビに家族でも殺されたのだろうか。
だとしたらもっと頑張ってこの街のゾンビを全滅させるくらいの勢いで駆逐していって欲しい。
そうでないのであれば、女性を抱えてさっさとこの場を去ればいい。
ゾンビが動かなくなったのを確認して、女性とリーマンは何やら会話を始めた。
こういった場面では男女の甘いやり取りが淡々とされるのだろうか。
女性の足の怪我がゾンビに噛まれたものではないか。
後頭部に棒を刺した際の肉片の飛沫がかかっていないか。
周りに他のゾンビは居ないか。
ゾンビは本当に死んだのか。
気になることが多すぎて男と女の甘くて淡いやり取りなどする気にもならない。
というわけでもなく、目の前の男女は当然のように、俗に言うイイ感じになっていた。
ゾンビとの接触による症状の発症率は20%程である。
つまり、噛み付かれてもゾンビになってしまうのは5人に1人程度。
感染発症確率100%の映画ゾンビに比べれば、まったくをもって余裕の数値だろうか。
何が余裕なのか自分で思って考えてみたが、よく分からない。
そのよく分からない余裕という奴がゾンビをここまでのさばらせているのでは無いだろうか。
動きはとろいので走って逃げればよほどのことが無い限り逃げ切れる。
万が一噛まれても、運がよければ問題なし。
おまけに頭を使っていないらしく、群れたりはしない。
少々気をつけていれば日常生活にほとんど支障を来たさない。
映画ゾンビが凶悪に描かれすぎたせいだろうか。
人々の関心はそれほど高くなかった。
リーマンが女性に肩を貸している。
そのまま二人はどこか見えないところまで行ってしまった。
残されたのは横たわるゾンビのみ。
さて、自分も行こう。
一息ついて腰をあげ、目的の公衆便所の方をみた。
夕日が伸びて目に刺さった。
もうすぐ暗くなるな。
暗がりではゾンビが近くまで来ていても気付き難い。
さっさとトイレ紙を頂いて帰ろう。
しまった。
鞄も何も持ってきていない。
これでは手にトイレ紙を持ったまま帰らなければならない。
そんな姿を見られてはたまったものではない。
一応は窃盗罪か何かになるだろう。
そんなことよりもトイレ紙を近所の公園まできて調達する男、とご近所に思われるほうが大きい罰だ。
今日のところは諦めよう。
帰路の途中、何体かのゾンビとすれ違った。
心なしか数日前に外出した時より増えた気がする。
いや、本当は気付いていた。
日が経つにつれてゾンビが僅かに増えていっている事も。
ゾンビを駆除する政府機関が機能しているのか怪しい事も。
ゾンビの食欲が日に日に増加している事も。
ゾンビの体が夕焼けに染まり情緒的だった。
まるでそれがそこに在る事が自然であるようだった。