31 すべてを飲み込むグルーブ
全体の撮影が終わったあと、スタジオを飛び出した俺は、あてどなく夜の闇を走っていた。
桐生が行きそうな場所に心当たりなんてない。だが、あいつのプライドの高さと今の心理状態を考えれば、人が大勢いるような場所には行かないはずだ。俺はひとつの場所を思い出し、裏庭へと続く小道を抜けた。
ボロボロの広場。そこに彼はいた。
コンクリートの地面の上、月明かりの下で桐生は踊っている。
Wildfire。その動きは完璧だ。
指先まで神経の通った美しいライン。音の粒を正確に捉えるリズム感。回転の軸は微動だにせず、着地音すらさせないほど軽やかである。誰がどう見ても、一流のダンサーの舞だった。
「間違ってねえ」
桐生は踊りながら、吐き捨てるように叫んだ。
「俺は間違ってねえんだよ! これ以上どうしろってんだ!」
ダンスの申し子と言われた桐生。彼は自分のダンスに絶対の自信を持っている。それが「汚い」「ノイズだ」と全否定されたのだから、許せるはずがない。痛みがヒリヒリと伝わってくる。
「桐生」
俺は意を決して声をかけた。桐生は動きを止め、肩で息をしながら振り返る。その目は充血し、苛立ちに満ちている。
「なんだよ。説教しに来たのか? 帰れよ」
「説教なんてしない。迎えに来たんだ」
「あ? 俺がいなくてもいいだろ。俺は浮いてるらしいからよ」
「いや、お前がいなきゃ勝てない。エースは桐生、お前だ」
俺の言葉を聞いて、桐生は鼻で笑った。
「口先だけで慰めるな。センターはお前。お前が正しいんだろ、全部。……クソ。俺のダンスの何が悪い。俺は完璧だ。トレーナーの目が節穴なんじゃねえのか。チッ」
桐生はまだ自分の正しさに固執している。
俺は何も言わず、上着を脱ぎ捨てて彼の隣に立った。スマホを取り出し、Wildfireを再生する。
「何してんだ、お前」
「踊るぞ」
俺は体を動かし始めた。
桐生のような美しいアイソレーションはできない。洗練されたステップも踏めない。ただ、地面を踏みしめ、泥臭く動くだけ。
(汚い。醜い。俺のダンスだって酷評だ。正しくない。でも桐生のダンスも評価されなかった。結局、正解なんて誰もわかってない)
俺はただ踊るしかなかった。
踊り続けて、何かを掴むしかない。
桐生がそうしていたように、俺も踊る。
そんな俺のダンスを、桐生は馬鹿にしたような目で見ていた。
だが、次第にその表情が変わっていく。
苛立ちが消え、探るような困惑したような目をした桐生は、俺の動きを凝視し、何かを確かめるように自分の足元を見た。
「待て」
サビに入ったところで、桐生が俺の腕を掴んで止める。
「なんだよ。下手すぎて見てられないって?」
「ああ、下手だ。……だが、重い」
桐生が真顔で言う。その声は侮蔑ではなく、冷静な分析の色があった。
「重い?」
「ルキ。お前、音の取り方がおかしいんだよ。ジャストのタイミングより、ほんの少し遅れてる」
「……悪かったな、下手で」
「いや、悪くない。必死すぎて体が沈んでるのか? 重心が低く、重みがある」
桐生はブツブツと独り言を言いながら、俺の周りを回り始めた。
「俺はずっと、この曲を綺麗に踊ろうとしていた。音の粒を点で捉えて、鋭く、高く。それこそ、Diamond Crownのように」
桐生がまるで真実の扉を開くように、はやる気持ちを乗せた声で言う。
「だが、この曲はWildfireだ。空を飛ぶ曲じゃねえ。地面を這いずり回る曲だ。必要なのは重さ。重厚感。計算された苦しみ……?」
桐生がハッとしたように顔を上げた。
「ルキ。もう1回だ」
桐生の目が鋭く光る。
「俺に合わせようとするな。お前の一番重たいリズムで、全力で床を踏み抜け」
「あ、ああ」
再び音楽が鳴る。
俺は無心で踊った。疲労で重くなった体を、重力に任せて叩きつける。
ズシン、ズシン。不格好な足音が響く。
その隣で、桐生が動いた。
驚いた。彼のダンスから、鋭利さが消えている。
膝を深く曲げ、腰を低く落とす。俺の鈍重なリズムに、桐生のスキルが同調する。
俺が踏み込む瞬間、桐生も踏み込む。
二人の足音が重なり、倍の音量となって響く。グルーブが完全に一致する。
「……ははッ」
踊りながら、桐生が乾いた笑い声を上げた。
「これかよ。これだったのかよ!」
曲が終わる。俺たちは肩で息をしながら、夜空を見上げた。
「ハァ、ハァ。桐生、なんかわかったのか?」
「ああ。お前らの泥臭さ、俺が重厚なビートに変換してやる。汚いなんてもう言わせねえ。俺がまとめてやるよ」
バラバラだったはずの呼吸が、今は心地よく揃っている。
「俺は完璧の意味をはき違えていたみたいだ。合わせるのはシルエットじゃねえ。質感だ」
桐生が俺を見た。その目には、もう迷いも傲慢さもない。
「戻るぞ、ルキ。修正だ。一睡もさせねえから」
「望むところだ、鬼軍曹」
俺たちは拳を軽くぶつけ合い、寮へと走り出した。
練習室へ戻る。
メンバー全員が桐生の帰りを待っていた。
「みんな、すまなかった」
開口一番、桐生が深く頭を下げた。
ARATAが目を丸くし、湊人が口を開けたまま固まる。あのプライドの塊だった桐生が、自分の非を認めて頭を下げている。
「俺の指導は間違っていた。俺のエゴを押し付けて、このチームの良さを殺していた。本当にすまん」
みんなが顔を見合わせる。誰も口を開かない。
そんな中、頭を上げた桐生は、真剣に言った。
「残り時間はないが、修正を行う。俺についてきてもらいたい」
静寂。
それを破ったのは、JOの穏やかな拍手だった。続いてトウマが、真琴が、全員が力強く頷く。
誰も桐生を責めなかった。彼の本気を、全員が知っていたからだ。
「で、どうすんだよ? また指の角度合わせか?」
湊人が憎まれ口を叩く。桐生はニヤリと笑い、首を横に振った。
「いや。全員、腰を落とせ。もっと低くだ」
桐生はスタジオの中央に立ち、床をドンと踏み鳴らした。
「とにかく音を聞け。音を踏み潰せ。ワイルドに、力強く」
新しい指導が始まった。
それは窮屈な矯正作業ではない。全員で円になり、同じリズム、同じ重心で、地面を揺らすセッションだ。
ズン! ズン!
不揃いだった10人の個性が、重さという共通言語で繋がり始める。
鏡に映る俺たちの動きにはズレがある。だが、そこから放たれる殺気と重圧はひとつにまとまり、巨大な塊になって見えた。
(……イケる!)
鳥肌が立った。
美しいクリスタルのようなDiamond Crownに対し、俺たちは形を持たない溶岩だ。全てを飲み込み、焼き尽くす。まさにWildfire。
準備は整った。
いよいよ、最終決戦の幕が上がる。




