26 覚悟を燃やす
「いいか。最初に言っておく」
練習室の鏡の前、ダンスリーダーに就任した桐生が、氷のような視線で俺たち9人を見回した。
「Diamond Crownに勝つ方法はひとつ。練習量だ。あいつらが10やるなら、俺たちは100やる。寝る間も惜しんで、基礎から叩き直す。ついて来られない奴は置いていくからな」
その言葉に、鬼気迫る覚悟があった。
タクミにアイドルとして否定された男の、執念の炎。俺たちはその熱に当てられ、深く頷いた。
「望むところだ。やってやろうぜ」
俺が答えると、桐生はニヤリともせずスピーカーの再生ボタンを押した。
それが、終わりのない悪夢の始まりだった。
*
練習開始から3時間。
練習室は酸素が薄くなったかのように息苦しい。
「止めて」
桐生の鋭い声が響く。
これで何回目だ? もう50回は止めている。
「真琴。お前、今のターンで0.5秒遅れた。そのせいで後ろのユズルが詰まってる」
「す、すみません」
「謝罪はいらねえ。修正しろ」
真琴が慌てて位置を直す。真琴は何でもそつなくこなす優等生タイプだが、ダンスの専門家ではない。桐生の求めるプロ基準の高さに、明らかに青ざめていた。
「もう1回。頭から」
音楽が鳴る。激しいビート。
俺たちは必死に手足を動かす。だが桐生の目は節穴ではない。どんな些細なズレも見逃さない。
「止めて」
まただ。全員の肩がビクリと跳ねる。
「ARATA、ヘラヘラすんな。動きが軽い」
「いや、俺は楽しくやろうかと」
「楽しいのとふざけるのは違う。客は金を払って見てんだぞ。学芸会じゃねえんだ。真剣にやれ」
桐生の言葉に、ARATAが押し黙る。いつも練習室を明るくしていたムードメーカーがしょぼんと縮こまる姿は、見ていて苦しかった。
桐生の言っていることは正論だ。
技術的に正しい。プロとして正しい。勝つために正しい。
だからこそ、反論できない。正しさという凶器で追い詰められていく。
休憩時間。
緊張感が続いていて、誰も口を開かない。室内には、ただ荒い呼吸音だけが響いている。
俺はボトルの水を飲みながら、部屋の隅にいるJOと視線を合わせた。JOも眉をひそめ、首を横に振っている。
(まずいな。空気が死んでいる)
俺は意を決して、桐生に歩み寄った。
「桐生。少しペースを落とさないか? みんな集中力が切れかけてる」
桐生は鏡から目を離さず、タオルで汗をぬぐいながら答えた。
「休んでる暇なんかねえよ。今のレベルじゃ、タクミたちの足元にも及ばない」
「でも、これじゃチームが壊れる。焦りすぎだ」
「焦る?」
桐生が振り返り、充血した目で俺を睨みつけた。
「お前、センターに選ばれた時、なんて言った? 『泥水をすすってでも勝つ』『執念を見せろ』そう言ったのはテメェだろ?」
「それは、そうだけど」
「これが泥水だろ! 這いつくばるってことだろ! 口先だけの覚悟ならセンターから降りろ!」
言葉に詰まった。
自分の吐いた覚悟が、逆にメンバーを縛り付ける鎖になっている。
俺には技術がない。桐生の方針を否定できるだけの代案も、実力もない。
リーダーのJOが困ったように苦笑しながら、俺の肩をポンと叩いた。
「とりあえず、桐生くんに従いましょう」
「……うん」
歯がゆい思いのまま、またレッスンが始まる。
レッスンは延々と続き、時刻はもう深夜3時。
さすがにみんな、心身ともに限界を超えていた。
激しいステップの最中、ドンッと鈍い音がした。真琴だ。足がもつれ、派手に床に転がった。
「ッ、痛っ」
真琴が膝を押さえて顔をしかめる。
駆け寄ろうとした俺やJOよりも早く、桐生の冷たい声が降ってきた。
「チッ。……立てよ」
見下ろす桐生の目には、心配の色など微塵もない。
「その程度の疲労で足元ふらつかせんのか? タクミなら足の骨が折れてても、顔色ひとつ変えずに踊り切るぞ」
「……タクミ、タクミって」
真琴は立ち上がらない。うつむいたまま、ポタポタと床に涙を落とし始めた。
「俺たちはタクミくんじゃない!」
震える声が、静まり返った練習室に響く。
顔を上げた真琴は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「機械みたいに正確に、完璧になんてなれないよ! 俺たちは人間なんだ! こんなの無理だよ!」
悲痛な叫びだった。それは、ここにいる全員――ARATAも、湊人も、俺ですらも心の奥底で抱えていた感情だ。
俺たちはエリートじゃない。天才でもない。必死に背伸びをして、傷だらけになって頑張っている。それでも届かない現実が、絶望となって突きつけられた。
桐生は無表情で真琴を見下ろしていたが、やがて小さく舌打ちをした。
「帰れ。やる気がない奴は邪魔だ」
真琴は泣きながら荷物を掴み、部屋を飛び出して行った。ユズルが慌てて追いかける。
残されたメンバーは、床に視線を落としたまま動かない。チームWildfire。その炎は燃え上がる前に、冷たい水で消し止められてしまったみたいだ。
*
解散後。
俺は忘れ物を取ってきたフリをして、こっそりと練習室に戻った。ひとりでもう少しだけ、身体を動かしたかったのだ。
だが、照明の消えた部屋に、一人だけ残っている気配がある。そっと覗いてみる。
桐生だ。
彼は鏡の前で、体育座りをしてうずくまっていた。その手にはスマホ。画面の明かりが、彼の青白い顔を照らしていた。
流れているのは、ライバルチームDiamond Crownの練習動画だ。
「クソッ」
桐生の苛立った息づかいが静寂に響く。
「なんで。なんで俺は、そっちにいねえんだよ」
絞り出すような声だった。
「怖い。負けたくない。負けるのが、怖い」
震えていた。
昼間、俺たちを怒鳴り散らしていた鬼軍曹の姿はどこにもない。そこにいたのは、プライドを粉々に砕かれ、居場所を失い、恐怖に怯える一人の迷子だった。
彼は誰よりも勝ちたかった。自分を不要だと切り捨てた奴らを見返したかった。だからこそ完璧を求め、自分も他人も追い詰めてしまったのだ。
俺はドアノブから手を離した。
声をかけるべきではないと思った。今の俺には、彼を救うだけの言葉も、実力も、覚悟も足りていない。
廊下を歩きながら、俺は拳を握りしめる。
このままじゃ全滅する。チームも、真琴も、そして桐生自身も。
俺たちが選んだのはWildfire。今はまだ、燻って息苦しい煙を上げているだけ。
だが、この煙を晴らす方法が必ずあるはずだ。




