30 プライド
中間評価の日、レッスンスタジオの空気は処刑場のように張り詰めていた。
長机の向こうに並ぶのは、数々のアイドルを育て上げてきた鬼トレーナーたち。彼らの手元には、俺たちの運命を左右する評価シートが置かれている。
「それでは、課題曲Diamond Crownチーム。スタンバイしてください」
純白のレッスン着をまとった10人が進み出る。
センターに立つのは帝都タクミ。彼がスッと右手を挙げた瞬間、スタジオの温度が2度下がった気がした。
音楽が鳴る。
瞬間、俺は息をするのを忘れた。
(美しい)
悔しいが、その一言に尽きた。
10人の足音が、たったひとつの音に聞こえる。指先の角度、視線の配り方、呼吸のタイミングに至るまで、完全に統制されていた。それは人間味を排除した機械的な正確さではなく、磨き上げられたクリスタルが光を反射し合うような、計算された芸術だ。
完璧なシンクロ率が生み出す、圧倒的な魅力。リクトが不敵に笑い、ケイトの透き通るような高音が天井を突き抜ける。そしてタクミの王冠をいただくのにふさわしい気品と、誰も寄せ付けない孤高のオーラが空間を支配していた。
(……勝てるのか? これに)
俺の背筋に冷たい汗が伝う。
隣で見ていたARATAが口を開けたまま固まり、湊人がギリッと奥歯を噛む音が聞こえた。
曲が終わる。
わずかな静寂のあと、トレーナー席から拍手が鳴り響いた。
「文句なしだね」
ダンストレーナーの白鳥レンが短く告げた。
「修正点が見当たらない。このままデビューしても通用するレベルだと思う。プロの仕事を見せてもらったよ」
タクミは涼しい顔で「ありがとうございます」と一礼する。その姿は、あまりにも遠い。同じ練習生という肩書きが嘘のように、彼らと俺たちの間には、透明で分厚い壁がそびえ立っている。
「続いて、課題曲Wildfireチーム」
俺たちの番がやってくる。
スタジオの中央へ歩き出したが、異様に足が重い。さっき見た完璧な光の残像が、網膜に焼き付いて消えない。
「気合入れろ。俺たちは俺たちの戦い方をするだけだ」
桐生が低い声で囁いた。その声は微かに震えていたが、俺たちは頷き合った。
そうだ。綺麗に勝つ必要はない。泥臭く、熱く、心を揺さぶればいい。
JOが呼吸を整え、ARATAがカッと目を見開く。
音楽がスタートする。
「Make some noise!」
ARATAの咆哮が炸裂する。
俺たちは獣のように床を蹴った。
湊人が怒りを込めて暴れ、イブキが妖艶に舞う。俺は死に物狂いでセンターとして表情を作った。
熱量は高い。気迫もある。
今までで一番のパフォーマンスができているはずだ。
だが。
鏡に映る自分たちの姿を見て、俺は認めざるを得なかった。
(汚い)
Diamond Crownを見た後だと、俺たちのダンスはあまりにも雑だった。
腕の高さはバラバラ。ターンの軸もブレている。個性と言えば聞こえはいいが、それは未完成の言い換えに過ぎない。俺たちが必死になればなるほど、その必死さが、タクミたちの余裕との格差を浮き彫りにしていく。
曲が終わった。
俺たちは肩で息をしながらトレーナー席を見上げたが、拍手はなかった。重苦しい沈黙が、スタジオを支配する。
やがて、プロデューサーの黒沢がため息交じりにマイクを取った。
「……汚いね」
その一言が、鋭利な刃物のように俺たちの心臓を突き刺した。
「君たちが情熱とか野性とか言いたいのは分かるよ。でもね、それは基礎ができた上での話だ。今の君たちは、ただ暴れているだけ。ダンスとして成立していない」
視線が、桐生に向けられる。
「桐生くん。君、ひとりだけ浮いてるよ」
桐生の肩がビクリと跳ねた。
「君は上手い。でも、周りと合わせようとしていない。いや、合わせるのを諦めたのかな? 君のダンスからは、チームへの苛立ちしか伝わってこない」
図星だったのだろう。桐生の顔から血の気が引いていく。トレーナーは容赦なく、決定的な宣告を下した。
「はっきり言うけど、さっきのDiamond Crownを見た後だと、君たちは前座にしか見えない。いや、彼らを引き立てるためのバックダンサーなら、いい仕事ができるかもね」
バックダンサー。主役にはなれない、引き立て役。
それは、アイドルを目指す俺たちにとって最大の侮辱だ。
「……っ」
湊人が何かに噛みつこうとするように前へ出ようとしたが、JOがそれを制した。
反論できない。悔しいが、プロの目は正しい。俺たちの熱は、技術の拙さを隠すための言い訳だ。俺たちは無言で立ち尽くすしかなかった。
その時、視界の端でタクミがこちらを見ているのに気づいた。
ただ無関心に、路傍の石を見るような目で、かつてのチームメイトである桐生を見ている。
(ああ、そうか)
俺は悟る。
タクミにとって、桐生はもうライバルですらないのだ。過去の遺物。その無関心こそが、何よりも残酷な答えだ。
桐生もまた、タクミのその目に気づいてしまった。
「……クソ」
小さく呟いた桐生は、脱兎のごとくスタジオの出口へと走り出した。
「おい、桐生!」
俺の声も、トレーナーの制止も届かない。
桐生は扉を乱暴に扉を蹴破り、逃げ出した。
プライド。執念。努力。積み上げてきた全てを、圧倒的な才能と現実に否定された桐生の背中は、あまりにも小さく、惨めだった。
残された俺たちWildfireのメンバーは、凍りついたように動けなかった。
スタジオには冷ややかな静寂だけが残っている。
「本番まであと3日だけど」
ダンストレーナーのレンが感情のない声で告げた。
「このままだと、放送事故になるよ」
最悪だ。
エースが逃亡し、実力差は歴然。絶望という名の分厚い雲が、俺たちの頭上を覆い尽くしている。
(チクショウ)
俺は拳を握りしめ、爪が食い込む痛みを噛み締めた。
ここで終わってたまるか。ここで終わったら、俺たちは本当にただの負け犬だ。
顔を上げる。
行くしかない。あの不器用でプライドだけが高い、傷だらけの鬼軍曹を連れ戻せるのは、泥水をすすってきた俺しかいない。




