5 フェラーリと軽自動車
本番前、最後の練習が終わる。
汗だくで、ボロボロの落ちこぼれたち。
肩で息をする誰かの口から、ふと笑い声が漏れた。
「……あはは! なんだよこれ、めちゃくちゃじゃねえか!」
孔明が笑っていた。つられて、みんなで笑い出す。
「最高だよ! 俺たち、最強に変だ!」
バラバラだった個性が、奇妙な形のままガッチリと噛み合った音がする。
納品完了の朝日が見えた気がした。
レッスン室を出る。
体にまとわりついた熱気は、廊下の冷房で急速に冷やされ、心地いい。
ボロ雑巾のように疲れ果てた体。鉛のように重い足取り。
泥沼から這い上がる、確かな感触がある。
そんな時だった。
キラリ、と輝く圧を感じ、俺たちは一斉に顔を上げた。
廊下の向こうから、集団が歩いてくる。
「……ッ!」
隣で孔明が息を呑み、反射的に足を止める。
集団を目にした瞬間、世界の色が変わったかのような錯覚を覚えた。
Aクラス、チームRoyal。
ザッザッと踏み鳴らすシューズ。
ハイブランドの香水がほのかに香り、汗と埃の臭いを無慈悲に上書きしていく。
彼らの周囲だけ、明らかに空気の純度が違った。
「あ、おつかれ」
集団の先頭を歩く不動のセンター、帝都タクミがこちらへ向けて片手を上げる。
ハルカは小さな悲鳴を上げ、俺の背中へ身を隠した。絶対的な捕食者を前にした小動物みたいだ。
無理もない。
タクミは、神が全精力を注ぎ込んで作った、最高傑作みたいなアイドルだ。彫刻のような美貌は、視線ひとつで人を跪かせるほどの覇気を放っている。
タクミの右隣には、鋭いナイフのような美貌を持つダンサーの桐生。
左隣には、甘いマスクの小悪魔美少年、ケイト。ケイトはボーカル審査の時、全体1位を獲るほどの歌唱力を持っている。
そしてその奥に、ラップ審査1位のガク、ビジュアル1位のリクトが続く。
俺たちが泥水をすする野良犬だとするなら、彼らは王宮で愛されるサラブレッドだ。
肌のキメ、骨格の美しさ、纏うオーラ――存在の解像度が、残酷なほどに違う。
「Fクラスも練習すんの? 無駄じゃね?」
すれ違いざま、桐生が孔明の肩にドンとぶつかりながら言った。
だが孔明は、うんともすんとも言わない。普段の孔明なら、露骨に俺たちを馬鹿にする桐生の胸ぐらへ掴みかかったって、おかしくないのに。
横目で見た孔明は、チームRoyalとは目も合わさず、床の一点をただ見つめている。
「……孔明くん?」
Fクラスのひとりが声をかける。
孔明は唇を噛み締め、拳を震わせながら、ただ俯いていた。
「桐生くん、性格悪ぅい! そんなに馬鹿にしちゃ可哀相だよぉ」
ケイトが鈴の音のような声で、コロコロ笑って言う。
「Fクラスだってさあ、Fクラスなりに頑張ってるんだから、応援してあげなきゃ~!」
余裕たっぷりのケイトの言葉が、俺たちの心にグサグサ刺さった。
なんだよ、応援って。
自分たちは負けないと確信しているのか?
悔しい。
そう思うのに、オーラも実力も何もかもが圧倒的に負けていて、顔を上げることすらままならない。
圧倒的な、勝者の暴力。
Fクラスの人間は、蛇に睨まれた蛙のように、彼らが通り過ぎるのをただ待つしかなかった。
――ただ一人、俺を除いて。
(彼らは、本プロジェクトにおける最大手競合他社だ)
俺の脳内コンピューターは、恐怖とは全く別の回路で高速処理を開始していた。
(業界シェアNo.1のリーディングカンパニー。それが、チームRoyal)
平社員の俺がここでやるべきこと。それは、敵対でも逃走でもない。
ビジネスマンの基本動作――営業である!
俺の本能が、思考より先に身体を動かした。
「――お疲れ様でございますッ!!!! チームRoyalの皆様!!!!」
静まり返った廊下に、よく通るバリトンの社畜ボイスが響き渡る。
俺は孔明の前に割り込み、桐生の進路を塞ぐようにして、流れるような動作で腰を折った。
角度は完璧な四十五度。
エア名刺入れを取り出し、エア名刺を差し出すような、流れる動き。
長年のクレーム対応で培われた、芸術的なまでの低姿勢だ。
「……は?」
桐生が眉をひそめ、毒気を抜かれたような顔をする。
俺は顔を上げ、西園寺ルキとしての美貌に、百戦錬磨の営業スマイルを貼り付けた。
「私、Fクラスにてプロジェクト進行管理並びに雑務全般を担当しております、西園寺ルキと申します。先日の皆様の公開リハーサル、拝見いたしました。いやはや、圧巻の一言。特に、桐生様のアイソレーション。あれはもはや関節の可動域が労働基準法を違反しているレベル! 感動いたしました!」
「は、あ? 労基?」
桐生が、何を言われたのかわからない、といった顔をする。
構わず俺は、本丸である帝都タクミに向き直った。
「そして帝都様! センターに立たれた際の圧倒的オーラ、まさに弊社の掲げる『企業理念』そのもの! 後光が差しておりましたので、次回拝見する際はサングラスを持参させていただきます!」
まくし立てる俺の言葉に、帝都タクミの彫像のような口元が緩やかにカーブする。
「西園寺、だっけ?」
タクミの、低く艶のある声。
「良い個性だね」
「恐縮です! 弊社はまだまだ創業したての弱小ベンチャー。本日は御社の胸をお借りするつもりで、精一杯プレゼンさせていただきます!」
俺はもう一度、誰よりも深く、美しく、九十度の最敬礼を決めた。
もはや土下座の一歩手前。だが、その背筋はピアノ線のようにピンと伸びている。
「楽しみにしてるよ」
帝都たちが再び歩き出す。
すれ違いざま、王子様系の美貌をもつリクトが俺にウインクして言った。
「君、面白いね。いつか同じチームになれるといいな。頑張ってね、西園寺くん」
「あ、ありがとうございます! 今後とも、何卒よしなに!」
Aクラスの面々が去っていく。
彼らが角を曲がり、その輝きが見えなくなるまで、俺はお辞儀の姿勢を解かなかった。
これぞ、見送りの極意である。
静寂が戻る。
ゆっくりと顔を上げると、Fクラスの全員が、信じられないものを見る目で俺を凝視していた。
「……お前、マジかよ」
孔明が引きつった顔で呟く。
「よくあいつらの前であんなボケをかませるな」
「ルキくん、メンタルが鋼すぎるよ」
ハルカまで、尊敬と畏怖の入り混じった眼差しを向けてくる。
「はは、ボケたわけじゃないんだけどさ」
事実、俺の背中は冷や汗でびっしょりだった。
膝だって本当は震えている。
間近で見た彼らの完成度は、絶望的ですらあった。
彼らが最新鋭のフェラーリなら、俺たちは車検切れの軽トラ。まともにぶつかれば、一瞬でスクラップにされる。
(……それでも、やるしかねえんだよ)
俺は震える手で、存在しないネクタイをキュッと締め直した。
「みんな、見たか。あれが業界トップだ」
俺は振り返り、呆然とする仲間たちに告げる。
声に、社畜としての覚悟を乗せる。
「確かに彼らは完璧だ。だがな、俺たちのような泥臭い中小企業には、中小企業の戦い方がある!」
俺たちの武器は、洗練された美しさでも、卓越した技術でもない。
必死さと狂気。そして、地べたを這いずり回ってでも食らいつく、ド根性だ。
エリートには出せない、雑草の強さを見せてやる!
「さあ、行こう。……納期だ」
俺たちは、本番に向かって歩き出した。




