8 顔面偏差値70憶の掃き溜め
そこは、この世の「美」を煮詰めたような空間だった。
壁一面の鏡。ほのかに香る高級ブランドのフレグランス。空調は完璧に管理され、汗臭さなど微塵もない。
――が、空気は凍りついていた。
「はあ。ホント終わってんな、このチーム」
部屋の隅、パイプ椅子にふんぞり返った青年が、ガムを吐き捨てるように言った。漆黒の前髪がサラリと瞳に落ちる。
坂下綾人。元天才子役の性格破綻者。
その顔立ちはため息をつくほど整っているが、瞳には他人を見下すような絶対零度の光が宿っている。
「まあまあ、綾人くん。顔が怖いよォ。スマイル、スマイル! オラついてると、視聴者も怖がっちゃうからねェ」
ヘラヘラと笑いながらスマホをいじっているのは、元トップモデルの柊シュウ。軽薄だが、大きな目とスッとした鼻筋の持ち主で、悔しいほど華がある。
そして窓際で石像のように無言を貫く、天使のような美少年スバル。色白の肌にハイトーンの金髪がよく似合っている。日本人離れした顔立ちは、ヨーロッパの芸術みたいだ。
……なんなんだ、この空間は。
俺は部屋の中央で正座をしながら、胃液が逆流するのを必死に堪えていた。
場違いすぎる。
まるで、中小企業のいち社員が、間違って上場企業の役員を集めた新年会に参加してしまったような居心地の悪さ。
どうして俺は、この顔面偏差値の暴力みたいなチームにいるんだ?
――ことの発端は、数時間前のドラフト会議に遡る。
***
「第2位、リクト。指名をどうぞ」
そのアナウンスが、すべての始まりだった。
ドラフト会議。成績優秀者が自分のチームメンバーを選べる企画。
次の審査は、ドラフトチームの対抗戦だった。
Aクラスの王子様、リクトが、ニコニコと笑顔でチームメンバーを選んでいく。
「じゃあ、Aクラスの柊シュウくん!」
「おぉ~」
「次は、Bクラスのスバルくん」
「おぉ~」
「あと、Bクラスの坂下綾人くん」
「おぉ~?」
会場がざわつく。
誰もが思った。
コイツ、顔だけで選んでね? と。
実力よりビジュアル。あからさまな顔採用だ。
そして、ラストのメンバー。
誰もが、残っている上位クラスのイケメンが呼ばれると思ったその時。
リクトの視線が、会場の隅で空気になっていた俺を射抜いた。
「最後は、Fクラスの西園寺ルキくん!」
どよめきが起こる。
……は?
前に座っていた孔明が目を見開いて振り返り、ハルカがポカンと口を開けて呆けている。
会場中のみんなの頭上にハテナマークが浮かぶなか、リクトだけが楽しそうに俺を手招きした。
「僕のチームに来て。君が必要なんだよ」
「え、こ、これは――」
ヘッドハンティング――!
ドキンと心臓が跳ねる。
まさか、俺の身に降りかかるとは思いもしなかった。
優秀な社員が引き抜かれ、恨めしく背中を見送る側でしかなかった俺が、ついに、引き抜かれる側に?!
目の前の孔明が「ほら、行けよ。負けねえからな」と俺を睨みつける。「僕も、負けない」というハルカの一言が、俺の背中を押す。
俺はグッと口を真一文字に結び、リクトの元へと駆け寄った。
***
そして現在。修羅場である。
「はあ。リクト。説明して」
綾人が、俺をアゴでしゃくる。
「なんでこのFクラスを入れたわけ? いくら顔選抜とはいえ、コイツは低レベルすぎるだろ」
グサッ。的確な悪口が俺の心臓に突き刺さる。
ごもっとも。ごもっともでございます。社内いじめを思い出して涙が出そうだ。
視界の端で、シュウがクスクス笑っていた。窓の外を眺めていたスバルは、非情なまでに無関心を貫いている。
リーダーのリクトは優雅に脚を組み替え、口を開いた。
「口を慎んで、綾人。ルキくんは僕たちの切り札なんだから」
「切り札?」
「そう。今回の課題曲を発表するよ」
リクトがボードに張り出したのは、誰も予想していなかった曲名だった。
『HYENA』
その場にいた全員の動きが止まる。
それは、ゴリゴリのラップ曲だった。高速のリリック。攻撃的なビート。ドープな世界観。どう見ても、キラキラ王子様系アイドル集団の俺たちが選ぶべき曲ではない。
「なんでラップ?!」
シュウがスマホを置いて叫ぶ。
「無理無理! 俺ら、歌もダンスも微妙だから顔で売ってんのに、ラップとか事故るって!」
「そう。僕たちは、歌もタンスもイマイチ」
リクトが、低く冷徹な声で言った。
「でもね、僕たちは、あの帝都タクミ率いるアベンジャーズチームに勝たなきゃいけないんだ。歌、ダンス、ビジュ、すべて最強のチームにね」
「だからじゃん! だからこそ、俺ら向けの王道キラキラアイドル曲にするべきでしょ!」
シュウのツッコミに、リクトが冷たく首を横に振る。
「逆、逆。正攻法で勝てないんだったら、パフォーマンスの結果だけを見せたって無駄なんだよ」
「はあ? どゆこと?」
「だからさ、この前のFクラスのステージだよ」
リクトの視線が急に俺へ向く。思わず俺は自分を指さし、「ぇえ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「レン先生が言ってたじゃん。成長が見たいって。そこだよ。そういう部分が欲しいの」
リクトが人差し指をあげ、ウインクする。
「アベンジャーズチームは完璧。だからこそ、努力だとか成長だとかの感動が生まれにくい。向こうは、できて当たり前だと思われるからね。僕たちはそこを突く」
「……それで、ラップ?」
「そう。あえて難題にチャレンジして、努力と成長を見せる。ビジュの良さにあぐらをかいてるわけじゃねーぞ、ってとこを見せるんだよ」
なるほど。これは戦略的だ。
さすがリクト。ただの王子様キャラじゃないらしい。
「で? それで、なんでコイツが切り札になるんだ」
綾人がアゴをしゃくって言った。
フフッとリクトが笑みをこぼす。
「やだなあ。みんな前回のステージ、覚えてないの?」
リクトが俺に近づき、俺の肩を組んだ。
ひいぃ、と俺は震えあがり、硬直する。まるで上司に肩を叩かれたときのような緊張感。
あの、「田中おまえ、今晩、予定ないよなあ?」と有無を言わさず残業を打診してくるような感覚。
俺は肩をすくめた。
「高速アイソレーション」
リクトの目がキラリと光る。
「ルキくんのアレ、凄いリズム感だよね。あれは簡単には身に付かない。凄い武器だと思う」
たしかに、社畜人生を生き抜いてきた武器ではある。
が、アイドルの武器かというと、若干怪しい。
綾人もシュウも、俺に懐疑的な目を向けて「うぅん」と唸った。
「切り札になるかどうか、ここでやって見せてよ」
「ええ? 今?!」
否応なしに、ビートが流れ始める。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。重低音が腹に響いた。
納期を遅れてしまったときにかかってくる、取引先からの着信音みたいだ。
逃げ場はない。無言は駄目だ。なんでもいいから言葉を紡げ!
俺は頭の中で、エア受話器をとった。
「はい田中でございます大変申し訳ございません至急確認いたします原因は当方のシステム不備にあり直ちに修正パッチを当てて再発防止に努めますッ!」
ドッドッドッドッ!
高速のビートに、謝罪の言葉がパズルのピースのようにカチカチと嵌まっていく。
その鬼気迫る切迫感は、納期を前にした社畜の真骨頂だ。
「現状は赤信号! だが回すぜPDCA! 提出するぜお前の理想! 承認しろよ俺の覚悟! 納期絶対遵守! 脱過労死ワークライフバランス! 得られる1か月のボーナス!」
ドンッ!
曲が終わり俺は膝をついた。酸欠の肺を、必死の呼吸が満たしていく。
スタジオの空気は、完全に止まっていた。
「……は、ははっ」
乾いた笑い声が漏れた。シュウだ。
「えっぐ! なに今の! 全然意味わからんけど、グルーヴは感じた! キレッキレ!」
天使の彫刻みたいなスバルも、いつの間にかこっちを見ていて、力強く親指を立てている。
聞いていてくれたのが、なんだか嬉しい。
そして、綾人。彼はソファから身を乗り出し、信じられないものを見る目で俺を凝視していた。
その瞳に、初めて興味の色が灯る。
「……ダサ」
綾人はバツが悪そうに鼻を鳴らした。
「そのリリック、なんとかしろ。じゃなきゃ、俺はやらないから」
みんなの感想を聞きながら、満足気なリクトが拍手している。口元には、策士のようなニヒルな笑みが浮かんでいた。
「僕のやりたいこと、わかったよね。僕たちはこの高速ラップでいく。ここに、勝機がある」
俺はゼェゼェと息をしながら、リクトを見上げた。
こいつ、こんな可愛い顔して、プロジェクトチームの命運を握るとんでもない上司みたいだ。
俺にはリクトがキラキラと光り輝いて見えた。
「じゃあ、ルキくん。この調子で教育係も頼むね」
「えっ?」
「君ならできる。期待してるよ」
リクトは俺の肩をポンと叩き、美しい顔でニッコリ笑った。
それは紛れもなく、金曜日の夕方に「明日までにこれ頼むね」と言い残して帰る、最悪の上司の笑顔だ。
――なんだよ、ここもブラック企業じゃねえか!
そんな思いを胸に、しがない俺は「わかりました」と業務を背負うのだった。




