4 奇跡の社畜メソッド~Fクラス再生計画~
運命の本番まで、あと二日。
Fクラスのスタジオは、異様な熱気に包まれていた。
動物園の空気感は消え、今は地獄の新人研修合宿所と化している。
俺はホワイトボードの前で、指示棒を振り上げた。
「いいか。アイドルとは、究極の接客業! 俺考案の顧客満足度上昇メソッドを叩き込む!」
もはやこれは、俺たちの生存をかけたジョブ・トレーニングだ。握った拳に力が入る。
まず指導するのは、パワーがありすぎて動きが雑なゴウタ。
俺が言うのもなんだが、彼の動きはダンスではない。ゴリラのドラミングだ。
「ゴウタ、違う! お前の腕はただの丸太か?」
俺はゴウタの前に立ちはだかり、一枚のタオルを渡した。
「いいか、そのタオルを『1億円の契約書が入った封筒』だと思え」
「い、一億円?」
ゴウタがゴクリと唾を飲む。
「ああ、そうだ。そして、目の前にいるのは、激怒している取引先の社長! 指先を1ミリでも雑に扱えば、即契約破棄だぞ。お前の会社は倒産だ! さあ、その重みを感じて、丁重に差し出せ!」
「うおぉ! 倒産は御免だァ!」
ゴウタの額に滲む脂汗。
彼は震える巨体で、慎重かつ最大限の敬意を払い、腕を伸ばした。
上腕二頭筋が悲鳴を上げる。神経が指先の末端まで行き届く。
――スッ。
丸太のような腕が、まるで羽毛を運ぶように、滑らかに空を切った。
「そ、それだァァッ!」
俺は叫んだ。
強靭な筋肉が、極限の緊張感によってコントロールされ、信じられないほど滑らかでラグジュアリーな軌道を描いている。
美しい。
まさに、芸術!
筋肉の宴!
「なんだあの『柔』と『剛』は。 筋肉が、……喜んでいる?!」
他の練習生たちも息を呑んだ。
「社長、申し訳ございません……!」
ゴウタが何度も謝罪ダンスを繰り出している。
しなやかなお辞儀、はち切れんばかりの筋肉。
その姿は、紛れもなくエレガントなダンサーだった。
(よし。次は、……そうだな。あの暴君をなんとかしないと)
俺が次に目を付けたのは、ダンスが速すぎて周りとズレる孔明。
俺は孔明をキッと睨みつけ、じっくり奴の動きを観察する。
パワフルで圧倒的だが、やっぱり浮いている。
「竹ノ内! お前は一人でホールインワンを出して満足してるのか?!」
俺は音楽を止め、孔明に詰め寄った。
「は? 俺のリズムは正確。周りが遅いんだよ」
それは、そう。
だが。
「違うな。お前は優秀だが、『接待』が分かっていない」
「接待……だと?」
そう、と俺は大きく頷く。
「ダンスは、言わば接待ゴルフ! お前だけが目立ってはいけないのだ! いいか? 取引先、いや共演者に花を持たせろ。優秀なエリートなら、あえて0.2秒遅れ、周りに花を持たせるだけの余裕があるはずだ!」
俺は孔明の胸をトンッと指で突いた。
ニヒルに片側の口角だけを上げる。
「それが、忖度だよ。相手の呼吸を読み、自分の才能を一瞬殺して、全体を支配する。強者にしかできない技だ。……お前にそれができるか?」
孔明の目が大きく見開かれた。
「へえ。お前こそ、誰に質問してんだ? 俺が引くことで、場を支配する。できるに決まってんだろ」
孔明から沸々とエネルギーが湧いてくる。
曲が再開した。
孔明が動く。
コンマ数秒、動き出すまでにタメがある。孔明はその間、全員の空気を感じ取っているようだった。
その一瞬のタメこそ、色気があって美しい。
「まるで、王者の指揮だ……全体のリズムを操っていやがる」
周りの練習生が感嘆の声をもらし、それを聞いた孔明はニヤリと笑った。
「フン、悪くねえな。これが大人の余裕ってやつか」
大人の余裕かどうかはわからないが、とりあえず、最強センターの爆誕である。
「…………る、るる~」
どこからかか細い歌声が聞こえてくる。
綺麗な声、完璧なまでの絶対音感でありながら、ほとんど聞き取れない湊ハルカの歌声だ。
「ハルカ! 前を見るな! 怖いなら床を見ろ!」
「え、ゆ、床?」
俺のトンデモ指導に、まわりが唖然としている。
俺はハルカの横に並び、深く腰を折った。
「ハルカ、想像しろ。電話の向こうで顧客が大激怒している。こちらに勝ち目はない。誠心誠意、腹の底から謝るしかないんだ」
「あ、謝る……? なにを……」
「内容なんかどうだっていい! 上半身を倒し、丹田に力を込めろ。そして、『申し訳ございませんでしたァァ!』と叫ぶ。人間はこのとき、一番腹筋を使うんだ! この謝罪姿勢こそ、最強の発声フォーム!」
そんなわけねえだろ、という雰囲気を無視して、俺はハルカの背中を押した。
ハルカはおずおずと、しかし必死に腰を折り、電話に向かう社畜の角度45度ポーズを取る。
「も、もうしわけ……ございませぇぇぇぇんんっ!!」
「良い! 良いぞ、ハルカ!!」
ハルカの口から放たれた謝罪。
その姿勢によって横隔膜が完全にロックされ、とてつもない音圧がスタジオを震わせている。
「許してくださぁぁい」
悲痛な叫びが、切ないバラードの歌詞と奇跡的なマリアージュを起こしている。
「うわあぁぁ」
聞いていた練習生の一人が、あまりの感動に膝をついた。
「なんて深いお辞儀からの発声。地面から響く、嘆きの歌声……。やばい、鳥肌が立つ」
絶賛だ。
ハルカは顔を真っ赤にして床を見つめていた。
が、その歌声はスタジオの壁を突き破るほど響いていた。
(案外、ちゃんとまとまってきたんじゃないか?)
安堵と共にステップを踏む。
ドンッ。
「あ、ごめん」
バンッ。
「あ、わるい」
何度踊ってもぶつかってしまう。
俺が壊滅的に足手まといだった。
(どうする……?)
俺にはダンスの才能も、リズム感もない。
――だが。
俺の体には社畜根性が染みついているのだ。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。
俺には重低音のビートが、違う音に聞こえる。
『田中ァ!』
――ドッ。
『すいません!』
――ペコッ。
『遅いんだよ!』
――ドッ。
『申し訳ございません!』
――ペコッ。
『やり直せ!』
――ドッ。
『以後気を付けます!』
――ペコッ。
俺は、脳内で再生される上司の怒号に合わせて、ひたすら条件反射で首と肩を動かした。
相手が息継ぎをするコンマ数秒。その隙間に、絶妙な相槌を打つ。生存本能だ。
(ひぃぃ。いつまで続くんだこの説教)
(はやく、はやく終わってくれぇぇ!)
俺の顔は必死の真顔だった。
冷や汗が頬を伝う。
だが、その小刻みで正確無比な動きを見た周囲の反応は違った。
「ビートを……支配してやがる……!」
「音を一つも逃していない。あんな細かい音まで体で表現するなんて」
「これが、音の可視化――?!」
ただペコペコと謝罪しているだけの俺に、孔明たちが嫉妬の目を向ける。
(あれ? なんか俺、上手くいってる?)
やはり俺の武器は社畜時代に培った、謝罪スキルなのかもしれない。
それぞれが自分の持ち味を認識し、俺たちは泥臭く練習を続けた。




